福岡の怪しい饂飩
福岡の饂飩で腰があったら、それは福岡の饂飩ではありません!100%常時「釜揚げ」状態!一気に伸びます!基本的に茹で上げて水で締めないのが、福岡の饂飩です。
水で締めない「釜揚げ」のまんま!熱かろうが、速攻で食え!恐らく博多のうどんは日本一柔らかいうどんでしょう。福岡のうどん屋さんの常套句「出汁で煮込んで仕上げます!」は事実なのだ!博多は大阪と同様に商人の街でしたが故に、店に飛び込んだらすぐに食する!「時間が無いったぃ!はよ、ださんね!」といわれてきたのでしょう。つまり日本伝統のファーストフードであったのです。
ちなみに博多は福岡とは別物で「山笠ばかくトコが博多」らしいのですが。私の同級生は「山ばかくけん、明日休みます」と教授に自己申告しておりました。そいつが凄いのか、教授が凄いのか。久留米工専も私の時代までは良かったなぁ。
福岡の怪しいうどんの場合、味では福岡県立美術館近くの「さぬきうどん田」、麺では桂川町国道(別名高速道路)200号線沿い「大助うどん」、値段と味のコストパフォーマンスではあっちゃこっちゃにある「人力うどん」と、北九州美術館のお帰りにどうぞ「かかしうどん祝町店」ですが、他にも怪しいトコには困りませんよ!
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唐津宝当神社参拝
伝説の宝当神社襲撃!サザエのつぼ焼きは何処?私の胃袋は知らんと欲す!唐津城の駐車場、其処に車を止め橋を渡って唐津市街地の方に向かえば、高島への渡船乗り場が有る。高島・宝当神社へは海を渡らずしては行けない!
高島は宝当神社の村興しで「嫁不足無し」「渡し舟が儲かってる!」と連呼しております。佐賀の離島では信じられない好景気なのです。北部九州の離島で「嫁不足無し」がどれだけ凄い事か!これほど事態が好転したのは福岡県の姫島(完全下水道完備で、嫁が爆発的にやってきたという)くらいのモンだと、その人は言うとりました。あとね、フジテレビがやってきた加唐島も結構良いんだけれど。
大体時間を確認すれば宜しいが、ビッグの時期は大変で、最近はツアーまで連荘(れんちゃん)続発状態だ!従ってツアー客専用の特別便が連発状態!それに興じて「鷹島目当て」の海上タクシーが就役するに至った。でも、我々は安いから漁協運営の連絡船を利用する。
参拝後は宝当お休み処で、宝当グッズを漁られれば宜しいかもしれぬ。
だが、パクリ物が多すぎるのはご愛嬌。これほど当たりに当たった神社は無い!関係者の当選連荘状態が今のブームの遠因なのだ。そう言えば鷹島にも居たっけ?離島は宝くじが当たるんだろうか?
だが、さざえのつぼ焼きはどーなったんじゃぃっ!昔はあったでしょうがぁっ!
漁協の事務所の横にあるプレハブ時代たい!復活させんですかぁっ!
追伸
高島のグッズ販売&ツアーは留まる所を知らない様で、もう一箇所の神社参拝に切り換えた私である。
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九州JRの立ち食い店舗
九州の駅における、軽食類・怪しい店舗の充実振りはほとんど日本最強集団である。怪しい構造でも知られる折尾の駅(ロータリーを囲む駅というのは珍しい)のたこ焼きは一部激安愛好家の間では特筆すべき存在として名高く「100円たこ焼き」として知る人ぞ知る状態、加えて九州最高水準を誇る折尾駅の予約専門爆笑巨大「かしわめし弁当」も忘れてはならない!
鹿児島本線と長崎本線の分岐点であり、久大線の基点でも有る鳥栖駅には九州最古のかしわめし駅弁、そして九州最古の立ち食いうどんがある。
小倉駅にはぷらっと・ピット(プラピ、ブラット・ピットでは無い事に留意されたい)が君臨していた。
鹿児島本線と久大線の分岐点である久留米駅には、特急「由布院の森」で車内販売される人気駅弁を一手に供給している、中央軒。私の知り合いはここの冷えた駅弁が大好きである。
立野駅には無敵の「にこにこまんじゅう」がある。阿蘇を訪れた際には必ず食して欲しい。国道57号線に立野駅の看板が在ったら迷わず曲がりなさい!
枝線の終着駅なのに頑張っている三角駅、絶滅寸前稀少種駅弁の「たいめし」「天草四郎弁当」のおさふね!
八代の怪しい駅弁も、ちかじか、襲撃・蹂躙予定だ!
もう一回、九州一周駅弁へ挑戦しようか?と思っている今日この頃。
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仁義無き抗争、列車vsバス!
JR九州は、特急「かもめ」で九州一円から若年購買層を天神に吸い寄せ、「かもめ族」なる言葉を生み出した。九州一円のバス会社は、各中核都市と天神を結ぶ高速バス路線を整備し、運営してきた。
だが、JR九州は、博多から佐賀・北九州・熊本・大分の各都市へ1時間2本の特急列車を運行させるわ、各県と連帯して鉄道を整備強化し列車の高速化にまい進してきた。その結果誕生したのは、「かもめ」「つばめ」「ソニック」「ゆふいんの森」に代表される地方最強高速列車群である。地方の特急列車としては非常に成功した部類に入る「ソニック」「ゆふいんの森」の人気は絶大だ。定時制はバスの比ではなくJR九州は、バス連合を圧倒してきた。だが、九州バス会社の盟主をもって自認する「西日本鉄道」は、本業で無茶して利益確保(無茶し過ぎは言語道断、当局の手入れを食らうわ、厳重指導食らうわ、ドライバーこき使い過ぎて事故続発!ほとんど毎日やってますね)し、全力を投じて最終戦争を挑んだ。天神再開発の最終計画として、九州バス交通網の中心天神に直接高速バスが乗り付けられるバスターミナルを建設し、巻き返しを図ったのである。
天神は西日本最大の歓楽街「中州」、伝説の「親不孝通り」に隣接する九州最大の吸引力を誇る商業地であり、その天神の一等地を確保しているのが「西日本鉄道」なのである。最近赤字続きの岩田屋百貨店を切り捨て、「三越」とコンビを組んでの天神再開発に成功してしまった。JRを利用する限り、博多駅から天神まで地下鉄に乗り換えなければならない。この致命的なハンデを考えると、誰もが仁義無き抗争に終止符が打たれた、「西鉄」バス連合が勝った、と思っていた。
だが、JR九州には、世界最強の狭軌鉄道車両制作集団が存在している。
彼等が満を持してデビューさせた白いかもめは、天神に直接乗り入れられないJRの不利を挽回する最終兵器である。ほとんどハングオン連続で駆け抜けていく一連の超高速特急列車(白いかもめは恐怖以外の何物でもないが、一番怖いのはソニックの博多−大分間)は、ジェットコースター状態である。JR九州は世界最強の狭軌超高速列車天国になっているという事実は、一度乗車していただければ「九州に新幹線なんて要らない!」と絶叫したくなるほど体感できるの!
だが、秘境駅必死の船小屋駅の建設が決定し、長崎新幹線の建設は前途多難、長年の店子を無視した博多駅の再開発で阪急百貨店の入居決定、、JR九州の20年後がヤバくなった気がするのは私だけだろうか?ここまで異常気象が続くと天変地異に弱い九州という立地を勘案すれば、とんでもない災害で大赤字を抱えていそうな気がするんです。
もとに戻りまっせ!
イカそーめん度!
「イカそーめん」度はうどんの評価基準として確立した目安である。
透き通った麺は、美味い!という経験則。透き通った具合が「イカそーめん」のごたる!故に「イカそーめん」度が誕生した。
スーパーの特売白濁したイカそーめんから、生きているイカをさばいたイカそーめんまで、その程度は様々だ。
「イカそーめん」度であれば、皆さんも評価・判断しやすいのではないだろうか?
そーいえば、吉井の「長尾製麺」の若大将の決め台詞でも在るので。ここに挙げておこう。昔は吉井のイベントで、テント張って売っていたが、最近では納期追い込みで休む暇さえ無いらしい。ここのそーめんも美味いのだが、私の場合には天下無敵の「南関そーめん」の方を評価したい。手作り南関そーめんは、あのおばちゃんが最後の伝承者なのだ。恐らく、手作り南関そーめんは、あの人をもって絶えるだろう。
もとに戻りまっせ!
裏ミシュラン
日本の食い物屋紹介本で、美味い・不味い・口に合う・口に合わないを、冷静に公正に評価した出版物・放送番組は、その形式を問わずに、幾つ存在するだろうか?
何故か関東の味覚が評価基準で選ばれるどっちの料理ショーで紹介される九州の店の半数を、私は美味しいとは思わない。関東のモンの口には合うが、ワシ等地元のモンには合わないのだ!と判断しようにも、懸け離れた評価をするトコも少なくない。映像的なインパクトで紹介するのが目的で、味は二の次!と思っている。
そんな中で、笑えたのが、サイバラ(高知県出身の怪し過ぎる危険思想漫画家)とこーたり(薄ら禿げのエセ文化人気取りの謎の人物)が食いまくる!暴れまくる!暴走する!の三拍子そろった傑作「裏ミシュラン」であった。このレベルとは行かないが、長崎県長崎市で地元有志が「長崎ちゃんぽん」マップを出したが、地元飲食業界の反対で美味い・不味いの評価がトーンダウンさせられた。残念である。私だったら、やるよ、地元飲食業界からの申し入れ全部そのまま記載して、交渉の模様を録音したテープ付けてやるぞ!
自分が本当に美味いと思う店を、何故、形にする事すら出来ないのか?不味い店でも金さえ出せば、TVや雑誌で紹介される。そして行った人々は落胆し、TVや雑誌の客観性に疑念を抱く結果に終わるではないか!(某福岡のローカル局某FBSはCM料金ただどりを長く続けてボロ儲けしていたが、OBがバラしても他で問題視されるまで何もしなかった。加えて、言った台詞が「一部部署で、、」絶句だ!ムック雑誌に至っては金出して記事を作らせているんだから、信じる方が馬鹿である。インターネットが個人による情報発信を可能にした事は良かったかもしれない)
私のHPで上がった讃岐の店は、みんなソコソコ我々の口に合ったトコを記載している。
福岡うどん迷宮の店舗、半分はインパクト・オンリーだ。福岡の怪しい店は紹介しても、私の口に合う店はあんまり挙げていない。福岡のうどん屋で美味いと思える店は、あまりにも少ない。私のお気に入りは
高松の「松下」高瀬の「上杉」綾南の「田村」「松岡」坂出の「めん吉」「蒲生」飯山の「木村」が、是非とも行きたいクラス。故に指定店という呼称がこの七店舗の為に用意された。
牟礼の「山田屋」坂出の「彦江」綾上の「山越」綾南の「赤坂」綾歌の「前場」の推奨店という呼称がこの五店舗の為に用意された。
高松の「丸山製麺所」「ヨコクラ」「中西」善通寺の「はすい亭」「ジャンボ高木」大野原の「萬城屋」坂出の「いきいき」が評価店である。
ここの評価基準はセルフに甘く一般店に厳しい。一般店で外れたら、ポイ捨てだ。
うどんの「かね泉」は、何処かに在るハズの美味い店を探し続けている。松山店以外にはまだ美味しいハズの店が無いのが悲しい。セルフで食った、箕浦で食った、美味しいトコあったら教えて頂戴!
満濃の某店は行きたくも無い。食材と従業員の管理は食を供する者の基本であり、その基本すら出来ていない店など、存在価値は無い。この満濃某店のせいで、奇書「恐るべきさぬきうどん」等の信頼値が一気に低下したという、曰くつきの迷店なのだ。
繰り返そう。私が美味しかった、美味しいと思った、怪しいと思った。それらの総合がこれである。久留米んモンと香川んモンなら、舌も味の基準も違うじゃろう。水の量を減らして芯を残せば腰があるのか?たんぱく質由来の腰と伸びを求めるより、腰だけを強調したほうが簡単だし楽だ。詫間高専のうどんデータベースは閉鎖に追い込まれた。ホントの事を書いたらいけんのか?悲しい国になってしまったな。そいつが美味しい、そいつが不味い、それは個人の評価であって、それを広言する事が出来ない国家になれば、それは悲しい事だと思う。他にも、そーゆーので、追い込まれたHPが散見される様になってきたなぁ。
もとに戻りまっせ!
饂飩という名の練った小麦粉
うどんを頼んで食い切れなかったのは記憶に或る限り三回のみだったが、現在四回になった。
一度目は「うどん八杯、スープまで飲み干して玉砕事件」。これは純粋に胃袋のバッケンレコード突破しただけです。十杯食べたら食い逃げ+賞金というありがちな事をしていたうどん屋さんに、従兄弟が連れていってくれたあの日の事を、私は一生忘れない。しかし、小学生に普通十杯食わせるか?身長168センチあった私を誰も小学生とは思うまい。それが悲劇の原因であって、胃袋には限界があったのだと、体感した最初の事件でもありました。二度目は玖珠郡の某JA側の饂飩とは言えない代物を出す店を訪れたとき。このうどんと名乗る練った小麦粉を温めただけの代物を食した時「純粋に殺意を覚えた」ほどです。恐らく日本でもトップクラスの不味い代物を出すこの店は、空前絶後の名店として周知徹底させるべきだ。
三度目は浮羽郡のかけうどん180円、熟成麺と称して加水し過ぎで腰の無い麺を更に寝かせて、β化させて、加えて呉化させた上に、伸ばした結果「これなぁーに?」と言いたくなる代物を食わされた時。腰も何も残ってはいない、それは摩訶不思議な代物で、その不味さは言語道断な名店でした。
この空前絶後な名店と、言語道断な名店の前に、中途半端に不味い店は「不味いのも中途半端なつまらん店!」と断罪されてしまうのであった。
四度目は善通寺の近くの某店、この為に全ての評価は消失し、二度と行く事は無いだろう。
もとに戻りまっせ!
嗚呼青春の食い物屋
私の青春時代の食い物屋を語るとき、カレーの熊を省く訳にはいかない。
「カレーの熊」とは、何ぞや、私と同世代の久留米出身者で「カレーの熊」を知らぬ者は居ないでしょう。玉葱をよーく炒めた独特の甘味のあるあの熊のカレー、210号線バイパスの熊も閉店し、あのカレーは失われてしまいました。後に最近急速に増殖を開始した新世代店、あの一味ラーメンが入っております。一味は北野町の本店、田んぼの真中のプレハブの店で食べるのがよろしいでしょう。最近昔の雰囲気が無くなると同時に、大量出店を開始して、だんだん味が、、、すいません。話が脱線してしまいましたね。国道3号線沿いトラッカー御用達の「丸星ラーメン」では替えメン2つ、大根の漬物ぶち込んで食いまくる。久留米の丸星に対抗して、佐賀県基山の丸幸ラーメンも、大根の漬物ぶち込んで、ここなら大盛りか特製ラーメン食いまくる!花畑大龍(今の大龍ではありません!昔の花畑大龍です!)ではメンが見えなくなるチャーシューメン。沖食堂ではラーメン&おにぎり、特に金曜日がスープが濃厚でうまかった!大砲ラーメンでは激辛たれを入れては親父にぶーたれられ、、濃厚一番、久留米ラーメン。ここのはスープが濃い(こゆい!)知久留ラーメンは独特の昔風のスープ、、、
私の学生時代はラーメンと共にあったと言っても良いでしょう。
特に就職後、勤務の関係で夜勤を終えた後に帰宅途中で食しつづけた丸星ラーメン。年に二百玉以上丸星で食いつづける数年を過ごし、毎回替えメンし続けた私は、店のおばちゃん達に顔を覚えられて、今も顔を出せば古顔のおばちゃん達と挨拶する関係に至ってしまいました。
食券の無かったあの頃は、店に入れば注文無しでもラーメンが出てくるし(とにかく麺をゆでていたおばちゃんが、店に入ってくる人間を数えつつ、大釜にラーメンを投げ込んでいたんです)、ラーメンが来たと同時に野太い声で「替えメンいっちょー」と叫べば、メンだけ食い終える頃にタイミングを見計らった様に替えメンが届く。そして、スープと込みでしっかり貪り喰う!
食い終えると丼の底から現れた「まいどありがとうございます」の文字。今も替えメンの丼は昔ながらの瀬戸物ノスタルジック、昔の丼見たさに替えメン頼む奴も居る。おでんの丼も昔の丼である。
もとに戻りまっせ!
どこの「かな泉」がおいしい?
私の「かな泉」体験は、そー多くは無い。国道沿いの「かな泉」が最初で、次もそこだった。ひさしぶりに、松山で食べた。ここはうまかった。うれしい事に冷酒も付けた、もう少し甘口でも良かった。ここがうまかったんで、巡礼団メンバーの評価は一気にうなぎ上り!
で、本店のセルフで食べた、あんまりおいしくなかった。悲しかった。松山ではあんなにおいしかったのに!
倉敷に出張した、そこにもあったんで、ざるを食ったら不味かった!古市でぶっかけを食した後であったが、口直しにまた古市に行ってぶっかけを食した。古市の方がえらいおいしかった。ちなみに一番好きな古市は倉敷駅北口側の駐車場の一階にあるセルフ店であった。
陰陽を基本とする日本の民間伝承型呪術思想では、東北を「鬼門」南西を「裏鬼門」と称して、重要視する。で、香川県南西の裏鬼門に位置するみの浦店で食した。うどん屋が陰陽を理解する筈は無く、不味かった。悲しい程に不味かった。
今度は「松山」で食して、幻影を叩き潰しておこうか?でも、うまかった記憶ゆえに、何処かに存在する筈のうまい「かな泉」を求めてやまない我々であった。
もとに戻りまっせ!
福岡の怪しいうどん
福岡のうどん屋は、怪しい。濃厚極まりない出汁(かまどの大釜で焚き上げられる出汁は黄色みを帯びており、濃厚さは久留米ラーメンに匹敵する!)の「久留米荘」、饂飩と一緒に出汁の入った薬缶が出てきて食いながら饂飩が吸収し減少した分の出汁を補給しつつ食わねばならない「牧のうどん」、メニューにうどんと言う文字が無くうろん、うろんと連呼している「かろのうろん」、まだまだ揃っているから恐ろしい。店だけでは無い。システムですら、常軌を逸しております。えび天と称しつつ海老がちょっと入ったカキアゲをのせて「えび天うどん」、すり身のさつま揚げを乗せて「丸天うどん」、どんな大食いであろうと麺が茹で上がる度に親父が麺を追加する為に「大盛り替えメン無料!のかかしうどん祝町店」、一回足を踏み入れてみれば、その怪しい福岡のうどん迷宮はあなたを魅了する事でしょうが、、福岡うどん迷宮でも作ろうかなぁ、よし、ねたはフル揃っとるけん。
しかし、福岡県以外の地では替えメン或いは替え玉という概念すら理解できないでしょう。大分県佐伯市の旭川ラーメン二号店で大将に「替えメン」の説明をして、何でわかってくれないのぉっ!と歯噛みした体験があるんですから。
もとに戻りまっせ!
日本一壊れるヴィータ!
1995年の年の暮れ、花粉症に悩み、左膝の不調に苦悩する私は、久留米のヤナセでマルセイユ・レッドのヴィータ・スィングを購入した。当然年明け納車である。余計な税金払うほど、裕福ではないのだから。但し、年内納車を拒否したから、絶対はずれを振り分けられたとしか、思えない程に壊れまくった。
窓ガラスが途中で止まったり、ドア内部に消え去ったり、大きな声では言えない速度で高速道路走行中にエンストしたり、ゆっくり走っていてもエンストしたり、ボディにクラックが入ったり、スピードメーターのケーブルが切れたり、ガソリンがだだ漏れしたり、コグドベルトがきれかかったり、新車を正規ディーラーで、値引き無しで購入したとは思えず、「オペルっちゃ、ラテン車やったとですか?」と周囲の関係者各位を驚愕させ、オペルのブランドイメージを、地獄のどん底まで叩き込んだ。
ヴィータのこの手の奴はスペインで生産されているので、ラテン車に分類されるべきだと思われるのだが、誰も知らない。スバルが販売を開始するザフィーラのタイ生産車両を、ドイツ車とするか?タイ車とするか?微妙なトコがある。ベンツも小さい奴の右ハンドルは南アフリカ生産分なのだ。これをドイツ車と呼ぶのか?南アフリカ車と呼ぶのか?生産コストを勘案した生産方法と工場の再配置は我々に様々な問題を提示した。すこーし考えねばなるまい。
とにかく、うちのヴィータは、恐ろしい程に壊れまくった!1996年はヴィータ「故障の嵐作戦」と呼ばれる程に壊れまくった。その後ボディクラックは完治せず、2002年3月ドナドナされていった。
もとに戻りまっせ!
二軒目
この時、既に閉店していたらしい。探しても分からないハズだ。
もとに戻りまっせ!
久留米ラーメンって?
久留米ラーメンは、南京千両(南京占領に引っ掛けたネーミング、軍都久留米の歴史が伺われます)が東京の中華そばを輸入した事に起源を発します。後に三九で清湯スープを濁らせ白湯にする事故を起源として、久留米豚骨白濁ラーメンが成立します。ただし、久留米の豚骨は、鶏がらで旨味を、豚骨でコクを、そして薄口(白)醤油で整える、醤油ラーメンの亜流と言えるかもしれません。この点をよくご理解いただきたい。久留米白濁豚骨ラーメンの元祖三九では、多くの弟子を育て上げ「同業者の近くでは開業するなよ」の言葉と共に送り出していった、それ故に多くの豚骨ラーメン屋がこの流れを汲んでいる事が知られております。熊本・宮崎の豚骨ラーメンが代替わり後に展開し玉名に出店した三九の味を元にしたと言われている様に、久留米を中心にして多くの豚骨ラーメン屋が増殖した事が知られているのです。しかし、久留米・長浜の豚骨ラーメンの未来には暗雲が立ち込めつつあります。九州豚骨は、オリジナルの形で他地方の消費者に受け入れられなくなっている悲しい現実があるのです。
それは久留米豚骨白濁スープ成立に原因がある。元来、ラーメンは澄んだスープであった。従って久留米ラーメンの元祖として認知されている南京千両は「清湯スープ」で開始されている。だが、三九がスープを濁らせると言う事故を契機に「白湯スープ」に切り替え、濃厚さを強調して好評を博した。ここに久留米白濁豚骨ラーメンが成立した。
「白湯スープ」には濃厚さがあり、雑味を内包してしまった結果、次第に濃厚さを競わざるを得なくなってしまいがちなのである。舌は慣れて、やがて麻痺する。客をあきさせない為には、スープの組み立てを複雑にして行かねばならない。
濃厚な豚骨ラーメンが、展開を開始すれば、行き付くところ、激辛や油濃さの極端に走らざるを得ない。その結果、毎日食えるラーメンという側面がが、新世代ラーメンには失われつつあるのです。年寄りにも子供にも、受け入れられる味は毎日食える、過不足無き中庸の味ですが、その味から逸脱しつつある店が増えつつある今、豚骨ラーメンの未来は暗いと言うしかありません。
久留米ラーメンの未来は、根本中道の「清湯スープ」への回帰しか無いでしょう。豚骨ラーメンでも醤油味なのを思い出してください。白醤油を使用するだけで、豚骨醤油味なのですから、醤油味を受け入れる余地が存在する事を理解してください。最近は塩ラーメンに心惹かれつつあるわ・た・し。
しかし、久留米ラーメンが堕落したとしても、第二ファウンデーション的存在として「北九州の久留米ラーメン」が存在するのです。三九の大将は今北九州で「来々軒」を開店をし、北九州は久留米ラーメンの第二ファウンデーションと化しました。久留米ラーメンが食べたかったら、北九州を訪れるのが宜しいかもしれません。
元に戻りまっせ!
日本酒の欠点
日本酒には致命的欠陥があります。保存が利かないんです。特にコクのある好きな銘柄は、寝かせると駄目になっちゃうんです。端麗とか言われる味の無いアルコールを水で割った様な奴は、寝かせても構いません。
私に言わせれば、醸造して絞ったら、一週間で呑み切りたい。つまり、一年中醸造しておいて欲しいのです。確かに半年程度寝かせて落ち着かせた方が美味しくなるかもしれませんが、ベストの状態から二週間で呑み切りたい。確実に三ヶ月たてば味が落ちています。日本酒のひね香
日本酒は、保存すると「ひね香」と呼ばれる異臭が発生します。私、これが大嫌いです。吟醸香とひね香はどうしても好きになれません。
醸造から一年経った酒は、大きなタンクで細心の注意を払って保存してあっても、きつい。筑後地方には醸造後三年経たないと出荷しない蔵が在ります。吟醸や純米の気合の入った奴は、少し寝かせてからしか出荷しない蔵も知っています。個人的嗜好の差だろうが、私には辛いものが在る。
短期集中厳寒期醸造
酒の醸造は、雑菌の発生しにくい厳寒期に集中して行われた。酒の醸造でも一歩間違えれば、酢酸発酵が始まって、酢になったり、腐敗したりする。蔵に棲んでいた酵母を利用して醸造していた時代には、これが最善の方法であっただろう。
厳寒期は農閑期でもあった。人海戦術での醸造には農閑期の余剰人員が必要であっただろう。だが、時代は変わった。労働単価も上昇した。そしてキャッシュフロー、銭を寝かせる余裕のある蔵も減少した。
農閑&厳冬期に製造して、一年間、鮮度&味が低下していく製品を保持しつつ、販売しなければならないのだ。材料は一年に一回、どかーっと一気買い!出荷は製造後、ずぅーっと小出し。経営するんなら、悪夢に近い。銀行からの借入れは、、絶句だ。
私は小ロット少量醸造を一年中続ける小さな蔵、資本を年三回は回せる体制がベストではないか?と、思っている。酒造好適米を一ヶ月毎に醸造必要量のみ購入し、一ヶ月の販売量だけ醸造する。キャッシュフローから見れば、これが最適だろう。
哲学皆無の情けない日本の消費者
そして日本酒の蔵と酒呑みの哲学欠如は、致命的だ。宣伝に乗せられた酒飲み達の移り気は凄まじい。辛口がブームになったら、どこでも辛口!吟醸が流行れば、どこでも吟醸酒!あほかぁっ!夏場のギンギンに冷え切った吟醸とか端麗辛口は、大好きだ!でも、何時も呑む酒じゃないでしょ!
地元民の支持を受けなくなったのは、軽薄な消費者にも問題がある。灘のイメージ先行の販売も問題があったかもしれない。だが、地酒にも魅力が無かったのも無視できない。私は知る者全てが語る事を拒否する暗黒時代を知らぬ。だが、灘が桶買いで、業界支配に成功した頃、何故、人々を啓蒙しなかったのか。
元に戻りまっせ!
焼酎の欠点
焼酎蔵も、日本酒の蔵と同様の醸造法に起因する致命的欠陥を有してはいるが、ちょっと違う。日保ちしない芋故の短期集中醸造
一点集中醸造は同様なのだ。特に芋に関しては、醸造期間は短い。芋はすぐに悪くなる。熊本県大津では、芋を収穫後寝かせてから出荷する裏技を完成させている。芋焼酎もこの技を応用して、半年位醸造出来るようになれば、冷凍芋でコストアップする事も無くなるだろう。
悪魔の囁き?減圧蒸留
蒸留酒の焼酎は寝かせられる。寝かせば寝かせるだけ、味が良くなるのだ。だから、問題は蔵の醸造方法だけなのだ。焼酎の減圧蒸留機がかなりの問題なのだ。
コスト削減に貢献する減圧蒸留機を使用する焼酎では、寝かせても味に深みが出ない。軽くなってしまう。日本酒と同様に焼酎も味が薄くなってきたのだ。
それを補う為のオーク樽保存、それが理由ではなかっただろうか?樽貯蔵で勇名をはせたメローコヅルの成功から時間が立ち過ぎてオーク樽貯蔵が流行してきた。
焼酎は瓶で保存し、木材から味を貰わなくても、えー味になっていたんじゃないか?宮崎・鹿児島・琉球・熊本、どこでも瓶保存だったよなぁ。古いフレンチオーク、シェリーやブランデーの香りを移さなければ、どーしようもない水っぽい焼酎が、主流になった今現在、危機的状況に在る。
古式ゆかしい常圧蒸留による、豪放磊落本格瓶保存焼酎が、焼酎の王道ではないかと、私は確信している。
元に戻りまっせ!
焼酎王国九州!
鹿児島(メーカーだけでも百余、銘柄は五百以上と言われる)・宮崎(これほど種種雑多の焼酎を生産している地方は無い!)・熊本(球磨地方)・長崎(壱岐限定!)は焼酎だ。大分が含まれていない?そうですね、大分の焼酎文化は未だ歴史が浅い事は御存知か?大分の100%麦で作られる麦焼酎はつい最近開発されたに過ぎない。税制の関係上、日本中で焼酎を作り始めても、九州は焼酎王国である!芋!麦!蕎麦!米!人参!胡麻!ヒエ!粟!とうもろこし!しいたけ!わかめ!今も各種の焼酎が百花繚乱状態!
熊本・日本酒・焼酎分断地域
昔あくを使用する「赤酒」王国であった熊本県の細川藩地域も、今や清酒王国だ。ネーミングのみで爆発的知名度を誇る「美少年」や、九号酵母の生みの親である「香露」(正式名称は熊本酒造研究所なんたらという厳しいお名前)や、様々な蔵が今もがんばっている。
熊本でも細川藩地域は日本酒、相良藩は米焼酎だったりするので、注意が必要だ。山の中の人吉地方を領地とした相良藩は膨大な「隠し田」で、実収入は通称の四倍以上であったらしく、米焼酎を造る余力があった。あの一帯に幾つの蔵が存在したか?壮絶な数が、藩の免許を受けた「茶屋」として存在していた。
大分・元日本酒、今麦焼酎地域
大分も最近でこそ新世代麦焼酎(麦麹と麦で作るのは、大分独特の新技術)の本場状態であるが、元来日本酒王国であった。ここにも少ないが、チャレンジャーは存在する。貴兄は「しいたけ」焼酎をご存知か?日田を訪れた際には、一村一品運動の結果なのか、あちこちでも散見できる。チャレンジするのもまた一興。
長崎壱岐・世界最強の麦焼酎地域
魔可不可思議な事に長崎も壱岐地方は史上最強の麦焼酎天国である。ここの麦焼酎蔵密度は、一時期三十以上あったというから人口比で勘案すると恐らく世界最強であろう。これには筑後地方ですら及ばない。ちなみに私の住んでいるトコから半径十五キロ以内には、数十の蔵が存在する。その長崎県にも数少ないがチャレンジャーは存在している。ナニ?絶句のワカメ焼酎!島原を訪れた際には市街地の某蔵を訪れられては如何だろうか?
宮崎・百花繚乱焼酎天国
宮崎県もその南部は薩摩藩の一部及び支藩であったから、結婚式でも焼酎と言う焼酎王国である。米から、蕎麦、芋、ヒエ、とうもろこし、百花繚乱焼酎天国ウハウハ状態なのは言うまでも無い。しかし、宮崎焼酎の特色は20度というアルコール度数の低さだ。
鹿児島・芋焼酎と黒糖焼酎の聖地
鹿児島は本土の芋焼酎と南西諸島の黒糖に大別される。昔は鹿児島だって米焼酎だったのだが、薩摩芋の栽培と共に米麹を使用しつつ芋焼酎になった。
福岡・元カス取り焼酎王国、今チャレンジャーの巣窟
福岡!一言で言えば「チャレンジャー」の巣窟である。宮崎は雑穀(嫌な言い方だね!あんなに美味いのに!)焼酎王国なんだが、それ以上に海苔!胡麻!お茶!落花生!人参!の焼酎を作ってしまった杜氏&蔵主さんの意欲的姿勢は賞賛こそすれ非難すべきではない!不味かったら別だが。そして、そのニューウェーブ焼酎の前には「カス取り焼酎天国」だった時期が長くあった。酒粕から焼酎を大量に生産していた時代があったのだ。従って、焼酎は県民の深層記憶に焼き込まれていたと言って良い。
現状を勘案すれば、九州をそのまま日本酒圏、焼酎圏と区別する事は難しいだけでなく、危険である。日本酒の蔵でも、粕取り焼酎を生産していた事実は、忘れ去られているが、確かに存在した。多くの蔵が、焼酎ブームの中で、いろんな選択をした。この時に焼酎生産を止めた蔵も多い。
ところで、ラフカディオ・ハーンが松江から移った時に「なぜこんなに寒いのだ!」と嘆くほど冬場が寒くなる熊本を日本酒醸造の南限とするらしい。
しかし最近はヴェトナムでも冷房装置の発達で日本酒醸造が開始された。 宮崎でも財力に物を言わせて某総合酒メーカーが日本酒生産を開始した。地域で区別する事が出来ないのが、今の現状だ。
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新酒
日本人は寝かせた酒を好まなかった様である。さっぱりした酒を比較的好むのではないだろうか?これに対して西洋人は、寝かせた酒を好むようだ。これは、食生活に起因する起因すると思われてきた。
恐らくは民族的嗜好の差には起因するであろうが、日本酒自体が寝かせられる酒ではないのが、大きな要因ではなかっただろうか?
日本酒は一年経てば古酒になり、ひね香と呼ばれる異臭が鼻を突き、消費者から敬遠される。ここでも、活性炭が暗躍しているのではないか?と邪推したくなる余地が存在する。
ひね香の出た在庫品や失敗作の救済には活性炭が欠かせない。その結果、誰が作っても同傾向の酒になってしまう。味も素っ気も無い、単調な酒になってしまうのだ。
そして、この日本酒唯一とも言って良い致命的欠陥が、哲学の無い脳天気な酒呑みの無節操さと複合して今の日本酒生き地獄状態に至らせたのでは無いだろうか?
焼酎も同様だ。こくの在る少々重めの焼酎原酒が得られる常圧蒸留装置は生産経費を引き上げると、効率が良いものの味の薄い焼酎しか得られない減圧蒸留装置が主流になったのはつい最近だ。さっぱりした酒を好む様に条件付けされた日本の酒好き達は、この変換を受け入れた。それでも、常圧蒸留に固執する小さな蔵では、寝かせた焼酎を用意してくれている。こちらの寝かせた焼酎はうまい。絶品が多いのだ。そんな蔵は経営基盤が小さいから、地元以外に出荷する事は無い。
九州を訪れられた際には少し足を伸ばしてそんな蔵を訪れて、探してみるのも宜しかろう。
今、日本の酒は地域の特色を無くし、画一化する事で滅亡への道を歩んでいる。私には、そう思えて仕方が無い。
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酒粕
最近、粕漬けの需要が減少して、粕もおから同様産業廃棄物になりつつある。
だが、最近では酒を醸しても酒粕すら出さない、醸造法が誕生してきた。融米仕立て、米だけの酒!完璧に澱粉を糖化させ、アルコール発酵させる。タンパク質の多い部位を醸造に使用すると味が落ちるという鉄則は、発生する雑味を活性炭で除去する事で対処できる。活性炭で雑味を処理すれば、当然のごとく味が薄くなるハズだが、そこは恥知らずな手段で補っているのだろう。
早い話、米を糊にして、糖化させる事で効率を上げ、アルコール発酵させるのだ。酒は芸術品、命の水であったのは過去の話、いまや工業製品に過ぎなくなってきた。
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日本のワインの歴史
○ントリー創立期の葡萄酒なる代物が、砂糖と香料と水とアルコールの混合物に過ぎ無かった事は、この業界の関係者ならば誰でも知っている。○玉(ポート)ワインなる代物を店頭で見かけたら、そのラベルを見て欲しい。そして、普通のワインのラベルを見て欲しい。
葡萄と亜硝酸類等の酸化防止剤だけが記入された普通のワイン(これが当然だと思うのだが、これが不自然と思える様になったら、終りかもしれないが、オーガニックワインには亜硝酸が入って無いんで微妙なトコ)と、香料とか様々な成分表示が記された○玉(ポート)ワイン。
ワインが葡萄を絞って作ると思っていた貴方、日本の常識は世界の非常識なんです。新しい世界が広がりましたね、日本では葡萄を使わないお酒もワインと呼ばれるんです!
この酒の命名起源は、某国が世界に誇るポルトワインから来ているのは明白で、某国から強硬な抗議を受けて一部名称変更するに至った。
おばあちゃん、おじいちゃん、おとうさん、おかあさんに聞いてごらん。この○玉(ポート)ワインが○ントリーの基盤を築き上げたかつての主力商品だから、良心を捨て去ってきたこの会社の歴史が今に続く事は間違い無い。
その○ントリー入社後、そのブレンド技術の卓越たる事を認められ、スコットランドまでウィスキーの勉強をしに行った一人の技術者が居る。広島の酒屋の息子だ。彼は、その情熱を認められ、かの地のウィスキー技術者の共感を得て様々な技術を会得し、花嫁と共に帰国する。
○ントリーのウイスキー工場を立ち上げたのは、彼である。だが、何があったかを知る事は出来ないが、独立してジュース会社を起こし、○日本果汁、略して○ッカを立ち上げ今に至っている。
まだ、まともな会社であり私もここのウィスキーは好きだ。日田工場で有料試飲するのが大好きだった。つまみを購入して、有料試飲、半端じゃないウィスキーあったのよ。○ッカの採算度外視クラスは、半端じゃなく美味いんだ!北海道のニッカ工場襲撃を夢見るのんべであった。
鳥栖にあった工場が日田に移動し、その工場も今は閉鎖された。甘口の酒が大好きな日本人に合わせて作られたのであろうアップル・ブランデーは周囲で大ヒットしたというのに。そんなに景気が悪かったのか?鳥栖の社宅から日田まで通勤されておられた方々はどうなってしまったのか?
厳密に規定するのが大好きな欧州(誇りを持っているんだと思う)では日本のウィスキーは、ウィスキーでもウイスキーにも分類されていない。混ぜ物満杯日本のウイスキーを同列に扱われたら、真面目に作っている奴等は激怒するでしょう。スコットランドの人々が「ウィスキーを名乗るな!」と言ってこないのが、不思議なくらいだ。今では日本のバッタもんウィスキー作るのにスコットランドから大量のモルトを購入しているから、大事な顧客の首を絞めるような事もすまい。
ところで、中国ブレンドと称しては自社製品に「カラメル」叩き込んで古酒を装っているのは、何処の方々ですか?
もとに戻りまっせ!
葡萄酒業界も凄いんです!
○ッコーマンが経営している某ブランドの葡萄酒は、国産葡萄100%を歌いながら、欧州で発生した例のエチレングリコール混入ワインを混ぜていたというのが判明した。手堅い商売をしていた先代が築いた信用が一夜にして崩壊したと、テレビの取材で老人が嘆いていたのを覚えている。不凍液入りと言われたが、当時既に不凍液の成分としては使用されていなかったので、御注意願いたい。
この程度の傍若無人振りなどこの業界では普通らしく、本当に国産ワインが日本の葡萄で作られているのかどうか、分からないのだ。
今や濃縮葡萄果汁(濃縮果汁は運送コストと税金を節約できる)を輸入して割水して薄め、無理やり発酵させて国産ワインとして流通させている。この結果安い国産ワインが大量に流通しワイン業界隆盛を招いた。だが、細々とではあるが、まともなワインを醸造しつづける奇特な方々も少なくない。特に、九州の福岡県、田主丸という町には「果物の言葉がわかる」ワインメーカーの社長さんも居る。
真面目に作れば、糖度を上げる日本独特の栽培方法があるんだから、凄い奴も作れると思うのは私だけだろうか?
元に戻りまっせ!
凄い!すごすぎる!日本の酒!
日本の酒は、日本酒でしょう。文字通り、日本の酒ですから。
その日本酒は、醸造する代物では無く、合成するようになってしまった。
その原因たるや、日本の食料自給率の低さ起因する。大正時代に誕生したのは、合成酒なる恐ろしい代物で、科学物質を混ぜ合わせて水で薄めて日本酒を造るという偉業を成し遂げた人物が居た。アルコールを水で割り、不足成分を後から叩き込み酒に仕立て上げたのだが、酒を合成するのはワインの成立期から連綿と続く悪行だ。
日本の生活に、出陣の際に必要な酒、日本は戦前から食料輸入国家であった。幕藩時代は自給自足であったのだが、「産めよ増やせよ!」の人口爆発は深刻な食料不足を招いた。米不足の時代に、どうやって酒の必要量を確保するかは、関係者を悩ませていた。米を最低限しか使用せず、酒を確保できるこの緊急避難的手法は、あの当時、必須技術であったろう。悲劇の開発者(オリザニンってご存知かな?脚気って知ってる?ビタミンはオリザニンと呼ばれるべきであったが、当時の学閥はこの功績を黙殺した。脚気による死者のほうが戦死者より多かった悲劇的事実は、森倫太郎を頂点とした一派の妨害を撥ね退けた結果、ようやく是正されたのだ。)は、死ぬまで恥じていたという話を聞いたが、この人物が悪いのではない。その緊急避難的技法を、飽食の時代に乱用して恥じない唾棄すべき業界が悪いのだ。
食う米すら無かった時代に緊急避難的に誕生した「合成酒」を、普通に醸造した酒と混ぜ合わせる事で「三倍(増)醸造法」なる鬼畜の所業が確立し、今も日本の酒の主力がこれである事は、消費者に故意に知らされては居ない。
この結果、大量に必要とされたのがアルコールである。吟醸酒にアルコールを添加して香りを引き出す手法が確立するや(芳香成分が非常に多い吟醸酒には絞る寸前に醸造用アルコールを叩き込む)、その存在理由は確固たる理論的根拠を持つに至った。
その結果生まれた呼称が「純米酒」「純米吟醸酒」である。醸造用アルコールを添加する酒に対して、まっとうに作った酒という印象を与える。ところが日本の酒の等級や表示には、意味が無い。強制力や罰則も無いから、意味が無いと言っている。業界がやってきた事を考えれば、呑んでから考えましょう!何故って、純米と名乗りながら添加用糖類と同様の物質を混入して水っぽさを補う手法が確立しているからです。
人工旨味調味料と醸造用アルコールの主原料が廃蜜糖なる産業廃棄物であり、リサイクルと地球にやさしいエコ活動を通じて昔から地球環境に貢献してこられた事をもっと広く周知徹底し、メーカーを表彰すべきであると主張するのは私だけだろうか?
もとに戻りまっせ!
灘
江戸時代、その優れた醸造技術でブランドを確立し、港湾に隣接する立地条件から生まれた運送コストの低さで、伏見や従来の酒生産地を圧倒し、江戸の酒消費を支え続けたのが、灘である。江戸時代の陸上輸送の主力は馬運であった事はご存知だろうか?時代劇で良く見られる大八車の使用は、江戸に限定されていた上に許可制!人力・馬運輸送以外には河川を利用した小型船による水運のみしか存在しなかった。従って河川を含めた水運は江戸時代長距離輸送の主力であった。船舶のサイズが帆柱の数やトン数(石と読んでいたが)限定されていた江戸時代、北前船は現在の200万トンクラスのタンカーに匹敵する巨大船である。その北前船で運搬する灘の酒に要する運搬経費は、近距離の人力・馬運運搬経費を圧倒したであろう。
現在でも九州−東京間のトラック輸送料金と東京−ロサンジェルス間の船舶輸送料金の方が安い。運送経費が非常に安く、味の良かった灘の酒は、江戸で消費される酒の多くを支え続けた。地元生産の酒は運送経費が人馬・小型船に頼っていた為に運送経費が高くつき、加えて味も悪かった為に、関西近畿方面から輸送されてくる物品に圧倒され続けた。当時の関東の技術程度は関西に比較すると、後進国並に過ぎなかったのだ。「下らない」の語源がここにある。
伏見や、池田や、当時の醸造の中心地は、港湾に隣接した灘の運輸経費の安さの前に敗退したのだが、澄み酒を作り上げた鴻池も、上方下りで樽の杉香の移ったが故に薦被りと絶賛された樽詰日本酒も、今や伝説の彼方に消え去った。
戦後灘の酒造メーカーは、生産量を遥かに上回る販売量を誇っていた。製造方法を指示して地方の酒造メーカーに生産を委託して「桶買い」を行い、商社的商売で利益を確保してきた。そして、その利益で製造設備を確保した彼等は突如「桶買い」を中止し、「桶買い」に依存していた地方の酒造メーカーは連荘(れんちゃん)で倒産してしまった。
その彼等も「阪神淡路大震災」で、大打撃を受け、様々なメーカーの軍門に下ったが、鹿児島のアルコール製造メーカーの軍門に下ったレーベルも多い。おかげで、「そこまでやるか!」的迷酒が、日本全国津々浦々の酒屋に並ぶ悲しい状況に陥っている。
かつて、日本随一を誇った灘の末路がこれである。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、悲しいばかりである。「料亭向けの月桂冠と松竹梅の特級酒は美味かった!」と、言っていた御老体が逝って、何年になろうか?御老体が、今の日本酒を味わったら、卒倒するかもしれない。
御老体、あんたは良い時に逝ったよ。
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普通の車?ヴィータ
ヴィータは5人乗りのコンパクトカーです。うるさい車ですが、そう悪い車ではありません。恐らく、乗った人間は全員が「うるさい!」と言う印象を抱くでしょう。
加えて、操作系全てが重いのです。パワーステアリングは、重くて腕力を付ける為に存在する!としか言えないくらいに重い!「パワステ、壊れてる!」と言った人間すら存在します。
ドアも重いです。このドアは自動的に閉まろうとしますから、足が挟まれるのです。人はこれを「人食いドア」と呼び、畏怖します。しかし、この位のドアなら、事故っても安心かもしれません。
これらの欠点に関して雑誌は記す事はありません。オペルもGMもこの点に関して、緘口令を敷かせている様です。
少なくとも、評論家はうそつきの提灯記事書きがお仕事ですから、記事は信用しない事です。
スクランブルカーマガジンが「今、買いの車!」と立ち上げる。それはその車がだぶ付いている証拠です。CGが中古車雑誌を発行した!中古外車がだぶ付いている証拠です。
裏張りしましょう!雑誌から消えた車、それが買いです!しばらくはアルファに手を出すべきではありませんね。その位、雑誌は広告を出す奴等の意向を受けて書く存在なのですから、数字は信用しても、彼等が語る言葉は信用すべきではありません。
エンスーとは、欠陥車を維持させる為の情報操作に他ならないのです。
ほしい車があれば、情報収集の手段はネットや直接接触に頼るべきです。雑誌は数字に関する限りうそを書けませんが、その他は錯覚を与える記述や情報操作ばかりしているのですから。
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新型ヴィータ
ヴィータは欧州ではコルサです。某○ヨタの同名車種の存在から、日本では名前変更です。その新型ヴィータは、大型化してしまいました。それは、オペルのエントリーカーであったヴィータの下にワゴンRの現地生産車両が誕生してしまったものですから、仕方なく大型化せざるを得なかったんです。
外国メーカーが作るワゴンRなら買っても良いのですが、スズキの自動車は恐ろしくて買えません。噂ではオペルが生産に際して、ボディ自体の設計を大幅に手直ししたとか。国産車のボディ剛性は安全性よりは経済性を重視した結果、派手に事故った場合、不安が残ります。接着剤で組立てた自動車って怖くありませんか?
生産コスト削減に効果が大きいフロアパンの共用。これは最近の自動車会社の流行です。上級車種のフロアパン流用の結果、すさまじく大型化しちゃったんで、値段も上がってしまいました。これは、耐久性が向上したとすれば、買いかもしれません。旧型ヴィータ並に壊れなかったら、広くなった車内、延長したホイールベースで向上する乗り心地、うーん、究極の選択。
もう、一度、苦労するのも悪くないかも。懲りていませんね、私も。
ところで、ヤナセさんは日本車も扱ってました。ワゴンRのシボレーブランドの奴も扱いますか?誇りが許さないのか?でも、修理対策費は一気に減少する事間違い無し!経営は一気に好転しませんかねぇ?
追伸
先日タイで生産されているザフィーラが欧州生産オペルの1.8リッターに対して2.2リッターを搭載して、GMグループ入りしたスバルでの激安販売を開始しました。日本製の鉄板&タイ製の部品&純正部品の混合品、これでヤナセのイメージを一気に低下させるのが目標だったみたいだ。無茶しよるなぁ、GMもスバルも。
ヤナセと従来のオペルユーザーを馬鹿にしきっているその姿勢に、会社として品格と尊厳を問われている事に気がついていない。この程度の会社なら、やがて自滅するな。日本人を馬鹿にしきっているGMと、その尻馬に乗ったスバル、天誅食らうぞ!
再度の追伸
良く考えてみたら、スバルには1500cc以下の専用車が無くなっています。こうなるとスバルがスズキから供給受けるより、オペルのヴィータを売った方が良いんじゃないか?
アジア諸国で生産されたヴィータを安く販売する試金石としてのザフィーラ供給開始?日本製の鉄板とタイ製の部品で原価切下げしたヴィータが次に控えているのかもしれません。
マジ、馬鹿にしきってますね。GMもスバルも、仏罰食らわせたろか?
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燃料とオクタン価
敗戦後(終戦じゃ無いっ!)、戦勝国連合が接収された日本帝国陸海軍航空隊の戦闘機に当時世界最高水準を誇ったアメリカの航空燃料を入れたところ一気に最高速度が60キロ程度上昇したそうです。
高オクタン航空燃料(それでも100オクタン、日本は87オクタンでしたっけ、ドイツでも100オクタンの航空燃料は使用していませんでした)は当時アメリカ合衆国の独占するところで、世界最高水準を誇り、ドイツを含めた枢軸国の及ぶトコじゃありませんでした。当時の陸海軍航空隊関係者は、アメリカのガソリンを入れれば最高速度はアメリカ軍の戦闘機に匹敵した!だから、日本も凄かったんだ!的発言をする人もおられますが、ガソリンすらまともに作れなかったんじゃないか!と言いたくなります。
特に陸軍航空隊の航空機は無茶苦茶調子が良くなったそうで、海軍仕様ですらオクタン価が低いのに、それより低いオクタン価の燃料でB29を迎撃しておられた陸軍航空隊の方々は、無念であったろうなと、思います。
大戦中にB29を迎撃していた陸軍航空隊の戦闘機操縦士の体験では、太刀洗飛行場から福岡まで足を伸ばして上昇気流を拾い、それでもどうしようもなかったと、無念であったと。
機械と燃料の能力差を考えれば、個人の力でどうこうできる物ではありません。
高いオクタン価が標準の欧米車を、低いオクタン価が標準の日本で、どう、使っていくか?私個人の自衛策では、及ぶトコじゃないんですよね
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我、達観す!
日本一壊れるヴィータと暮らし続けたこの五年、まず、最初に独逸の技術は世界一ですから、基本設計に問題は無いようです。タイヤも4本ついてますし、ハンドルだって、ブレーキだって、ちゃんと付いています。それは、間違いありません。そして、独逸の技術は世界一ですから、組立作業者にも、世界一の水準を求める様です。独逸の技術では五十年以上前に現在の加工技術水準でも製作が困難なレベルの精度を要求していました。その、傾向が、今も在る様です。
メーターケーブル、一本目は九千キロ、二本目は二万キロ、三本目は五万キロ走破しても破断しておりません。品質に問題あったのでしょうか?いえ、極東の島国にまで対策部品が届いていたのでしょうか?どうも組付に繊細さを要求しているヨウナ。
パワーウィンドウ機構、様々なトラブルが発生しましたが、内部機構総替え後、完治しました。
部品の組付には繊細さと、高度な技術と、偏執狂的な集中力を必要とするのでは無いでしょうか?五万キロ走破後、言いかえれば登録後二年を過ぎて、なじみが出て、やっと壊れなくなったのです。恐ろしい可能性として、実は対策部品が無数に用意されていて、何時の間にやら交換されていたとか?思い当たる節が無い訳ではないのが、ちょっと怖い。
三回修理したら、やっとなじみが出て、組立後きっちり設計時の精度が出るのではないでしょうか?仏の顔も三度まで、三度までは我慢しましょう。大丈夫、私の場合、何時か壊れなくなる!信ずれば、花開く!という真理に辿りつきました。長かった、長かったです。
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三種の神器
三種の神器の其の壱!ヒューズ!普通のお店で売ってます!全サイズは常備しておきましょう!ヒューズボックスとリレーボックス開けて確認しましょう。抜き差し程度でも作動不良が直ったり、こうなると次は溶断です。出来ればリレーも揃えておいたほうが良いようです。理由は乗ったら分かります!使用するヒューズやリレーの型式はハンドブックに記載されています。三種の神器の其の弐!JAFの会員証、これは絶対です!ヤナセで購入しておられれば強制的に入会済みのハズ!休日の牽引はJAFと提携しているヤナセさんですから、牽引料金も安くまります!私、牽引二回体験しました。一回はコグドベルト切断未遂事件、二回目はガソリンだだ漏れ爆発未遂事件。今まで牽引はあるんですが、積載車体験は齢三十四歳にしてお初でした。
三種の神器の其の参!携帯!PHSより携帯でしょうねぇ!やっぱドコモ!広く繋がる携帯です!なんか在ったらすぐ電話!異常音を聞かせるだけで、トラブルの様子がつかめたりします。JAFさんに御電話、そく牽引!積載車に載せれば最高でしょう。
これだけで、ヴィータの時にどれほど助かったか、体験者が語る恐怖の真実!うそじゃ無いんです!
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トラヴィック
ヤナセがザフィーラを販売している。GMがヤナセに販売させているのだ、だから、国産車と比較して、割高というのは痛感していたハズだ。
ところでドイツと同程度の価格といいながらも、消費税が内税という独逸の現状を勘案したら、二割程度割り引いて判断すると、結構割高になっているという事が多い。原価高であれば、コスト削減だが、一番手っ取り早いのは海外生産である。
従って、ヴィータのアジア生産車両導入の試験なのか、タイ工場生産車両を輸入し、あろう事かスバルに販売させた。トラビックはドイツ!独逸!Deutsch!(だったけか?工専の時やったっけか?)をうたいながら、アジア・カーである。
人件費の安いタイ生産車両だから、もっと安く輸入できるのではないか?と勘ぐるのは良くない。結局、タイ生産車両といえど、そんなに安くは出来ない。
輸送経費が加わり、流通期間が延び、異常に高い国内運送経費が加われば、日本で購入する日本車が一番安いと言う事だ。
しかし、トラビックになってから、評論家連中がトラビックを異常なまでに高く評価し始めた。ここで、評論家が絶賛する車は売れないという論理が思い起こされる。
評論家は何故に評価を一変させるのであろうか?ザフィーラは評価されなかったが、OEM(口の悪い男はバッタモンとも言うが)のトラビックは素晴らしい車らしい。どう言う評価基準が彼等の中にあるのか、謎である。
但しスバルも御用評論家に書き散らかさせたが、クルーズコントロールのレバー取り付け!なんざ、スバルが推奨していたとも取れたんだが、、、やっぱ、マズイゾ!って社内から出たんだろうなぁ?いろんなコメントが出て、今に至り、販売中止が決定された。
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5讃岐
久留米から讃岐までうどんを食いに行くと、一回に大凡四万円かかるから、四万円を一つの単位とするカネの勘定法。短縮せずに意訳すれば「五回高松までうどんを食いに行ける額じゃ!」
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お茶の文化館
星野村には、星の文化館と、お茶の文化館、星の温泉館、様々な施設が建設されている。まぁ、銭を注ぎ込んでいるのが良く判る施設だ。入口のバランスには並々ならぬモノを感じる。庭は建造物に対し余りにも弱い。成長する庭ではない。
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温泉魔宮
別府は温泉の巣窟であり、湧出量は日本最高を誇る。犬も歩けば温泉にあたる別府では、一般住民以外は入浴できない地元住民専用温泉、略してジモセンが目白押しである。故に温泉魔宮の異名を取るほどに温泉が集中している。下は無料&五十円から上は3000円まで、ここまで千差万別の温泉が集結するトコは無い。
かつて瀬戸内航路を利用して関西方面からの湯治&観光客を集めた別府も湯布院や黒川に人気が移り、とたんの苦しみに喘いでいる。
その別府で地元温泉掘り起こしとして、別府八十八湯巡りという怪しさ満載のイベントが密かに流行している。
怪しい本を買うか、i-modeでアクセスし、指定された八十八箇所の温泉に入れば名人位を獲得できる。八軒ごとに昇段可能という怪しさ満載の八十八湯巡りにはまった人も多い。名人位を獲得すれば、聖地竹瓦温泉の二階に肖像写真が掲げられるという特典まで付いている。
別府が表の温泉魔宮とすれば直入町湯前温泉こそ裏の温泉魔宮である。濃厚極まりない温泉成分を誇るここは、SFちっくな別世界が湯殿に出現する。
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ばんじろ
ばんじろ、福岡県久留米を起点に福岡市にまで店舗を展開した恐るべき喫茶店、それがばんじろである。創立者は先年惜しいことに無くなったが、ばんじろのコーヒーは美味いのだ。
豆を煮て濾すという一種独特なドリップ方法を考案したあの創立者、キーコーヒーの無給社外重役の異名を取り、キーコーヒーがあのロイヤルグループへの卸価格と、ばんじろグループへの卸価格を同一にせざるを得なかった有名人だ。
福岡や久留米を訪れたら、「ばんじろ」って在りませんか?と訪ねてほしい。そんな絶滅危惧業種の喫茶店、残してほしい。
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あーでん
湯布院最強、怪しい喫茶店!私のお気に入り筆頭!
湯布院がおしゃれになったのは、ここ10年というトコか?金鱗湖周辺は、いつでも大渋滞の原因になってしまった。
別府から来たら、由布院の入り口で迷わず左折して、湯布院インターへ抜けた方が絶対に早い!金鱗湖の駐車場に割り込もうと苦悩するバスや乗用車が、原因で2キロの渋滞など普通になってしまった今日この頃。
最近の湯布院は、再び大転換期を そんな由布院で、今一番のお気に入りは、当然喫茶「あーでん」なのである。ホテル四季への入り口にあるこの正統伝承喫茶店は、その凄まじいオーディオセットだけでも、来ている。
この写真のセットは旧型で、現行型はさらにパワーアップして、設備投資額をぶっ飛ばしてしまっている。なぜ、ここまで出来るのか、根性と情熱には脱帽だ。
お出迎えも来ている、スプーンも来ている、トイレも来ている、その傍若無人な経営形態も完璧に来ているから、いわゆる「来まくりやがってまっせ!」状態なのである。いつ、倒産するのか?いつ、店を閉めるのか?不埒な予想が不似合いではない、絶対にそんな危機感が常に漂うその経営形態。
過剰設備投資は明らかなこの喫茶店、一度訪れて、その怪しさにひたって欲しい。この怪しさは、癖になるぞ!
ちなみに、トイレのドアがこの写真、一度味わう価値がある。
昔はあんなんもなくて、見晴らし良かったがなぁ。
階段二階の怪しいトイレも体験して欲しいなぁと思う、私であった。
もとに戻りまっせ!
赤坂
香川県に君臨する怪しいうどん屋さん、それが赤坂なのであった。
香川県綾歌郡陵南町陶5781−6には、陵南町を管轄する保健所の免許第一号を誇る元そうめんの製麺所である「赤坂製麺所」が存在する。人呼んで「うどん巡礼者のオアシス」がココである。
国道32号線、陶の信号を南に、次を右折、橋の手前左手に存在している赤坂は、怪しい。
ネギをはさみで切る、王冠が有る、店が怪しい、おばちゃんもあやしい、(おいちゃんは惜しまれながら亡くなられたと言う、冥福を祈りたい)、怪しさ満載の店舗として、香川県では知らぬモノの無いうどん屋さんだ。
その怪しさは、店舗中に張られた「シティマニュアル2000〜2001」の誤植修正ステッカー!
椅子の無い店内での立ち食い!
メニューも無い!
ネギはハサミで自分で切れ!
もはや、この怪しさは言語道断だ!
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