このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

建勲神社では、信長の業績を後世に伝えようと、信長が初めて上洛した永禄11(1568)年10月19日を
記念して、毎年この日に「船岡大祭」という祭りがおこなわれます。


「船岡大祭」では、舞楽奉納として拝殿において、信長が好んで舞ったという「敦盛」や「浦安舞」が
披露され、また祭事終了後には甲冑武者による火縄銃の空砲射撃が披露されます。

天下を統一した織田信長の偉勲を称え、明治2年明治天皇が創建。
1910年(明治43)船岡山の山腹にあった社を山頂に遷祀した。
建勲の神号は明治天皇が下賜。明治8年別格官幣社指定。
なお船岡山は平安京造営の際、玄武の山として北の基点となり、
また、平安時代は大宮人の清遊の地として名高い。
応仁の乱の際は西方の陣地となる。国の史跡で眺望絶景。
10月19日の大祭は「船岡祭」といい、祭神・織田信長が1568年(永禄11)、
戦国の世を終わらすべく初めて入洛した日を記念した祭典。
神殿祭のあと舞楽奉納があり、信長ゆかりの宝物などが公開される。
建立:1880(明治13)年9月1日

建勲神社(たけいさおじんじゃ)

建勲神社

織田信長が「本能寺の変」で明智光秀の謀反により横死した後、その報を聞きつけた
羽柴(豊臣)秀吉は、交戦中だった毛利と和睦を結び、「中国大返し」を敢行し、「天王山の戦い」で
明智光秀を討ち果たします。

秀吉は 大徳寺 において、主君・信長のために7日間の盛大な法要を営み、信長の霊を慰めるべく
船岡山 に寺を建てようとし、正親町天皇より「天正寺」の寺号を賜りましたが寺の造営は中途で
終わってしまいました。

以来、船岡山は信長の霊地として大切に保護され、明治維新を迎えることになります。

明治2年、明治天皇は信長の偉業に対し、神社創立の宣下を下されました。

明治天皇は信長に「建勲(たけいさお)」の神号を賜れ、明治8年には別格官幣社に列せられ、
社地を、この船岡山に賜れ社殿を新営、明治13年には信長の長男・信忠を配祀し、
明治43年、本殿以下諸舎を船岡山の中腹から山上へ移建しました。


(別格官幣社とは・・・) 
別格官幣社とされている神社は、全国にいろいろありますが、別格官幣社とは天皇が直々に
参拝される神社のことです。

天皇は太平洋戦争集結までは、神格化されていました。 つまり、「天皇=神」だったわけです。
神である天皇が他の神を崇拝するのって変ですよね。

でも、神である天皇をも崇拝させてしまう神を祀ってある神社が「別格官幣社」なのです。

他の神社とは格が違う、正に「別格」なのです。

大鳥居

大鳥居

東参道

東参道

狛犬

狛犬の下には織田家の家紋が・・・

拝殿

拝殿

本殿

建勲神社は、通称「けんくんじんじゃ」といい、この通称名で知る人の方が多いと思います。

国家安泰・万民安堵の御神徳があるとされ、一般的には大願成就・開運・難局突破・商売繁盛
災難除けにご利益があるとされています。

また建勲神社では、信長ゆかりの宝物を多数保存されています。

これらはすべて非公開ですが、重要文化財に指定されているものを紹介しますと、

・太刀 義元左文字(よしもとさもんじ)
 (桶狭間の合戦で信長が所持していたもの)

・紺絲威胴丸具足(こんいとおどしどうまるぐそく)
 (桶狭間の合戦で信長が着用していたもの)

・信長公記(しんちょうこうき) 15巻 太田和泉守資房(牛一)・直筆本
 (信長研究の第1級の資料として有名)

紺絲威胴丸具足のレプリカ

紺絲威胴丸具足のレプリカ(子どもが着られるくらいの大きさ)

船岡大祭

「敦盛」

「敦盛」

甲冑武者による火縄銃の実演
射撃実演
甲冑武者たち

甲冑武者による火縄銃実演

射撃実演(すごい迫力)

甲冑武者たち

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