このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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1994 Jan./Feb.

広尾線 幸福駅

 

帯広から十勝平野をひたすら南下する広尾線は、原野に点在する部落をつなぐ、典型的な北海道のローカル線でしたが、夏の観光シーズンには、全国から訪れる人が後を絶ちませんでした。その理由は、「愛の国から幸福へ」で有名になった、愛国・幸福両駅の存在です。私も廃止直前の1986年12月に同線を訪れましたが、新築で駅員配置の愛国駅と違い、無人駅の幸福駅は、シーズンオフのためみやげ店などはすべて閉鎖されており、人気のない寂しいところでした。駅名こそ幸せそうな名前ですが、由来は福島出身者が「幸震地区」を開拓したから、という単純なものであり、現地も回りは見渡す限りのじゃがいも畑の中に数軒の部落といったところで、もしふつうの駅名だったら、単なる無人駅にすぎないところでした。駅も、板づくりのホームに、小屋のような待合室があるだけですが、この待合室に自分の名前を書いた紙を張り付けると幸せになるというジンクスから、壁や天井はびっしりと紙で埋め尽くされており、この駅の夏のにぎわいを想像させてくれました。

すでに広尾線廃止から15年が経過していますが、同線は地元の愛着も深く、幸福駅を含め数駅が保存されています。私は1993年5月に車で訪れましたが、道内の観光客でにぎわう中、あの旅行の時とまったく変わらない姿で残されている幸福駅のホームに立ったとき、あの頃に戻ったようななつかしさに、思わず立ち尽くしてしまいました。

 

■絵について

資料は実際に行ったときの現地の写真です。消失点にキハ40がいるのが分かるでしょうか(笑)

この大きさの水彩は久々に描くので、かなり気合いが入ってました。仕上げは全作品の中で一番丁寧だったでしょう。

雪の淡い陰影は、水彩の得意とする表現法のひとつですが、当時はこの絵をカラーコピーで配布しており、しかも性能も今に比べて劣るので、そういう微妙な色合いがみんな飛んでしまって残念に思いました。

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