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桂 小五郎(かつら こごろう)
立命館草創の地(りつめいかんそうそうのち)
京都市上京区東三本木通丸太町上る東側
この石碑のある三本木通りには、幕末当時、三本木遊郭があった花街のひとつでした。
この石碑のある場所は、幕末当時、「吉田屋」という料亭があり、桂小五郎もしばしば出入りしていた
そうです。
実は、幾松が籍を置いていたのは、この「吉田屋」で、ここがふたりの出会いの場所だったのかも
しれませんね。
この吉田屋で、幾松は新選組に追われる桂を匿い逃したという話も残っています。
吉田屋は、後に清輝楼(せいきろう)という料亭になり、ここに明治33(1900)年、
立命館大学の前身である京都法政学校が設立されました。
清輝楼は、料理旅館・大和屋と名を変え、平成8(1997)年まで存続していました。
桂小五郎幾松寓居跡(かつらこごろういくまつぐうきょあと)
京都市中京区木屋町通御池上る東側
ここは長州藩控屋敷があったところです。
桂小五郎は幾松と、しばしばここで過ごしたそうです。
この長州藩控屋敷では、命の危険にさらされながらも志士たちが密かに会合をもち、
そのためか屋敷には、鴨川へ通じる抜け道や、大石を仕掛けた吊り天井など、危急の場合に
備えた仕掛けがあり、現在も一部が保存されています。
桂は木戸孝允と名を変え、この長州藩控屋敷は、木戸別邸となります。
木戸孝允は維新後、幾松と晴れて結ばれます。 その際、幾松も木戸松子と名を変えます。
明治10(1877)年夫を亡くした松子は別邸であったこの地に住み、剃髪して翠香院と号し、
明治19(1886)年、44歳で亡くなりました。
松子が使っていた部屋は、現在もそのまま残されています。
この木戸別邸は、現在、その名も「幾松」という料理旅館になっており、宿泊や食事を楽しむことが
できます。
「幾松」さんで、4800円以上の料理を予約すると、食事の前に幾松の部屋を説明つきで
見学することができます。
(見学のみはダメみたい・・・、リーズナブルな食事(4800円以下)でもダメみたい・・・)
幾松の部屋には、長持(葛篭のようなもの)が置かれています。
その長持をめぐって、幾松と近藤との対決のエピソードが「幾松」さんには残っています。
長持をめぐるエピソード
幾松が酒を買いに行く途中、新選組の姿を見かける。
それで、桂に知らせるため慌てて屋敷に戻ると、既に桂も新選組に気付いており、
刀に手をかけて新選組と戦おうとしていた。
しかし幾松は、部屋にあった長持の中に隠れるよう桂に言い、桂もそれに従った。
やがて新選組が屋敷に踏み込み、屋敷中を探索するが、桂の姿はどこにもない。
幾松は、桂が隠れた長持の前に座り、三味線を弾いていた。
近藤が部屋に入ってくる! そして長持の蓋に手をかけたその時!
幾松は、三味線のバチで近藤の手を払い、言った。
「これほど屋敷内を改めて私に恥をかかせた上、もしも、この長持の中にどなたもいないと
なれば、近藤はん、責任とって、この場で切腹してくれはりますか。
その覚悟がおありどしたら、どうぞ改めておくれやす。」
この幾松の度胸に近藤は、「すまなかった。」と言って立ち去ったそうです。
また、別のエピソードとして、
ある日、新選組の屯所に連行された幾松は、桂の所在を尋ねられ、肌襦袢1枚にされても、
決して答えようとはせず、近藤をして、「さすが噂どおりの女よ」と言わしめたといわれています。
これらふたつのエピソードは、幾松の人柄を想像する上で興味深いですね。
料理旅館・幾松
木戸孝允旧跡(きどたかよしきゅうせき)
「石長本館 松菊園」の玄関前の植え込みに石碑が建つ
また、同系列の「ホテル いしちょう」にも石碑があります。
「ホテル いしちょう」のエントランス横の植え込みに石碑が建つ
京都市中京区土手町通竹屋町下る東入
実は、木戸孝允邸は、京都市の厚生施設「職員会館かもがわ」に、
当時のまま保存されています。
木造2階建て建物。
木戸孝允は、明治10(1877)年、西南戦争中に、明治天皇に従って京都まで来ますが、
病に倒れてしまいます。
同年5月19日、病の重い木戸を、明治天皇は直々に見舞われました。
その場所が、この建物の1階、10畳の間だったそうです。
木戸は、危篤の床にあっても、うわごとで西郷隆盛の動静を気にかけながら、
同年5月、45才の若さで亡くなりました。
木戸孝允亡き後、ここには息子・忠太郎が住み、昭和18(1943)年、京都市に寄贈
され、敷地は市職員厚生施設となりました。
明治天皇行幸所木戸邸(めいじてんのうぎょうこうしょきどてい)
京都霊山護国神社 にある木戸孝允と木戸松子の墓
木戸孝允の墓
木戸松子の墓
志士たちが眠る霊山の、一番頂上近くに二人の墓はあります。
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