このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

第3章 道内の鉄道敷設における官民分担

 

  天鉄とほぼ同じ時期に建設された鉄道路線がいくつかあります。以下に、その代表的なものを列挙します。

【鉄道省】

鉄道名区間開業日等
羽幌線羽幌−築別昭和16(1941)年12月 9日
名雨線(*)名寄−初茶志内(※)昭和12(1937)年11月10日
 初茶志内−朱鞠内昭和16(1941)年10月10日
  *後の深名線
  ※後の天塩弥生

【民鉄】

鉄道名区間開業日等
留萠鉄道恵比島−太刀別昭和 5(1930)年 7月 1日
 太刀別−昭和昭和 5(1930)年10月 1日
 留萠−西留萠昭和 5(1930)年12月 1日
 留萠−北留萠昭和 7(1932)年12月 1日
 分岐点−仮古丹浜昭和 9(1934)年 9月30日
 →留萠3支線国有化 昭和16(1941)年10月 1日
天塩炭礦鉄道留萠−天塩本郷昭和16(1941)年12月18日
 天塩本郷−達布昭和17(1942)年 8月 1日
羽幌炭礦鉄道築別−築別炭礦昭和16(1941)年12月14日
胆振鉄道京極−喜茂別昭和 3(1928)年10月21日
 →胆振縦貫鉄道と合併 昭和16(1941)年 9月27日
胆振縦貫鉄道伊達紋別−徳舜別昭和15(1940)年12月15日
 徳舜別−西喜茂別昭和16(1941)年10月12日
 →国有化 昭和19(1944)年 7月 1日
                  参考文献(08)より

 これらの路線を分類して、鉄道建設における官民分担の法則性を見出すのは、難しいといわざるをえません。ここで、留萠鉄道恵比島−昭和間を留萠A、留萠鉄道留萠3支線を留萠Bとして、下記のように整理してみましょう。

 さて、どのような法則性があるでしょうか。

路線名沿線の特産品改正鉄道敷設法による該当路線官民分担
羽幌海産・林産・石炭羽幌−天塩−下沙流別付近間の一部鉄道省直営
名雨林産名寄−雨龍−羽幌間の一部鉄道省直営
留萠A石炭該当区間なし民営
留萠B石炭など該当区間なし民営→国有化
天塩炭礦石炭・林産該当区間なし民営
羽幌炭礦石炭名寄−雨龍−羽幌間の一部民営
胆振・胆振縦貫鉄鉱石京極−喜茂別−壮瞥−紋鼈間民営→国有化

 

 これはわかりにくい。改正鉄道敷設法に該当する路線であっても民鉄でつくられたり、しかも国有化された路線がある一方そうでない路線もあると。些か強引ながら、これらに法則性をあてはめると、下記のような基本原則があったと推測されます。

   基本原則     :改正鉄道敷設法に記された国の骨格となる路線は鉄道省直営とする。
   基本原則の適用除外:鉱山に直結する路線は民営に委ねる。
   適用除外の適用除外:特に重要な戦略物資を産する鉱山路線は鉄道省直営とする。

 ここでのポイントは、適用除外となる事項です。石炭は確かに重要な戦略物資だったでしょうが、国内の産地は多く、国営にする必要まではなかったと考えられます。「山師」なる言葉があるほど、鉱山はあたりはずれが大きい事業であります。そして、官僚機構というものはこの手のリスクを嫌います。

 改正鉄道敷設法の該当路線の一部(名羽線)を、民営企業である羽幌炭礦鉄道に建設・運営を委ねたというのは、炭鉱経営がうまくいかなくても国は関知しないという責任分担を明確に示す事例と理解すると、わかりやすくなります。胆振・胆振縦貫鉄道についても同様のことがいえますが、鉄鉱石は稀少な戦略物資であり(なにしろアメリカから屑鉄を禁輸されたことが太平洋戦争の発端の一つに挙げられているほど)、さすがに早い段階での国有化が図られたようです。

 このほか、昭和期に成立した鉱山鉄道がことごとく民鉄というのは、事業失敗のリスクを各会社に負わせた帰結と見ることもできるでしょう。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 ここまでは、ある程度合理的な説明が可能です。しかしながら、留萠Bの国有化は、他と比べ突出している気配があります。

 実際のところ、おかしいとみなさざるをえません。留萠港の重要性を鑑みとか、留萠駅の構内配線整頓のためとか、もっともらしい説明が与えられても、どうにも腑に落ちない。少なくとも、胆振縦貫鉄道の国有化と比べ、バランスを欠くように思えます。では、どのように解釈するべきか。別の面から考察してみましょう。

 参考文献(06)によると、天鉄の開業に伴い、留萠駅ではおおがかりな配線変更があったようです。それも単純な配線変更でなく、羽幌線の本線を付け替え、留萌川橋梁まで新設しました。これはごく稀有な事例といわざるをえません。鉄道省→国鉄において、民鉄の都合に伴う本線付替事例は皆無に等しく、もしかすると留萠が唯一の例かもしれません。

 かような事例が珍しいのは何故か。それは、鉄道省→国鉄は他者の都合を顧みずにすむ「強い組織」だからです。しかし、天鉄は宮内省を大株主として仰いでいました。いわば「菊の御紋」を背負ったようなものですから、これは強い。天鉄は鉄道省に対し、相当な発言力を有していたはずで、その力関係が留萠駅の配線変更につながったのではと、筆者はにらんでいます。

 そこで留萠Bを国有化すると、天鉄は否応なく、鉄道省路線に直通せざるをえなくなります。わずかな区間を国有化することにより、鉄道省は間接的ながら天鉄のコントロールが可能になったわけです。留萠B国有化が天鉄開業直前というあたり、鉄道省の天鉄への意志表明と理解できるかもしれません。線路付替では一歩譲っても、列車の運行に関しては当方のいうことを聞いてもらいますよ、と。

 

 

先に進む

元に戻る

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください