このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

         

☆2002年オホーツク紀行(3) (実行日:2002年3月15〜16日)   小さな旅日記目次へ      トップページへ     

   

この記録は2002年3月中旬に北海道・オホーツク沿岸へ出かけたときの記録その3です。写真に関しては「旅のアルバム」の方にも掲載していますので関心のある方はそちらもご覧下さい。

 --------------------------------------------------------

  【3〜4日目】     
釧路のホテルからの朝の景色     
釧路の宿の朝は最上階のレストランでバイキング。それが目当てだったのでは、と思われるかもしれないが(笑)眺めはよく、下手な展望台へ行くよりはるかにくつろげるかもしれない。釧路駅からはちょっと離れているのでタクシーを使う人も多いようだが歩いても12分程度なのでもちろん歩き。
冬の釧路湿原風景(釧網線より)この日の一番手は釧網線の臨時列車「マウントレイク摩周号」。これは夏にちょっとだけ乗った「マウントレイク大沼」と同じ観光列車で、「流氷ノロッコ」もそうだが本数の少ない釧網線でこの時期臨時列車が多いのはありがたい。3両のうち自由席は1両だが幸い空いていて、夏とはまた一味違った冬の釧路湿原を堪能できた。車窓左に見え隠れする釧路川や、塘路湖シラルトロ湖などの風景の合間に、林にはエゾシカやサルがあちこちに見られる。茅沼付近ではちょうどツルが舞い降りているところに出会った。標茶駅ではホームに「ゃちべし」と右から書かれた昔風の駅名標が再現されていた。
   
川湯温泉駅近くの露天風呂どこかで温泉にひと浴びしたいので、摩周か川湯温泉のどちらかにしようと思ったが、列車が快適なので、乗っている時間の長い川湯温泉まで進む。ここは駅と温泉街が離れていることは先刻承知で、そのかわりたしか駅前に温泉施設があるはず。川湯温泉で下車したのは私とあともう1人いたかどうか。朝9時半過ぎなので無理もないかもしれない。駅からほど近いところに公衆浴場風の温泉があるにはあったがまだ営業時間前。やむを得ず1時間後の列車まで散歩をしようと駅前の通りを進むと、幹線道路に出たところにあったホテルかペンション風の宿「パークウェイ」に日帰り入浴歓迎の旨が掲げられているのに気づく。露天風呂もあるようで、見た目が洋風のつくりなのであまりそれっぽくないなと思いつつ中へ入り、おそらく300円だったかの料金を払って温泉へ向かう。内湯と露天どちらもOKだそうでさっそく露天へ行くと思いのほか野趣があってびっくり。雪を踏んで小屋のような脱衣所に行き、そこで裸になってさらに雪を踏んで岩風呂にはいる趣向だった。もちろん他には誰もおらず、貸し切り気分で雪の中の露天風呂を堪能。拾い物のような温泉が楽しめた。
   
釧網線車窓(清里町内)川湯温泉10:33の快速しれとこで網走方向へ進む。ゆるい峠を越えて清里町に入ると直前道路で整然と区画された農地がどこまでも広がる。樹木が一直線上に植えられているのも印象深い。昨日のラーメン喫茶で見た新聞の流氷情報で、知床にたくさん流氷がありそうなのでこの後は20年ぶりに知床半島へ入る予定だが、バスの本数が限られているのと網走の海岸を眺めてみたいので、いったん網走まで乗りとおし、海沿いのオホーツク水族館へ行ってみることにした。網走駅12:30の二ツ岩行きバスに乗る。この路線は通常は1時間に1本だが流氷の時期は30分間隔に増えている。いったんバスターミナルに寄りながら途中から海沿いを走り、十数分で二ツ岩に着く。オホーツク水族館はすぐ近くである。
   
オホーツク水族館のクリオネ水族館は意外に小さく、屋外にもトドなどがいるが、館内で知られるのはクリオネであろう。フラッシュ・ストロボ撮影禁止のところをセルフタイマーなどで何とか撮影。種類は少ないけど基本に忠実、という感じの展示だった。2階にはたくさんの貝の展示があったが、昭和シェルが協賛しているのはびっくり。30分くらいで引き返す。天候はすぐれず海も灰色だがいかにも冬の海という感じで、海越しに網走市街が見えるのはなかなかの眺め。ただしここには流氷は見えない。
  
知床の流氷午後の列車で知床斜里へ向かい、斜里14:20の知床自然センター行きバスに乗る。乗客は十数人でなかなかの乗車率。バスは市街地を出るとしばらくは釧網線から見たような整然と区画された農地がどこまでも広がる中を行く。これはかなりの眺めである。やがてバスは海沿いに出ると、さすがに多くの氷塊が海岸線にたどり着いている。半島を進むにつれその数は増えてゆき、場所によっては海岸近くの海面の大部分が流氷で覆われた箇所もあった。ただ氷塊が流れてきてからかなり時間が経過しているのか、ちょっと薄汚れた感じのものも見られたのは惜しい。でもようやく流氷で覆われた海を見ることが出来て良かった。バスは途中、オシンコシンの滝で徐行したりしながら約1時間でウトロに到着。地名としては「宇登呂」と漢字表記になっているようだ。
          
ウトロには大規模旅館もあるはずだがそれらは高台に多いらしく、海岸へ向かって歩くと、灰色の海と白い氷と、あとは黒々とした岩の、モノクロの世界が広がっていた。海岸線は大きな塊のような岩があちこちに見られる荒々しい地形。ウトロからも近いところに「オロンコ岩」という巨大な岩塊もあって上に登れるようだが、さすがに雪もあるこの時期は通行(登頂?)禁止になっていた。たしかに急な階段を滑って踏み外したらひとたまりもないだろう。その代わり岩を貫通しているトンネルをくぐって海岸線からの眺めを望む。
知床・ウトロの海岸帰りのバスの時間まで、ウトロの少し先の海岸線を歩いてみる。黒い岩場と海の続く風景である。この日は天気が良くないとはいえ風も寒さもさほどではないが、吹雪になったりしたら車もない歩きの人間はたちまち危険になりそうな場所である。知床は以前夏に来たことがあって、知床五湖などへ行く車がたくさんあったが、その時のウトロの記憶は全くといっていいほど蘇らない。それほどに印象の違う場所だった。
16:35のバスで戻ることにする。このバスはさすがに空いていた。もう薄暗くなった海は、遠くから点々とつながる氷が名残惜しげに見えていた。このバス、なぜか時々対抗車線に大きくはみ出す。もちろん車のこないときだけれど何事かと思っていたら、道にシカが姿を現すのだった。知床斜里駅へ戻る頃にはかなり暗くなっていた。
  
網走「麗門亭」網走へ戻り、ほぼ実質的な日程を終える。あとは夜行「オホーツク」で札幌へ戻るのみである。時間はたっぷりあるのでまずは前日に車窓から見かけた靴屋へ行く。十年以上履いてきた雪用?の靴が限界だったので買い換える。その後、駅近くに見えた回転寿司へ入ってみるが可もなく不可もなしといたところか。その後、電話帳で風呂屋を探し、市街地へ向かう。「いこいの湯」だったかの小さな銭湯でさっぱりする。まだ時間があるので、駅近くにある、旅行者がよく立ち寄るといわれるカレー店「麗門亭」でカレーとコーヒーでくつろぐ。雑記長が置いてあって書き込みを読んで見ると、やはり今年は流氷が少ないような記述が多かった。
  
網走22:20の夜行特急オホーツク10号は空いていると見て指定を取っていないが、案の定楽勝で4席分で横になれそうだった。途中から乗ってくることも考え、後で2座席を放出したが自由席で十分。北見でたくさん乗るかとも思ったが、むしろ大勢乗ってきたのは未明の旭川だった。
  
函館「梅の寿司」のちらし札幌からは特急「スーパー北斗」で函館へ。函館駅はいつのまにか跨線橋がなくなって、上野駅の地下ホームのようなつくりになっていた。考えてみれば階段はいらないわけで合理的だが、すっかり様子が変わってしまったことを感じる。快速「海峡」との乗り継ぎの間に駅前の和光デパートの地下「梅の寿司」でちらし丼を持ち帰る。海峡車内で食べたらこれが一段とおいしい。700円にしては抜群である。北海道の帰りにまたうまいものに遭遇して締めくくることが出来た。
今回はこれまで見る機会のなかった流氷を眺められたことで行った甲斐があったが、今度はできれば2月にぜひ行って、砕氷船などにも乗ってみたいものである。

(終わり)
 
    
【0〜1日目】       【2日目】     【3〜4日目】

 

   トップページへ                                     小さな旅日記目次へ  

 

    

     

   

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください