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鷺井神社


 
神社参道の石造物

H29.12.3

  鷺井神社は参道が境内の中しかないので、短い距離に石造物が密集している。
  手前から、注連縄石1対、百度石1基、鳥居1基、石灯籠1対、狛犬1対、注連縄石が前後2対、その奥に本殿

1. 入り口の注連縄石

H29.12.03 H29.12.03

(右柱) 神威光万古 【神威は万古(遠い昔から現在まで)を光らし】
(左柱) 仁徳閲千秋 【仁徳は千秋を閲す(経る)】

であろうか。

(右柱の外側) 明治四十年 中西留吉
(左柱の外側) 一月吉旦 妻中西カツ

2. 百度石

  

(背面)(前面)
葭町 田村屋 良蔵 嘉永七歳在甲寅
 秋八月吉旦

「歳在」は、「巖抂」あるいは「■(山かんむりに威)枉」のようにも見えるが、意味が通らない。古文書では「歳」を山かんむりで書いている。
「歳在」は「 歳次 」と同じで、歳星(木星)が12年周期で運行しているので、歳星(木星)が十二支のどこに在るか、という意味である。従って「歳在寅」などと表現するのが正しい。「歳在甲寅」などと十干十二支で表すと60年周期になってしまい、木星の運行とは異なってしまう。「歳次」も同じで12年周期だが、なぜか歳次は十干十二支と組合わせて書かれていることが多い。ここでは「歳在」も歳次と混同して書いたのであろう。

「秋八月」は旧暦なので「秋」で合っている。

3. 鳥居

H29.12.03 H29.12.03

(右脚) 天下泰平
(左脚) 國家安全

(左脚背面) 明治三十八年 安藤喜藤太
(右脚背面) 乙巳九月吉日周旋人 真鍋松蔵
      安藤源蔵
H29.12.3

H29.12.06 H29.12.06

4. 石灯籠

  

  

灯籠の碑文
 (左側)(右側)
前面 願主惣氏子
 (判読難)
 文政三庚辰
  九月吉日
内側 奉献八幡宮
 (判読難)
 王子大權現
背面 文化十三丙子
  八月吉日
 願主總氏子

なぜか左右で年月が異なる。片方が壊れて作り直したか?

ところで、文化・文政年間の人達は鷺井神社の祭神をどなただと認識していたのであろうか?
この石灯籠には「八幡様」や「王子大権現」と刻まれているが、これは祭神と関係があるのだろうか? ここに刻んである以上、これらが祭神と思っていたのではないのか。

「西讃府志」(京極家編纂)によると、青龍權現の祭神は大已貴命(おおなむぢのみこと=大国主命)としている。
一方、「香川縣神社誌」(S13,香川縣神職會編)によると、村社 鷺井神社 吉原村大字吉原字鷺井 祭神 少彦名命(すくなびこなのみこと)としている。

「西讃府志」はいつ成立したのか? 増補を繰り返したらしく、安政戊午(1858)か嘉永6年(1853)かそれとも明治初期か、いろんな年代が書き込まれている。「香川県大百科事典」(四国新聞社編)によると安政5(1858)年完成となっているそうだ。この時点では祭神は大已貴命だったのか?
しかし、石灯籠に刻まれた文化13年(1816)には八幡様であって、文政3年(1820)には王子大権現であった?

「吉原郷土研究会報 第八号」(平成17年8月、吉原郷土研究会発行)の記事の中には、

    大国主神と少彦名命
 鷺井神社の拜殿には絵馬がたくさん奉献されている。始めは馬の絵だったそうで神馬として奉献されていた。賽銭箱の上に墨書の大きな馬の絵が有るが消えかかって判りにくくなって居る。絵馬の図柄も次第に変っていったと思われる。拜殿の中央に長さ一間巾三尺位の大きな絵馬がある。
 大国主神が手を横に伸ばし、その掌の上に少彦名命が立って居る。少彦名命は薬の神様とも云われて居る。鷺井神社には少彦名命が祀られている。故に病気平癒のお礼の絵馬が多い。大国西神は天照大神の孫神が高天原から降臨して地上を統治する迄地上を治めていた代表的な国津神である。大国主神は多くの兄八十神達に虐げられていた弱い神で、 まさに大国主神、つまり大いなる国の主の神として成長して行く過程で、その一部が因幡の白兎の話しとして知られている。・・・

   (以下、古事記に書かれている話などが主なので省略)

この 絵馬 はいつごろ描かれたものであろうか?こんな絵馬が奉納されていれば、主祭神は大国主命と思われても不思議ではなかろう。


5. 狛犬 (東西神社参道の狛犬と同一のようだ)

(正面は左右とも「奉献」)
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内向き側
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左側は「明治十四年■九月吉日」(東西神社のと同一?)、右側は施主(これも東西神社のと同一?)

背面側
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左側は「石工タトツ 吉田歌吉」、右側は世話人(東西神社のと同一?)

6. 参道修復寄進碑 (東西神社も同じ)

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昭和三十六年十月吉日
    参道修復寄進 新居三郎
新居秀雄
     世話人 谷淵亀(あるいは谷渕虎雄か?)

7. 注連縄石 (前)

H29.12.03

H29.12.03 H29.12.03

(右側前面) 赫々威靈輝萬世 【赫々たる(赤々とした)威靈は万世を輝かし】  (右側外面) 明治三十五寅年二月謹建
(左側前面) 巍々盛悳庇兆民 【巍々たる(気高く崇高な)盛悳は兆民を庇う】  (左側内面) 三井ノ江産子中

8. 注連縄石 (後)

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H29.12.03 H29.12.03

H29.12.03 H29.12.03

(右側前面) 赫々威靈輝萬世  (左側背面) 明治廿有七年 安藤喜藤太
 仝 利藤太
(左側前面) 巍ニ盛悳庇兆民  (右側背面) 甲午九月謹建 松下平九郎
 竹林角太郎
 竹内 亀吉


安藤 喜藤太・利藤太 の両氏はあちこちの神社に寄進しているようだ。




9. 拝殿前

「触らぬ神に祟りなし」という言葉がある。この神社はあまりシャカリキに調べ廻すとよくないのかもしれない。
境内に立ち入るときは作法(礼儀)を守って参拝した方がよさそうである。
H30.2.17

灯明台 (東西神社も同じ)
H30.2.17 H30.2.17 H30.2.17

H30.2.17 







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