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東武鉄道ひさびさレビュー





■東武鉄道ダイヤ改正

 平成29(2017)年 4月21日(金)、東武鉄道がダイヤ改正を行った。このダイヤ改正において、(区間)快速の南栗橋以南での運行がなくなり、6050系が複々線区間では見られなくなった。何故かこの事実を長男坊が嘆いてやまなかったところ、黄金連休に臨時列車の運行があるという。

 6050系は筆者自身の好きな車両でもあるので、せっかくの機会だからと撮影に出かけてみた。定点観測にて通り過ぎる列車を撮っていると、伊勢崎線(スカイツリーライン……と呼ぶのはどうにも抵抗がある(苦笑))の輸送状況がだいぶ変わっていると気がついた。以下、五月雨式に書き綴ってみる。

8連区間急行
館林行 8連区間急行(堀切)


8連区間急行
東武動物公園行 8連区間急行(堀切)
※特記なき写真は全て平成29(2017)年五月連休撮影






■区間急行・準急の 8両編成運行

 今回最も意外に感じた点が実はここ。

 伊勢崎線において、朝のうちの下り列車は半蔵門線直通10両編成の数が出揃っておらず、東武自前車両にて区間急行・区間準急を運行し、運行間隔を確保している。この車両運用は土曜祝休日も同様であるところ、 6両編成だけでなく 8両編成が何本か出動していたのには率直に驚いた。

8連区間準急
北春日部行 8連区間準急(堀切)


8連区間準急
館林行 8連区間準急(堀切)


 約一時間 8列車中 4列車に 8両編成が充てられている状況を現認した。浅草駅には 8両対応ホームが 1線しかないことを考えれば、相応に多い数が出ているといえる。(※他の写真の車番からすれば 8両編成はまだ数編成存在している模様)

 複々線区間では半蔵門線直通10両編成列車が標準となっている。 6両編成列車の混在は、ホーム上混乱と列車内混雑を惹起しがちだ。平日朝ラッシュ時上り 6両編成列車の大混雑は相当なものである。 8両編成列車はもとの10両編成列車(北千住or業平橋止)を縮めたもので、今日も残しておかないと極端な混雑が偏在する、という判断なのだろう。

 平日の混雑は上記の如しとしても、土曜休祝日は 6両編成統一でもおかしくないはずだ。ところが実際には、本稿で紹介したとおり 8両編成列車がそれなり数が出ている。つまり土曜休祝日の混雑も侮りがたい、……と推測できるわけだ。

 半蔵門線直通電車の混雑は改めていうまでもなく、しっかりと需要の太宗に育ってきた。東武伊勢崎線の輸送状況はだいぶ変わったものだ、と実感する。しばらく目を離していただけに、三日括目ならぬ「三年括目」という思いがする。





■(区間)快速運行区間短縮

 前項に記したとおり、東武伊勢崎線複々線区間は都市型の鉄道に変貌しつつある。その複々線区間において、6050系の運行にはかなりの無理が生じていた。半蔵門線直通列車の 4扉ロングシート車10両編成が標準になった区間に 2扉クロスシート車 6両編成を充てるのは、扉附近がロングシート化されていてもなお厳しく、間合運用の区間急行などは酷い混み具合だったと記憶する。

 今ダイヤ改正で南栗橋以南の定期運行がなくなった理由は、以下のように考えられる。

  ・有料特急「リバティ」への上位代替
  ・複々線区間における快速の廃止
   (北千住−春日部間無停車運転が今日の需要に合致しているようには見えない)
  ・(とはいえ停車駅を増やすと混雑が激しくなるという苦しさが伴う)
  ・複々線区間における 6両編成列車数の減
  ・複々線区間における旧性能列車数の減(いずれ完全に撤退)

6050系臨時列車
東武日光行6050系 4連臨時列車(堀切)


 筆者個人の感覚では、6050系は好きな車両の一つである。今日では旧性能化しつつあるとはいえ、8000系由来の高性能は私鉄随一といえ、素晴らしいと思う。登場以来まったく褪せない外観デザインはさらに素晴らしい。 100系スペーシアよりもよほど出来が良い、……とさえ感じるほどだ。

 さはさりながら、今日では中途半端な位置づけの車両となった感は否めない。有料特急とするには設備が貧弱すぎる。その一方で、特別料金不要の列車に充てる際には、前述のとおり混雑対応が課題となる。JR東日本のE231系の如き 4扉セミクロスシート車仕様とすれば汎用性が高かったはずなのに、 2扉としたのは6050系最大の失策であったかもしれない。

 この連休の臨時列車(東武鉄道が「快速」という表現を避けたのは間接的な意志表示といえよう)はたいそう混んでいた。観光のハイシーズンに 4両編成列車を充てるのは如何なものかと思いつつ、平日や週末(ハイシーズン以外)の観光需要との波動を鑑みれば、旧「快速」を定期列車として存続するのは難しい、と東武鉄道は判断したのであろう。

 季節波動に対応する臨時列車に旧型車両が充てられるのは、鉄道営業の常識といえる。登場から30年以上を経た6050系はまさしく旧型車両そのものであり、複々線区間や浅草−北千住間で運行される機会は今後ますます少なくなるのだろう。東武鉄道の一つの時代が遠ざかっていく心地がする。





■旧「りょうもう」未だ健在

 黄金連休に運行された二往復の臨時列車(浅草−東武日光間)のうち、一往復に6050系が充てられたのは前述のとおり。残るもう一往復には1800系、すなわち旧「りょうもう」編成が充てられた。1800系製造初年は昭和44(1969)年とかなり古く、現在唯一残る編成は昭和62(1987)年製造で、6050系よりは若い車両である。(※6050系初期車は更新車でありメカニズムは半世紀もの)

1800系臨時列車
東武日光行1800系 6連臨時列車(堀切)


 1800系が「りょうもう」から退いたのは平成10(1998)年、第一級の車両とはいえなくなって既に20年近い時が経つ。残存編成はまだ充分に走れるとはいえ、何世代か前の旧い車両という印象は拭いがたい。その1800系が団体向け臨時列車でなく、観光ハイシーズンの輸送力列車に充てられるとは意外だった。

 1800系を母体とする改造車には300系・350系の 5編成24両がある。 6両編成の 300系は「リバティ」投入にともない引退に追いこまれたものの、 4両編成の 350系は 3編成12両が残っており、特急「しもつけ」などに充当されている。

350系「しもつけ」
浅草行 350系 4連「しもつけ」(堀切)


 1800系原型車と改造車 350系、すなわち旧「りょうもう」の車両が未だ健在という事実は、東武鉄道の物持ちの良さを顕著に示している。古くさい車両をいつまでも引っ張る、東武は吝嗇な会社、と批判的にとらえることも可能であろう。その一方、季節波動に対応する輸送力列車に経年の高い旧型車両を充てるのは、冷静かつ合理的な判断と評することも可能ではあるのだ。

 どちらの見方を採るべきか。以前の筆者であれば迷わず前者の見方を推すところだが、ここ最近は後者の見方も実は有力なのではないか、という感覚になりつつある。より正確にいえば、積極投資を推進する前者の如きマインドの会社は少数派で、投資対象を慎重に吟味する後者の如き会社のほうが一般的なのではないか、との感覚が筆者には芽生えつつあるわけだ。

 利用者から見れば、積極投資の会社のほうが利益にかなうのはいうまでもないとして、会社側が積極投資を行いうるかどうかは会社の判断・決断にゆだねるしかない。その意味において、旧「りょうもう」車両が今日でも走り回っている東武鉄道という会社は、会社の性格気質表現に長けている、といえるかもしれない。





■複々線区間まだら模様

 以上まで記したとおり、東武鉄道の優等列車予備には古参の旧型車両が残存している。これに対して、複々線区間での新陳代謝は目覚ましい。半蔵門線直通列車には新型車両が集中して投入されている。名車8000系はすでに浅草発着列車から撤退しており、8000系の活動範囲は 2両編成列車が運行される亀戸線・大師線に限られている。

8000系区間急行
浅草行8000系 6連区間急行(西新井−竹ノ塚間:平成18(2006)年撮影)
※今日では複々線区間で8000系定期営業列車の運行は見られない


 8000系の設計は高速性能および中長距離運行に重点が置かれており、その点では今なお色褪せぬ車両であるものの、都市型輸送でのニーズを満たしているわけではない。複々線区間でさえ、前の閉塞区間が空かないためか、最高速度に達するはるか手前からノッチを切っている有様だったから、宝の持ち腐れというしかなかった。8000系は停車駅間が長く列車数が少ない区間でこそ本領を発揮できる車両であった。

 名車8000系の時代は遠くに去り、伊勢崎線現下の主役は半蔵門線直通 50000系である。半蔵門線直通列車に関していえば、初代 30000系でさえ今となっては古びて見える。設計思想の違いが歴然としており、時代が旋回して 50000系に至ったとよくわかるのだ。

(※参考までにいえば、東武鉄道の車両の造作は、日本の鉄道車両メーカーの技術水準を如実に示すバロメーターのようなものだ。初期 10000系などは、ステンレス車体の溶接による熱変形が車両全体に出るだけでなく、前頭部角の処理がなんとも見苦しく、不細工と評する以外の言葉がない。後期 10000系以降はステンレス溶接技術が向上、だいぶ見映えが良くなった。 50000系はアルミ車体を採用し、技術の根本からして変革が図られている)

30000系急行
中央林間行 30000系10連急行(西新井−竹ノ塚間:平成18(2006)年撮影)


 半蔵門線直通列車の代表車両となった観のある 50000系、顔かたちの好みはわかれるとしても、良く出来た車両であることは間違いない。10両編成であるがゆえに、編成短縮を断行しない限り、都市型輸送の典型、半蔵門線直通列車を生涯の職場とする可能性が高い車両でもある。この 50000系、粋でいなせで格好良く、東武鉄道における「江戸っ子」のような存在と呼べるかもしれない。

(※そんな 50000系に現下、「春日部」「クレヨンしんちゃん」ラッピングを施している点に筆者は軽い頭痛を覚えている。伊勢崎線で運行しているだけならばまだしも、半蔵門線や田園都市線でラッピングの主旨が受容されるのだろうか?)

50000系急行
久喜行 50000系10連急行(堀切)
※「クレヨンしんちゃん」ラッピング編成
色違い編成や「春日部」ラッピング編成あり


 東武 50000系、東京メトロ08系が勢力を増している昨今、複々線区間では東急8500系の陳腐化が著しく、かなりの遜色があるといわざるをえない。製造初年は昭和50(1975)年と40年選手、都市型輸送に就く車両としては全国的に見ても最古参の旧型車両に属する。

 東武8000系の如く卓越した要素があれば、旧型車両だからといって嫌気する必要はない。ところが東急8500系の場合、ローレル賞受賞車とは信じがたいほど、外観・内装とも貧相で素寒貧なうえ、走行時の爆音があまりにも酷く、好感を持てる余地が乏しい。数が多く揃っているだけに、まだまだ長く居座りそうな嫌な予感が伴う。気が重いことながら、今しばらくはやかましい爆音に耐えるしかなさそうだ。

8500系急行
久喜行東急8500系10連急行(堀切)






■リバティ・リバティ

 東武鉄道の特急車両は、平成 2(1990)年の 100系「スペーシア」、平成 3(1991)年の 200系「りょうもう」以来、四半世紀以上の長きに渡り新車投入がなかった。今改正で久々に登場したまっさら新車の特急車両は 500系「リバティ」。 3両編成を二本つなげ、分割併合を可能とした 6両編成での運行が基本だ。6050系快速と 100系「スペーシア」を足して二で割ったような性格を備えた車両で、今日的で洗練された外観を見る限り、東武鉄道が如何に力を注いでいるかがうかがえる。

500系特急「リバティ」
手前:会津田島行500系「リバティ会津111号」
奥:東武日光行 500系「リバティけごん11号」(堀切)


 半蔵門線との直通運転開始を含め、東武鉄道の都市型輸送インフラ構築プロジェクトはおよそ仕上がった。 50000系投入も一段落したように見える。今後の東武鉄道はおそらく、相対的に地盤沈下している郊外型輸送ならびに観光輸送に重点を置く構えを示している。特に鬼怒川線に着目すると、重点投資の対象となっていることが理解できよう。

  ・新型特急「リバティ」投入
 (・浅草直通快速廃止とセット)
  ・SL列車「大樹」運行開始(8月に予定)
  ・「東武ワールドスクエア駅」新設(7月に予定)

 短い路線に続々と新規案件が連なっている。ネットワーク最奥に堅固な観光拠点を確立できれば、観光需要のまさに「大樹」が育つわけで、東武鉄道としては是が非でも成功をおさめたいのが本音だろう。考えてみれば、 100系「スペーシア」 200系「りょうもう」はバブル期の積極投資ともいえるわけで、その後の日本経済の推移からして、積極投資に踏み切れなかったのはいちおう理解できる。日本経済に底堅さが宿り、外国人観光客需要が伸びつつある今日になって、観光需要の呼び起しにようやく決断がついた、と見受ける。鬼怒川線のさらに奥、長らく需要が低迷したままの野岩鉄道テコ入れにまで成功すれば、万々歳といったところか。

C11207牽引「SL函館大沼号」
JR北海道時代のC11207牽引「SL函館大沼号」(函館付近にて:平成18(2006)年撮影)
※北海道時代に何度か会ったこの機関車が鬼怒川に乗りこんでくるとは思いもよらなかった


 鬼怒川線への C11牽引列車投入を単独で見れば、懐古趣味にしても周回遅れの感が伴い、如何なる存念なのか不思議に思えるところだ。ここで、東武鉄道の個別施策を並べてみると、日光・鬼怒川地区への観光需要誘致という共通の思惑が透けて見えてくる。

 東武鉄道の計画が成功するか否か、必ずしも保証の限りではない。しかし、失敗すれば日光線・鬼怒川線が丸ごと「お荷物」と化してしまうわけで、成功が強く希求される計画であることは間違いない。その全体像はおいおい見ていくとして、東武鉄道は面白い一石を布いたとはいえるだろう。





■まとめに代えて

 東武鉄道ダイヤ改正を前回レビューしたのは平成18(2006)年。なんと、十年以上も昔に遡ってしまう。

   ◆前回記事(平成18(2006)年)
   ◆前々回記事(平成17(2005)年)

 このたび五月連休の撮影活動を通じて、久々に東武鉄道の輸送体系を実見し、その変革ぶりを実感し、新たなレビュー記事を書いてみようと考えた次第。読者諸賢の参考の一助となれば幸いである。





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