このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

天台宗般舟院の穏居所として創建。
浄土宗。本堂に、阿弥陀如来坐像(重文)安置されている。
建立:藤原時代末期

正式名所を、浄土院といい 金戒光明寺 に属する尼寺です。

天正15年(1587)10月1日、豊臣秀吉による「 北野大茶湯 」が開催された当日の朝、
秀吉が聚楽第から北野の大茶会へ輿にゆられて行く途中、この小さな尼寺の前を
通りかかったところ、この寺には名水があることを思い出し、何の前触れもなく
ここに立ち寄り、「お茶を一服お願いしたい」と言った。

庵主はへたに出せば恥をかくだけと、一服の白湯で接待したが、
さてはこの婆さん、耳が遠いかと思った秀吉は、さらに大声で「茶を所望したい!」
と言うも、出されたのは再び白湯。

秀吉は例の調子でカラカラと笑い、名水の白湯を味わったうえで、
ここは湯ばかりで茶をくれない寺じゃ、とばかりに
”湯たく山 茶くれん寺”(ゆたくさん ちゃくれんじ)と名づけたと伝えられています。

なお、名水の井戸は今も残っているそうです。

この寺は、普段は非公開で、拝観するにははがきで予約が必要です。

京都市上京区今出川通千本西入

”湯たく山 茶くれん寺”の呼び名は、この寺の別名として今も残る

この寺には、なんと本堂の屋根の上にお宝が乗っています!

向かって右側が巻物を携えた”寒山像”、左側がほうきに乗った”拾得像”。

いずれも陶製で緑釉が施され、安土桃山時代の陶工で「楽焼」で知られる
楽家(千家十職のひとつ)初代長次郎の作と伝えられています。

寒山と拾得は中国・唐代の人。
天台山近くに隠棲し、その姿は放浪者の様。
しかし、その人間像は欲念を捨てた脱俗・超俗の人。
寒山は巻きものを、拾得は箒(ほうき)を手にして深山幽谷の姿の中で
生死の問題や人生に就いてたくさんの詩を詠んだ。

蛇足ですが、寒山と拾得について少しだけ・・・

浄土院(じょうどいん)

浄土院
浄土院
浄土院

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