このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

序章 讃岐饂飩に至るまで

 九州以外の地では、「九州こそラーメン王国に他ならない!」と誤解されている。確かに、福岡は世に知られたラーメン王国である。だが、知られざる饂飩王国でもある。福岡は饂飩とラーメンが共存共栄する食のワンダーランドである。ラーメンが昭和に入ってから東京の中華蕎麦を輸入して様々なアレンジを加え定着した新参者に過ぎないのに対して、饂飩は数百年の歴史を有していた(福岡の某寺において温飩が作られたと、石碑まで建設設置されている)。

 その結果、非常に特殊な形態を得ながら、饂飩とラーメンは相互補完しつつ共存共栄してきた。濃厚な豚骨スープに細麺の長浜・久留米ラーメン(博多の長浜ラーメンと久留米ラーメンは別物である)、そしてモチモチして腰の無い太麺に澄みながら出汁の効いた饂飩、福岡県の人間は饂飩とラーメンを同列に扱い、様々なシチュエーションで、食べ分けつつ育み続けてきた。

 その福岡は小郡市(山口の小郡町ではありません)に生を受け、多感な学生時代を久留米筑後川の辺で過ごした私は、なぜかラーメンを食する人間になっておりました。饂飩とラーメンが共存共栄する福岡の地にあって、何故に?と思われるでしょう。それには深い理由があったのです。

 幼少期病弱であった私(誰が信じられんちや?)は、周囲から多食を強制された結果、大食漢になっておりました。そして小学5年生のみぎり、饂飩十杯食ったら食い逃げ可!+賞金!という店で八杯まで食して見事玉砕した。身長168センチの私を小学生とは思わなかったに違いないうどん屋のおやっさん、絶対手心を加えて無かったに違いないと、今も確信している。

 出された物は全て残さず食するべし!という躾を受けていた私は、生まれて初めて、食いきれずに残すという屈辱的かつ衝撃的な体験から、深き精神的障害を受け、饂飩のアダルトチルドレンになってしまったのだ。

 私がうどんを残したのは、記憶に或る限り 三回 のみです。出された物を残すなんて、屈辱です。それは、衝撃でもありました。 その後、私は麺料理をラーメン&蕎麦&パスタに移し 饂飩を食わない人間 になっていきました。在学中は「みの屋うどん」「あずみうどん」で「そばください」と言いつつ、「丸星ラーメン」「カレーの熊」にエリアを固定させ食いまくっておりました。そんな私は周囲から「ラーメン大好き男!」と思われております。その男が饂飩と再び邂逅するには長い時間を要したのですが、ついにその時は訪れるのです。

 香川県で行われた4WDのレースの帰路、ふと訪れた国道沿いのうどん屋 「かな泉」 、なぜ香川県ではうどん屋と同じ位のラーメン屋が存在しないのか?福岡ならラーメン屋と同じ位のうどん屋さんがあるのに、ラーメン屋が無い!ならば饂飩を食うしかない!かな泉のうどんはうまかった。福岡のあの伸びきって腰が無い、食べながらも常に出汁を吸収しながら成長し続け細麺のハズが太麺になってしまうあの饂飩ではなく、柔らかくも腰があり、のど越しが非常に良いうどん。出汁も十分効いていて甘味がほのかに感じられる汁、美味いよ、ほんと美味かった。そして私は「饂飩も美味い」という真理を会得したのです。

 香川県まで日帰り出張し、昼食を取る際にも、セルフはちょっときつかろうと、「かな泉」に後輩を誘って昼飯。

行く度に食うさぬきのうどんは美味かった。高松支店に赴いた私の知り合いは「こっちに来てからうどんば食うたら、どこで食うたっちゃ美味かった。一年経ってから、やっとこさ、ここはほんなごつ美味い、ここはそげんでも無か、っちゅうとが分かってきた」と述懐しました。

 確かに讃岐のうどんは美味い!だが、この時から私の悲劇は始まったのです。福岡の饂飩は口に合わん!香川の饂飩は食えるが、福岡の饂飩は食えん!最近でこそ、そこそこのうどん屋に邂逅したのですが、美味い饂飩が食いたい!と呪文の様に呟きつつ、四国出張を待ち焦がれる私になったのです。

 その私が結婚をし、周囲に香川のセルフを語り始めました。「凄かとですよ、セルフっちゅうとがあってですね、うどんば作りよるトコで、うんこ座りしてうどんば食うとですよ」「普通の家にしか見えんとですばってんが、饂飩ば打って食わせるとですよ。店じゃ無かとです、普通の家ですたい。上がってからですね、、ふつーんトコでうどんば食うとですたい」

 九州の人間に幾ら讃岐の饂飩の常識を熱く語ったところで、理解できるハズなど無いのです。香川県の人に福岡の饂飩を語ったところで、理解できるハズなどありません。同じ事です。完璧にネタと思われておりました。

 それには理由がある。福岡県でうどんを食ったことのある人間しか理解できない、 福岡独特のうどん文化 が、その原因だ。

 論より証拠、まずは食わせねばなるまい!そんな時、「ウンナンの気分は上々」でセルフの饂飩が紹介されました。南原氏は香川県の出身なのでした。そして「どっちの料理ショー」であの「やまうち」が紹介されました。「瓦屋転じて饂飩屋になる!」これは九州では理解できないすさまじい転職です。さすがうどんの聖地、おそるべし。

 この恐るべき讃岐饂飩を垣間見た妻はついに饂飩巡礼を同意しました。財布を握る妻の同意が無ければ何もできない私は自腹で讃岐饂飩を食いに出かけるのです!「I did it!」


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