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東武鉄道根古屋線〜〜成功は誰のもの?

 

 

■成功は誰のもの?

 ユニクロ、なる衣料品チェーンがある。間違いなく安価だ。質も相応に良い。ユニクロの出現によって、衣料品業界には旋風が沸き起こった。それは革命と呼ぶに近い。

 ユニクロ商法の基盤は、単純といえば単純極まりない。労賃が安価な国で生産し、日本に輸入する。売れ筋をつかんだうえで製品の質を確保できれば、安売りしながらも利益の確保が可能な手法である。

 経済をとりまく状況が思わしくない近年において、ユニクロは成功したビジネスモデルともてはやされている。実際のところ、安くて質の良い衣料品が提供されるわけだから、消費者にとっても好ましいビジネスモデルではある。

 では、ユニクロ商法が良い手法か、と問えばどうか。消費者レベルではともかくとして、根強い批判が存在していることも確かである。成功者に対する嫉妬羨望を措くとしても、これら批判にはなお一理ある。

 ユニクロは疑う余地なく成功したビジネスである。問題とされるのは、ユニクロが獲得した利益がどこに配分されるか、という点に集約される。このビジネスモデルにおいては、利益の相当部分が製品生産国に流れていくではないか。

 これを合成の誤謬と呼ぶべきか、どうか。ビジネスモデルを構成する主体は、それぞれ最適化−−個別利益の最大化−−に邁進しており、この努力そのものを否定することなどできない。とはいえ、個別最適化を合成した結果は、現下の経済状況からすれば好ましくない。国内の消費を喚起しながらも、その利益は国外に配分されてしまうからである。

 「消費不況」という言葉は、うそである。消費は確実に行われている。消費から生じる利益が国内にとどまらない点にこそ、本質があるといえる。このことは井尻千男氏が明確に指摘している(参考文献(01))。

 状況はまさに「構造不況」である。国内でどれほどの努力を払い、工夫を凝らしても、それによる利益は国外へ散逸していく。そんな奇妙な構造が、あるいは経済装置が、日本には存在している。自らを助けるための努力が、実は他人を肥やしているとは、不可思議を通り越してばかばかしい限りではないか。

写真−1 小川町付近にて

 右側1線は八高線、左側2線が東武鉄道東上線。東上線は複線に見えるが、最も左側の線路は引上線である。なお、この引上線は根古屋線の敷地を転用したものと考えられる。

 

■調整機能の発動

 以上のように論を展開すると、かつて日本も同じ手法で成長を果たしたではないか、との反論を受けそうである。実際そのとおりであるし、模倣するべからずと強制することはできない。

 しかし、日本は既に経済調整の洗礼を受けているのである。為替レートの変動と、現地生産の推進により、輸出による利益は激減した。どちらも政治が絡む要素である。

 日本は世界一物価が高い国、とよくいわれる。なにほどのことはない。日本の通貨価値は、世界で最も通貨価値が高く設定されているのである。日本はいつの間にか、輸出産業を興すには、そして輸入産業に対抗するには、最も不向きなところにまで押し上げられてしまった。

 それぞれの国に住む人がひと月に必要とする通貨を等価とするならば、円はあまりにも高すぎる。為替レートは、それを基準に設定されなければなるまい。そうすれば、少なくとも同じものをつくる限り、日本で生産するより海外から輸入した方が安いという奇怪な現象は発生するまい。

 あるいは、欧米のように露骨な圧力をかけるのもひとつの選択だろう。ある品目の一定量(率)は輸入でなく現地生産によるとは、日本対欧米の政治枠組の中で決められてきた。この故事に、日本は見習ってもいい。

 石油のように、そこでしか採れないものに対価を払うのは当然である。精密機械のように、技術と経験の蓄積による製品に対価を払うのも当然である。とはいえ、まったく同質のものに対し、かたや国産かたや輸入ものというだけの違いで、値に差がつくのは尋常ではない。

 厳しい現実を処するにあたって、日本はなすところを知らないかのようである。国内の第一次産業は、傾いて既に久しい。第二次産業もその後を追いつつある。第三次産業とて安泰は保証されていない。近年の旅行の形態を見よ。百万人単位の旅行者が海外を目指し、貴重な富を諸国に散じているではないか。

写真−2 尾根のサミット

 柏熊様の記事で有名になった、根古屋線を代表する場所。古レールを組んだ跨線橋が今もなお残る。写真からもわかるように、サミット前後の勾配は急である。特に根古屋方の坂は長くきつい。石灰石を満載した列車は、おおいに喘いだことだろう。蒸気機関車時代の情景を見てみたいものだ。

 

■道を失った三十年

 ことは善悪理非ではない。なにを守り育てるか、という主観または意志に属する事柄であろう。まず自分がある(第一者)。次いで仲間がいる(第二者)。最後にようやく他人がくる(第三者)。この単純な序列は、顧みられてしかるべきである。

 日本人は、さらに利己的であってもよい。現状ではあまりに隙が多すぎる。バブル崩壊以来、日本経済は不調と認識され続けているが、この低空飛行の状況でさえ奇跡的な粘りの結果と目することもできる。富を際限なく国外に逸しているというのに、未だ経済の底が割れていないのだから、驚嘆に値する腰の強さではないか。

 だから、「失われた十年」との警句は必ずしも的確といえない。勿論、現状を肯定するわけではない。筆者なりに定義すれば、「道を失った三十年」となろうか。高度成長期の成功体験に安住し、成功を持続するための条件が顧みられなかった気配がある。

 調整機能が発動された結果、生産部門を国外に移した企業は少なくない。当時としては最善の選択であったろう。−−ただし、個別の企業として。これら選択が合成された結果は、底知れぬほど深い泥沼ではあるまいか。

 日本人がひと月生活するのに十万円要るとしよう。ひとりが一万円で暮らしていける国、あるいは千円でも生きていける国が存在するならば、給与水準は最初から比較にならない。人件費が十分の一、百分の一で済むならば、もはや同じ土俵での勝負にはならない。円高は日本の国際的地位を押し上げたが、輸出産業に対して厳しく、輸入産業に競合する国内産業にはさらに過酷な状況をもたらした。

 日本の農・林・水産・鉱業は、既に国際競争力を失っている。工業のかなりの部分も、同様である。サービス産業でも国外勢力の伸張は著しい。例えばTDLの場合、その売上の少なからぬ部分(10%・45年間)がフランチャイズ料として国外に還元されているのである(参考文献(02))。確かに面白いテーマパークではあっても、上記の事実を考慮する利用者は皆無に近いだろう。

 国内の産業は、激しい勢いで空洞化が進んでいる。このままでは、いったい手許になにが残るというのか。国内の産業が衰退すれば円の価値は下落し、その帰結として輸入産業も衰微する。そのとき日本は、全てを失う。なにも売れず、なにも買えない、困窮の縁に立つ。消費する一方の社会は、だからこそ危うい。

 

写真−3・4 サミット−大河間

 左の写真に見られる空間は、なんともあやしげである。急勾配の途上にあるし、延長も短いから、駅ではないのだろうが。右の写真は築堤から切り通しを登りつめていく線路跡を展望したもの。ふくよかなSカーブが鉄道らしい雰囲気を醸しているが、左側の路側線が醜くよれており、興ざめである。

 

 

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