このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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1994 Mar./Apr.

青函連絡船 摩周丸

 

青函トンネルの開通まで、ただひたすら津軽海峡を往復した青函連絡船は、今更私が述べるまでもなく旅愁に満ちたものであったことは、演歌に唄われてきたことからも十分わかります。私は都合計3往復乗船しましたが、特に年末押し迫った頃の小雪ちらつく青森駅を出港する連絡船は、まさに唄の世界そのものでした。鉄道旅行者は、北海道に行くにはここで必ず船に乗らなければならず、単調な列車1本の旅の良いアクセントであり、その乗換も「これから北海道に行くんだ」という感じを印象づけてくれる大事な儀式でもありました。

さて、航路廃止まで活躍した8隻の連絡船。そのなかで、「津軽丸型」と呼ばれる客貨船5隻のうちの1隻である摩周丸は、私は1987年の夏に乗船しました。白と藍のツートンの船体は、海峡のイメージにぴったりでした。摩周丸を含め、「津軽丸型」は、その優美なスタイルから海峡の女王と呼ばれ、デザイン的には、私はどんな近代的な船よりも勝っていると思います。また、冬の荒天の海峡に挑む姿、夏風をさっそうと切って進む姿など、どの季節にも印象的な表情を見せてくれたところも魅力の1つでしょう。

現在、青函連絡船は、青森駅に八甲田丸、そして函館駅に摩周丸がそれぞれ保存されています。過去大きな事故も経験した青函連絡船の、長い歴史のラストランナーとなったこの2隻は、今でもその美しい姿をとどめたまま、もう二度とでることのない海峡を見つめ続けています。

 

■絵について

春の海に浮かぶ連絡船、この季節は残念ながら体験することができませんでした。でもまあこんな感じでしょう。

だいぶ前に、セル画で連絡船デッキの絵を描いたことがありまして、実は今回の絵はこの焼き直しだったりします。衣装の色も同じだったり…。

ただし構図は大幅に変えてあります。でもこの視点は、実際には無理なポジションですよね。何せ海の上ですから(笑)

掲載にあたり、デジタル処理しています。レンズフレアを追加、そして人物のハイライトにちょっと白を吹きました。


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