このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

表門
参道
書院
書院内部
茶室 松向軒
庭園
庭園
忠興・ガラシャ夫人の墓石
忠興・ガラシャ夫人の墓石

大徳寺塔頭 高桐院(こうとういん)

高桐院は大徳寺塔頭のひとつで、細川家の菩提寺であり、細川忠興により、
慶長6(1601)に建立されました。

開祖である玉甫紹琮和尚は忠興の叔父にあたります。

忠興は正保2年12月2日、83歳で亡くなり、遺言によって遺骨は高桐院に埋葬されました。

法名の松向寺殿三斎宗立は、茶室松向軒の名として残されています。

忠興はまた、利休七哲のひとりとして、茶道との深い理解者であったことも有名です。

さらに、高桐院には歌舞伎の始祖として名高い、 出雲の阿国 の墓もあります。

参道

竹林の中を石畳がまっすぐに伸びる。
まさに、癒しの空間だ。

書院

書院内部

高桐院の書院は、千利休の邸宅を移築したものといわれています。

茶室 松向軒

松向軒は、寛永5(1628)年、忠興の手で建立されました。

秀吉の催した” 北野大茶会 ”で用いたものを移築したといわれています。

「茶室に珍しい黒壁は、瞑想の場の感があって、簡素な中にも幽玄の雅味をたたえた
名席である」と高く評価されています。

表門

庭園

この庭園は、江戸時代初期に造園されました。

初夏にはみずみずしい緑一色に包まれます。

この庭には、石も築山も白砂も池も何もなく、石燈篭が一基あるだけで、あとは大小多くの
楓の木としっとりと水気を含んだ苔があるだけです。

もともとは土の庭でしたが、現在の松長剛山住職が一面苔で覆われました。

楓は樹齢100年を超えるものが多く、中には300年の古木もあります。
今も、実生の芽を畑で育て、背丈ほどの高さになってから庭園に移植されているそうです。

この庭は、秋にはうってかわって、炎のような紅葉の赤色に染まります。
その様子は、JRのポスターにも使用されました。

年間、約6万人が訪れる参拝者の1/3が、11月の一ヶ月間に集中します。

楓が葉を落とし、雪化粧となる冬の風情を好む人も多いとききます。

忠興・ガラシャ夫人の墓石は、忠興が生前愛好したこの石燈篭をもって、それに当てました。

この石灯篭は、鎌倉時代に造られたそうです。

これは、もともと千利休秘蔵のもので、「天下一」という称をもつ灯篭でしたが、豊臣秀吉と
忠興の両雄から請われたため、利休はわざと裏面の1/3を欠き、壊れ物だと言って、
秀吉の要望を退けました。

後に、利休切腹の際、利休はあらためてこれを忠興に贈ったといわれています。

この石灯篭は、「無双」という銘をもち、また別名を「欠燈篭」ともいいます。

さらに、蕨手・灯口・横が欠けているのは、後日、完全を忌む忠興自身が欠いたという記録が
あります。

この墓石の下には、忠興の歯が埋葬されたといわれています。

忠興・ガラシャ夫人の墓石

確かに裏面が欠けている。

大徳寺塔頭。
1601年(慶長6)利休七哲の一人細川忠興(三斎)の創建。
利休邸移築の書院につづく茶室松向軒は秀吉の北野大茶会に用いられたものを移したと伝える。
江戸初期につくられた庭に三斎とガラシャ夫人の墓がある。
寺宝の李唐筆「絹本墨画山水図」2幅は南宋初期山水画の名作で国宝。
建立:1601(慶長6)年
寺宝は毎年10月第2日曜日、1日限りで公開(大人1人500円)

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