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二本のトンネルの因縁〜〜天塩炭礦鉄道
<完全改稿版>

そのⅣ補遺  鉄道省による私鉄経営支援





 いささか余談に属するが、鉄道省における私鉄経営支援についても簡単に触れておこう。留萠地方の三私鉄は、鉄道省に依るところが少なくなかった。これらの点を認識することにより、天鉄の歴史への理解が深まると思われるので、冗長をおそれず書きとめておく。





■留萠鉄道

 昭和 5(1930)年の開業以来、久しく自前の動力車を持たず、鉄道省→国鉄から9600を借り入れて列車を運行していた。運行形態だけを見れば、留萠鉄道は留萠本線の一支線にすぎなかった。





■留萠鉄道海岸線(建設)

 留萠鉄道海岸線の経緯はさらに興味深い。参考文献(04)によると、「明治42(1909)年以降巨費を投じて留萠港築港に取り組んでいた北海道庁は、雨龍鉄道免許失効後、雨龍炭田所有の炭鉱業者に対し合同で鉄道敷設と港内の桟橋架設を計画するよう勧め」たという。北海道庁はおそらく、留萠港建設に要する費用の一部を炭鉱各社に分担させようとしたのであろう。

 ここで、留萠港事業の分担は以下のとおり。

   鉄道路線の設計・施工      :鉄道省札幌鉄道局……★
   港内・荷役設備の測量・設計・施工:北海道庁
   同上の材料及び施工労力の一部  :留萠鉄道の寄付
   鉄道路線の費用負担       :明記はないがおそらく留萠鉄道
   列車運行・管理など       :留萠鉄道から鉄道省に委託……★
   賃率設定など経営        :留萠鉄道

 ★の項を見れば、ほとんど鉄道省事業に近かったといえる。留萠鉄道海岸線は実質的には留萠駅の構内側線であって、鉄道省直轄となっても不思議はなかった。敢えて留萠鉄道を関与させた理由はどこにあるのか。

 留萠港事業に出資者を求めたという要素のほか、留萠鉄道の経営支援を図った可能性がある。海岸線に留萠鉄道以外の列車が入ってくれば、留萠鉄道の増収となる。この増収を期待したがゆえに、留萠鉄道は出資に応じたのかもしれない。





■留萠駅大改良(東留萠信号所廃止)

 既に詳述しているので省略する。





■留萠鉄道海岸線(国有化)

 しかしながら、短い区間に別途運賃を付加されては、荷主にとってはたまらない。留萠鉄道海岸線の賃率は割高な水準に設定されており、荷主の不満の的であったと、参考文献(04)は記している。

 昭和16(1941)年 1月18日に開催された第23回鉄道会議において、以下の案文が諮られ、留萠鉄道海岸線の国有化が決定した。

表−2 第23回「鉄道会議議事録」より

此ノ鉄道ノ臨港線ハ石炭ノ積出シヲ主ナル使命ト致シ〔中略〕石炭増産計画ニ依リ、
目下背後ノ空知炭田及雨龍炭田ノ開発増産ガ進メラレテ居ルノデアリマスガ、本臨港
線ハ現在既ニ其ノ能力ノ限界ニ達シテ居ル実情デアリマシテ、本線ノ施設ノ改善強化
ハ、時局ニ鑑ミマシテ極メテ緊急重要ナルモノガアル〔中略〕此ノ際本臨港線ヲ買収
シマシテ、留萠駅ノ改良工事ト相俟ツテ、其ノ輸送及荷役設備ヲ整備強化シ、石炭増
産計画ノ遂行ニ遺憾ナカラシメタイ



 この案文そのものは、建前をうたったにすぎない面があり、字面どおり受け止めるのは危険である。といっても、当初版のようにひねくれた解釈をする必要もない。

 昭和16(1941)年がどのような時期であったかを考えれば、答は素直だし、単純明快ですらある。年表−5のうち昭和16年の部分のみに着目し、日付を補足したうえ再掲載してみよう。

年表−5改 昭和16(1941)年の留萠付近での鉄道開業
月日路線区間
1月28日留萠本線留萠鉄道海岸線の国有化決定
10月 1日留萠本線留萠鉄道海岸線を国有化
12月 9日羽幌線羽幌−築別間
留萠付近で線路付替(東留萠信号所廃止)
12月14日羽幌炭礦鉄道築別−築別炭礦間
12月18日天塩鉄道留萠−天塩本郷間
天塩本郷−達布間(車扱貨物のみ)


 12月のわずか数日に二私鉄が相次いで開業していることがわかる。天鉄も羽幌炭礦鉄道も主な荷は石炭であり、積出港を留萠港に設定するならば、留萠鉄道海岸線の介在は経営面での重石となることは自明である。

 つまり、留萠鉄道海岸線の国有化は、留萠鉄道による投資を補償すると同時に、天鉄と羽幌炭礦鉄道の運賃支出を軽減させ、両鉄道の経営安定を図る措置だったと考えられる。鉄道省としては、留萠鉄道のみ優遇するわけにはいかず、留萠鉄道海岸線を国有化のうえ三私鉄間の公平を期せざるをえなかったともいえるだろう。

 もっとも、この点に関して邪推すれば、鉄道省が三私鉄を間接的にコントロールしようという意図を持っていた可能性を指摘できる。特に天鉄は、留萠駅構内の短い区間が鉄道省に属することで、自社一貫輸送体制を確立できなかった。天鉄は、なんのために敢えて尾根に長いトンネルを二本も掘り、しかも留萌川に橋を架けたのか、と屈折を抱いたかもしれない。鉄道省から便宜を得つつも鉄道省の都合に振り回される、私鉄にとっては些か辛い、一種の上下関係が成り立っていたといえよう。





■羽幌線築別延伸

 前項と密接に関連するが、羽幌線羽幌−築別間の延伸は、羽幌炭礦鉄道に便宜を図ったとしか考えられない。地理的状況からして、羽幌炭礦鉄道の起点を羽幌に設定することは容易であって、敢えて築別を起点としたことは、鉄道省による支援と理解しなければなるまい。

 さらに羽幌炭礦鉄道は、改正鉄道敷設法別表にうたわれている「天塩国名寄より石狩国雨龍を経て天塩国羽幌に至る鉄道」の一部を構成しており、いつでも国有化される可能性が担保されていた。運炭鉄道としては類例の乏しい優遇であり、天鉄や留萠鉄道と比べると破格の扱いがなされていた。

 後には名羽線(曙−三毛別間)が貸与されるなど、羽幌炭礦鉄道の優遇ぶりは際立っている。何故ここまで優遇されたのか、不可思議千万というしかない。

 なお、当初版における官民分担仮説は完全に棄却する。これに関する仮説は 「ローカル鉄道の本質」 に集大成してあるので、参照されたい。





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