このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

翠紅館跡の碑

幕末の頃、ここに 西本願寺 の別邸で翠紅館と呼ばれる屋敷があり、たびたび志士たちの会合の
場所となっていた。

文久3(1863)年正月27日には、土佐藩の武市半平太、長州藩の井上聞多、久坂玄瑞ら多数が
集まり、ついで、同年6月17日にも長州藩の桂小五郎、久留米藩の真木和泉守らが集まった。

この数年前から攘夷運動は次第に高まり、反幕府の政治勢力となりつつあったが、これら各藩
志士代表者の会議で、攘夷の具体的な方法が検討された。

世にこれを「翠紅館会議」という。

翠紅館は、正法寺の子院であったが、眺望に優れたので、
庶民の遊興や文人の詩歌・書画会などの貸席として使われ、叔阿弥と称した。
天保年間(1830〜44)に西本願寺の所有となり、荒廃していた庭園を整備、
書院を新築して翠紅館と称した。
幕末に勤王の志士の集会所となったことから有名になった。
文久3(1863)年正月や同年6月等に、反幕府勢力の各藩志士代表者の会議がもたれ、
攘夷の具体策が検討された。
これを世に翠紅館会議といった。
現在は料亭として使用されている。

京都市東山区桝屋町

翠紅館会議

翠紅館跡(すいこうかんあと)

翠紅館は、現在「京大和」という料亭となっています

翠紅館跡

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