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第3章補遺 別の視点による官民分担のあり方
参考文献(04)には、「明治42(1909)年以降巨費を投じて留萠港築港に取り組んでいた北海道庁は、雨龍鉄道免許失効後、雨龍炭田所有の炭鉱業者に対し合同で鉄道敷設と港内の桟橋架設を計画するよう勧め」たと記されています。北海道庁はおそらく、留萠港建設に要する費用の一部を炭鉱各社に負わせようとしたのでしょう。
しかし、鉄道をつくり運営するためには独自のノウハウが要ります。留萠港そのものは北海道庁の事業であっても、鉄道に関する部分は鉄道省などに依存せざるをえず、下記のような分担が行われたと参考文献(04)には記されています。
鉄道路線の設計・施工 :鉄道省札幌鉄道局
港内・荷役設備の測量・設計・施工:北海道庁
同上の材料及び施工労力の一部 :留萠鉄道の寄付
鉄道路線の費用負担 :明記はないがおそらく留萠鉄道
列車運行・管理など :留萠鉄道から鉄道省に委託
賃率設定など経営 :留萠鉄道
鉄道省はこの状況を面白からず思ったのではないかと、なんとなく想像できます。とはいえ、北海道庁の事業に鉄道省は容喙できません。港湾事業は北海道庁のフリーハンドに委ねなければならず、そのために、留萠駅構内側線と見まがう、民鉄の離れ小島的な支線が成立したのでしょう。
参考文献(04)には、留萠B(正式名称は留萠海岸線)の買収理由を下記のように記されています。
その後日華事変が長期化するにつれ、後背地に大きな炭田を控えた留萠港の重要性が認められ、
昭和16(1941)年海岸線の買収が決定された。買収案は 1月18日に第23回鉄道会議で可決された。
買収理由は次のように述べられている。
此ノ鉄道ノ臨港線ハ石炭ノ積出シヲ主ナル使命ト致シ〔中略〕石炭増産計画ニ依リ、
目下背後ノ空知炭田及雨龍炭田ノ開発増産ガ進メラレテ居ルノデアリマスガ、本臨港
線ハ現在既ニ其ノ能力ノ限界ニ達シテ居ル実情デアリマシテ、本線ノ施設ノ改善強化
ハ、時局ニ鑑ミマシテ極メテ緊急重要ナルモノガアル〔中略〕此ノ際本臨港線ヲ買収
シマシテ、留萠駅ノ改良工事ト相俟ツテ、其ノ輸送及荷役設備ヲ整備強化シ、石炭増
産計画ノ遂行ニ遺憾ナカラシメタイ
(第23回『鉄道会議議事録』)
注:西暦年は原典になく、引用者が補った。
これを読んで、留萠鉄道がなぜ買収されたか、納得できるでしょうか。
上に記されているのは表面的理由にすぎないと、筆者は判断します。上記議事録の末文からは次の一文が省略されていると考えるのは、穿ちすぎでしょうか。
其ノ輸送及荷役設備ヲ整備強化シ、以テ本省権限ノ港湾事業ヘノ拡大ヲ図リ、石炭増
産計画ノ遂行ニ遺憾ナカラシメタイ
無論、一次資料にかような記述が残るわけがなく、証拠は全くないのですが、官僚的な行動原理−−権限と予算の拡大指向−−を鑑みれば、当たらずとも遠からずではないかと読んでいます。
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実のところ、留萠地区三民鉄は鉄道省→国鉄に依存する性格が濃く、官民分担の境界の仕切がなおのこと判然としない面があります。
留萠鉄道は、久しく自前の動力車を持たず、鉄道省→国鉄から9600を借り入れて列車を運行していました。留萠Bにも鉄道省機が出張っていたはずですから、留萠Bは実質的には留萠駅の構内側線でした。しかし、名目が留萠鉄道の所有である以上、留萠鉄道の運賃(それも割高な水準だったらしい)が別途加算されざるをえません。これが荷主の不満の的であったと、参考文献(04)は記しています。
留萠Bの国有化は、実態に名目を合わせ、列車運用及び運賃体系を整理するための措置とみなせます。最も主要な動機は、実はこれであったかもしれません。
以上は全て推測にすぎませんし、所詮は一次資料の記述を信頼するしかないのかもしれません。さりながら、短い支線の買収といえども、その背景には複雑な要素が絡んでいたと考える材料にはなるでしょう。
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