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天台宗般舟院の穏居所として創建。
浄土宗。本堂に、阿弥陀如来坐像(重文)安置されている。
建立:藤原時代末期
正式名所を、浄土院といい
金戒光明寺
に属する尼寺です。
天正15年(1587)10月1日、豊臣秀吉による「
北野大茶湯
」が開催された当日の朝、
秀吉が聚楽第から北野の大茶会へ輿にゆられて行く途中、この小さな尼寺の前を
通りかかったところ、この寺には名水があることを思い出し、何の前触れもなく
ここに立ち寄り、「お茶を一服お願いしたい」と言った。
庵主はへたに出せば恥をかくだけと、一服の白湯で接待したが、
さてはこの婆さん、耳が遠いかと思った秀吉は、さらに大声で「茶を所望したい!」
と言うも、出されたのは再び白湯。
秀吉は例の調子でカラカラと笑い、名水の白湯を味わったうえで、
ここは湯ばかりで茶をくれない寺じゃ、とばかりに
”湯たく山 茶くれん寺”(ゆたくさん ちゃくれんじ)と名づけたと伝えられています。
なお、名水の井戸は今も残っているそうです。
この寺は、普段は非公開で、拝観するにははがきで予約が必要です。
”湯たく山 茶くれん寺”の呼び名は、この寺の別名として今も残る
この寺には、なんと本堂の屋根の上にお宝が乗っています!
向かって右側が巻物を携えた”寒山像”、左側がほうきに乗った”拾得像”。
いずれも陶製で緑釉が施され、安土桃山時代の陶工で「楽焼」で知られる
楽家(千家十職のひとつ)初代長次郎の作と伝えられています。
蛇足ですが、寒山と拾得について少しだけ・・・
浄土院(じょうどいん)
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