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⑤ 保安:「事故を減らせ!」安心して泳げる海水浴場

 海水浴場は楽しい反面、危険が伴う。波にのまれて帰らぬ人となってしまうこともある。袖師の海水浴場の安全対策はどうだったのだろうか



昭和34年 7月31日

 七月なかばのある日の午後約三千人の人手に賑う三保海水浴場で静岡から来た人
妻K子さん(34)は久しぶりの海水浴に娘時代と同じ開放されたよろこびを味わ
っていた、砂浜からわずか十数メートル、波とたわむれる彼女の姿はたしかに美し
いものであったろう・・・がその時である、沖からまっしぐらに走ってきたモータ
ーボートが何か声高に笑いさざめく少年たちを乗せてK子さんめがけてカジを切っ
たのは……。

 スクリューの泡が消えないのち波ををわけて海岸へ近よろうとするK子さんの顔
は真ッ青みるみる海面に紅の血が広がった。警官の調べではボートに乗った少年た
ちのいたずら半分の操縦がK子さんの足首に全治一ヶ月余の傷をあたえたのだ、さ
いわい今年の悲劇はこの一件だけで済んでいる、しかし、袖師海水浴場で一隻のボ
ートに十人あまりの男女が乗り込んでふざけていた。しかも賑やかなさわぎをのせ
てみるみる沖へ向うのだ。「もしひっくりかえったら」「泳げない人が一人でもい
たら」パトロールの警官は思わず「危ないから気をつけろ」と叫んだ。

 「何の権利があるんだ何人のろうと自動車みてえな規則はないぞ」と云う声だけ
だった。ヨットやボートで死ぬ人は年々増すばかり、清水港沖でもすでに一名の犠
牲が出ている。しかしこれを取締る法規はないのだ五トン以下の船でも金をとって
人をのせる場合「旅客運送小型船舶安全法」により制限されるが自家用や貸しヨッ
ト・ボートなどは全くの野放し状態。清水海上保安部でも「エンジン付の貸しボー
トなど、何とか法の拡大解釈をして定員制とか運転者の免許を必要とするという風
に考えたいが、それもすぐ清水だけで適用するわけにはいかない」という話、実際
に現地を警戒する清水署員も「見ていてハラハラするがなんとも手の下しようがな
い」とため息をつく始末。

○○○○に刃物というが海の悩みは「太陽族にボート」ということになりそうである。


このように、警察も頭を悩めていたようである。しかし、袖師の人々、もちろん警察もこのままで『良し』とはしない。どのような取り組みをしていたか見ていこう。

【海水浴場の巡視】
① 自治体の対策
 昭和36(1961)年に袖師町が清水市に合併される以前は、袖師町や袖師の漁業組合が、巡視・救難所の設置等の安全対策をしていた。昭和35(1960)年の清水新聞には、袖師の町ぐるみでの安全対策を高く評価する記事があった。


1960年 昭和35年 7月27日  町ぐるみ、安全遊泳に協力 袖師の浴場救護所 昨年来事故なく感謝さる
 連日のうだる様な暑さに各地の海水浴場は大賑い

 ・・・・業者は暑さ忘れのうけに入っているが、反面水の犠牲者もまたうなぎのぼりで各海水浴場ともその対策に頭を悩ませている。市内でも三保海水浴場で早くも二名の犠牲者を出しており、その後監視所や救助船などを強化して予防に大わらわだが、一方袖師海水浴場では去る三十三年に海水浴場の中央入口に「町立救護所」を設置、対策に本腰を入れているためか昨年は一人の犠牲者もなく、今年も未だ迷子の保護と二、三人のケガ人を治療しただけと云う立派な成果を上げている。

 この救護所には毎日役場の職員一名、日赤静岡支部または清水保健所の看護婦さん一名、それに婦人会や青年団の有志が順番につとめ、配置をかためているほか中学校の上級生五、六名が協力、迷子などの保護に当たるなど町民こぞって明るく楽しい安全遊泳に協力しており海水浴客から感謝されている。

 昭和36(1961)年に清水市に合併後は、清水警察署の保安課が、取り仕切ったようである。
下の文は清水警察署が出した注意事項である(『清水新聞』より)。

昭和37年 6月30日昭和38年 6月29日

①危険区域には、はっきり赤旗を、安全区域には赤以外の標識を小間隔で立てる。
②見張り所など監視施設を設け監視人を常置する。
③救命ボート、浮き袋、イカダなどの救命設備を完備。
④気象台、保安部と連絡し、天候の変化や潮流の変化を予知し、急変の場合は告知板やスピーカーで一般に徹底させる。
⑤保健所、市などの協力で救護班を待機させる。
⑥ボート、船などの貸し出しには住所氏名を記録、夜間は懐中電灯をもたせるほか、定員を厳守させる。また、十二才未満のものばかりの場合や酔っぱらいは断ること。
⑦海岸から五十メートル以上沖にはボートでも出ないこと。
⑧モーターボートは遊泳域内へ入らないこと。

①危険区域には、はっきりと赤旗を、安全区域には赤以外の標識を小間隔で立てる。
②見張り所など監視施設を設け監視人を常置する。
③救命ボート、浮き袋、イカダなど救命設備を完備する  
④気象台、保安部と連絡、天候の変化や潮流の変化に注意、万一の場合はスピーカーなどで一般に徹底させる。
⑤保健所、市などの協力で救護班を待機させる
⑥ボート、舟などの貸し出しには住所氏名を明記させ定員を厳守させる、また子供だけの乗船は禁止する

⑦モーターボートは遊泳区域内に入れないこと。


 一年経って、微妙に異なっていることが見て取れる。規制をゆるめたのであろうか。たしかに、昭和37(1962)年の事故死者は1件だけのようだが、昭和38(1963)年には油断は禁物と紙上にでているため、そのあたりは、知ることは出来ない。もしかしたら、浴場業者も、このことをもう言われなくても分かっていたのかもしれない。海水浴場は、昭和36(1961)年袖師町清水市に合併により清水市の管轄となったようだが、もうそれ以前から、地域ぐるみでの取り組みはあったわけだし、救護所を作り事故にそなえてきた。「私たちは十分に理解している。」そんな声が聞こえてきそう。


② 民間ボランティア
中学生などのボランティアも参加していた。地域ぐるみでの協力がうかがえる。




当時の海水浴場の安全はどうだったのか、橋本さんにお聞きしました。


 「海の事故で死亡なんてことは、地元の者じゃない。子供の頃から泳いでいるから、いつ泳げる、いつ泳げないの判断は良くできた。そのような事故は、たいがい遠くから来た人々だったよ。わざわざ来たんだからちょっとぐらい波が高くても泳ごうなんてね。それで波にのまれてしまうんだ。
 浜に死体が打ち上げられたこともあったよ。袖師で波にさらわれた人はまだいいけど、三保の方で波にのまれた人は、数日海に流されて海流の関係で袖師に流れ着くんだ。
 でも、袖師の地区の人がおぼれて……なんて事はなかったよ。」
〔話:橋本龍夫さん〕


それでは、清水新聞から当時の安全対策を探ってみよう。


1961年 昭和36年 7月13日 水難事故防止に安全講習会開く
 業者や団体代表招き連日の猛暑続きで三保、袖師の両海水浴場や市内各校のプールは大にぎわいだが例年本格化するシーズンとともに多くなるのが水難事故。ことしも各地で早くもこれら水の犠牲者が出ているが、県水上安全会では県教委、日赤静岡支部などと協力して県下各地で水難事故防止のための安全講習会を開くことになり、清水市では来る二十六日市青少年会館道場で開かれることになった。
 これには各海水浴場業者職場代表、教職員代表、婦人会、子供会代表などを招き、安全のための注意事項や救助法、人工呼吸法などについて指導が行われることになっており、夏休みを控えてこれから事故は急増が予想されるので多数の受講を呼びかけている。

              7月26日 事故にそなえ 袖師へも救護所
 市では学校も夏休みとなり会社、工場、官公署などの厚生休暇もはじまって、これから海水浴場も一段とにぎわいが予想されるところから、近く三保へ臨海相談所を、また袖師へは救護所を設置することになった。いずれも今月中には店開きし、来月いっぱい続けることになっているが、臨海相談所は毎年市営「海の家」のなかに設けられ福祉事務所員や婦人会員看護婦さんらが交代でつめ、ケガ人や迷子の世話などに奉仕、感謝されているほか袖師の救護所も同様地元PTA、婦人会子供会世話人、青年団員などが奉仕にあたることになっている



              8月30日 水死者は全部で八人 反面、暗いニュースも
 ところで大いににぎわった海水浴だが、これに比例してこの夏は暗いニュースも多く、清水署の調べによると水死者は全部で八人、また危なく助けられた人も五人あった。特に三保では六人が水死、四人が助けられたが、このうち八月十日から三日間には続けて三人が死ぬという事故もあった。
 このほか海浜事故としては盗難が七件、迷子が六件、泥酔保護が九件あり業者にとって当り年だったこの夏は取締り当局にとってもとんだ当り年だったようだ。

1962年 昭和37年 6月28日
      清水署で28カ所指定 子供会などへ呼びかけ 犠牲者をなくそう 水難事故防止に危険個所

 本格的な夏を迎え、最近県下各地でこどもの水難事故がひんぱつ、問題となっている折から、清水署ではこの防止に万全を期すため、管内の遊泳禁止区域やさくのない池、貯木場、人気の少ない排水路、新幹線工事現場、など廿八カ所を危険個所に指定、それぞれに立入禁止などの標識をたてるほか、地元の子供会、自治会などにも呼びかけ、遊泳はもちろん魚釣りなどでも極力危険個所への立ち入りを防ぐよう指導することになった。指定された危険個所は次のとおり。
 北矢部農業用水三カ所・相生町江尻漁港、豊年岸壁・港町太陽冷蔵荷揚場・駒越駿河湾海岸一帯、貯木場二カ所、貯水池・高橋町貯水池、新幹線工事現場水溜り・興津波多打川、興津川河口、清見寺海岸・谷津と小島の興津川流域及び谷津の新幹線工事現場・小島防水用水・愛染町貯木場と貯水池・辻排水路・上清水大沢川・袖師横砂海岸と用水地・庵原山本貯水池・村松用水と貯木場二カ所



           6月30日 巡視や監督強化 保安部事故防止対策を指示
  ところでこのシーズンを前に心配なのは水難事故。清水署でもさきに市内28カ所を危険個所に指定、万全の策を講じているが、清水海上保安部の調べによると昨年管内でおきた海水浴での事故死は四十二件、昨年よりも二十件も多く、これは危険水域に標識がなかったり、医師との連絡が不十分で助かる者も助からないなど施設の不備と保護者の監督不十分、一般の油断が最大の原因。このため同保安部では、今年は特に浴場巡視に重点を置き、レジャーブームからモーターボートの増加も予想されることからこの暴走などにも厳重な監視、指示を行う方針で、次の点に注意するよう業者一般に警告している。(内容は上記)
 

         7月 6日 清水署で「フクロウ部隊」 深夜の水泳は禁止 カミ鳴りボートにも警告 監視や指導を強化       海水浴場事故防止対策 
 清水署は本格的な海水浴シーズンを迎えこのほど管内の三保真崎、袖師の三海水浴場組合関係者を集めて海水浴場事故防止対策打合せ会を開き①業者の中から監視員を出して危険水域等に適当な標示や看板を立てるなど監視を強化する②臨時派出所や救護班を強化する③拡声器による事故防止の啓蒙を行う④ことしはモーターボートで海のカミナリ族が予想されるところから保安部と水上署にも協力を求めこの指導に当たらせる⑤深夜の海水浴は性犯罪などの温床にもなるので十一時以後の遊泳はやめさせるよう指導する⑥人出の多い日は車の通行を停めるなどして交通取締りを行うほか、とかく暴力のともなう駐車場問題についても監視を強化することなどを決めた。なお清水署ではつゆあけの中旬ころから八月いっぱい三人一組くらいのフクロウ部隊を編成、盛り場や海水浴場などの巡視にあたらせる方針である。

         8月31日
 心配された水難事故も海水浴場ではわずか一件だけという好成績で、今年の夏は業者にとっても、この水難の面からいっても“最良の年”だったようだ。

1961年 昭和36年 7月13日 水難事故防止に安全講習会開く
  業者や団体代表招き   
 連日の猛暑続きで三保、袖師の両海水浴場や市内各校のプールは大にぎわいだが例年本格化するシーズンとともに多くなるのが水難事故。ことしも各地で早くもこれら水の犠牲者が出ているが、県水上安全会では県教委、日赤静岡支部などと協力して県下各地で水難事故防止のための安全講習会を開くことになり、清水市では来る二十六日市青少年会館道場で開かれることになった。
これには各海水浴場業者職場代表、教職員代表、婦人会、子供会代表などを招き、安全のための注意事項や救助法、人工呼吸法などについて指導が行われることになっており、夏休みを控えてこれから事故は急増が予想されるので多数の受講を呼びかけている。

            7月26日 事故にそなえ 袖師へも救護所
 市では学校も夏休みとなり会社、工場、官公署などの厚生休暇もはじまって、これから海水浴場も一段とにぎわいが予想されるところから、近く三保へ臨海相談所を、また袖師へは救護所を設置することになった。いずれも今月中には店開きし、来月いっぱい続けることになっているが、臨海相談所は毎年市営「海の家」のなかに設けられ福祉事務所員や婦人会員看護婦さんらが交代でつめ、ケガ人や迷子の世話などに奉仕、感謝されているほか袖師の救護所も同様地元PTA、婦人会子供会世話人、青年団員などが奉仕にあたることになっている

            8月30日 水死者は全部で八人 反面、暗いニュースも
 ところで大いににぎわった海水浴だが、これに比例してこの夏は暗いニュースも多く、清水署の調べによると水死者は全部で八人、また危なく助けられた人も五人あった。特に三保では六人が水死、四人が助けられたが、このうち八月十日から三日間には続けて三人が死ぬという事故もあった。
 このほか海浜事故としては盗難が七件、迷子が六件、泥酔保護が九件あり業者にとって当り年だったこの夏は取締り当局にとってもとんだ当り年だったようだ。

1962年 昭和37年 6月28日 清水署で28カ所指定 子供会などへ呼びかけ   犠牲者をなくそう 水難事故防止に危険個所

 本格的な夏を迎え、最近県下各地でこどもの水難事故がひんぱつ、問題となっている折から、清水署ではこの防止に万全を期すため、管内の遊泳禁止区域やさくのない池、貯木場、人気の少ない排水路、新幹線工事現場、など廿八カ所を危険個所に指定、それぞれに立入禁止などの標識をたてるほか、地元の子供会、自治会などにも呼びかけ、遊泳はもちろん魚釣りなどでも極力危険個所への立ち入りを防ぐよう指導することになった。指定された危険個所は次のとおり。


北矢部農業用水三カ所・相生町江尻漁港、豊年岸壁・港町太陽冷蔵荷揚場・駒越駿河湾海岸一帯、貯木場二カ所、貯水池・高橋町貯水池、新幹線工事現場水溜り・興津波多打川、興津川河口、清見寺海岸・谷津と小島の興津川流域及び谷津の新幹線工事現場・小島防水用水・愛染町貯木場と貯水池・辻排水路・上清水大沢川・袖師横砂海岸と用水地・庵原山本貯水池・村松用水と貯木場二カ所


           6月30日 巡視や監督強化 保安部事故防止対策を指示
  ところでこのシーズンを前に心配なのは水難事故。清水署でもさきに市内28カ所を危険個所に指定、万全の策を講じているが、清水海上保安部の調べによると昨年管内でおきた海水浴での事故死は四十二件、昨年よりも二十件も多く、これは危険水域に標識がなかったり、医師との連絡が不十分で助かる者も助からないなど施設の不備と保護者の監督不十分、一般の油断が最大の原因。このため同保安部では、今年は特に浴場巡視に重点を置き、レジャーブームからモーターボートの増加も予想されることからこの暴走などにも厳重な監視、指示を行う方針で、次の点に注意するよう業者一般に警告している。(内容は上記

           7月 6日 清水署で「フクロウ部隊」 深夜の水泳は禁止 
カミ鳴りボートにも警告 監視や指導を強化     海水浴場事故防止対策 
 清水署は本格的な海水浴シーズンを迎えこのほど管内の三保真崎、袖師の三海水浴場組合関係者を集めて海水浴場事故防止対策打合せ会を開き①業者の中から監視員を出して危険水域等に適当な標示や看板を立てるなど監視を強化する②臨時派出所や救護班を強化する③拡声器による事故防止の啓蒙を行う④ことしはモーターボートで海のカミナリ族が予想されるところから保安部と水上署にも協力を求めこの指導に当たらせる⑤深夜の海水浴は性犯罪などの温床にもなるので十一時以後の遊泳はやめさせるよう指導する⑥人出の多い日は車の通行を停めるなどして交通取締りを行うほか、とかく暴力のともなう駐車場問題についても監視を強化することなどを決めた。なお清水署ではつゆあけの中旬ころから八月いっぱい三人一組くらいのフクロウ部隊を編成、盛り場や海水浴場などの巡視にあたらせる方針である。

            8月31日
 心配された水難事故も海水浴場ではわずか一件だけという好成績で、今年の夏は業者にとっても、この水難の面からいっても“最良の年”だったようだ。

1963年 昭和38年 6月29日

  この本格的な海のシーズンを迎えて心配なのは水難事故。清水海上保安部の調べによると昨年管内で発生した死亡事故は二十二件、一昨年の四十二件にくらべるとかなり少なくなっているが、これらはいずれも危険水域に標識がなかったり、医師との連絡が不十分で助かる者も助からなかったなど施設の不備と保護者の監督不十分、一般の油断が最大の原因。そこで同会場保安部では、今年は特に海水浴場巡視を強化、事故の防止と早期発見につとめる方針だが、一般や業者もつぎの点に注意するよう警告している。(注意事項は上記)
               7月13日 市で救護所開設 15日から三保海水浴場へ
 清水市安全協議会では本格的な海のシーズンを迎え、十五日から袖師、真崎の両海水浴場へ救護所を開設することになった。
また三保の市営海の家にも救護所をつくり看護婦一名づつを常駐させて、海辺での傷病者やおぼれた人などの救護にあたらせることになった。


《保安:「事故を減らせ!」安心して泳げる海水浴場・まとめ》


 ここの調査で一番驚いたのは、新聞記事の余りの多さである。それだけ安全面に気を配っていたことがうかがえる。華やかさの裏に潜む事故を防ぐため、官民一体となって取り組んでいた。中でも、袖師町での救護所の設置には目を見張るものがある。まさしく、町ぐるみでの取り組み。水難死亡事故0の年もあったようだ。清水警察署も、かなり力を入れていたことも新聞からよく分かる。いくつかの安全対策小柱をいくつか立て、事故防止につとめていた。
 『事故』特に『死亡事故』の場合は、人の不幸のみならず、海水浴場全体のイメージをダウンさせてしまう。どうやら、死亡事故はかなり少なかったようである。『安心して泳げる海水浴場』これも、愛された理由の1つだったのかもしれない。


文責・袴田

商業:奮闘する浴場業者    地元:袖師の人々と海水浴場

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