このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





【十周年特別企画】
旅立ちの記録






【序言】

【第一部】発起編
  急転直下の決意
  苦しい基本方針
  受験(受検)すべき学校選び【第一段階】
  受験(受検)すべき学校選び【第二段階】

【第二部】悪戦苦闘編
  頭の良さ≠学力
  月月火水木金金
  過去問題(導入編)

【第三部】啓発編
  「ゆとり教育」という巨大な虚構
  こどもは何度でも間違う
  模試と偏差値
  短期的成果と長期展望

【第四部】直前編
  受験(受検)すべき学校選び【第三段階】
  過去問題(実践編)

【第五部】実戦編
  一月受験
  過去問題(実践編その2)
  二月受験

【第六部】感想編
  中学受験(受検)の成果
  受験後の各校寸評
  合格できた理由
  最後は神仏頼み

【第七部】単純考察編
  こどもはよく勉強している
  偏差値もろもろ
  「勝者」は誰か



【インターミッション】
  この一年を顧みて



【第八部】批判的考察編
  塾の存在は必然だが
  入試問題に見る建前と本音
  学校との「契約」関係
  学力低下論再び
  各学校の教え

【第九部】総括編
  事前想定と現実との照合
  さらなる切磋琢磨



【補遺】交通編
  入試会場までの交通手段
  受験者の整頓



【結言】
  新たな旅立ち





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【序言】

 過去の記事で示唆したとおり、筆者の長男は昨年度、中学受験(受検)に挑んでいる。結果は第一志望の学校に合格、この春から通学を始めている。この取り組みのなかで筆者も長男のために全力を傾注し、それゆえ当館の更新ペースが大幅に鈍った。

 当館の主旨からすれば、この一年の出来事は記事にしようがない。しかしながら、長男はもとより筆者にとっても重要な一年になったことから、この間の思いを文章にとどめておきたい気持が強まっていた。

 記憶がまだ熱を持っているうちに書きとめようとしたところ、東日本大震災が起こり、出端を挫かれる形になった。五月連休にまとまった時間を得て、ようやく手がけることが可能になった次第。

 以下は筆者の経験と主観に基づく部分が多く、偏りがあったり、正鵠を射ていない面もあるはずだ。批判を浴びそうな記述も少なくないと思われる。さりながら、筆者は敢えて、文章にまとめることを選ぶ。たとえ駄文に終わってもかまわない。とにかく書き出さない限り、筆者の裡に燃えさかる炎焔は、どうにも治まりそうな気配がないからである。

 なお、以下本文は概ね時系列の推移に基づくよう努めたが、文章を構成するため時期を前後させた箇所もあるので、留意して読み進まれたい。また、「旅立ちの記録」と題することで、強引に当館の主旨に合致させた点は了承されたい。





【第一部】発起編

■急転直下の決意

 筆者は首都圏出身とはいえ、郊外──というよりむしろ田舎──で育った。小中学校に関しては選択の余地などないも同然で、高校の選択肢もかなり限られていた。結果として、小中高大と全て公立学校で学ぶことになった。さらにいえば、大学受験を浪人した一年間を除き、塾・予備校の類に通ったこともない。筆者は、当時既に稀少種だった「無塾児」なのであった。

 以上の履歴から、筆者においては、公教育を素朴かつ単純に信奉する心があった。中学から受験する、という発想そのものがなかった。義務教育から受験したところでたいした益はなく、高校受験からで充分、という感覚だった。長男を教育するにあたっても、前記の延長線上で臨んでいた。

 長男には塾にこそ通わせなかった一方、さまざまな取り組みをさせている。スイミングはあまり上達しなかったが、健康・体力増進のため続けさせた。ピアノはそこそこの腕前で演奏できるようになった。珠算は五年生までに有段者になった。長男自身にも中学受験に臨む意識が低かったこともあり、五年生終盤まで中学受験に関する取り組みは一切していなかった。

 妻の感覚は筆者とは大きく異なり、是非とも中学受験すべきという考えだった。しかもブランド志向が極めて濃厚で、某有名難関校の名を挙げて「なにがなんでもΧ中(後述)に受かるんだからね!」と、長男を日々煽っている状況だった。しかし、筆者が中学受験に消極的だったため、妻も敢えて踏みこんではこなかった。

 筆者が考えを改めたのは、ある通いごとでの面談であった。そこの先生の話は、筆者にとって強い衝撃が伴った。

「和寒さん、今では著名な中高一貫校は、高入生の募集をやめているところが多いです。おたくのお子さんは高校から受験に取り組んだほうが伸びると思いますが、実際のところ選択肢になりうる学校が極端に少なくなってしまうのが現実です」

 これを聞き、筆者はようやく、中学受験熱が高まっている理由を理解した。さらに筆者の脳裡には「中学受験を回避した際の光景」がありありと浮かんできた。長男に中学受験を回避させ一般公立中に進学させてしまうと、少なくとも都下においては以下の如き現象が起きることが、即座に確信できたのである。


●有為な層が受験で抜けるため、同級生から受ける刺激が少なくなる。

●所謂「ゆとり教育」のためカリキュラムが薄っぺらで、知的刺激も乏しくなる。

●しかも、先生の質に大きなばらつきがあり、外れを引くと大変なことになる。




 以上の確信は、具体的根拠に欠ける被害妄想にすぎないかもしれない。しかし、子の親としての不安には切実なものがあった。中高一貫校では一般的に先取り教育が行われる。高入生として高校から受験しても、入学後のカリキュラムについていくには困難が伴い、生徒間のレベルが揃わないため、高入生の募集をやめた学校が多いといわれている。一般公立中の環境がぬるい以上、そのなかに入ってしまうと、長男ならずとも環境に影響されざるをえないだろう。それが良い、とは到底思えなかった。

 さらにいえば、筆者は長男が通う小学校の運営に少なからぬ不信感を持っていた。長男が相対的劣位に評価されている、そのかわり他の特定の子が依怙贔屓されている、という思いを拭えなかった。

 小学校にとって、地元とのしがらみもある、という事情はなんとなく理解できる。贔屓されている子は満足だろう。だが、贔屓されない子には浮かぶ瀬がなくなるではないか。このまま一般公立中に進んで、同じような目に遭わない保証は全くない。内申書が相対的劣位になり、高校受験にハンデを負ってしまうと、挽回はきわめて難しい。

 以上諸点を鑑み、筆者は長男に中学受験させることを決意した。過去の記事にも書いたとおり、こんな早い時期から受験に駆り立てることなどほんらい不本意である。しかし、中学受験を乗り切ることは、即ち中高一貫校への入学を意味し、高校受験を回避できる。中学生の時期、いたずらに勉強を強いることなく、健全な肉体と健康を育成するためにも、ここで鞭を入れるのもやむなしと判断した。

 決断は、五年生の最末期、正月を過ぎてからであった。





■苦しい基本方針

 今まで中学受験を意識していなかったとはいえ、筆者は過去何度も受験を突破してきた経験があり、受験の本質をとらえているつもりである。受験を簡単に要約すれば「傾向と対策」の一語に尽きる。ある程度の実力を前提条件として、どのような出題傾向かをよく把握し、ツーといえばカーという反射神経を身につければ、大抵の受験は合格できる。

 ……言うは易し、である。筆者のような受験経験者はともかくとして、長男は未経験者、しかも今まで「無塾児」である。中学受験をしようという子は、三・四年生の頃から既に、遅くとも五年生初頭から研鑽を積んでいる。これから他の子と同じ勉強を手がけたところで、追いつくことなど不可能だ。

 そこで筆者が目をつけたのは、公立中高一貫校である。私立中学受験は、難易度や出題傾向は幅広いが、受験というシステムそのものは共通している。これに対して、公立中高一貫校では適性検査なる手法を採り、私立中学とは全く異なるシステムで生徒を選抜している。それゆえ「受験」ではなく「受検」という表現が使われる。

 公立中高一貫校及び適性検査の最初は、平成17(2005)年から開校した都立白鴎である。昨年度(平成22(2010)年度)初時点で満 5年を経過したばかり、中高一貫校の卒業生をまだ輩出していない段階で、要するに歴史がまだ浅い。

 しかも適性検査は、六年生の子にとってはかなり難しい。適性検査の内容はといえば、理系大学出身の社会人が必要な時間をかけ取り組めば、容易に完答できるものにすぎない。ところが、


●小学六年生のこどもが

●試験会場という特殊かつ独特な環境下で

●制限時間内に解答しなければならない




という条件から、どうしても難しくなる。歴史が新しく、出題のバリエーションを定型化できる段階にないため、「傾向と対策」を固めるのも難しい。それゆえかえって、今まで受験勉強していなかった長男でも充分に太刀打ちできると判断した。

 もう一点付言すれば、適性検査は「理系大学出身の社会人には容易に完答できる」ものであるため、「いち早く大人になるための試練」と定義し、長男を鼓舞した。

 適性検査は、その独特のシステムゆえに、自宅学習だけで突破することはまず不可能である。今まで「無塾児」だった長男も、適性検査に対するトレーニングのため、いよいよ通塾する時がやってきた。まずはピアノを中断し、J塾に通わせることにした。ただし、珠算・スイミングの中断については、長男は難色を示し、さらに継続することになった。後から顧みれば、長男はまだ本気モードになっていなかったのである。

 ちなみに、私立中学受験に関しては当初、自然体で勉強して受かるところに行けばいい、と考えた。これまた後から顧みれば、実に甘く浅薄な考えであったことが判明する(後述)。





■受験(受検)すべき学校選び【第一段階】

 一般的には五年生までに受験(受検)すべき学校選びを終えておくべきところ、六年生になってから始めたから、かなり慌ただしく忙しかった。それでも筆者は、本業において調査・分析に長けているとの自負があり、短期間で長男に適合する学校を選びぬく自信はいちおうあった。

 第一段階は、親から見た「良い学校」である。ほんらいは実名を出すべきところだが、批判的なことも記していくことから、在校生・卒業生・関係者の不快を惹起しないよう、敢えて伏字とする。伏字といっても頓智のようなもので、数字などを強引にあてはめたにすぎない。よって、察しの良い方はどこの学校かすぐわかるだろう(伏字の意味があまりないかもしれない)。

 筆者は13校の説明会に参加、合同説明会でさらに 5校の説明を受け、妻単独参加の 4校とあわせた多数の候補の中から、「良い学校」として以下の 9校を選択した。

●一中●四中●六中
●九中●卅中●百中
●千中●Χ中●Ρ中


 これら学校を良いと判断した理由は、主に以下の四要素が基準となっている。念のため記しておけば、これはあくまで筆者の判断基準であって、万人に通じるものとは限らない。筆者が良いと判断しても他者には悪い場合がありえるし、当然ながら逆の事例もありうる。この点はよくよく御留意願いたい。


●教育理念が明確である【学校が示す理念】

●生徒層に地域的偏在がなく広範囲から通学してくる【データによる客観】

●2月1日に受験日が設定されている【受験者層の積極的選択性向】

●実際に直接した生徒に好感を覚える【筆者の主観】






  9校に絞った以上、当然ながら選に漏れた学校が幾つかある。以下に代表例を挙げる。

●三中●五中●八中


 これら学校が選に漏れた理由は、前述の四要素にあてはまらなかったから、ということになる。特に一点目が重要で、字面が一見して明確であろうとも、その定義するところが明確さに欠ける学校が散見された。くどくどしい説明も無用。端的明快に説明できる教育理念にこそ強い説得力が備わっている、と筆者は考えた。

 次いで重要なのは二点目で、県下の学校の生徒層は、所在地の自治体在住に偏る傾向が強かった。先に【データによる客観】と記したのは、要するに、より多くの生徒と保護者が好感している証である。遠路をものともせず通う生徒が多い学校ほど、魅力が高い学校と考えてよいはずだ。その意味において、県下学校の魅力は、ローカルな範囲にとどまるところが多いように見受けられた。

 三点目は二点目に近い観点である。2月1日には都下私立中学の受験が数多く競合する。その日に敢えて受験する生徒は、合格すれば即入学する意志が強いはずである。かような生徒がその学校の校風と雰囲気を醸すものと思われた。





■受験(受検)すべき学校選び【第二段階】

 学校選びの第二段階は、親から見た「良い学校」に長男が適合しうるかどうか、という判断になる。

 ここで真っ先に消えたのは百中である。百中は強烈なスパルタ教育を掲げる古風な学校で、筆者がもし中学校からやり直せるならばここに入学したいと心底思えるほどだ。それほど親にとっての好感度は高かった(妻も同様の反応)。しかし、長男の反応は際立って悪く、強固な抵抗感を示した。

 このような事柄は話し合ったところで解決しない。そこで百中の文化祭に赴き、低学年のクラス展示を全て見てみた。その観点は「友達になれる子がどれだけいるか」である。長男の反応は端的明快で、「この学校の子とは友達になれそうにない」であった。筆者もまた長男の感覚を支持せざるをえなかった。目の子四〜五割ほどの子は長男の性格気質と対極にあるように見受けられ、入学してもすぐに破綻すると危惧された。百中は無理強いできないと痛感せざるをえなかった。

 以上の経緯より、夫婦とも惜しみながら、百中を選択肢から消した。

 次いで消えたのは四中・六中である。両校が選択肢とならなかった理由は消極的なもので、要するに、長男の視野からは遠かったにすぎない(※)。両校が「良い学校」であることは確かでも、長男の心の琴線に触れなければいたしかたない。 2月 1日に受験できる学校が一つしかない以上、多数の候補を抱えてもしかたないという面もあり、両校を選択肢から消した。
  ※実は第一段階においても、同様の理由ではじいた学校がいくつかある。二中・白中・鳥中などが該当する。

 この時点で最大の焦点となったのは、Χ中の扱いである。Χ中が素晴らしい学校であることは、説明会及び校長の著作を通じてよく理解できた。しかし、素晴らしい学校だからといって、長男の性格気質に適合するとは限らない。Χ中は生徒に高度の自主性を求めている。てきぱき要領良くなんでもこなせる生徒にこそ向いている学校であり、長男の性格気質ではついていけない懸念が大きかった。なにより、そもそも学力が届きそうになく、入試を突破できる見通しなど持ちようがなかった。

 ところが、ブランド志向の妻は「なにがなんでもΧ中!」の旗を下ろそうとしなかった。なにしろ、受験が終わった今日でさえΧ中に未練を持っているほどの筋金入りだ。家庭のなかは一種の政治である以上、筆者も妻の意向に配慮せざるをえなかった。こどもも親の意向に配慮し、かつ影響される。長男自身が最後までΧ中の旗を下ろさなかった。長男の視野が他校に向け広がらなかったのは、主にこの理由による。

 高い目標を掲げて鼓舞する一方、現実にはきわめて困難な道であることは確かであり、悩ましい状態であった。この時点で既に、秋が深まりつつあった。





【第二部】悪戦苦闘編

■頭の良さ≠学力

 ここで時点をさかのぼり、梅雨時まで戻る。

 長男は公立中高一貫校のカリキュラムに取り組む一方、私立中学の受験をにらみながら勉強を進めていた。ところが、成績があまり伸びない。全国中学入試センター模試を指標にすると、初回こそ偏差値60を超えたものの、二回目以降は偏差値55〜57くらいの範囲におさまってしまい、上昇する気配がなくなった。

 前述したとおり長男は「無塾児」であったが、勉強はしっかりやっていた。それゆえ、もっと良い成績を出せるはず、という期待が筆者と妻にはあった。現実は厳しく、期待は甘かった。頭の良さは、即ち学力に直結しないことが、強く実感できてしまった。

 しかしながら、この時点では、因果をよく把握していなかった。朧気ながら見えたのは、受験勉強の質量が圧倒的に不足しているということ。これを補うため、遅蒔きながら受験勉強にも力を入れることにした。具体的には、珠算を中断し、M塾の夏期講習に通うことにした(ちなみにJ塾はM塾の系列校)。体系的な勉強を手がけなければ歯が立たないという危機感があった。

 珠算を中断する際、長男に変化が生じた。中学受験のため珠算を中断する旨が教室中に周知されたところ、周囲の生徒が口々に、
「和寒くんのことだからΧ中を受けるんでしょ」
と言ったというのだ。こどもの素朴な感覚にすぎないとしても、これで長男のやる気に火が点いた。長男は初めて自分の客観的評価を自覚し、「自分は出来るはず」という自信を手に入れたのである。かような自信は、親だけでは与えられない。ありがたい機会だった。





■月月火水木金金

 そうはいっても、夏期講習の受講は「無塾児」長男には飛躍があった。連日休みなく、しかも酷暑のなか、朝から晩まで受講するのは負担が大きかったはずだ。

 長男は教室での集中力が高く、自宅学習では注意力散漫になる傾向がある。それゆえ、自宅学習よりも受講のほうが効果が高いと判断した。ただし、集中力を維持するには気力体力が必要だ。長男は見るからにへこたれていった。反抗期とあいまって、無愛想に振る舞う日々が続く。

 夏期講習の最中から、秋以降どうするかという協議に入る。秋以降、M塾にも通塾するつもりでいるなか、M塾との面談では以下の条件・見通しを提示された。


●長男の現在の学力からして、Χ中特進クラス(日曜開講)への編入は不可。

●そもそも受験勉強の立ち上がりが遅すぎ、Χ中受験はかなり厳しい。

●M塾としてはむしろ、六中受験を勧める。長男にも適合するはず。

●卅中受検が既定路線である以上、六中受験は対策が似ており、その観点からもお勧め。

●六中特進クラス(日曜開講)を受講するならば、平日は上位クラスに編入可能。

●六中特進クラスを受講しないならば、平日は一般クラスへの編入となる。




 この面談は、受験校選択にも影響を及ぼすことになる、悩ましいものとなった。筆者と妻は結局、M塾の提案を受け容れ、六中特進クラスを受講することにした。ただし、六中受験を決めたわけではなく、受講により得られるものがあればいい、と割り切った。

 秋からの長男のスケジュールは、おおよそ以下のとおりとなった。

月曜日M塾
火曜日M塾
水曜日家庭学習
木曜日M塾
金曜日家庭学習
土曜日午前:J塾
午後:M塾
日曜日六中特進クラス
または模試


 家庭学習の日が週二日あるように見えても、実際には提出すべき課題や過去問題の取り組みがあり、時間は切迫していた。しかも、小学校の宿題量がまた多く、家のなかには常に灰神楽が舞っているような状況だった。

 この厳しさに落伍するようでは、長男の受験はそれまで、という篩にかけられたようなものだった。世の中にはこの厳しさに充分対応できる子も多いわけで、Χ中や六中のような最難関校合格者はまさにその典型であろう。

 長男は厳しいカリキュラムになんとか順応できた。とはいえ、光明はまだ得られない。





■過去問題(導入編)

 M塾では、秋から過去問題に取り組むことを勧めていた。模試だけでは測れない、長男の真の実力を知るためにも重要と考え、まずは三中と五中の過去問題を解かせてみた。

 結果は思わしくなかった。両校の合格最低点を、百点満点換算で10点以上も下回った。三中の社会過去問題において、百点満点換算で20点しかとれない年があったのには、強い衝撃を受けた。もっと良い勝負になると考えていたので、正直なところ信じられない思いだった。中学受験を甘く見ていたとようやく痛感した。

 長男の弱点は、この時点では明確に社会だった。知識の絶対量が不足していた。模試の成績も芳しくなく、10月期の社会偏差値は45まで急落した。長男は確実にやる気になり、かつよく勉強していた。それなのに、結果が伴わない。

 「このままではどの学校にも受からない」という焦燥感が生まれ、さらに絶望感にまで発展しかけた。さりながら、筆者は自分自身の弱点をよく自覚していた。また、長男にはやる気があっても、具体的にどのように努力すべきか、よくわかっていない面があった。ある日、筆者は長男にこう話した。

「やる気は行動で示そう。おれは『このままではどこも受からない』と考えこむのをやめ、おまえが合格できるための手段を考える。おまえはそれに、一生懸命取り組め」

 そう。考えているだけでは始まらない。考えるよりまず動け。とにかく行動すべき時期がやってきた。

 10月26日以降、長男を早起きさせ、筆者が出勤するまでの時間を活用し、銀本(みくに出版の科目別学校別過去問題集)の社会過去問題から良問を選抜し、取り組ませた。効能は劇的だった。長男はわずか一ヶ月余りで社会を得点源とするようになった。ただし、近現代史に弱い面があり、大崩れする危険はなおも残ったままだった。





【第三部】啓発編

■「ゆとり教育」という巨大な虚構

 全てを終えた今日から顧みると、なんともの知らずで、綱渡りの連続であったか、自分でもあきれる思いがする。筆者は明らかに中学受験を侮っていた。それに気づいたのは、銀本社会過去問題の取り組みのなかで、頻出問題が目に触れたことが契機である。以下に典型問題を例示する。


【問題】

(1)平等院鳳凰堂を建立した人物は誰か?

(2)平清盛が日宋貿易のために開いた港の名は?




 正解は、(1)が藤原頼通、(2)が大輪田泊である。恥ずかしながら、筆者は当初、正解を知らなかった。社会人として無知・無教養の誹りは免れえないところだ。しかし、問題点がもう一つある。筆者は中学時代日本史を得意としたというのに、これらを学んだ(覚えた)記憶がない。つまり、中学受験では、筆者における(公立高校の)高校受験と同等かそれ以上の知識が問われていることになる。

 一部の学校でのみ難問が出る、という状況ならばまだ理解できる。そうではなく、多くの学校に共通する頻出問題があり、それが筆者の高校受験なみレベルだという事実には、驚きを感じざるをえなかった。

 「ひょっとして?」ある疑念が頭をよぎり、長男の社会教科書をめくってみた。案の定というべきか。藤原頼通も大輪田泊も、簡素ながら記載があるではないか。要するに中学受験では、「小学校検定教科書の範囲から出題しています」というエクスキューズが成立する。教科書のなかには小さな字で書いておき、小学校の授業では教えていないだけなのだ!

 他の科目も似たようなもので、過去問題を分析すると、以下のような傾向があることがわかってきた。


【社会】
●古代から近現代史まで網羅している(しかも近現代に重点が置かれがち)
●難関校ではシャッフル問題が頻出している(親世代でも難しいレベル)
●問題数がかなり多く時間内で完答が難しい学校も珍しくない

【算数】
●三平方の定理・連立方程式・Permutation&Combination等の概念を包含する出題多し
●ただしその概念がストレートに問われることはない(中学数学以上なので)
●受験生は小学算数を基礎としつつ知らず知らずのうち中学数学に触れることになる

【国語】
●物語の文量は篦棒なもの
 (まともに読めば 5分はかかる/10分以上要する学校も珍しくない)
●語彙問題は親世代でも苦戦するレベルの出題がある




 上記を総合すれば、中学受験に求められている勉強の質量は、筆者を含む親世代の高校受験にほぼ近しいと理解できよう。英語がなく、数学でなく算数という違いがあるだけで、実質的には高校受験に匹敵する学力が問われている。長男が悪戦苦闘するのも道理である。

 そして、強い怒りを伴いながら、切実に思わざるをえない。

 所謂「ゆとり教育」など虚構にすぎない、と。

 教科書には全てが記載されているではないか。筆者が小学生時代に見た記憶のないような高度な既述が、小さな扱いながら載せられている。ところが、それらを小学校で教えた形跡はない。長男も「小学校では教わらなかった」と証言している。

 大雑把に要約すれば、「ゆとり教育」とは、教科書の体裁を簡略化しながら内容を高度化し、向学心がある層を中学受験に誘導し、そうではない層をぬるま湯的なカリキュラムに安住させる教育方針である。向学心がある層を一般の公立小中学校から切り離すための政策である。「ゆとり」なる字面には本質を晦ます悪意がある。格差を拡大させる政策であるはずなのに、蜜の如き甘さがまぶされている。「教えるべき内容が稀薄化している」というマスメディアの報道姿勢は、本質も実態も全く伝えていない。

 この時点において、筆者は一般公立中を完全に見限った。受験に失敗したから一般公立中に戻る、という選択肢が如何に危ういか、慄然とせざるをえなかった。それゆえ、失敗しない受験戦術の確立が必要になった。序盤戦もおぼつかないというのに、もはや終盤戦突入である。





■こどもは何度でも間違う

 この時点まで、筆者が心得違いをしていた点がもう一つある。こどもは一度やっただけでは覚えない。何度も何度も間違いを繰り返しながら覚えていくのである。

 先の典型問題(1)では、藤原道長から藤原頼道という誤答を経て、三度目にようやく正解を書けるようになった。典型問題(2)では、函館港という誤答を経て、大輪田泊を書けるようになった。ほかにも福沢「輪」吉という、吹き出しそうになる間違いをやったことがある。

 要するに、こどもは何度でも間違うのである。間違いを叱ってはいけない。間違わなくなるまで、繰り返し繰り返し取り組ませる以外の道はないのである。間違いに諦めると、そこがこどもの能力の限界になってしまう。

 いくら頭が良かろうとも、書き出せなければ学力ではない。理非良否善悪を措くとして、ペーパー・テストという手法以外で学力を客観的に計測する術はないとされている。それゆえ、間違いに臆することなく、正答を書き出せるように努力しなければならない。先に発言を引用した通いごとの先生は、「中学受験には答案作成力の構築が不可欠です」とも言っていた。

 讀賣新聞の書道展(小学生から高校生対象)において、各学年の最優秀者が例外なく、「百回以上書きました」とコメントしている紙面を見て、筆者は確信した。学問に王道はなく、習うより慣れるべきである、と。





■模試と偏差値

 長男の模試成績にやきもきしたことに連動して、偏差値にどのような意味があるのか、考察する機会が必然的に生じた。長男の模試解答及び全体の正答率分布を眺めているうち、ある法則性が見えてきた。全国中学入試センター模試を基準にすると、偏差値カテゴリーにはおよそ以下のような意味が伴うイメージなのである(あくまでもイメージ)。

偏差値レベル感求められる素養
50未満選択肢問題を完答できるレベル
50以上60未満書き出し問題を完答できるレベル知識の一般的な正確さ
60以上65未満難問に取り組みかつ正答できるレベル選択肢・書き出し問題を迅速に解答
65以上超難問に取り組みかつ正答できるレベル膨大かつ正確な知識がある


 このイメージが見えてきた瞬間、長男の偏差値が60以上になることは今後あるまい、と覚悟せざるをえなかった。前述したとおり、長男の受験勉強は緒についたばかりで、質量が圧倒的に不足していた。特に社会では体系的な知識がまだ備わっていなかった。選択肢・書き出し問題の解答に正確を期す段階にのぼったばかりで、難問対策などはるか彼方の蜃気楼に等しかった。

 長男にはもう一点、模試で高得点をとりにくい特性があった。これについては後述する。

 模試偏差値は学校選択に強い影響を与える。なぜなら、学校側の出題傾向は偏差値60を境として明確な段差があるからだ。偏差値60以上の学校では、シャッフルやハイブリッドなどの難問を頻出する。これら難問を解くには相当な学力を必要とする。最低限の条件は、基礎問題を短時間で正確に解答できる学力。そのうえで、難問の典型(傾向)を把握し、解答するための幾つかの切り口(対策)を持っていなければ、正答には届かない。
  ※筆者注:シャッフル=大問を構成する小問どうしの関連が薄い/または斬新な切り口
       ハイブリッド=教科・概念・解法を統合した出題

偏差値カテゴリーのイメージ
偏差値カテゴリー(あくまでもイメージ図)


 中学受験最上位層の学力レベルを垣間見て、率直にいって目が眩む思いがした。長男がかれら最上位層にかなうとは、残念ながら考えられない。今までの準備もこれからの時間も足りない。そもそも時間をかければかけるほど、最上位層の学力はさらに伸びてくる。

 上記観点は長男本人は納得した一方、妻は受容しがたかった様子だ。努力すれば偏差値も上がる、と世界を単純化して考えていたらしい。しかし、現実は厳しかった。念のためにいえば、長男が出来ないわけではない。世の中にはさらに出来る優秀な子があまた存在し、長男が相対的に劣後しているという状況が、偏差値に如実に表示されているのである。

 筆者の学校選択は秋以降、偏差値60以上の最上位層との競合を如何に避けるか、という観点が重きをなしている。極論としていえば、受験は競争ではなく、いわんや「戦争」という概念はまったくあてはまらない、と筆者は考える。無駄な競合を回避しながら、親子とも納得しうる学校に入学するのが、最善のすがたではあるまいか。

 以上までが全国中学入試センター模試の状況で、率直にいって平々凡々たる内容と顧みざるをえない。これに対し、公立中高一貫校対策模試の成績は安定して良かった。第二回の大チョンボで急降下した以外は常に上位につけ、最終回とその前回は連続して全国 6位(千人強の参加)をマークした。この好成績が自信と励みになったことはいうまでもなく、それまでの努力の正しさを確信できたという意味でも安心感を持てた。

 しかしながら、好事に浮かれてばかりいられないのも人間心理というものだ。なにしろ全国中学入試センター模試の成績がさほどではなかったから、このギャップは何故か、と悩む羽目にもおちいった。妻に至っては、公立中高一貫校対策模試の結果がどこまで信憑できるのか、と強い疑いを持ったほどだ。

 「適性検査は偏差値とはなんら相関しない」とはJ塾教室長の言。筆者が見るところ、公立中高一貫校は適性検査を通じて「『傾向と対策』はずし」を意図しているのではなかろうか。公立中高一貫校ではおそらく、塾がカリキュラムとして用意する「傾向と対策」を嫌気し、地頭が良い生徒を求めている。その具体的ロジックとシステムが適性検査なのではないか。無論、根拠など全くない。真相は全て藪のなかである。





■短期的成果と長期的展望

 長男の模試成績がなかなか向上しない点について、M塾教室長から以下の指摘を受けた。


 和寒さんのお子さんは、一問一問全て考えながら解いてしまっています。これでは時間がかかりすぎます。このように聞かれたらこう答える、あのように問われたらこの解法を用いる、というような条件反射を身につけないと、難関校の合格は困難です。何年も通塾している子は、かようなトレーニングを積んでいるからこそ、素早く解答できるのです。極端な子になると、問題文をほとんど読まずに正答を導ける子もいます。



 この指摘を受けた時には、どのように反応すべきか困ったものだ。親としては、長男の特性をむしろ素晴らしいと理解しなければなるまい。一問一問をよく考えて解く姿勢は、将来のさらなる飛躍・発展・成長のためにも大事にしたいところだ。

 しかしながら、中学受験という目前のハードルを超えるためには、教室長の指摘は尤も至極である、と理解できるから困ってしまう。条件反射は「傾向と対策」の権化である。条件反射が身につけば思考力にも反映されるわけで、うまく循環させれば人間はより賢くなってくる。……そこまでわかっていながら、筆者は教室長の指摘に抵抗と反発を覚えた。

 理由は、条件反射育成には弊害もあると直感したからである。条件反射=知力(学力)と勘違いしてしまうと、思考力の成長はそこで止まってしまう。連想はさらに発展し、塾教育の問題はそこに根があるのではないか、とすら思えてきた。

 一朝一夕に答を出せる事柄ではない。かといって、受験まで残された時間はあまりにも少ない。筆者としては、長男の特性を敢えて矯める危険を冒さず、長男の特性が通用する学校選択に重点を置くことにした。偏差値60以上の学校の受験を回避すべき理由が、また一つ増えた。





【第四部】直前編

■受験(受検)すべき学校選び【第三段階】

 師走を前にして、実際に受験(受検)する学校の絞りこみに入った。ここまでくると、もはや迷いは薄れているものの、前述した「失敗できない」という大前提条件があり、親としても熟慮することになった。

一月●零中●一中●千中
二月●九中●Ρ中●卅中


 零中はここが初出、M塾から受験を勧められた学校である。端的にいえば、長男の学力には不安定要素があり、一・千・九・Ρ・卅中の五校を通じて、所謂「安全牌」がないとM塾は主張するのである。零中は出題が比較的素直で、かつ成績上位者が同日の八中受験に集中するため、合格できる可能性がかなり高いはずだ、とも主張する。

 合格しても通学する意志のない学校を受験するのは忍びない、との思いはある。しかし、真っ先に合格を獲得し、自信と安心を持って二月に臨むことが、戦術上きわめて重要だという考えに至り、受験を決断した。

 一・千・九・Ρ・卅中はいずれも長男を通わせるに足る、と(少なくとも事前段階では)確信できた学校群である。

 一中は地頭を良くする教育方針で、好感が持てた。四科目総合偏差値では合格ぎりぎりという線でも、算数に傾斜配点されているおかげで、長男にとっては受かりやすい学校と思われ、早い時点で合格したい学校だった。通いたい学校を橋頭堡として確保しておけば、安心というものだ。

 千中は英語教育に力を入れる校風で、時を追う毎に好感度が上がっていった。ただし、長男にとって受かりやすい学校とはいえず、二月受験の試金石になると考えられた。

 Χ中については、学力が伸びず、不合格確実と判断されたので、受験を回避した。模試の成績が、Χ中志望者のなかで常に最下位から数えたほうが速い、という状況では、妻も長男も諦めざるをえなかった。 2月 1日を「ダメもと」受験にする選択は、誰においても決してありえなかった。

 九中は、Χ中に代わり私立中学の本命となった学校である。筆者において実は、かなり早い段階から九中を本命にすべきと考えていたのだが、妻と長男が納得するまでに時間がかかってしまった。説明会に参加し、学校の生徒を思う心の篤さを妻・長男とも強く実感できたのが幸いだった。

 Ρ中は新進の躍進校である。説明会でのプレゼンテーションが抜群に巧く、ぐいぐいと魅きこまれるものを感じた。説明会で感動を覚えた学校は、後にも先にもΡ中だけである。午後受験の日程が多く、併願しやすい点もメリットだった。

 卅中は都立中高一貫校の大本命である。教育方針と校風が長男には最も適合していると思われた。長男は五年生時点から催事に参加しており、親近感が高いことも効いた。実際のところ、説明会などの参加人日(家族の延べ参加人数)は他校を圧して最大であった。都立校のため、学費が安いというメリットも大きかった。その一方、実質倍率が最も高く、合格できるだろうという自信は持てても、確信までは持てなかった。





■過去問題(実践編)

 実際の受験(受検)校選定と並行し、12月に入ってからようやく、受験校の過去問題に取り組んだ。率直にいって、かなり遅い時期からの取り組みで、土俵際一杯しかも徳俵に足が掛かっているような状況だった。これでめぼしい得点を獲得できなければ、やり直しがきかないところだった。

 幸いにして、受験校の過去問題では合格最低点を上回る得点を叩き出せることがあった。そうかと思えば、凄まじく大崩れする学校・年次・日程もあった。何回か過去問題を完答するなかで、長男の特性が見えてきた。


●長男の得点源は算数。百点満点換算で70点以上とれれば、他科目が多少悪くとも総合点が合格水準に達する。

●国語の得点がまったく安定しない。百点満点換算で50点を切り、総合点が不合格水準にとどまること再三。

●社会では大崩れすることがままあり、百点満点換算で40点を切る惨状が何度かあった。
 ただし、科目毎配点と算数の出来次第で、総合点が合格水準に達することもあった。




 以上の特性から、具体的な作戦が定まっていった。


【算数】ここで高得点をとれるよう、最善を尽くすことにした。ただし、千中を除き学校毎の対策までは立てなかった。

【国語】高得点は望めずとも、ここで崩れることがないよう、学校毎の出題傾向にあわせ対策を立てた。

【社会】大崩れする懸念があっても、残り時間を考えれば効果は薄い。大崩れは運次第、と割り切ることに決めた。

【理科】どの学校でも安定した得点をマークしており、自然体で臨むことにした。




 以上の特性と対策(作戦)を踏まえ、受験日程が確定した。もうすぐ年の瀬というぎりぎりの時期で、そこからの受験手続が慌ただしかったことはいうまでもない。

 なお、直近数年分の取り組みが一巡したため、受験日直前には算数のみを解き、気分を高めるように努めた。





【第五部】実戦編

■一月受験

●零中
 最初の日程という緊張感のなか、長男は平常心で臨むことができたようだ。無事に合格を獲得し、まずは一安心。特待生にはなれなかったものの、上位で合格したらしい符丁がつき、のちの心の励みとなった。

 国語の対策がうまくいった点も自信になった。小問集合→論説文大問→物語文大問の順に解くという各校共通の作戦を軸として、学校毎に特色ある出題傾向から、解くべき問題と捨て問にすべき問題とを選別する作戦が、どうやら功を奏した。



●一中
 算数に傾斜配点されているため確実に合格できるはずだ、と不安なく臨めた。偏差値は四科目を総合したものなので、一中のように傾斜配点がある学校ではあまり参考にはならない。長男は算数が得意なので、見た目の合格判定よりさらに上にいるはず、という安心感があった(まったく逆の子もいるはずである)。実際に合格を貰うと、「良い学校」の橋頭堡を確保した実感が湧き、うれしかった。

 また、一中では受験の得点開示を行っている。長男本人の自己採点よりも、開示された得点が若干高かった点も安心材料になった。なぜなら、長男本人の自己採点が的確であることが確認できたからである。

 一中では社会(近代史というよりむしろ現代社会)が親世代向きの設問で、小学生には難しい内容が多い。たかだか12年の人生では記憶に残る以前で、かつ歴史になるにはまだ新しい出来事について答えるのは厳しく、過去問題で長男は社会で大崩れしがちであった。蓋を開けてみればまずまずの得点だったのには安堵した。



●千中
 一月受験の山場。合格・不合格は五分五分と筆者は見ていた。というのも、過去問題の取り組みにおいて、算数で高得点を出せなかったからだ。なにが阻害しているのか疑問に思い、千中算数の傾向を詳細に分析したところ、以下の傾向があることがわかった。

   Ⅰ)順列・組み合わせ大問は、PermutationとCombinationを駆使しなければ正答困難。
   Ⅱ)最後の考え方を書く大問は、時間を要するうえ、途中で誤ると修正がきかない。
    →このⅠ)Ⅱ)を長男は正答できず、かつ解答時間を空費していた。

 ここで、千中算数では、大胆な「捨て問題」を設定する作戦を立てた。即ち、上記Ⅰ)Ⅱ)をまったく捨て、百点満点でなく80点満点の出題とみなし、その範囲のなかで70点の得点を目指したのである。

 この作戦は、はたして大当たりとなった。長男の自己採点によれば、算数で75点を叩き出せたという。合格最低点を 5点、百点満点換算で 2点近く上回り、合格した。二月受験に向け、いよいよ自信が深まっていった。ただし、成功の連続で親子ともども気が抜けてしまった事実は告白せねばなるまい。一旦緊張が緩んだところから、再び気を引き締めるまで、それなりに工夫を要した。



●余談
 世間でとやかくいわれがちな塾の当日応援、応援を受ける側にとっては実に心強く感じられた。中学受験という航海において、それぞれの家庭には経験が乏しく、満足な海図はないに等しい。そんな孤独感のなかで、最も切羽詰まる日において、応援してくれる人がいるというのは、素直にありがたいものであった。

 M塾はよく目立つ体裁のバッグ(六年生秋から通った長男も持つことになった)が標準装備、校門で見落とされる懸念はまずありえない。受験校は分散するから知っている先生がいるとは限らないとはいえ、「頑張って!」と応援されるとうれしくありがたいものである。

 筆者は送迎中心で校門付近の状況を熟知していないものの、付き添った妻によれば、全日程で当日応援があったそうだ。うち一中と千中にはM塾教室長が出張ってきていたそうで、塾生が多数受験した様子がうかがわれた。





■過去問題(実践編その2)

 千中の合格を経て、ようやく卅中の過去問題に取り組むことになった。まったくもってぎりぎり一杯の綱渡りが続いており、よくぞこなしてきたものだと感心する。

 念のためにいえば、公立中高一貫校の過去問題は、秋口からJ塾のカリキュラムとして取り組んではいた。しかし、大本命である卅中の過去問題は手つかずのままだった。受検日まで二週間もなく、本当に間に合うのか、どうしても不安が伴った。しかも適性検査は採点基準が第三者からはうかがえない。長男が相応の回答をつくりあげたところで、それが是なのか非なのか、皆目見当がつかなかった点も苦しかった。

 直近四年分の過去問題に取り組み、卅中では傾向がはっきりしている点は確認できた。焦点は、対策がありうるか、に尽きる。採点基準がわからない以上、対策は霊感・山勘・第六感によらざるをえない。

 筆者の直感は、千中に臨んだような小賢しい対策に頼るべきではない、と告げていた。これが当たるかどうかは、まさに神のみぞ知るというところだ。その具体的な内容はここでは記さない。明確な根拠もなく、直感と思いこみによる対策らしきものを、世に出すのは如何なものかと思われるからである。





■二月受験

●九中
 いよいよ本命校の受験である。筆者も休暇を取り、受験を全面的にバックアップする。率直にいって、当落線上にいるというのが実態だろう。とはいえ、千中に合格したという実績はある。全力を出し切れば合格は指呼のうち、という感覚はあった。

 長男は軽い疲労感を漂わせ、試験会場から出てきた。自己採点は四科目合計の総合点で 224点(百点満点換算で64点)。これは微妙なところだ。九中の合格最低点は例年かなり高い。合格最低点がこれより高ければ、アウトだ。

 夕刻の合格発表(インターネット上)を固唾を呑みつつ待つ。結果は合格だった。私立本命校の合格は、やはり格別にうれしい。そして、合格最低点は実に 224点なのであった。長男の自己採点が正しければ、ちょうど最下位で合格ラインを通過したことになる。



●Ρ中
 九中受験の午後、ダブルヘッダーでの受験となった。長男は午前の受験で集中し切ったようで、疲労が手を鈍らせたという要素も否定できない。しかし、それ以上に、出題傾向が劇的に難化した影響が大きかった。本人の自己採点では国語が30点、安定していたはずの理科が40点(いずれも百点満点換算)という崩れっぷりで、「ダメだと思う」が第一声だった。

 深夜の合格発表(インターネット上)の結果は、自己採点どおり不合格に終わり、受験日程上唯一の不合格を食らってしまった。



●卅中
 九中・Ρ中の受験日より一日空け、鋭気を養い万全の体調で、大本命校の受検に臨んだ。筆者は対策書の表紙に「とにかく全力を尽くす! 鬼神の如く書く」と大書した。小細工など通じないことはよく承知している。全力を出し尽くしてこそ、開ける道があるものと信念した。長男は足どり軽く受検会場に入っていった。その所作には我が子ながらオーラが纏っており、これならば合格できると予感した。

 受検会場から出てきた長男は、開口一番「やばい。出来たかもしれない」などと宣った。「やばい」を肯定的意味を持つ言葉とする用法は、長野冬季五輪のモーグルで認知された(※)と記憶するが、正しい日本語を使ってほしいものではある。まあ、うれしさの表現として、今日だけは許すとしよう。
  ※金メダルを獲得した里谷多英選手がゴールした際、「やっべー! メダルいける!」と実況中継されていた。
   NHKでの実況中継だったから、意味がわからず目を白黒させた記憶がある。

 合格発表は受検日から実に 6日後。発表を待つ緊張は、受検日の朝より甚だしいものがあった。結果は合格、実質倍率 7倍超の難関をくぐり抜けることができた。長男は無事に当初本願を達成したのである。





【第六部】感想編

■中学受験(受検)の成果

 疾風怒濤の如き一年を経て、長男は第一志望校の合格を果たし、入学許可を獲得した。一般的な感覚としては、それだけで達成感を持ってもおかしくない。しかしながら、筆者にも長男にも浮かれるような感覚はなかった。特に長男は、合格=成功ではないと、強く認識していた。

 合格したところで、まだスタート地点に立ったにすぎない。私学受験を経験し、「上にはもっと出来る奴がいる」ことは、長男本人が最もよく自覚していた。そもそも卅中にはすぐれた同級生が集まっており、今後は厳しい切磋琢磨が待っている。「重き荷を負うて遠い道を往く」のは、まさに合格してから、という予感が既にあった。

 中学受験(受検)の勉強を通じ、長男には勉強習慣が確立していた。努力から得られる成果の味を、長男はしっかりと体感した。筆者の見るところ、長男は受験(受検)前よりも後のほうがよく勉強している。勉強量そのものは減っていても、自主的に勉強を進める姿勢が身についており、質的な面では革命的進歩を遂げたと評してよかろう。これが中学受験(受検)最大の成果だと、筆者は考える。

 中学受験(受検)の全日程終了後、長男は珠算教室とピアノ教室に復帰した。珠算では昇段試験に挑み、短い準備期間ながら辛うじて昇段を果たした。ピアノ教室ではいきなり発表会に臨み、やはり短期間の準備で好演した。以前と比べ、演奏技術には格段の向上が認められた。努力には必ず結果がついてくる──いま長男が最も実感しているはずの教訓で、しかも長男は日々これを実践しつつある。これもまた中学受験(受検)の成果といえよう。

 今日の長男は、教科書・ノートの重みに喘ぎつつも、毎朝元気に登校している。同級生とよく親和している点も好ましい。卅中の生徒は際立って行儀が良く、素晴らしい環境に恵まれている。一般公立中に進んでいれば、決して得られないはずの知的刺激を享受している点も、中学受験(受検)の成果の一部である。





■受験後の各校寸評

 長男が実際に受験(受検)した各校につき、客観的データを表にまとめてみると、以下のようになる。

表  長男が受験(受検)した各校の客観データ
※長男受験日程の結果のみを表示した
※卅中合格者数のみ繰上合格を含む
受験客観データ


 これらのうち、学校側の戦術が失敗したと評せるのは、零中である。M塾教室長の表現を借りれば「合格をとりにいく学校」にすぎず、本命校として受験する生徒層が少数派であるという事実は否定しようがない。学校側もその事実をよく認識しており、定員の16倍以上に及ぶ合格者を出している。実質倍率は1.26と極端に小さく、 5人に 1人くらいしか不合格にならない。

 やむなき状況とはいえ、合格を濫発するあまり、門戸を広げすぎたきらいがある。その必然なる結果として、零中の実績偏差値は下がった。来年以降、さらなる易化スパイラルにはまりこむ懸念がある。

 零中とは逆に、学校側の戦術が大成功したのは、Ρ中である。Ρ中は合格最低点を例年、百点満点換算で60点前後に設定している(説明会でもその旨アナウンスされていたはず)。ところが、今年は急激に問題を難化させ、合格最低点は約52点まで急下降してしまった。これほど劇的な変化があるからには、なんらかの意図があるとみなさなければなるまい。筆者はΡ中の姿勢を支持しないと、予め明記しておく。

 案の定、と評するのは適切なのかどうか。Ρ中の実績偏差値は一挙に 6も急上昇した。これはかなり臭い。筆者の目には、学校側が意図的に偏差値急上昇を演出・コントロールした結果、としか映らない(ただし確証はない)。

 人気が高まった結果としての偏差値上昇ならば理解も納得もできるが、偏差値の人為的コントロールは邪道である。まず偏差値を上げてから、衆目を集め、より質の高い受験者を誘致するとは、順序が逆というものだ。かような操作は所詮、砂上の楼閣にすぎない。長男はこの操作に振り落とされたわけだが、そんなのは恥でもなんでもないと考える。

 前述したとおり、Ρ中のプレゼンテーション技術は巧妙で、魅力的かつ刺激的なものだ。ところが、(少なくとも受験における)実態は虚飾にすぎないと判明してしまい、深々と幻滅している。受験前の期待が大きかっただけに、反動はさらに大きい。筆者は今後二度と、Ρ中を「良い学校」とは評価しない。





■合格できた理由

 長男の戦果は五勝一敗。まずまずどころか、望外の成功だった。実をいうと、各校とも可能な場合には複数日程で出願し、初回でこけても雪辱を期せるような作戦を立てていた(ただし後の日程ほど難しくなるという問題はあった)。各校とも初回で合格を決めたので、後が楽になった。不合格だったΡ中にしても、既に九中に合格していた以上、二回目以降に挑む必要がなくなっていた。

 合格を獲得できたのは、なんといっても第一に長男本人の努力である。第二は家族(妻・娘・義父母・筆者)の協力である。第三は的確な受験戦術の確立である。安全策に徹しすぎたきらいは残るものの、合格を積み重ねて自信をつけたことが、本命校の合格に結びついたと考えている。

 ここまでは合理的に考察できる。しかしながら、なにが決め手となったかは、未だ核心を衝く答には至っていない。「ひょっとしてこれが効いたのか」と思える要素を、以下に列挙してみよう。


●本命校に懸ける思いが、親子ともに深かった。

●塾と頻繁に意志疎通した(筆者対J塾教室長の接点は20回以上にのぼる)。

●勉強を塾まかせ・本人まかせにせず、親子で取り組んだ。

●特に過去問題には適切に取り組んだ。

●一月受験以降、その時点での状況に応じ、柔軟に作戦を見直した。
 (詳述していないが、朝令暮改を厭わず、作戦変更を頻繁に行っている)




 ……自分ながら納得できないまとめではある。なによりも、高倍率の卅中に合格できた理由は、どうしても思い当たらない。

 敢えて文学的に表現するならば、受験勉強とは即ち、人事を尽くし天命を待つ営みではなかったか。長男本人も、筆者はじめ家族の皆も、それぞれ全力を尽くしたなかで、天命が下った結果が「合格」だったにすぎないのではないか。

 Web という匿名メディア空間ゆえに、筆者は踏みこんだことを書いているが、現実世界では合格した喜びを露出させにくい。合格した長男の背後には、涙を呑んだ7〜8人の子が控えているのだから……。彼らの悲しみあらばこそ合格の喜びあるならば、合格とはまさに天命ではあるまいか。





■最後は神仏頼み

 そう。準備期間が極端に短かったという反省はあっても、やるべきことはやり尽くした、という思いはある。「人事を尽くして天命を待つ」というからには、当然そうでなければなるまい。

勧学護符と合格ダルマ
全日程終了後に勧学護符及び合格ダルマと記念撮影
※個人情報保護のため長男本人は肩口のみの登場としております(^^)ゞ


 それゆえ神仏には合格を祈願した。北野天満宮からは勧学護符を頂戴した。湯島天満宮では昇殿参拝した。地元西新井大師門前では合格ダルマを求め、年内には中学受験の成功を、年明けには卅中と九中の合格を祈願した。無事合格してからは湯島天満宮に御礼参りしている。

 神仏への祈願は、単に加護を求めることではない。人間が生活を営むうえでの意志表示をする場である、と筆者は考えている。そこに驕りあるならば、ただの我欲奴と神は祟り仏は罰するはずだ。人事が尽くされているならば、所謂「天佑神助」の後押しも得られるかもしれない。

 さらにいえば、人事を尽くし切ったつもりでもなお不慮の出来事は起こりうる。「なにが起こるかわからない」という真理は、どんな対象にも適用されうる。人間の力だけではどうしようもない、という思いもあればこそ、神仏にすがらざるをえないのである。





【第七部】単純考察編

■こどもはよく勉強している

 中学受験(受検)の取り組みはわずか一年にも満たぬものではあったが、「今のこどもはよく勉強している」と痛感した。否、単に筆者が疎かっただけで、おそらくは昔から、中学受験しようという層は意識が高かったのではないか。

 前述したとおり、中学受験の入試難度は親世代の公立高校受験に匹敵する。それだけの質量ある知識は、その後の先取り学習においておおいに生きるはずである。率直にいって、筆者は小学生時代にはさほど勉強した記憶がない。現代に生きる子の方がよほど勉強している、と思える。

 その一方、「大学生の学力低下」が指摘されるようになって久しい、という状況もある。これは不可思議である。こども時代によく勉強しておきながら、大きくなったら低学力、という状況は不合理かつ不整合である。そこで、筆者なりに考えてみた。

仮説
大学生の学力低下に関する仮説


 この仮説のいずれか、あるいは複合して、「大学生(≒社会人)の学力低下」の原因となっているのではなかろうか。せっかくこども時代によく勉強しているのに、惜しまれてならない。



 …………………

 説明不要の仮説が多いなか、補足が必要なものがいくつかある。仮説Ⅴには後で触れるとして、仮説Ⅱ「共通一次悪玉説」は理解しにくいと思われるので、以下に概説する。

 共通一次試験は昭和54(1979)年から導入された、国公立大学の一次試験を共通問題とした入試制度である(現在ではさらに制度変更され「センター試験」と呼ばれている)。最大の特徴は、全科目でマークシート解答が採用された点にある。即ち、計算結果の数字を入力する数学を除き、全科目で選択肢問題が採用されたのである。そのため、導入当初から、大学生の学力低下を憂慮する声は多かった。

 導入当初中学生だった筆者はかような指摘に対し、「選択肢問題だろうが書き出し問題だろうが正解を導く学力は同じだろうが篦棒めぃ!」と反発心を持ったものだ。しかし、長男の中学受験を経た今日においては、全面的に選択肢問題を採用する弊害の方がむしろよく理解できてしまう。理由は、実は既に記してある(【第三部】啓発編
模試と偏差値 参照)。

 選択肢の中から正解を選ぶ能力と、正しい言葉(用語)を白紙に書き出す能力との間には、格段の開きがあると指摘せざるをえない。実際のところ、偏差値40代の学校では選択肢問題が重きをなしている一方、偏差値50代の学校では書き出し問題が中心と、それぞれ入試問題を構成する傾向が明確に異なる。

 長男の勉強ぶりを見ていても、選択肢問題で正解できても、同じ内容を問う出題なのに、書き出し問題では間違う事例が少なくなかった。書き出し問題を繰り返しこなすことで、ようやく正しい知識が定着した経緯を目の当たりにすると、選択肢問題だけでは学力向上につながらないと切実に痛感する。

 筆者はこの仮説Ⅱが、仮説Ⅴと複合しながら、「大学生の学力低下」につながっていると見ている。自分自身を顧みても、選択肢から正解を選び出す問題ばかりに慣れていては学力向上しない、と確信できる。共通一次試験導入が学力低下につながると憂慮する声は正しかった。これについては、時既に遅しか。





■偏差値もろもろ

 偏差値という数字は所詮、統計上の一指標にすぎない。よって、偏差値は学校の難易度を示すものではあっても、それ以上の意味はない、学校を序列化する指標にはなりようがない、と筆者は思っていた。高偏差値の学校が「良い学校」とは限らない、学校の良さは偏差値では測れない、という思いは今でもある。しかし、実態は少々違った。

 前述したとおり、中学受験において、偏差値にはカテゴリーが存在する。偏差値40代・50代・60代の学習進度(深度)はかなり異なっている。偏差値50代から60代に引き上げるのは、相当に難しいといわざるをえない。一般的な難度の書き出し問題を「素早く」完答できる力があるのが、偏差値60代の子である。それゆえ、難問をも正答することができるのだ。難問対策は、実は難問を解く能力ではなく、一般的な問題を解く速度に依存する。

 解答の速さは、訓練で補うことも可能とはいえ、小学生時点ではほとんど天賦の素質であろう。あるいは、「素早さ」を無意識下で要求するような家庭環境でなければ、容易に育みうる能力ではない。率直にいって、偏差値50代と60代との間には海峡の如き隔たりがある。この点に気づいた瞬間、筆者は長男の偏差値を上げるために狂奔することをやめた。「素早さ」を身につけるため、受験までの準備期間はあまりにも短かすぎるではないか。偏差値カテゴリーを上げるのではなく、同じカテゴリーでより高い数字を目指す(=より正確に解答できる)方向を、筆者は採った。

偏差値カテゴリーのイメージ
偏差値カテゴリーのイメージ図(再掲)


 以上の如き「偏差値の本質」を知ると、学校の偏差値には別の観点があることも見えてくる。それは即ち、

「学校の偏差値とは、どの学力の生徒(及び保護者)層が、その学校を信憑しているかを示す指標である」(★)

 ということである。「学校の序列化」という観点は、偏差値カテゴリーに応じて志望校分布が偏る、という現象を通じて具現化している。これは良し悪しではない。高偏差値の学校は概して、生徒の自主性を重んじる。カリキュラムもかなり厳しい。なにごとも要領よく「素早く」こなせる生徒でなければ通用しない。学校の色あい(いわゆる校風)は、偏差値カテゴリーと強い相関性を持っている。

 いうまでもなく、上記の意味において、偏差値をブランドととらえるのは危険である。ところが、我が家においても、妻などは偏差値ブランドの発想から脱却していない(長男が卅中に入学した今でさえΧ中フリーク。筋金入りどころかプレストレスまで入っているのではないかと疑われる)。成績には淡泊に見えた長男ですら、偏差値に対する自意識はあった。見栄坊なものである。


★余談になるが、塾選びにも同じようなことがいえる。中学受験するにあたり、どの塾を選ぶかが重要になることは間違いない。近年ではX塾の実績躍進が目覚ましく、最難関校合格者の相当部分がX塾生となっている。これはX塾のカリキュラムが優れていることを示唆すると同時に、「より高学力の生徒層がX塾を信憑している」状況を反映しているにすぎない可能性がある。



★余談ついでにもう一点。第一部で紹介した都立白鴎は、中高一貫化第一期生から東大への現役合格生をいきなり 5名も輩出し、「白鴎ショック」と呼ばれるほどのインパクトをもたらした。この実績を以て、来年受検における都立白鴎の偏差値が上昇することはほぼ確実だろう。とはいえ、偏差値上昇は小幅にとどまるというのが筆者の読みである。どれほど甘めに見ても、Ρ中のように 6も急上昇することはないはずだ。
 何故そのように判断するのか。あくまでも筆者の直感にすぎないが、年度明けに白鴎の学校公開に参加して、「この校風では偏差値60代の子とその保護者には信憑されまい」と感じたからである。学校の魅力を偏差値だけで測るのはあまりにも危険というもの、実際に足を運んで確かめるべきである。少なくとも、「自分がその学校を信憑しうるか否か」くらいは、すぐわかるはずだ。



★余談ついでにさらにもう一点。八中は高偏差値の学校として知られ、男女とも御三家校と併願するようなカテゴリー上位生徒の受験が多い。ところが、辞退者の数が極めて多く、定員に比して相当多数の合格者を出しているにも関わらず、繰上合格者も多いと伝え聞く。その学校が信憑されているかどうかは、このような断面にも顕れている。





 …………………

 もう一点補足すると、中学受験においては偏差値を気にしていても、本来あまり意味がない。なぜならば、私立中学に進む生徒は全体の一割にも満たない(全国平均)からだ。学力上位一割のみが私立中学に進むわけではないにしても、上位に極端に偏した層が受験することは間違いない。

 中高一貫校の場合、中学の偏差値に10〜15を加えた値が高校の偏差値、とよくいわれる。この俗言は、実態を如実に示しているはずだ。中学受験はもともと極めて高いレベルでの争いなのだ。偏差値が上がった下がったで一喜一憂するのは、むしろ滑稽といわなければなるまい。しかし、それでも偏差値の上下に一喜一憂せずにいられないのが受験生であり、その保護者というものだ。愚かといえば愚かだが、それが人間の営みというものか。





■「勝者」は誰か

 熱が高まる一方の中学受験、「勝者」はいったい誰なのだろうか。

 中学受験したこどもたちは、間違いなく「勝者」である。誰もが全て第一志望校に入学できるわけではないにせよ、大部分の子は「滑り止め」を用意し、「私立中学に入学する」という選択じたいをやめるわけではない。筆者が思うに、一般公立中を回避して中高一貫校のカリキュラムに身を置くだけで、相対的には充分優位なのではないか。よしんば挫折が伴ったとしても、勉強に熱を入れた経験は後に必ず生きるはずだ。

 かようなこどもたちを受け入れる中高一貫校は、中学受験における最大の「勝者」ではないか。私立中学の定員はバブル期以降に急増している。多くの私立高校が中等部を新設してきた結果だが、その背景には、急速に少子化が進む社会情勢において、より高学力の生徒をより早い時期に確保し、大学進学実績を向上させ、経営を安定させたい、といった動機がひそんでいるはずだ。要するに、経営戦略の一環である。

 今のところ、上記戦略は成功しているように見える。近年新設されたばかりの学校でも、「東大進学○名!」「医学部進学□名!」など高々と掲げる事例が珍しくない。実績ができればあとは順調に推移していく。その学校を信憑する生徒層が増えてくる。好循環だ。(もっともこれは高校までの学歴は重きをなさない状況の裏返しでもある)

 これに対し地盤沈下しているのはおそらく、(普通科のみの)公立高校であろう。特に都立高校ではその傾向が顕著で、日比谷・西などの最上位校のみが進学実績において突出しているものの、中堅以下の学校では優位性どころか特徴も失っている。最上位校が極端に狭き門となり、中堅以下の学校の魅力が薄れたことは、筆者宅において中学受験を決意した一因ともなっている。

 塾が「勝者」といえるかどうかも微妙なところだ。中学受験に関していえば、中学受験熱の高まりにより、市場の裾野が広がったことは間違いない。そのかわり、高校受験熱は相対的に下がっている。最難関校を目指すのは加速度的に厳しくなる一方で、中堅以下の学校の難度は下がっているから、焦点を定めるのも難しいのではないか。大学進学予備校と経営統合したX塾を除き、市場の縮小に苦しんでいくものと推察される。

 最も微妙な位置にあるのは大学である。定員を大幅に増やし、一見成功したともいえるが、少子化が進むとわかりきっている社会情勢においては無茶である。また、「大学生の学力低下」現象に見られるように、社会的評価も落ちている。「大学とはなにか」という本義が置き去りにされた結果ではないか、とも疑われる。定員を満たすため、推薦入学やAO入試など学力試験によらない(=学生にとって楽な)入試制度を採った弊害も大きい、と筆者は見る。

 あるいは合成の誤謬であるのかもしれない。それぞれの学校の選択が正しくとも、全体としては誤った方向に行っている可能性がある。その点を割り引く必要はあるとしても、大学は経営の成功を目指すあまり、「大学生の学力低下」などで自らの評価を下げた現実がある。





【インターミッション】

■この一年を顧みて

 前回の更新から既に半年を経過してしまった。世の中は再び中学受験(しかも本試験)の季節である。まとまった文章を書き継ぐには、昨年はあまりにも忙しすぎて、つい時間を空費してしまった。それでも記憶はまだなまなましい。

 顧みると、中学受験(受検)に取り組み、かつこれを突破できたことは、正しい選択であり得難い経験であった、と実感する。詳細は最終章に譲るとして、長男坊の第一志望校への入学、夏休み後の伸び悩み、さらにその後の奮起と成長ぶりを目の当たりにすると、親にとっても「学び直し」の良い機会であったと思われてならない。

 筆者自身を例とすると、勉強・学習において、如何に自分が間違った道を践んでいたか。

「自分の勉強・学習方法は間違っていた」

 と、近頃つくづく切実に実感する。今更過去を取り戻しようがないとしても、特に高校時代はまったくもって間違っていた。具体的にいえば、地道な反復練習をあまりにも怠りすぎた。筆者において、高校時代の成績がふるわなかったのは、ごく単純に勉強の質・量が足りなかったからにすぎない。長男の中学受験(受検)とその後の学習を通じて初めて、その単純な「事実」に気づくというのは、情けないを通り越し、なにか絶望的な心地さえ感じてしまう。

 センスや呑みこみの良さがひょっとしたらあるかもしれないが、それはあくまで結果論にすぎない。地道な反復練習をサボってよい理由にはならない。筆者において、ピアノや剣道が上達しなかった理由まで見えてきてしまった。前述の繰り返しになるが、讀賣新聞書道展での各学年最優秀者が例外なく「百回以上書きました」とコメントしているとおりで、彼ら彼女らの姿勢を見習わなければなるまい。

 このように顧みてみると、「勉強」を教えるあるいは促す親は多くても、「正しい勉強方法」を教えられる親は実は少ないのではないか、とも思えてくる。その意味において、中学受験(受検)から得られた教訓は大きかった。かような「反省」のうえに、この駄文を書き連ねていたりする。

 また、下の娘の中学受験(受検)に備えてさまざまな文献を読んでいるなか、和田秀樹の著作を読んで愕然とした覚えがある。和田秀樹が灘に在籍していた当時でさえ、高校と中学のカリキュラムには巨大な懸絶があり、中学が軽すぎ、高校が重すぎた、というのだ。なにも知らずに高校に入れば、躓くのは当然の帰結にすぎなかった。それゆえ、灘では所謂「先取り教育」を行って中高のカリキュラムを平準化していた、とも和田秀樹は記している。その後、中学のカリキュラムは軽くなる一方で、中高間のカリキュラム・ギャップは更に開く一方だというから、怖ろしい。

 敵を知らず己を知らなければ、百戦百敗は自明であろう。敵(=中高間のカリキュラム・ギャップ)を知り己(=正しい勉強・学習方法の確立)を知ったからには、正しい道を践んでいくしかあるまい。

 もうすぐ入学試験が本格化していく。一人でも多く、正しい道を践んでいってほしい、と念願する次第である。





【第八部】批判的考察編

■塾の存在は必然だが

 先に紹介した和田秀樹は、その著作において「東大には学校の勉強と自学自習でも合格できるが中学受験を突破するには塾での勉強が必要不可欠」という旨のことを記している。前半についてはなんともいえないが、後半については筆者も同感である。

 第三部に記したとおり、中学受験の入試問題では「小学校検定教科書の範囲内から出題した」とのエクスキューズがいちおう成立するような出題がされている。だからといって、一般公立小学校の授業を受けただけで中学受験に合格するのは不可能に近い。なぜならば、一般公立小学校のカリキュラムがあまりにも緩すぎ、中学受験のレベルに達するどころか、筆者の小学生時代と比べてさえ大きく後退しているからである。

 同じく第三部に前述したように、中学受験では、筆者世代の公立高校受験と同等かそれ以上のものが問われている。これに対して、一般公立小学校のカリキュラムは絶対的にも相対的にも緩く、そのぬるま湯に安住したまま中学受験に臨んでも、失敗に終わらざるをえないはずだ。

 もう一点付け加えると、受験だけでなくさらにその後についても考えておいた方がよい。受験を必要とする中学では、進学先での学習進度がかなり速い。進学先のカリキュラムについていけないと、せっかく受験突破しても、詰まらない暗黒の学校生活になりかねない。進学先のカリキュラムにしっかりついていくためには、各教科とも体系的に教える塾での学習はほぼ必須といえよう。

 それでは、塾での学習に取り組めば万全か、といえば必ずしもそうではない。ここでの塾とは中学受験をターゲットとする大手塾と定義すると、まさに中学受験をターゲットとしているがために、それ以上の要素が付加されないのである。勿論、大部分の生徒は心得違いをすることなく成長していくとしても、塾での成績(特に模試順位)が良いことは、「頭の良さ」とは必ずしもイコールではない点に留意しなければならない。

 塾での学習を極端に単純化すると、所詮は中学受験に向けた「傾向と対策」にすぎない。また、解いているのは「必ず正解が存在する問題」にすぎない。「正解がまだ見つかっていない問題」を解けと求めるのは小学生にとって酷にすぎるとしても、「正解への道筋が確立していない問題」ならば日常生活にもゴロゴロ存在しているではないか。

 筆者の考える「頭の良さ」とは、「正解が存在する問題」を早く正しく解けると同時に、「正解への道筋が確立していない問題」に正しい道筋をつけられること、である。塾での勉強は、前者には充分に対応できても、後者にはほぼ対応していない(せいぜい過去問題に先例のない出題への対応方針を示す程度である)。

 塾での学習とはそんなもの、と筆者は割り切ってはいる。ここで、「自分は塾で成績が良かったから頭も良い」と自負している生徒がいるならば、滑稽でもあるし笑止でもある。おそらく最上位層では筆者定義の「頭が良い」生徒が圧倒的多数と思われるが、中上位層にはこの勘違いに取り憑かれている生徒も少なくないのではないか。所謂偏差値ブランドに毒されると、滑稽笑止な勘違いをしてしまうこともありうる。

 「必ず正解が存在する問題」を正しく解ける人物とは「能吏」である。能吏は現代社会に必要不可欠な人材であることは疑う余地がない。その一方、能吏を評する(揶揄する)言葉の一つに「四角四面」という言葉があることを忘れるべきではなかろう。

 以上まで記したとおり、中学受験するにあたり、塾での学習はほぼ必須条件といえる。第二部で述べたように、いくら地頭が良かろうとも、試験に備えるトレーニングをしないと入試突破は不可能で、その観点から塾での学習もまた必要不可欠なのだ。しかし、塾での学習はあくまでも中学受験をターゲットにしたものであって、「頭を良くする」ための必要十分条件とはいえない。塾での学習を通じて「頭が良くなった」生徒は、自らの素養と資質を以て、自らを鍛えたはずである。





■入試問題に見る建前と本音

 塾の存在は、功罪両面を備えつつも、中学受験というシステムにおいては必須のものといえる。ところが、肝心の中学受験そのものにも「建前と本音」の乖離が認められるから、始末が悪い。その端的な断面を以下に示そう。


●自立し且つ自律できる生徒

●国数理社まんべんなくまたがる幅広い知識がある生徒
 (重箱の隅をつつくような偏狭な知識は求めない)

●知識の暗記だけにとどまらず思考力がある生徒




 それぞれの学校の説明会で語られる「我が校が求める生徒像」とは、およそ以上のような生徒であろう。いずれももっともな求めであるし、筆者も我が子にはそうあってほしい。

 ここで、中学受験というシステムは、上記三要件を計るモノサシたりうるのか。一点目は、どう考えてもペーパーテストでは計りようがない。二点目は、ペーパーテストによる計測が最も得意とするところであり、生徒が一生懸命に取り組まなければならない点でもある。

 問題は三点目である。算数で途中経過の記述を求め、回答が間違っていても、考え方が合っていれば部分点をつける、という学校は存在する。また、国語はもとより全科目とも記述による回答を求め、まさしく思考力を確かめる出題をする学校もきわめて少数ながら存在している。

 その一方、選択肢問題を中心に出題する学校も少なくないし、書き出し問題であっても、前述した「必ず正解が存在する問題」=「唯一の解のみを導き出す問題」を問う学校が大部分である。「正解への道筋が確立していない問題」は、適性検査によっている公立中高一貫校を除き、滅多に出題されない。

 そう。圧倒的大多数の学校において、合否判定が試験日当日に行われるのである。入学試験が終わる時間は正午過ぎだというのに、合格結果が当日夜までにわかる学校が大部分とはこれ如何に、と指摘せざるをえない。即ち、正解が一義に定まる出題によらなければ、これほど短時間に合否判定できるわけがない。思考力を問うような出題を採点するには、どうしても時間がかかるのだから。

 つまり、学校側の「思考力ある生徒を求める」という説明は、本音であると同時に建前にすぎない面がある。書き出し式のペーパーテストで、一定偏差値以上の生徒を確保すれば、思考力ある生徒も一定程度含まれているに違いない、と割り切っているのではないか。少なくとも、割り切らなければ即日合否判定など困難である。

 学校選択にあたっては、学校側の建前と本音をよくよく見極めた方がよい。それが充分できる保護者であれば、学校選択を誤ることはないはずだ。





■学校との「契約」関係

 筆者には「恩師」と呼べる先生が(複数)いる。それは学校における実際の師弟関係に基づくもので、第三者から見ても師弟関係であることがわかるし、それゆえ筆者が先生を「恩師」と呼ぶことはなんら不思議に思われない。

 ここで、筆者が内田樹先生を「恩師」と呼ぶならば、それは不思議に思われるだろう。なにしろ筆者は内田先生著作の一読者にすぎず、現実世界での接点はまったくなく、筆者が勝手に私淑しているにすぎないからだ。しかし、筆者は敢えて、内田先生を「恩師」と呼びたい。内田先生著作には、それほど教えられたという思いがある。特に「日本辺境論」のインパクトは大きく、筆者において新たな思索が惹起されつつある。

 内田先生はその著作にいう。


「子どもたちは就学以前に消費主体としてすでに自己を確立している」

「四歳の子どもを交渉相手として対等に遇してくれる大人はまずいません。けれども、お金を使う人間として立ち現れる場合には、その人や年齢や識見や社会的能力などの属人的要素は基本的に誰もカウントしない」

「教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているかを、教育がある程度進行するまで、場合によっては教育課程が終了するまで、言うことができない」

「しかし、消費主体として学校に登場する子どもたちは、そもそもそのような逆説が学校を成り立たせていることを知りません」

「子どもたちは消費者マインドで学校教育に対峙している」

「彼ら(引用者注:子どもたち)はただ『自分の不快に対して等価である教育サービス』だけを求めているだけなんです。問題は等価交換が適正に行われることであって、彼らにとってはそれが何よりも重要なんです」

「等価交換の原則を学校教育に当てはめることを許したら、もう教育は立ちゆきません。現に立ちゆかなくなりました。もし生徒達が消費主体であると認めてしまったら、教育の場で差し出されるものに何の意味があるのか、どれほどの価値があるのかを決める権利は子どもたちに委ねられることになります」

「学びとは、学ぶ前には知られていなかった度量衡によって、学びの意味や意義が事後的に考量される、そのようなダイナミックなプロセスのことです」

「しかし、このような学びのプロセスは、『教育サービス』を購入するために『教育投資』を行う消費主体として自らを確立した子どもには理解不能です」

「近年の際だった傾向は、ビジネスの用語で教育が語られることです。……大学というのは教育サービスの『売り手』であり、受験生とその保護者たちは代価を払って教育サービスを購入する『買い手』である、と。……でも、これはすでにこの段階で『教育の自殺』だと私は思います」



  「下流志向━━学ばない子どもたち働かない若者達」(内田樹)より




 以上の記述から明確に理解できるとおり、内田先生は教育をビジネスとしてとらえる、即ちサービス産業という枠組で実践することに、極めて厳しい筆致で警鐘を鳴らしている。「下流志向」が世に出たのは平成19(2007)年、今から 5年前で長男はまだ 3年生だった。同書を最初読んだ時の衝撃は実に大きく、蒙が啓かれた思いは今日でも鮮烈だ。

 さりながら、長男の中学受験を経た今では、内田先生に対して若干の異議が生じている。教育の本質が内田先生のいうとおりであると同意してもなお、現下の一般公立小学校にはサービス産業としてのビジネス・スキームを導入すべきではないか、という発想が筆者にはある。そのように発想する理由は、既に第一部に記してきた。

 「筆者は長男が通う小学校の運営に少なからぬ不信感を持っていた。長男が相対的劣位に評価されている、そのかわり他の特定の子が依怙贔屓されている、という思いを拭え」ず、不満足感のみ昂進するような状況だった。

 これに対して、塾に対する満足度はかなり高かった。理由は単純。たった半年〜一年の在籍とはいえ、塾側は我々親子を(サービス産業における)客として遇し、決して粗略に扱わなかったからである。塾と我々が「契約」関係にあったがゆえに、「教育サービス」買い手としての我々の満足度が高まるとは、内田先生の論には見られない現象ではないか。

 小学校への不満を表現を変え改めて記そう。要するに「疎略に扱われた」感が強いのだ。長男よりも優れたものを持っている子が同級生に何人かいたことは認めるとしても、長男の評価が不当に低いと思える断面が、遺憾ながら何度もあった。親としては、せめて正当な評価を与えてほしいという切望がある(正当な評価が与えられる場を求めたがゆえに中学受験を志向したともいえる)。

 しかも、一般公立小学校というシステムにおいて、かような待遇に不服申し立てできる機会など、事実上存在しない。形式的に不平不満を述べる機会が存在していても、実際に不平不満をぶつけてしまえば、学校側の感情がこじれ、長男の評価がさらに下がる悪循環が待っている。

 極論すると、一般公立小学校では子を人質に取られているに等しい。「教育の義務」とは親にとってのもので、親は子を否応なく小学校に行かせなければならない。小学校が子に下す評価が恣意的なものであっても、逃れようがないではないか。そして現に、恣意的な待遇と評価が存在している。長男については前述したとおり、実は筆者自身も小中学校時代には恣意的な待遇と評価が与えられてきた経験がある。
 ※筆者に与えられたのは良い待遇と評価だったが、恣意的であることには変わりない。

 だから、内田先生には敢えて異議をぶつけたい。一般公立小中学校にも「契約」の概念を導入し、生徒とその保護者を客として遇するべきである、と。内田先生が(そして筆者も)理想とする学びのプロセスが、現下の日本社会ではもはや一般的でない以上、一般的な概念でシステムを再構築した方が良いのではないか。

 内田先生の論の瑕は、先生という存在を理想化したうえで、全ての先生を「教育崩壊」の被害者という立場に置いている点にある。先生という職に就く人口は多い。例示された「二十四の瞳」大石先生の如く凡庸な先生は許容できても、小皇帝の如く全権を恣に執る「ダークサイド」の先生は断じて許容しがたい。彼ら「ダークサイド」先生は、まぎれもなく「教育崩壊」の原因者である。

 少なくとも、学校側が優越的な地位・立場に安住し、生徒とその保護者への待遇を恣意的に設定できる今日の状況は、強い不公平感・不満足感を惹起しうる。この現状はなんとしても改めてほしい。これは「教育論」というよりもむしろ、「教育システム論」「教育制度論」であるかもしれないが。





■学力低下論再び

 内田先生や和田秀樹などいくつかの文献を読む限り、年を追う毎に大学生の学力が低下しているのは確実なようだ。中学受験熱が近年高まっているなか、中高一貫校卒業の生徒が学力のコアとなっているに相違なく、中高一貫校のカリキュラムをもってすれば親世代よりも高い学力を身につけられるはずなのに、何故なのか。

 第七部では要領を得ない考察を記してしまったが、時間を置きインターミッション以降を書いてみて、ようやく見えてきた心地がする。考えられる理由は、以下の三点。


●親世代の教育能力の低さ

●「傾向と対策」学習の限界
=「必ず正解が存在している問題」中心に学習する弊害

●努力の否定




 一点目が実はかなり深刻なのではないか、と筆者は考えている。

 団塊世代が大学に通い始める頃がちょうど「大学紛争」時代で、その直後から「大学のレジャーランド化」が指摘されるようになっている。大学が増え、進学率が伸び、大学生の絶対数が急激に増加するなかで、入学してもほとんど講義に出席せず、サークル活動やアルバイトに明け暮れる学生が増加したのもこの時期ではなかったか。

 しかも、かような学生を肯定的にとらえる見方はむしろ多数派であって、例えば「若者の自由の特権」などと讃美・賞揚の表現も多用されたりする。これとは逆に、大学の講義に対しては、「十年一日の如し」「カビが生えたような古くさい」などと否定的な見方がされることも少なくない。

 筆者が考えるに、ここに巨大な蹉跌が存在してはいまいか。否、もっと露骨に指摘しなければ充分に認識されるまい。講義をサボる理由を美化し、講義についていけない自らの低学力を粉飾する、狡猾な自己正当化の論理がもぐりこんでいたとはいえまいか。少なくとも、大学の講義を面白いと思えるだけの学力や知性があれば、講義には熱心に取り組むはずではないか。

 大学での講義以前に、そもそも高校でのカリキュラムを体得できていたか、怪しいものだ。文系ならば数学や物理、理系ならば世界史や日本史を不得意とした学生は少なくあるまい。「『微分』は『かすかにわかる』、『積分』は『わかったつもり』の略である」という戯言もあるぐらいだから、理系の学生でも数学を理解し切れていない事態がありうる。

 まさに「わかったつもり」になって大学を卒業し、自分は高学歴であると自負してみても、その自負に見合うだけの学力が伴っていない場合が、実は多いのではないか。

 かような半可通の親が子の学習指導を適切に行えるか。無理である。「わかったつもり」になっているから、どこで躓きやすいかを体系化できず、正しい指導手法を持てないまま、「頑張れ頑張れ」と連呼するにとどまりがちなのではないか。「勉強」を教えるあるいは促す親は多くても、「正しい勉強方法」を教えられる親は実は少ないのではないか、と前述した真意は、まさにこの点に尽きる。

 子の学習指導をするにあたっては、自らの学習履歴における親の謙虚な反省が必要、というのが今の筆者の感覚である。自分自身の学習履歴と学力を的確に見つめられる冷徹さや客観性がある親ならば、子の学習指導を誤ることはないだろう。

 幸か不幸か、明治維新・敗戦・高度経済成長・PC普及などの「革命的な社会変化」は、日本においてバブル期以降は起きていない。勿論、変化は常に起きているのだが、漸進的なもので、年長者でも対応できる程度の速さでしかない。バブル期以降の四半世紀ほど、日本は「親の経験をそのまま子に活かせる」近代史上稀有なる断面に入っている。社会的状況に理非善悪はないのだから、親としてはこの状況を活かすべきで、それゆえ親の反省を率直に子に伝えるべきだと考えるのである。



 二点目については既に述べている。

 塾はいうまでもなく、中高一貫校においても、学習の「目標」であるはずの大学進学が「目的」にすりかわりかねない危うさが秘められている。大学進学を「目的」とする学習は「傾向と対策」にならざるをえず、必然的に、和田秀樹がその著作で指摘する「合格点さえ取れれば良し」とする価値基準に収斂していく。この価値基準そのものが悪いのではない。受験勉強の本質は、如何に合格点を取るか、に尽きるからだ。皆が皆、この価値観を採ってしまうと、向上心が合格点+αにとどまってしまうという観点において、合成の誤謬が生じる点が問題なのだ。

 また、「傾向と対策」を基軸とする学習は、「必ず正解が存在する問題」に効力を発揮しても、「正解への道筋が確立していない問題」には適さない。理系大学における研究とは、まさに「正解への道筋が確立していない問題」であるから、「傾向と対策」一本槍で臨んでも対処できるわけがない。

 この齟齬は、大学卒業後の社会生活でも頻繁に顕現していると思われ、学力低下を強く印象づけている一因になっているのではなかろうか。



 三点目は、一点目以上に深刻かつ重篤な可能性がある。

 和田秀樹の面白いところは、受験勉強を全面的に肯定し、受験勉強に努力する姿勢こそが個人ばかりでなく日本社会全体を幸せに導くという、強固な信念を示している点にある。和田秀樹は、個人が努力しその成果を得ていくプロセスそのものを肯定しているといえ、あたかも「坂の上の雲」を目指していた明治人の如き気概をあらわしている。

 筆者は和田秀樹の信念に賛同する。しかし、和田秀樹の信念が広い支持を得ているかといえば、はなはだ心許ないと認めざるをえない。

 「努力すれば(必ず)報われる」と信じるのは無邪気な楽観のようなもので、どちらかといえば世間知らずと評さなければなるまい。現実では「努力しても報われない」場面が圧倒的に多いはずだ。例えばスポーツのトーナメント戦で優勝できるのはわずか一チーム、残り全チームが必ず一度は負けるのだ。

 どれほど努力しても、得られる成果には必ず限界がある。否、「成果」とすると誤解を招くか。「成果」であれば永遠に限界なく獲得できる可能性がある。より正確にいえば、努力によって得られる「報酬」には必ず限界があるのだ。良くも悪くも、親世代はこれを切実に体感してしまっている(勿論筆者においても)。

 ここでの「報酬」とは、貨幣での収入や人事での待遇などを指す。特に後者が典型的で、昇格するに従ってポストはどんどん減っていく。いくら努力しようとも、同期入社全員が同時に社長を務めることなど不可能だ。社長はたった一人、残りは全てはじかれる。いうまでもなく、社長とはわかりやすい例示にすぎない。役員・部長・課長・係長・主任など全ての断面においてあてはまる。昇格できる者はあくまで一部にとどまり、はじかれる者の方が多いのだ。この最も極端な断面が親世代における退職勧奨であり、子世代就職活動における「不採用」通知である。

 退職勧奨や就職活動ならば、まだ個人としての努力の範囲内かもしれない。為替変動、景気の波、(自社だけでなく相手先の)倒産、事故、天災、等々、個人の努力が及ばない障害は山ほどある。繰り返しになるが、努力によって得られる「報酬」に必ず限界が伴うのは自明の理なのだ。親世代は、より長生きしているぶん、この厳しい現実を(理路整然と説明できずとも)生身で体験してしまっている。だから「努力してもむなしい」という虚無感にとらわれてもしかたない面が確かにある。

 この感覚を巧妙にまとめたのが
「『競争を拒む』若者の心理と意外な孤独感」(河合薫) で、同記事に引用された「世界価値観調査」(電通総研)の結果はさらに興味深い。端的にいえば、大部分の日本人が競争そのものを肯定しつつも、競争の結果として収入に格差が生じることについて、平成17(2005)年を境に受容できなくなった、というのである。これは実に面白い現象で、筆者においては底流がつながって見えた心地がする。

 即ち、子世代の学力低下とは、子世代が全体として努力(=勉強・学習)しなくなった結果である。それは、競争(=努力)の結果として顕現する収入(or人事・待遇)格差を受容できず、競争そのものを倦怠・忌避するようになった親世代の心理の反映である、と。

 さらに、日本社会には敗戦以後一貫して反体制・反権威を標榜する、左派的思想が根を張っている。反体制・反権威というマインドには、体制・権威から学習するという謙虚さが欠落している。「自分が理解できないのは先生の説明が悪いからだ」と開き直りかねない傲岸不遜さを正当化するロジックが、左派的思想にひそんではいまいか。少なくとも、かような思想が受容されていなければ、世に大量に流布している反体制・反権威的気質の人物を主人公とする物語は受容されまい(特に少年マンガの主人公は判で捺したかの如く体制・権威に反抗的でまさにマンガだ)。

 左派的思想は、体制・権威に沿う形での努力を否定する。否、思想そのものに罪はない。より正確にいえば、努力しないことを正当化する理論として濫用されているにすぎない。人間には、自ら怠惰に振る舞うため、ありとあらゆる理論を援用する一面がある。

 以上まで記してきたとおり、近年の日本社会においては、「『努力を否定する』努力」が営々と続けられてきたのではないか。それが子世代の学力低下につながっているのではないか。筆者はそのように疑っている。

 もっと単純に、自尊感情を保つため「相手の努力を否定する」小心に基づく場合もあるだろう。ともあれ、日本人が努力に倦み始めた兆候を、筆者は見逃せない。





■各学校の教え

 第一部に記したとおり、筆者は13校(娘の受験に備えさらに今年度 9校追加)もの学校説明会に参加して、それぞれの学校に赴いている。学校の現地まで行かない合同説明会を含めれば、両年度で30校以上の説明を聞いたことになる。

 実際に通える学校は、長男と娘が別の学校に通ったとして、最大でも 2校にすぎない。なんとむなしい努力をしているのか、と自分でも思わないでもない。しかしながら、説明会は面白いと思えるし、教えられることも多いと感じている。だから来年度も新規に数校追加しようと考えているほどだ。

 実際に子が通うことがなくとも、学校説明会で受ける教示は示唆に富んでいる。以下、主なものを紹介しよう。まずは私学本命とした九中の説明から。


 我が校では、皆様から御子様を預かった暁には、

  ●勉強
  ●クラブ活動
  ●学校行事

 これを三本柱として、御子様を立派に育て上げます。




 この端的明快な説明には、痺れが伴う感動を覚えた。やや補足すれば、勉強【学業本分の鍛錬】、クラブ活動【学業以外の鍛錬】、学校行事【マネジメント能力の鍛錬】の三本柱、ということになるだろう。

 教育方針の根幹は、九中以外の学校も実は同工異曲であるとのちに気づくことになるが、九中は求める生徒像が明確(※)で、他の面でも学校側が示す生徒への愛情が抜きん出ており、「長男を通わせたい」と確信できる学校となった。この教育方針は、結果的に九中には進学しなかったとはいえ、強く支持しうるもので、長男の中学生活において家庭での教育方針にそのまま活用している。
 ※過年度の国語の問題文では、あるノーベル賞受賞者の著作が引用され「科学的姿勢」とそれに必要な知識が示されていた。九中が如何なる思いで生徒を求めているかひしひしと伝わるものがあり、なんと生徒への愛情深き学校かと、筆者は不覚にも涙ぐみ嗚咽してしまったほどだ。

 

 次は千中での説明を紹介しよう。


 中高のカリキュラムを完全に分離してしまうと、弊害が生じます。例えば、化学の高校課程での内容を、高三になってから初めて学習するとどうなるか。すんなり理解できれば問題ないですが、ここで躓いてしまうと、躓いたままの状態で時間切れ卒業、ということになってしまうでしょう。

 だから我が校では、高校課程の内容であっても、敢えて中学時点から触れさせるようにしています。勿論、最初はすぐ理解できず、躓く生徒も多い。しかし、中学から学習していると、繰り返し何度でも、しかも躓き方に応じて、学習する機会を提供できます。その過程のなかで、生徒たちは最終的にはしっかり理解して卒業していきます。

 それが「先取り教育」の意味なのです。




 この説明を聞いたときは、まさに「目から鱗」であった。のちに和田秀樹の著作を読み、更に「先取り教育」の意義に気づいた次第。より早い時点から勉強を始めれば理解が早い、という単純な話ではないのだ。中高間のカリキュラム・ギャップを平準化し、「繰り返し学習」するからこそ意義がある。まさしく、学問に近道なし、である。



 次は、ここ一年間に娘のために受けた、某女子中での学校説明会から。


 中一時点でまず生徒に求めるのは、「学習習慣」の確立、この一点に尽きます。

 強制的に無理矢理勉強させたところで、長期的には必ず挫折してしまいます。自分から勉強する動機づけがないと、長続きしません。その観点からも「学習習慣」の確立は重要です。

 家庭での学習時間は、実態としては平均 2時間弱というところですが、こちらとしては最低でも 2時間の家庭学習確保を求めたいです。




 これは、なかなか勉強に熱が入らない娘、中学で伸び悩み始めた長男、それぞれの処方箋を求めるなかで出会った言葉である。

 率直にいって、この学校ではまだ穏当な表現がされていた。女子校でも御三家になると、家庭学習4〜5時間以上という層が少なからず存在する、という調査結果がある。休日には 6時間以上学習する「猛者」が数%いるという調査結果もあり、圧倒される思いがした。彼女らは、単に頭が良いから成績が良いのではなく、努力して勉強しているからこそ成績が良い、という断面が示されているではないか。

 なんであれ、良い成績を取るためには努力が不可欠なのだ。これまた、学問に近道なし、である。



 女子中からもう一校、先とは別の某女子中の説明から。


 我が校では、受験における偏差値をより高くしようなどとは考えておりません。確かに我が校の偏差値は高くない(注:40代)ですが、入学試験では一定の基礎学力があるか否かを判定しております。また教育方針はしっかり確立しており、我が校を第一志望とする生徒さんも多く、学校としても自信を持っているところです。もし娘さんを 6年間お預けいただけるならば、立派に育て上げて世にお出しいたします。



 この説明は、中学受験の本質をえぐり出すものといえる。首都圏で中学受験を志望するような生徒は、それぞれ出身の一般公立小学校では成績上位層に属しているはずなのだ。中学受験とは、かような成績上位層の生徒間での競争なのであって、偏差値の高低を気にしていても詮ない面がある。

 ましてや弱冠小学 6年生の生徒なのである。心身も人格も勿論学力も未完成時点の年齢ではないか。早熟な子もいれば、晩成する子もいるのが道理。よって、中学受験における偏差値(相対的)低位校は、生徒の伸びしろに期待している、というのが筆者の見立てである。

 その一方、偏差値の高低は相当程度、生徒の資質と相関している、という断面があったことも併記しなければなるまい。特に理系的センスやマネジメント能力において顕著な差があるようにも見受けられる。いうまでもなく、偏差値とは単なる統計的指標にすぎない。指標そのものは中立で、これを否定することはできない。否定すべきは、偏差値なる指標に対する「偏差」なのである。たかが偏差値、されど偏差値。どうとらえるかは、その人次第である。



 御三家といえば、男女とも御三家校の中には、学校説明会で教育方針についてほとんど触れない学校があるのには驚いた。「我が校を受験しようというからには教育方針などについて予習してくるのが当然」と言わんばかりの高飛車な態度を示す先生もおり、親の身としては強い抵抗感が伴う学校もあった。

 学校と生徒、という関係においては、それでも良いかもしれない。しかし、学校といえども、現代社会においては一法人である。教育方針がすぐれ、生徒はまぎれもなく優秀、偏差値レベルが最高ランクで、世の中から圧倒的支持を受けている学校であっても、経営方針という観点からは時代に遅れているな、と感じる断面もあった。


 我が校では、自立し且つ自律できる生徒を求めています。

 お子さんが自立・自律できないタイプ、というならば、我が校には不向きです。外形的(強制的)にカリキュラムを与える学校の方がむしろ向いているのではないでしょうか。




 このように言い切っていた六中教頭(当時/現在は校長)の明快さは、求める生徒像の明確さ、教育方針の明確化に通じている。御三家校といえども、この程度の説明責任(というよりむしろ情報開示)は必要不可欠なのではなかろうか。



 最後に、学校説明会ではなく、筆者が仕事のうえで知り合った、ある御方の言葉を紹介しよう。この御方は五中創始者の曾孫にあたる人物である。


 五中は近頃、入学時の偏差値を上げる、大学への進学実績を伸ばす、というような方針を採っているようだけど、私にとっては、如何なものか、と思われますね。そんな「普通」の学校になったところで、特色がなくなるだけでしょう。

 私にとっての五中とは、全国大会に出場できるような強い部活動があって、普通科以外のコースがあって、ものすごく個性ある生徒が集まって、という場所なんだけどなあ。

 まあ、私の考え方は父(五中の現理事長)とまったく合わなくて、父とは現在冷戦状態なんですけどね(苦笑)。




 この御方の考え方は、筆者においては理解できるものの、だからといって支持できるかどうかはまったくの別問題である。少なくとも、この御方が理想とする古き良き五中には、筆者は自分の子を入学させたいとは思わない。なぜならば、筆者が教育に求めるものと、この御方が教育に求めているものとの間には、相当な乖離があるからである。

 この御方がいう教育の主眼はおそらく「パトロネージ」にある。異形・異才をも含めた才能ある人物群を客として養い、その活躍ぶりを愛でたいのではないか。

 筆者がこの御方の考えを敢えて紹介するのは、教育といえども多種多様な考え方がありうる、という観点を示したいからである。中学受験(受検)を志した瞬間、親子ともども学校を選択できる自由を獲得できる。偏差値という単純すぎる(統計の一指標にすぎない)モノサシになどとらわれず、それぞれの学校が追求する教育方針をよく吟味したうえで、かつその学校がどのような校風であるか(どのような生徒が通っているか)をよく知ったうえで、学校を選択してほしいものだ。





【第九部】総括編

■事前想定と現実との照合

 ながながと、じつに長々と続けてきた本稿であるが、そろそろ一区切りしなければなるまい。中学受験(受検)から一年が経ち、時期的にもこれ以上延引しては、鮮度が落ちてしまうところだ。なにしろ、【十周年特別企画】と銘打っておきながら、書き始めたのが十周年目のほぼ最終盤、書き上げようとしている現在は満12年に近づきつつあるのだから(苦笑)。

 さて、本稿を総括するにあたっては、第一部において提示した事前想定について、検証する必要があると考える。筆者の想定は、実際と合致したのか、そうではなかったのか。結果的にうまくいったとしても、読み違いと錯誤の連続であるならば、あまり大きいことはいえない。結果論だけで胸を張ったところで意味はない。事前想定と現実の照合は如何であったか。


 事前想定


 現実


●有為な層が受験で抜けるため、同級生から受ける刺激が少なくなる。


 長男の通っていた一般公立小学校の同級生は約 100名。そのうち中学受験(受検)したのは長男含め 8名。結果は、私立中学への進学が 2名(いずれも女子)、都立中高一貫校への進学が 2名(いずれも男子で片方は長男)。残り 4名(全員都立中高一貫校単願)は残念ながら不合格に終わり、地区の一般公立中学校に進学した。

 なお、不合格組のうち 1名は鳥中繰上合格候補者のかなり上位にいたのだが、鳥中では合格辞退者が少なかったため、繰り上がらなかった子である。

 彼ら彼女らが通うことになった一般公立中学校では、同級生が約70名に減少している。中学受験(受検)で抜けた人数は僅か 4名に過ぎなかったが、クラブ活動が不活発などの理由から、足立区内の有力他校に流出した人数が相当数存在した結果である。

 同級生約70名とは、筆者出身の田舎中学よりも少ない。有為な生徒といえば、前述した不合格組ほかほんの数名にとどまる。長男が現在通う卅中同級生の多士済々ぶりと比べると、残念ながら懸河の隔たりがあるといわなければならない。


●所謂「ゆとり教育」のためカリキュラムが薄っぺらで、知的刺激も乏しくなる。


 公開授業を見比べた結果としていえば、もはや比較にもならないのが実態だ。

 私立中学・都立中高一貫校では、授業の内容がそもそも高度、教え方が巧く生徒が理解しやすい、小テストを連続して行い(競争心を煽る以上に)生徒に自らの成長を実感させつつ学習を進める、など学校毎に際立った特色が見られる。

 一般公立中学校ではかような特色は見られない。レベルが低いという以上に、没個性・無特色であって、魅力に欠ける。根本的にいえば、確固たる教育方針を持っていないのである。基軸となる教育方針(戦略)を持っていない以上、教え方(戦術)が劣るのは必然の結果でしかあるまい。

 また、「ゆとり教育」にどっぷり漬かって能力を落としたのは、生徒以上に実は先生の方が深刻なのではないか、とも懸念される。当今の先生を見ていると、指導要領に沿って「しか」教えられないのではないか、主体性がまったくないのではないか、という疑いを持たざるをえない。仮に世の中が大転換して「詰めこみ教育」に復古したとしても、その意味や意義が理解できず、ノウハウもない、という展開になるのが落ちであろう。

 このように連想すると、「詰めこみ教育」時代にその意味や意義を理解せず、しっかり教えるノウハウもなく、所謂「落ちこぼれ」を量産し、その結果として「学校の荒れ」を導いた、当時の先生の能力も低かった、と考えなければなるまい。一般公立(小)中学校の先生を信頼できない理由の一端を、この断面にも見出せる。


●しかも、先生の質に大きなばらつきがあり、外れを引くと大変なことになる。


 公開授業や学校説明会などから見比べた結果としていえば、前項以上に比較にならないといえる。

 私立中学の先生は、常に評価の目にさらされており、なんらかの特色を持っている人物が多い。有為でない先生は、評価の結果として学校から去っていく宿命である。近年躍進している私立中学では、所謂「使えない」先生を淘汰し、先生をほぼ全員入れ替えた、というところもある。

 都立中高一貫校の先生は、所詮公立校の先生かと思える面もある一方、都立高校エース級の先生が揃っていて私立中学と比べても遜色ない。感覚的にいえば、

  一般公立中学校の先生 ≪ 都立中高一貫校の先生 ≦ 私立中学の先生

 というところである。

 以上は一般の先生の比較であり、校長・教頭先生どうしを比較するとさらに差が開く。一般公立中学校の校長・教頭先生が「地元の名士」だったのは昔話で、今ではただの管理職にすぎない。これに対して、都立中高一貫校・私立中学の先生は学校経営に参画する、いわば「経営者」の一角を占めつつある。学校説明会での校長・教頭先生の発言を比べてみると、説得力ある言葉を発することの重みがよく理解できる。一般公立中学校の校長・教頭先生には、この重みがまったくないのである。

 校長・教頭先生が、第八部に記した「小皇帝」の如く振る舞うようだと、状況がさらに悪化する(現に長男が卒業した小学校では校長先生の交代で外形的管理型教育が採られた実績がある)。自らの権限を私物化する小役人気質の小人物が校長・教頭先生になると、生徒と保護者にとってはまったく救いがなく、逃げる余地がなくなってしまう。



 事前想定がほぼ当たったどころではない。現実はさらに厳しく深刻だったと理解できる。「脱ゆとり教育」が叫ばれ始めているのも道理、私立中学に通わせるほどの経済力がなく、かつ一般公立中学校に満足できない層が、怨嗟の声と切実な悲鳴を上げ始めたのだ。

 この社会状況じたい、批判の対象になりうるところだ。しかし、現に日本社会に生きている以上、そのなかでうまく泳いでいくのも才覚のうちだ。いささか道のりが厳しかったとはいえ、中学受験(受検)を決断したのは正しかったと、つくづく実感している。





■さらなる切磋琢磨

 長男は第一志望校卅中に合格したとはいえ、浮かれるような感覚はなかった、と第六部には前述した。しかしながら、これは合格直後の状況であって、一年という時間を経ると、いささか表現を改める必要が生じている。楽しい楽しい中学生活を送るなかで、長男にも浮かれてしまった面が生じたことは否定できない。夏休み前後から、長男の成績は下降線をたどり始めた。

 同級生の質が高いという点は、成績向上を図るにあたっての壁であった。卅中においては、御三家校合格を蹴って来たという生徒が男女問わず何人か存在し、また特別枠合格の生徒もいて、まったくもって多士済々であった。彼ら彼女らのおかげで学校生活を楽しく送れている点はありがたくとも、成績面でも対等以上でないと楽しさが損なわれてしまう。

 さらにいえば、授業のレベル(最終的には定期テストで問うレベル)がまた高かった。テストの問題文を見て「これが中一で教わる内容か」とあきれたことも一再ならずある。しかし、平均点は概して高かった。授業で扱った内容ゆえ、彼ら彼女らは覚えてしまうのである。

 長男の成績が劣後しかけた理由は単純明快であった。ここまでの記述からおよそ察していただけるだろう。要するに、勉強の質・量が足りなかったのである。勉強時間が絶対的に足りないうえに、集中力が切れがちという状況では、良い成績など取りようがなかろう。特に書き出しの取り組み不足は決定的で、結果として、特定の項目で大量失点してしまい、平均点を割りこむ科目が目立った。

 一学期の期末考査で並以上の成績を出せたのは数学のみ、物理・化学が平均点を大きく下回った。二学期の中間考査では肝心の数学まで平均点以下になり、強い危機感が生じた。せめて中学課程の間は塾に行かせるつもりはなく(現実問題として塾に行く時間などないのだが)、家庭学習のなかで指導したのは主に以下の点である。


 ●今の長男には、勉強の質・量が圧倒的に足りない。

 ●単に教科書・ノートを読むだけでなく、書き出しが必要かつ重要。

 ●勉強は、テスト直前に終わらせるのでなく、テスト一週間前に終わらせる。
  かつ、テスト一週間前には、今回テスト範囲の内容を親に説明すること。
  (他人に説明することで学習内容の理解を深めさせることを意図)

 ●テストまでの一週間は復習に充てる
  繰り返し学習が重要なので、英語・数学は二回転以上したい。

 ●日常の感覚もよく研ぎ澄ませておく。
  (授業でのみ触れた内容・実験の再現等に関する注意喚起)

 ●テレビ・インターネットは20時以降禁止。
  (どちらも依存性が強くダラダラと視聴しがちなので)
  (ただし禁止しては緩和の繰り返しになったのだが……)




 単純といえば単純な指導ながら、長男は素直に従った。後述するとおり、ピアノの上達などを通じて、練習=成果という関係を体感していたからである。

 二学期期末考査はまずまずの結果で終えられた。数学と英語が平均点を大きく上回り、理科は物理・生物・地学が並以上、化学に至っては大躍進して学年最高点をマークした。そのかわり、今度は国語と歴史が平均点を大幅に下回るなど、科目毎のばらつきが目立ち始め、道はまだ半ばというところである。

 正月明けに長男は「合格はゴールでなくスタートというのは本当なんだなあ」とぽつりつぶやいており、ようやく自覚が出てきた模様。ここまで自覚してくれば、あとは放っておいても大丈夫かな、とも思えてくる。

 ともあれ「『努力する』努力」の継続が大事だと、改めて認識している。如何なる分野であれ、良い成績を取るためには、弛まぬ努力が必須条件なのである。



 もう一点課題だったのは、社会人にとっては必須の「スケジュール管理」である。いつまでに、何をやらなければならないか(学校行事の場合は「誰にやらせるか」という要素も入る)を把握する。こんな単純なことが、長男はまったくできなかった。だから宿題は常に締切間際のやっつけ仕事になりがちであった(小学校時代と変わらず!)。

 長男にとって、スケジュール管理ができないのは当然だった。なぜならば、どうすればよいかを教えていなかったからだ。これは親が、実際の行動を通じて手本を示すしかない。筆者が仕事で使っている、数ヶ月先までの日割りスケジュール表を見せるなどして、意識の向上を図った。

 長男のスケジュール管理は、今もって充分とはいいがたい。時間をかけ仕込まなければ、と長期戦を覚悟している。第三部にも記したとおり、一度や二度の間違い如きにめげてはいられない。出来るようになるためには、出来るまでやるしかないのである。


 ●やれば出来る!

 ●必ず出来る!

 ●おまえには出来る!




 アニマル浜口は愛娘に実に素晴らしい言葉を与えているではないか。この力強い言霊を、どの親子においても共通する真理として、ありがたく使わせてもらおう。敢えてもう一点付け加えるならば、「やれば出来る!」と楽観するだけでなく、「出来るまでやる!」と固く信念することも重要であろう。



 学校以外の勉強では、珠算が四段、暗算は七段まで昇段した(受検時点では珠算初段・暗算五段)。今日では十段取得者が相当数いるので、十段を目指してほしいところだったが、学校の勉強との両立がかなり厳しいという長男本人の意向から、珠算教室は中断することとした。

 親としては、あれもこれも全てものにしてほしいという欲目が当然ある。しかしながら、時間と体力が有限である以上、さらなる昇段を目指すにはさらなる努力が必要という状況において、「選択と集中」を図るのは採るべき道の一つであろう。このたびは長男が自ら意志表示した点を尊重し、珠算からの撤退を受容した。

 ピアノ演奏もかなり上達した。通っているピアノ教室に(プロにはならないという範疇では)かなり巧い先輩兄弟がおり、身近な目標となっている背景も効いて、まさしく目に見えてめきめきと上達した。客観的なモノサシこそないものの、一年前と比べると長足の進歩を遂げたのは確実である。

  
綿のぼうし〜〜被爆ピアノに捧げる曲
   思い出は億千万(長男による編曲)
   シェルブールの雨傘

 長男が今までインターネットにアップしたピアノ演奏を上に挙げる。将来プロ演奏家になるであろうピアニストと比べればおおいに遜色あり、まだまだミスタッチが目立つのだが、市井の一少年としてはなかなかの出来ばえではないだろうか(勿論親の贔屓目補正付ではあるが……)。

 長男にしてみれば、練習すれば上達すると実感できるようになったわけで、上達するのが面白くて練習に打ちこむようになり、さらに上達していくという、好循環となっている。小学生の時分には親から促さなければ練習しなかったというのに、今日では自ら率先して練習に取り組むようになるという、一大変化も生じている。

 クラブ活動は陸上部を選択した。ここでも親の反省があって、いくら頭だけ良くとも、体力がなければ社会で役には立たないことを、痛切に実感する年頃になってきた。だから中高の六年間を運動系のクラブ活動を全うし、人生を乗り切る体力を身につけてほしい、という思いが親としてあった。

 陸上部の活動は、当初ずいぶんぬるかった。これは実は「帰宅部」の一種だったかな、と思っていたところ、夏場に入ってから活動が本格化し、長男から悲鳴があがった。基礎トレーニングが充実し(長男にとっては厳しくなり)、帰宅時刻がめっきり遅くなった。疲れ果てて帰ってきてすぐ夕食、夕食後の家庭学習とピアノ練習の時間は合計でも 3時間弱。勉強が伸び悩むのは、実は当然すぎるほど当然の展開だったのだ。

 長男が、珠算をやめ家庭学習に力を入れる道を選択したことは、前述したとおり。陸上部での活動も、基礎体力が向上し、タイムが縮まることで、成長を実感し、きついなりに面白さを感じ始めたようだ。面白さを感じるところから好循環が始まっていくのは、これまた前述したとおりである。



 学校行事に関しては、まだまだ「味噌っかす」のようなもので、出来るところを出来る範囲で、という取り組みである。生徒会活動のような積極活動などは、最初から期待してはいない。poco a poco で無理せず着実にやってくれればいいと考えている。長男本人にも、応募や求めがあればホイホイ応じる腰の軽さがあり、学年が進むに従って発展もあるだろうと見込んでいる。



 長男の同級生には、安定した素晴らしい成績を残している子がいる一方で、伸び悩みに苦しむ子も存在する。「理数系に強い卅中」という評判の割には、数学・理科の得点分布は上から下まで幅広く、低得点に分布している子の心中は察するにあまりある。もっとも、それぞれ事情は異なるとしても、成績低迷の根本原因はたった一つしかないはずだ。そう、勉強の質・量を確保できていないただ一点に尽きるのである。

 その証拠に、当初成績が低かった繰上合格の生徒(「自分は繰上だから」と自ら士気を下げていたらしい)が、一念発起して成績を伸ばし始めている。逆に、御三家校併願組の生徒が、塾に依らない学習習慣を確立できずに、成績が下降し始めた例もある。適性検査(実質的な入学試験)を経てきている以上、「頭の良さ」は微少な差違でしかないのだ。勉強し努力することのみが、成績を規定する。

 わが長男にしても、成長の余地がおおいに残されている反面、ちょっとでも油断すれば落ちていくのも簡単なのだ。実際のところ、風邪で一日休んだだけで、挽回するのが難儀な様子だった。

 幸いにして、卅中の生徒には立派な子が揃っている。単に頭が良いだけでなく「自分が行きたいと志す進路(大学)にそのまま進める」子が多くいるように見受けられる。知的好奇心に長け、かつ行儀が良い子が多い点も好ましい。生徒全般に表情が明るいのも良い。素晴らしい学校に入学できたなあ、と実感する。

 同級生みなで切磋琢磨し、志を展べ、成長を果たし、社会に大きく羽ばたいてほしい、と祈るような思いで願わずにはいられない。



 中学受験(受検)までの一年、さらにその後の一年、長い道のりではあった。しかし、顧みてみれば、あっという間の刹那にも思えてくる。本人・家族とも、たいへんなことも多かったが、全般には高揚感が伴う二年間であった。中学受験(受検)とは、現代社会における「擬似家業」のようなもので、家族全員が一つの目標に向かって進める、数少ない一大事業といえるだろう。

 さて、延々と書き連ねてきた本稿も、ようやく完結である。まだ書きたいことが残っていても、一旦切らないと、際限なく続ける羽目になりかねまい。

 ただし、補遺編として、交通に関する話題についても、ちょっとだけ触れておきたいと思う。未練がましいと嗤われてもしかたないか(苦笑)。





【補遺】交通編

■入試会場までの交通手段

 最後の話題は「以久科鉄道志学館」の本旨に則り(苦笑)、交通としよう。

 入学試験受験(適性検査受検)にあたっては、道路交通の所要時間が読めない点を主な理由として、公共交通機関の利用が推奨されている。大人にとっては当然すぎるほど当然のことなのだが、視点を受験(受検)する子に移すと、公共交通機関の選択は必ずしも正ではない。

 そう。朝ラッシュ時の混雑という巨大な壁が控えている。筆者宅においても混雑状況は厳しく、日暮里・舎人ライナーの混雑する車中に長男を乗せるには躊躇が伴った。

 もう一点付け加えると、公共交通機関利用では所要時間が伸びがちになる点が痛かった。
過去記事 でも触れたとおり、筆者宅は公共交通機関を利用する限りにおいて、交通地理的観点からは不利な立地にあり、どこに行くにも「三角形の二辺を通る」か「四角形の三辺を通る」ような状況だった。

 混雑に揉まれたうえに時間がかかる、では率直にいって辛い。幸いにも筆者宅の周囲では道路交通渋滞が激しくはなく、所要時間を読める程度の混み具合でしかない。そのため、実際の入学試験受験(適性検査受検)の際には、マイカーを積極的に活用し、混雑回避と所要時間短縮の両立を図った。入試会場までのアクセスを一覧表にすると、以下のとおりとなる。


学校


往路


復路


零中


赤羽駅までマイカーで送る
最寄駅から学校までバス



学校近傍までマイカーで迎えに行く
帰路レストランにて家族全員で壮行会



一中


西新井駅までマイカーで送る
最寄駅から学校までバス



徒歩+鉄道+徒歩
(妻が付き添い)



千中


亀有駅までマイカーで送る
最寄駅から学校まで徒歩



徒歩+鉄道+徒歩
(妻が付き添い)



九中


学校直近までマイカーで送る


学校近傍までマイカーで迎えに行く


Ρ中


九中近傍から池袋駅までマイカーで送る
電車を乗り継いで最寄駅へ
(Ρ中は最寄駅から徒歩至近)



鉄道+日暮里・舎人ライナー+徒歩
(妻が付き添い)



卅中


学校直近までマイカーで送る


学校直近までマイカーで迎えに行く



 足立区西部は公共交通機関に恵まれているとは到底いいがたいが、道路状況にはかなり恵まれている。また、筆者が里48を常用し、尾久橋通の混み具合を把握していたことから、「混んでいても時間が読める」と確信を持てるアドバンテージがあった。さらに、大渋滞ポイント(扇大橋駅前交差点・西日暮里駅前交差点右折レーン)を回避する抜け道を熟知していた点も効いている。

 勿論、以上は筆者における状況であって、一般的に応用できるとまではいえない。中学受験(受検)は公共交通機関利用、というのが常識ではある。しかし、交通地理によってはマイカー(あるいはタクシー)利用が有利な場合もある、という断面として敢えて提示した次第である。





■受験者の整頓

 今度は学校側の視点に立った話題である。私立中学のなかにはきわめて多数の受験者が集中する学校もあるなか、学校の交通地理によっては「受験者をどう整頓するか」が課題となる場合がある。

 例えば、三中が入試会場を幕張メッセに設定しているのは、自校実施ではアクセス交通が破綻するためと推測される。なにしろ約 2,000名が受験するうえに、受験者ほぼ全員に親が付き添うから、ごく短い時間帯に約 4,000名もの交通需要が生じるのだ。この数字は、交通事業者にとってはむしろ「脅威」である。三中は最寄駅から遠く、バスに依らざるをえないが、約 4,000名がバスに殺到する様相は想像を凌駕する混乱が伴うだろう。

 筆者は昨年、私学受験の送迎はしたものの、学校までの付き添いは妻にまかせていた。改めて今年、娘の下見も兼ね、三中同様に受験者数が多い某女子中の受験当日、校門近くに張りこんでみた。やはり、百聞は一見に如かずであった。最盛期には大行列ができ、列に並んでから校舎に辿り着くまで 5分ほど要するような滞り方だった。この女子中は最寄駅からのアクセス距離が長く、充分なバッファ・ゾーンがとられているにも関わらず、である。

 受験者数最大の学校は、筆者の知る限り八中の初日である。なんでも今年は受験者数が 3,000名を超えたとか。交通に関しては、長男受験当時の妻からのメールが興味深かった(ただし受験戦術上も受かる可能性が低かったため長男は八中受験を回避)。


 八中初日は 2,800人受験生集まったらしいよ。ホームから改札出るまでに30分かかったらしい。銀行の窓口で聞いた。

 八中の最寄駅、エスカレーターの改修工事をしていたらしい。入試で混雑するのを予測できなかったのかね【あきれ顔の絵文字】




 他人事ながら、思わず慨嘆してしまった。三中を凌ぐ、約 5,600名の交通需要が一駅のホームに集中するのである。しかも、エスカレーター改修工事中だから、エスカレーターが使えないうえ、階段幅員まで狭まっている。まさに阿鼻叫喚の大混雑だったのではないか。この最寄駅はJRの路線である。路線網があまりに巨大すぎ、個別の駅の状況に目が行き届かなかったか。しかしながら、受験のスケジュールは初詣なみに定型的なのだから、高校含め受験が終わる 2月中旬以降から工事着手してもよかったように思える。

 森上教育研究所によれば、一都三県の中学受験は、絶対数が平成19(2007)年(約 4.4万人)、率が平成20(2008)年(約14.8%)をピークとして減少傾向に転じたとはいえ、未だに絶対数 3万人以上、同級生の 8人に 1人以上が、 2月 1日という特定日に参加する一大イベントとなっている。ことの理非善悪を措くとして、中学受験は一種の社会現象であるから、社会の側でもそれなりの対応が必要だ。

 交通需要としてみれば、付き添いの親や塾関係者も上乗せされるから、6〜7万人以上の需要が 2月 1日の朝ラッシュ時に突如出現する。入試のある学校では休講となり通学需要が減少するのが救いとはいえ、朝ラッシュに慣れない親子連れが万人単位で出現する特異日となるから、対応が容易でないことは間違いない。しかし、それでも、交通事業者には相応の配慮をしてほしいと期待せずにはいられない。これは交通研究を追求してきた者としての理ではなく、あくまでも親としての情である。





【結言】

■新たな旅立ち

 平成24(2012)年も立春を過ぎた。今季中学受験(受検)も既に最終盤である。大部分の学校では合格発表が終わり、入学手続に入っている。本志を遂げた子もいるだろうし、不本意な結果に終わった子もいるだろう。「十二の春」は旅立ちの時でもある。そして、本稿は足かけ三年に跨る「長い旅」をひとまず終える。

 もっとも、これから先の旅のほうが実は遥かに長かったりするのだが。三年後には娘の中学受験(受検)が、さらにその二年後には長男の大学受験が、さらにその四年後には娘の大学受験が待っている。都合あと十年ほどは、家族挙げての受験に向けての取り組みが続く。

 しかも、状況が少しずつ変わりつつある。今季中学受験(受検)速報は各塾の合格実績以外まだ出ていないが、長男の通う卅中の問題が急激に難化し、御三家校水準に近づいたのには驚いた。卅中の求める生徒像がより明確にされた、という意味ではなるほどと首肯できるものの、「これで本当に適性検査といえるのか?」などの批判を浴びるだろう、と懸念されるほどの大変化である。おそらく卅中は批判をおそれることなく、「舵を切った」と内外に示したのであろう。卅中は今までも難関校だったが、これからは超難関校になる。娘の受検は大変だ、と今から焦りを覚えてしまう。

 否、親の杞憂かもしれない。「こんな問題を小六が解けるのか?」と思われる難問を、軽々と解いていく実例を何度も目の当たりにしてきたではないか。こどもの思考力は大人が規定するよりも柔軟で可能性に富む。伸びるはずの芽を摘み、こどもの成長を阻むのは、むしろ大人の硬直性である。

 本稿の最後に、今まで出てこなかった参考文献を紹介しておこう。


 ジャーナリストの斎藤貴男氏が、ゆとり教育が政策として採用される過程を、世界史的な経済の転換の中からとらえた『機会不平等』(文藝春秋)はすぐれたルポですが、この中に、「ゆとり教育」路線を推進した三浦朱門・教育課程審議会前会長のこんな発言が紹介されています。

「学力低下は予測しうる不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい。やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」(『機会不平等』40ページ)



  「中学校でできること」(小河勝)
  『学力低下を克服する本━━小学生でできること中学生でできること』(陰山英夫・小河勝共著)より




 この記述を目にした時には、心底驚いた。三浦朱門は善意と目的意識に基づき「ゆとり教育」を推進したに違いない。しかし、未来予測があまりにも浅薄すぎた。「百人に一人のできる者」は日本を見限りつつあり、「非才無才」は実直な精神など持たず「自分たちの分け前が少ない」という類の不平不満・不公平感を表明している。「非才無才」は実直さに欠け、「『努力を否定する』努力」を重ね続け、内田樹先生が指摘する「消費主体」としての計算高さに安住し、自らの立場を受容していない。「ゆとり教育」は教育政策のきわめて明確な失敗、と断言できる。

 学力上位層を公教育の範疇では伸ばすことができず、伸びたい子は中高一貫校まかせ、しかも学力下位層は裾野がいたずらに広がり富の再配分を求めるばかり、という状況では、「失敗」と断じるしかないではないか。

 そして、この「失敗」の原因の一端は、大学及び大学生の数を増やし続けた点にも認められる。現下の大学進学率はもとより、三人に一人以上が大学生となった筆者世代ですら大学進学率が高すぎると感じる。適正な大学進学率とは、たかだか15〜20%程度ではないか。大学と大学生の粗製濫造が所謂「詰めこみ教育」「偏差値序列」を生み、これに対応しきれない「落ちこぼれ」を量産し、教育制度を歪ませたのではないか。

 第三部で筆者は「所謂『ゆとり教育』など虚構にすぎない」と分析した。その後にこの参考文献を手にしたわけだが、「ゆとり教育」の虚構と欺瞞を裏打ちされた心地でいる。


 ところでつまずきの大きい子どもたちはどのような気持ちで中学校に来たのでしょう。
 きっと、不安な気持ちでいっぱいだったに違いありません。しかし、それは中学への入学の時だけの話ではなかったのです。つまずき始めてから彼らはずっと、不安とあせりに追われてきました。

 ……

 彼らは「自分が悪い」と常に考えています。しかし半年がたち、一年が経過すると、毎時間、毎時間「分からない」という事実そのものが、彼らに「私は馬鹿なのだ」「ボクはアホや」と語り続けます。真っ暗な暗い夜道を、トボトボと一人でさまようような心細い彼らの姿が、ありありと眼に浮かびます。いじらしく、哀れでもあります。
 毎日毎日、何年も、自己卑下の経験を繰り返す中で、彼らの心の中には、「私は、何をやってもだめだ」という、虚無感が形成されていったのです。
 無気力は、暗さや脱力感などの静的な形だけをとるのではありません。内面のうつろなゆがみを埋めようとし、妙にはしゃいだり、落ち着きがない、目立とうとする、時には、奇声を発する、乱暴になる、陰湿になる、さらにエスカレートすると、憎悪を内包する破壊主義とサディズムの形態にまで至ります。
 こうして健全さを欠いた子どもたちが日本中に一挙に噴出していったのでした。
 エーリッヒ・フロムは『悪について』の中で次のように述べてます。
「人間は無力感の中でいつまでも耐え続けることはできない。やがて彼は破壊を求め出す」



  「未来を切り開く学力」(小河勝)
  『学力低下を克服する本━━小学生でできること中学生でできること』(陰山英男・小河勝共著)より




 「そうだったのか!」と絶叫しかけたほど、この記述には得心いくものがあった。筆者自身、高校時代はまったく面白くなく、(クラブ活動を除き)灰色の思い出として残っている。その原因が「学校の勉強についていけなかった」点にあったとは、率直にいって、自覚していなかった。否、ほんとうは半ば自覚していたのだ。その事実を認めたくない、偏狭な矜持が筆者にはあった。

 学力の上位下位に関わらず、学校の勉強についていけるかどうか、ということそのものが、学校の面白さを規定すると気づいた。この「気づき」は第八部・第九部の記述に反映されている。


 お母さん、勉強がわかってきた

 親が変われば子どもも変わる

 親の疲労が歪みを生む

 自分の感情で子どもを叱っていないか、一呼吸おいてみる

 懲罰的な叱りかたをしない



  「家庭でできること 中学生編」(小河勝) の小見出し抜粋
  『学力低下を克服する本━━小学生でできること中学生でできること』(陰山英男・小河勝共著)より




 共著者の陰山英男と比べ、全国的知名度の低い小河勝であるが、その主張するところは陰山英男に勝るとも劣らない。筆者としても、教えられるところが多かった。小河勝から得た教示は、やはり第八部・第九部の記述に反映されているし、かつ筆者宅での家庭学習実践にもつながっている。

 最後はこちら。


 日本では、「生まれの不平等」は、一種の貧困問題として認識されていたが、1950年代で、その議論は終わってしまった。経済成長により、総中流化が進行し、貧困問題が解消されたからである。

 しかしながら、豊かになった現在でも、「生まれの不平等」は存在している。上層ノンマニュアルの親を持つ生徒は、おしなべて成績が良い。いわゆる主要科目だけではない。体育や美術や技術科といった実技系科目においてすら、上層ノンマニュアル出身者は成績が上位なのである。面接入試や小論文入試を行なっても、やはり、上層ノンマニュアルの子弟は通りやすいだろう。

 そして、上層ノンマニュアルの子は、進学や就職において有利なポジションを占め、階層を継承し、格差は再生産され続けている。
(SSM社会移動度調査 不平等社会日本 佐藤 2000)

 第14次中教審は、有力大学入学者が、特定私立一貫校出身者による寡占状態になっていることを指摘し、一校あたりの入学者数の上限を設けることを提案して、マスコミで大きな話題になった。

 彼らは、学力格差の原因を、教育費を支出する家庭の経済状況によるものだと考えたのだが、実は違う。学費の高い中高一貫私立校が台頭する以前から、公立校出身の上層ノンマニュアル出身者によって、有力大学は独占されてきたのである。

 現在の教育学研究では、教育費ではなく、家庭の文化資本の差が、学力格差の原因だと考えられている。



   「教育のトリレンマ」(井上晃宏) より




 これまた「そうだったのか!」と絶叫ものの記述であった。自分なりに真理を発見したつもりで第八部を書き上げたのち、ようやくこの記述に出会ったので、釈迦掌上の孫悟空の如き無力感を覚えもした。しかし、内容には充分納得できた。「家庭の文化資本の差が学力格差の原因」とはまったくそのとおりだと、皮膚感覚で実感している。

 要するに、筆者の実家では「家庭の文化資本」が中途半端だった。それゆえ、田舎中学では学力最上位になれても、学区最上位といわれる高校では成績下位に低迷せざるをえなかった。必要なのは、繰り返しながら、勉強の質・量確保だったのだ。それに気づかないまま自らの素質を恃んで怠業し、無為無策のまま時間を過ごしてしまったのだから、成績が伸びるはずなどなかった。

※余談だが、冒頭に記した「通いごと」とは右脳開発の教室である。右脳の力が高まれば左脳の力も高めなければ平衡しないのは道理としても、その教室では、右脳開発に偏った主張をしすぎていた、と今にして感じている。端的にいえば、いくら「地頭」が良くとも、天与の素質に恵まれていても、実践する能力がなければ意味がない。「自分は頭が良い」と誇ったところで、その「頭の良さ」を具体的に知らしめる手段がなければ、砂上楼閣に等しい。以上の意味において、左脳的反復学習は必須なのだと、遅ればせながら痛感している。


 これは筆者一人のことではない。筆者の妻においても、似たような状況があったのだ。「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」とビスマルクはいう。教育、というより家庭学習手法を歴史に学べるかどうかはわからないが、せめて経験から学ばないと進歩がないではないか。だから筆者宅では「家庭の文化資本」の確立を、それこそ自学自習で図っていかなければならない。


 ●子の学習内容に親がしっかりと興味を持つ

 ●絶対評価ではなく相対評価をする
  なお相対比較する相手はあくまでも「以前の子」である
  (成長を認めることで子は伸びていく)

 ●一度や二度の失敗・間違いに挫けない
  (親が諦めた瞬間に子まで諦める)

 ●「やれば出来る」と信念し「出来るまでやる」と行動する

 ●勉強【努力】→
  →成績向上【成長・上達】→
  →喜楽の実感【自尊感情の満足】→
  →より一層の勉強
  ……この好循環サイクルを確立する

 ●遠近両方の目標を掲げる



 ……などと、大きなことを書いても、実践できそうなのはこの程度でしかない。しかし、たったこれだけのことでも、長男・娘ともに着実に成長しつつあるから、やり甲斐はある。家庭学習は今やまさに「家業」と化している。

 長男に中学受験(受検)させたのは正しい選択だった、と改めてひしひしと実感する。中学受験(受検)は親にとっても新たな「学び」「気づき」の場となった。長男と娘には感謝している。有島武郎のいう「子を持って知る子の恩」とはこのようなことなのだろう。

 以上で、筆者にとっての「長い旅」は暫時休息となる。筆者としては、名残惜しくとも、書くべきことを書き尽くしてきた達成感がある。再び「長い旅」に出る時は、もはや文章を残さないだろう。いくら「学び」「気づき」の機会であろうとも、切迫した気分で走り続けていては身がもたない。次の「長い旅」にあたっては、このたびの「長い旅」の経験を活かし、着実に安定して進んでいきたい。

 先頃シリーズ終了したTV水戸黄門のテーマソング「ああ人生に涙あり」は良いことを歌っている。二番に曰く「人生勇気が必要だ/挫けりゃ誰かが先に行く/後から来たのに追い越され/泣くのがいやならさあ歩け」。まさに然り、だ。

 「長い旅」はいよいよ終着駅に近づいた。列車はブレーキをかけ始めた。列車はホーム端に止まり、お客さんは三々五々と散っていく。折返しまでの短い時間、燃料補給や車内清掃にいそしむことにしよう。折返しの道のりには、また長い上り坂が待っている。……本当に「長い旅」だった。このような超長文に最後までおつきあいいただき、読者諸賢に感謝申し上げる。





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