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特急「月光」
昭和28年11月11日、東海道本線稲沢電化に伴うダイヤ改正が実施された。この改正で東京〜大阪間の夜行急行列車が1往復増発された。その急行列車に命名されたのが、「月光」であった。しかし、昭和40年10月1日のダイヤ改正で急行「月光」は一端姿を消してしまう。その2年後の昭和42年10月1日のヨンニートウダイヤ改正で世界初の座席・寝台両用の特急列車581系電車が登場。これに合わせ、それまで新大阪〜博多間を結んでいた急行「海星」が特急へ格上げされて特急「月光」として2年ぶりに名称が復活した。新大阪〜博多間の到着時分は、約9時間50分であった。翌43年10月1日、戦後最大級のヨンサントウダイヤ改正が実施され特急「月光」は、1往復増便され2往復の運転となった。 昭和47年3月15日、山陽新幹線が岡山まで暫定開業した。これを機に東海道・山陽本線を走る昼行・夜行特急・急行は大きく変革の時を迎えた。月光は、新大阪〜岡山間が廃止となり岡山〜西鹿児島間に運転区間が変更。また2往復のうち1往復が季節列車(博多行き)にそれぞれ変更された。画期的だったのは、北九州地区を深夜の運転となるために小倉・博多などの駅はすべて通過するというダイヤが組まれたのである。昭和48年10月1日、山陽新幹線博多全面開業までの最後のダイヤ改正として、47年3月に季節格下げした月光を、再び定期列車として岡山〜博多・西鹿児島を走行することになった。昭和50年3月10日、山陽新幹線が博多まで全面開業となり特急「月光」は、 その大役を果たし消滅した。
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