このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


隠岐汽船
(境・七類〜隠岐諸島)

知夫里島・来居港に入港するフェリーくにが

 日本海に浮かぶ隠岐諸島では、4つの島に合わせて2万人足らずの人が生活している。古くは流刑地で、後鳥羽上皇らがこの地で生活を送っている。そのためか、他の中国地方とは少し異なった雰囲気を持つ地でもある。この隠岐諸島と本土を結ぶ生活の足が、隠岐汽船だ。
 本土側の出発点は、鳥取県境港と島根県七類にわかれる。このあたりは鳥取と島根が複雑に入り組んでいて、どこからどこまでが鳥取なのかよく分からなくなってしまうが、境港は県境に面しており、岸壁の向こう岸は島根県である。
 境港を出航したフェリーは、県境に沿ってゆっくりと航行していく。やがて右手の陸地は途切れる。さらにしばらく行くと、左手に美保関灯台が見える。美保関を回るようにして北向きに進路をとり、一路隠岐を目指して日本海を走っていく。
 この航路の2等船室はカーペット敷きで、船内では缶ビールも買える。当ふぇりい倶楽部の「分類」に従えば、隠岐汽船は「長距離航路」に入る。しかし航行時間が3時間程度と比較的短く、また隠岐諸島内では生活航路として使われていることも考慮して、ここでは短距離航路として分類することとした。
 フェリーはゆったりとした速度で進む。日本とアジア大陸に囲まれた「内海」とはいえ、沖にでてしまえば陸地の影は全く見えない。瀬戸内海のように、対岸が見えてしまう「海」とは大違いだ。やはり「ふぇりい」はこのように大海原のど真ん中を走って行かなくては……、などと思ったりする。海の上では考え方も変わってきてしまうようだ。これもまた、フェリーの持つ力なのか。
 3時間弱で、島前(どうぜん)・西ノ島の別府港に到着。思ったよりも多くの客が入れ替わる。隠岐島内を行き来する人も、意外と多いようだ。時刻は午後5時30分。出航するころには、外は暗くなろうとしていた。
 暗くなった海上をさらに行くこと1時間余りで、隠岐の中心地、島後(どうご)の西郷港に到着。1万数千人の人口を抱える隠岐最大の街だけあって、ビルもいくつも建っている。市街地へと乗りだし、すっかり暗くなってしまった道をキャンプ場へと急ぐ。街中では「田舎」をあまり感じさせなかったが、市街地を離れると家も街灯も少なく、自分のライトだけが頼りとなる。対向車も少ない夜道は心細いものだ。
 翌日は島を一回りしてから島前へ。さらに3日間かけて島前の3島をめぐる。島から島へと動くたびに、わずか10分から数十分の短い船旅を繰り返す。たったそれだけの時間でも、島から島へと旅をした、と実感させてくれるフェリー。バイクや車で走って遠くへ行く実感を味わう旅もいいが、わずかな時間と距離で、その何倍もの移動に匹敵する感覚を与えてくれる旅もまた、ひと味違うものだと感じた。
 4泊5日の隠岐4島巡りを終えて、最後の訪問地知夫里島・来居港から境港へ向かうフェリーに乗り込む。南へ向かう船の甲板に立ち、徐々に小さくなっていく島影を見つめていた。バイクに乗らず、フェリーを多用したこの離島ツーリングは、旅のあり方を見つめ直す旅となった。フェリーの持つ力と魅力に気がつき、フェリーが旅の中心に徐々に進出し始めたのもこの旅からだった。

走らないツーリング 動かない旅行
多くの時を甲板に立って過ごした旅
時間に追われ ひたすら動くことから離れた体験
新しい世界への水先案内人
隠岐汽船



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