6.若竹塾! 若竹屋酒造場の大いなる野望!日本酒文化教育組織が発足したぞ!
今や酒の業界に良心の残っている人間は居ないのか?と問うたのは、つい先日のこと。
九州は福岡県の田主丸に恐るべき一族が隠れ潜んでいる事をお知らせしたのも、つい先日のこと。
その林田一族の本丸、若竹屋酒造場が「酒は文化であり、酒呑みは文化人である」との主張を、実現すべく日本酒文化教育組織として「若竹塾」を開設した。
通知を受け取り翌日の夕方、若竹屋に電話で申し込みをした。その結果、恥ずかしながら私は第一期生の第一号という名誉を頂いたが。傍目には「ただの大酒飲み」でしかない。実際には壮絶な第一号争いがあった事を知ったのは、第一回の若竹塾での事、青柳さんの台詞で判明した。「私が一番と思っていたら、なんともう先に申し込みされている方が、ほら、そこに」その指し示されたのが私であった。この瞬間、周囲の私の印象は「ただの大酒飲み」となってしまった。日本酒文化教育組織とぶち上げたのだが、前途多難だ。
第一回若竹塾、杜氏を囲みながら
青柳さんと私に発破をかけられる横尾杜氏、青柳さんは「元禄酒」を手にして
無茶苦茶な晴天に恵まれた第一回若竹塾当日、私は久留米から久大本線に乗って田主丸へ赴いた。同じ列車に心底の酒愛好者、青柳氏が居られた事を後に知る事になるのだが、気が付くはずは無い。どこで受付なんだろう?と、いつも「和くら野」でお世話になってる方に尋ねてみれば、「すみませんが、今日は催し物がありまして」「はい、申し込みしておりましたんですが」「えっ?」申し込みした電話を受けられたこの方は、何時も訳もわからず乱入する怪人物と、電話の人物が同一人物とは、信じられなかったようで、心底ビックリしておられた。そうなのだ、私の電話は非常に温厚な印象を与えるので、いつもの危ない人間と、電話をかけてきたおとなしそうな人物が、同一とは信じられないらしい。
そうやって波乱万丈の予感を漂わせて幕を開けた若竹塾。第一回目は横尾杜氏による酒醸造の解説に基づく様々なお話であった。まずは最初に蔵の中を案内されながら、酒とは如何にして醸されるかを、御教示頂いた。洗米から最終工程に至るまで、ほぼ完璧である。麹室まで拝見させていただいた。
そして「和くら野」にて食事しつつ、様々な酒を味わいながら、放言&大言壮語の限りを尽くした。質問も連続で矢継ぎ早に繰り出され、横尾杜氏は大変であったと思う。
ところで、若竹屋酒造場にはひとつの謎が存在している。若竹屋酒造場は、何故か、長崎県で異様に強い!長崎市内の酒屋に掲げられている「若の寿」の看板は、私にとって謎以外の何物でもなかった。
その謎がここで明かされた、若竹屋酒造場は「長崎支店」を有しているのである。確かに平地の少ない長崎では米の生産が少なかった歴史を有しており、こちらから酒が送られていたようだ。しかし、それでも地方の小さな蔵がそこまで頑張っているというのは、先哲の並々ならぬご苦労の賜物に違いない。長年の謎がひとつ解決して、満足した私である。
こんなにうまい酒があって、酒と合う肴があって、他に何を望む?周囲は酒が好きな人々ばかりである。不思議な連帯感を共有できる仲間と酒を呑めば、これほどの酒盛りはありえない。
酒蔵開放をしない事で有名だった「若竹屋酒造場」が300年記念酒蔵開放に続き、今年も行った酒蔵開放で(内輪では一升が四升事件として語り継がれる伝説と化している)、20年貯蔵の古酒を一升瓶数量限定で販売した事がある。入り口の試飲で一口味わった私は、酒蔵内部を脱兎の如く爆走し(何も見た記憶が無い!)、この数量限定酒をゲットしたのだが、その時入手した古酒はすぐさま消滅した。ひね香も非常に少なく、美味であった。「スミ通したんかい?」「いえ」それでこれか!と私狂喜したのです。その古酒すらもこの場で出されている!凄かった!これは最高である!
私は、こくのある酒が好きだ。従って旨味の少ないと感じる吟醸酒はあまり好きでは無い(アル添と吟醸香育成の為に発酵を進めている関係かもしれない)。だが、この時出された吟醸酒はうまかった!こんな吟醸酒ならいくら呑んでも構わない!財布が悲鳴を上げるだけと、割り切れる強かさを確信している。
吟醸!古酒!純米!純米吟醸!元禄酒!三浪漫(明治・大正・昭和があるが、最近ラインナップから消え去ろうとしている)!まさしくこの世の天国状態!
そして原鶴温泉の六峰館にて、汗を流し、解散である。駐車場には妻が迎えに来てくれていた。夫の我侭を笑って許してくれる妻に、感謝である。そうして第一回の若竹塾は成功裏に終了した。
第二回若竹塾、十四代目を囲みながら
和くら野にて餅を焼きながら、お手数をおかけしました
第二回若竹塾は、寒い日であった、そして和くら野に集結した塾生達は、火鉢を囲んでいて、何故か、火鉢で餅を焼き始めていた。恐るべし塾生達、そして太っ腹の若竹屋酒造場!しょうゆ、砂糖、餅焼きセット完備で和気藹々状態である。完璧に全員リラックスし切っていた!今回は新酒のみしか蔵に残っていないとの事で(歳末正月用の酒を入手する為に訪れた際に絞りたて新酒のみしか無かったのだ。商売繁盛、目出度い事だ。)、恐縮されておられたが、洒脱な話術で心底楽しませていただいた。タバコは吸うが、酒が苦手という十四代目は、確固たる信念と冷静な戦略眼を有しておられる。十四代目の半生を伺いながら、笑わせられたり、泣かされたり、そして今年最初の吟醸酒(おり引き中)を頂きながら、横尾杜氏と様々なお話を交わさせていただいた。
私は毒舌家で神経質で繊細な乙女座である。その毒舌家の大酒呑みは横尾杜氏に発破をかけつづける。「十四代目と横尾杜氏がどげな酒ば造るとか、楽しみにしてまっせ!」横尾杜氏の横顔は蒼白であった。死ぬほど恐ろしかったに違いない。傍目には恐喝以外の何物でもなかったかもしれない。
しかしこの時控え目に出された純米酒は、少々荒々しいが、大変大変おいしゅうございましたぁ!
横尾杜氏いわく「今年の純米はびっくりするくらい、良い感じに上がったんですよ」確かに事実だ!
このレベルで純米と、普通酒(若竹屋では表示こそ三造だが、糖類等の添加は行っていないらしい)を出荷してくれれば!私は安くてうまい「若の寿」を目一杯楽しめるじゃあーりませんか!
経営上は利益の大きな特別醸造酒を販売したほうが、遥かに宜しかろう。だが!我々消費者にとっては「安くてうまい酒!」が欲しいのだ!現在の日本酒業界は「利益追求」と高級品指向が進みすぎている。ごく少数の大手メーカーは手抜き大量乱造状態に陥っており、数年先に破綻する事は間違い無い。最近では若の寿の普通酒(芳撰と吟醸酒ブレンド限定酒は一升二千円以下で入手できる)も結構味わい始めた。
私の主張は、大衆の支持無くして、日本の酒文化は存続できないぞ!地ビールを見よ!大衆の支持基盤を欠いたままに薄っぺらなブームに乗って、奈落へ垂直落下したではないですか!と蔵主さんに言いたいのだ!確かに日本酒ほど原材料費が高い酒は無いでしょう。穀物を醸造しながら高いアルコール度数を誇る日本酒醸造は、手間がかかりコストが上昇する物である。この穀物を酒材料としながら17度というアルコール度数を確保した醸造法は、世界に誇れる高等技術である。
だが、高い材料をたっぷり使って、手間をかけて醸した酒がうまいのは当然だ!それでまずい酒を作ったら罰が当たる!それでも知恵と工夫で少しでも安くうまい酒を作るのが、杜氏と蔵の腕の見せ所では無いのですか?この値段で十分過ぎるほどうまい酒を醸している蔵である。それでも、も一歩頑張って欲しい!
火床にて蔵子の皆さんと塾生達、中央は十四代目、手前には一番映っておられた某人物
この日午後6時十五分から地元RKBで若竹屋酒造場が紹介されると言うので「火床」に大挙押しかけて鑑賞会と相成った。蔵子さん達と一緒になって、十四インチのテレビを囲んで見た「食の楽園」私は一生忘れられない不思議な感慨をみんなで共有する事が出来た。第三回若竹塾、蔵主さん囲みながら
第三回の若竹塾は、あの一三代目こと若竹屋伝兵衛さんである。トークの名手としても知られる一三代目は二千年を機に社長職を十四代目に譲り渡し、巨峰ワイン製造に専念しておられる(らしい)蔵主さんが満を持しての御出馬だぁっ!
私が到着した時には、既に塾生達が「和くら野」に集結し、試飲大会を開催中であった(但し有志に限っていた)が、その傍らグラス&ぐい呑み持参して披露中である。
私を送って来た一団は、グラス&水入れをゲットして嬉々としている!(酒蔵来たんじゃぁ、酒ゲットせんかい!)新酒が揃って、あれこれ味見できるが、私は座を試飲する。「家のと同じ味やぁ」と言うのを確認し、暖房皆無の台所で保存管理している私が正しい!
しかし、私はごく普通に振舞いながらも「和くら野」に一三代目が出現していたのを視認していた。
今やこの一三代目は田主丸の河童一族のヌシ的存在である事を知る人も少なかろう。ミッキー安川そっくりの風貌は、河童を語らせたら、留まる所を知らぬ!とも噂されており、絶対に河童に話を振らないぞ!と固く心に誓っていた私であった。その一三代目は何を語るのか?「酒や肴には、それに相応しい器がある!」危険なテーマではないか!美食と美酒に一生涯を捧げてきたとも噂される「日本酒界の辻静雄」に語らせたらば、、
ところで、日本酒どころか、日本の酒業界が危機的状況下にある事を皆さん御存知であろうか?大メーカーの「桶買い」に始まり、「三倍増醸」など屁の河童!「外国生産」に留まらず、「醸造用アルコール」「濃縮葡萄果汁原料の葡萄酒生産」、「糠糖化」までも。もはや真実を知られれば、大衆の支持など得られはすまい。日本の洋酒の歴史が合成酒の歴史であった事から、考えれば酒は文化である事すら理解出来ない輩が、日本の酒を作っている現状。これは喜劇に留まらず、正しく悲劇なのである。
日本酒に芳醇・コク・旨味が失われつつある事が、ここ数十年間の傾向である。これは事実である。「月桂冠の料亭向け特級酒は美味かった、今のは水じゃ」と嘆いていた知り合いが鬼籍に入って数年がたつ。
私はこの点について、警告してきた。「俺は美味い酒が呑みたいんだ!味も素っ気も無いアルコールが呑みたいんじゃない!」それは私の主張である。だからこそ、美味い酒が呑みたいと主張してきた。
それを理論立てて説明解説してくださった。味らいの位置と酒の味との関係、大変よー分かりました。そして20年前にやっておられた「某メーカー」に作らせた日本酒に合うグラスの件。大変笑わせて頂きました。
私は湯呑で日本酒をやっております。通常の夫婦茶碗って奴がお気に入りです。ブランデーグラスや、ワイングラス、各種グラスで呑み分ければ、何が一番美味く感じるか?私の選択が、間違っていなかったとき、胸を撫で下ろしました。しかし、全くの別物にしか感じられなかった時、欧州の葡萄酒文化が、あれほど多くのグラスを作り出さざるを得なかった事が理解できました。そして日本においても、各地方で作り出された「黒ぢょこ」「そらきゅう」「ちょく」等々の存在意義を理解する事が出来ました。昔から「呑んべ」は努力を怠らなかったし、その文化を「呑んべ」達が保存・育成し続けた。洋の東西を問わず「酒のみ」は努力を怠らなかった証拠という訳ですなぁ。
で、吟醸を並べて「どう違うか?」を味わってみれば、確かに「特別吟醸」「吟醸」「和くら野吟醸」と吟醸の違いがすぐに分かる。吟醸を「ギンギンに冷やす」から「熱燗」に至るまでの味わいの違い。私は「ギンギンに冷やす」のが大好きで(ジンみたいに凍結寸前まで冷やすのはやってませんよ!)、それでも今度「ぬる燗」位でやってみようか?と思わさせてもらいました。
豆腐メインの肴は「吟醸」を引き立てるのにサイコーと言うのがシミジミ分かりました。で「和くら野」が豆腐と無茶苦茶合うというのも分かって、肴と合わせればより美味くなる酒が存在する事を痛感いたしました。
確かに魚系統には日本酒が絶好調に合います。牡蠣を含めた生の貝類にはサイコーです。日本酒と合う肴を考えつつ、肴に日本酒を合わせる知的遊戯の可能性に想いを馳せつつ、吟醸酒味わい比べの罠に嵌っていたのに気がつかなかったのです。
私が吟醸くらって潰れて以来、吟醸苦手なんだと言うお話は、「和くら野」でさせて頂いたのですが、純米一升オッケーなのに、吟醸五合で爆沈よぉっ!の私、吟醸ばっかりで「吟醸のK点」越えて「吟醸のバッケンレコード」通過していたのであった。
この時「ふるべん&九響&フジコ・ヘミング」の話で盛り上がるわ、藤田さんトコの娘さんが「ドイ」でやっている個展の話で盛り上がるわ、既に「出来上がった」一団が「和くら野」に出現したのでありました。
K点&バッケンレコードを超えてしまった私は、古傷が痛み出していたのに、あんまり美味いんで止められず、ドツボにはまっていたのでありました。
その結果、「奥さん。ごめんなさーぃ!」と、今も言いつづけている。
翌日、午前五時に目覚めながら、古傷が痛んで、どーしようもなく、つくり参加断念し、一週間の断酒をせざるを得なくなった私であった。
追伸
この雪辱は次回の酒蔵開放で晴らして見せる!と絶叫し続ける私は、つくづく吟醸酒は悪魔だ!と思う。
最初に戻りまっせ!
7.薩摩酒造襲撃!1年ぶりの薩摩酒造襲撃記!
さつま白波は、最も近しい焼酎の芋焼酎である。さつま酒造が保有するさつま白波観光蔵には、南薩摩に出かける事の少ない私ですら、足伸ばしてみるか?と思わせる魔力が在る。
今回、饂飩巡礼団の面々でさつま白波の酒蔵を襲撃してきた。当日午前六時出発、久留米インターで高速道路に乗り八代南インターで高速を降りて、長島経由で一路南薩摩の枕崎を目指した。3号線から270号線に入れば、間違い無く到着できる。この方向から枕崎に入った場合、花渡川に当たれば右折、そのまま南下せよ!壽屋が左になれば、右にさつま白波と書かれた櫓が出現するから、間違え様が無い。
今回は途中で長島巡遊をしたり道草を食いながらで6時間かかったが、無事にさつま白波観光蔵に到着した。ここの見学コースのしょっぱなが、この蒸留器のコレクションである。
今回は普通に近い形の見学である。説明は無茶苦茶丁寧で、石室まで覗かせていただいた、扉を開けてくださったのが観光蔵の杜氏さんであったと知ったのは後のこと。
それが終わると、試飲コースなのだが、しょっぱなは当然、千尋の三種から、米・麦・なつめやしの変り種焼酎ラインナップに移り、芋の品種違い五種。この中、全てを飲み干すという難行苦行を果たして満願を迎えてみれば、結論は原酒の一升瓶であった。
私は焼酎に関する限り、長期貯蔵に疑問を呈したい。フレンチ・オークが主流なのか?一風独特の風味が追加されるのは間違い無いのだが、焼酎がウィスキーになってどうする?各蔵が独自色を争うならば、素材の変更・醸造法の変更・酵母の変更等、いろいろあるだろう?ウィスキーへの劣等感の発露か?どう、取れば良いのか?樫樽長期貯蔵に走った各蔵の戦略は現在のところ、欧州各国の攻撃目標となり、裏目にしか出ていない。常圧蒸留であれば、寝かすだけで上手くなったのに、減圧蒸留では寝かしても昔の常圧蒸留した焼酎のように味に深みが出てこない。だから、ハクつけを狙ってフレンチオークの樽を使用したというのが、正直なところかもしれない。
私に言わせれば、ライトに移ろいつつある軌道は、数年後本格豪快常圧蒸留焼酎復帰という形で軌道修正を余儀なく成されるだろう。願望も大きいのが悲しいのだが、なーしてこっぎゃーん、話が脱線するとだろか?
これだけのラインナップが貴方を待っている。手前の列だけで1/3だから、全種制覇は意外と困難だ。実は左に壷入り焼酎五種、向こう側にはビン入り芋焼酎、主力商品一覧があったりする。
気合を入れて、体調を整え、全種制覇を目指して欲しい。味あわずして、酒を買えるか?呑んで、呑んで、呑みまくってから、自分の一本を選んで欲しい。としちゃんも、私も、迷わず原酒であった。長期貯蔵酒はくせがあるというか、イヤであった。芋が良い、気合の入った芋が一番という結果に落ち着いたのである。
ここを後にすれば、国道225号線を利用して鹿児島市を目指そう。途中で川辺町の道の駅で食事しよう。甘い醤油の九州人に取ってちょうど良い塩梅の味であった。川辺には温泉も在る、このルートで進めば指宿スカイラインにも合流できるし、なかなかグッドだ。一番早く高速に合流できるルートだと思う。指宿有料道路からならすぐだしね。
このルートで226号線に合流し、フェリーで桜島に渡ったら、マグマ温泉で汗を流そう。300円でさっぱりできる。祁答院の温泉は全部もっと安いんだが、夕暮れのマグマ温泉はえーでっせ!これで休憩室つかえれば、最高なんだが。
帰りは錦江湾をぐるっと回って加治木から高速道路に乗って、久留米まで爆走した。高速道路だけなら二時間半だろうか?途中でパトカーのケツに食らいついて爆走したりと、下りの渋滞を尻目に順調に走行し、久留米インターに到着したのが午後10時、そのまま丸星になだれ込んで夜食を取って基地に帰投したのが11時であった。走行距離は630キロ、1回の小旅行はいつもこんな感じだ。途中で「このまま高松の松下にうどん食いに行こうか?」発言が乱発された。桜島のマグマ温泉の効果かもしんない。
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8.無濾過生原酒!若竹屋恐るべき挑戦!2002.9.21
無濾過生原酒という言葉を同義語に置き換えれば無茶し過ぎの生鮮食料品とでもなろうか?味がころころ変わってしまって、一定しない酒とでも言えるだろうか?生は甘くなる。無濾過は重くなる。酸も強くなる。まったくの別物に仕上がっている感じである。
私ならば怖くて売れない酒だ、こうなると博打に近い。まだ酵母は糖を食いよりゃせんか?味が全然違ってきゃーせんか?こんな凄まじい酒を出した若竹屋の英断をどう評価するかは、まだ、判断を保留したい。何故って?美味いか?不味いか?三回呑んで判断せにゃならんでしょう?
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9.何処でも吟醸酒!実は私、嫌いなんです!2004.2.24
酒と言えば、吟醸酒になってしまって、結構経っている。実は、私にとって果実臭に近い吟醸香という代物、あんまり気分の良いモノではない。日本酒の歴史は、ごまかしの歴史で、炭や、付け香、醸造用アルコール、醸造用糖類、糠糖化装置、デンプンによる醸造法、もはや恐ろしい代物になりつつある。
そんな酒造業界が、利益確保の為に、吟醸酒醸造にシフトし始めて、普通種の生産は縮小している。純米では普通というイメージがあるのか、吟醸酒でないと売れないのであろうか?私や私の一族は、吟醸酒を嫌う体質のようで、純米なら呑めるが、吟醸は受け付けない。そんな我々にとってどこでも吟醸しゅ〜という今の現状は、悲し過ぎるのです。普通に純米酒が呑める状況というのは無いのでしょうか?
酒飲みにとって、吟醸酒なんか、百害在って一利無しの酒ではないんでしょうか?私は、最近そう感じています。
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