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怒涛の九州2003年夏その1


夏というと「九州」という勝手なイメージが自分の中に出来上がって
おり梅雨明けのカラっとした暑さの中行ってみようと計画を立てた。
ところが今年に限っていつまでたっても梅雨明けせずにいつまでも
前線が居座る。天気予報では1日目はあいにくの天気になりそう
だったが、2日目、3日目に関しては何とか晴れマークが付いてい
る。いつものように6時30分には空港に着いていた。ちょっと早く
来すぎたか。しかし、旅の始まりのこの時間は大好きだ。
8時25分出発の便。出発ロビーよりバスで駐機場に向かいタラップ
を上がる。

出発時間になりトーイングカーに押されいよいよ滑走路に進入かと
思ったら、しばらく停止の後、元の駐機場に戻って行く。何事かと
思ったら機長から説明がある。コンピューターディスプレイが正常に
動作しないとのこと。メカニックの点検の後、出発するらしい。そのま
ま待つこと10分ほど。点検の結果すぐには修理できないとのことで
別の機に乗り換えるため、パイロットと客室乗務員の半数が先に
移動。さらに機内で待つ。次から次へと飛行機が離陸していく。
そんな姿を横目で見ながら9時10分ごろ別の機への移動が始まる。
再びバスに乗り、別の駐機場へ。
9時30分ごろようやく離陸。すでに1時間以上遅れ。自分としては
これは初めての経験であるが、機の故障が離陸前でよかったと後
から考えてみると思った。


しかし、異常事態はこれだけでおさまらなかったのだった。
飛行機は順調に飛行を続け、福岡上空から佐賀県を横切り、ハウス
テンボスを眼下に見ながら大きく旋回すると無事長崎空港に着陸。
写真は西九州自動車道かと思われる。
預けた荷物を受け取ると、これもいつものようにレンタカーの手続きに
入る。営業所までの送迎の車を待っている間、当然なのだが、折り返し
の便も1時間ほど遅れる旨アナウンスしていた。
さて、レンタカーの営業所に着き、早速レンタカーに乗り込む。今回も
細い道などが考えられるということで軽自動車を借りた。ナビは付いて
いないことになっていたが、なぜか付いていた。それはそれでよしと
する。すでにかなり遅れていることもあって、まずは第一の目的地
佐賀県の清水川を目指す。名水めぐり第一弾だ。ギリギリの計画を
立てているため1時間の遅れはかなり痛い。

大村インターから高速を飛ばし佐賀方面へ。時計を見るともうすでに
昼近い。「半日終わってしまった・・・」まだ何もしていないのに。
多久インターで降り国道を進み山の方へ登って行く。ナビに従って
行くと何もない山の中へ。「清水観音」の標識があちらこちらに出て
いたがそれを無視してナビに従ったのに。結局1時30分ごろ清水川、
清水観音に到着。駐車場に車をとめ、山門をくぐり階段を上る。うっそう
とした苔むした石段を上がっていくとお堂がありそこに飲み水が湧き
出している。長い石段を登ってきてのこの名水はとにかく冷たくうまか
った。お堂の脇を抜けていくと大きな滝があった。これが清水の滝だ。
滝は清らかな流れとなって下流に注ぐ。滝からは遊歩道になっており
その脇に鯉の放流場。このようなきれいな水を泳ぐ鯉は臭みが抜ける
のだそうだ。時間通りにくればここで昼食かとも思っていたが、コンビニ
で買ったおにぎりをすでに食べてしまっていた。残念なことをした。





次は旧国鉄佐賀線の廃線跡めぐり。これに備え地形図なども用意して
おいたが、ほとんど役に立たなかった。ほとんどが佐賀県の街中を走
っており、大部分はサイクリングロードになっているようだった。
サイクリングロードはやがて車道と併用になり佐賀線一番の建造物
「昇開橋」へと出た。橋は遊歩道になっていることは知っていたので
車を置き橋を渡っていく。筑後川にかかるこの橋はとても長く、そして
風が強かった。歩き出したころから雨も降り出した。「ついてないな」と
も思ったが、とにかくこの橋のすごさに圧倒された。橋が昇降する部分
に管理人室があり、2人の方がおられた。例によって少し話をした。
旅先での地元の人との話は大きな楽しみである。この橋の維持には
相当のお金がかかっているらしいが、大川市と諸富町が半分ずつ金
を負担しているそうだ。向こう岸まで歩いていき、そちら側の様子を見
た後、3時45分に橋が上がるのでその前に来た方向に戻り、橋が上
がるのを見届ける。現在でも船はここを通るとのことである。
さてここからまた車で大川市方面へ渡り廃線跡をたどるが、いきなり
携帯が鳴った。「○○レンタカーの営業所ですが・・・」 今日借りた車
がいきなりメーカーからリコールがきて車を入れ替えてほしいとのこと。
「飛行機も入れ替え、車も入れ替えですかぁ?」とは言っていないが、
言いたくもなる。車を入れ替えに来てくれるというが、場所も遠いし、
いわゆる観光地をまわっているわけでもないので、自分がどこにいる
か説明できないのもあってお断りし(佐賀線の廃線跡です、と答えても
わからないだろうし)、3日間借りるはずだったが、夜、営業所が終わる
までには戻ることにしてそこで入れ替えてもらうことにする。廃線跡め
ぐりの続きだが、昇開橋を渡った廃線跡はサイクリングロード兼車道が
しばらく続いたあと、川のところで行き止まってしまう。そしてこの先を
たどっていったが、街中ゆえにほとんどが車道か現在車道に工事中
であった。中には住宅が建てられているところもあった。これ以上たど
ってもむなしくなるだけかと思い、ここまでにして引き返す。佐賀線だけ
に「探せん(さがせん)」となってしまった・・・(失礼しました)。街の廃線
跡はこうなる運命なのだろう。昭和62年に廃止になったようなので、
仕方のないことか。帰りの国道は市街地を通るたびに渋滞に巻き込ま
れながら、佐賀の市街地までやってきた。そういえば、大学時代の友人
で佐賀出身の実家が仏壇店をやっているというやつがいたなぁ、今は
そこの社長らしいなぁなどとぼんやり考えていたら、なんと目の前に
その仏壇店が現れた。ただの偶然だったが、少々驚いてしまった。残念
ながら立ち寄る時間はない。佐賀大和インターまでようやくたどり着き、
あとはひたすら高速を飛ばすと、最初に乗った大村インターまで一気に
行き、レンタカーの営業所に戻る。7時を過ぎていた。丁重に謝罪を受け
代替車は軽自動車ではなかった。「まあ、これはこれで・・・」。再び大村
インターから高速を飛ばし長崎市内へ。ひどい渋滞だ。宿泊のホテルは
わかるのだが、駐車場の入り口がわからず、ぐるぐるまわってやっと入
口を見つけ入ろうとすると「ただいま満車になってしまいました」「え?」
そのまま近くの有料駐車場を案内されしぶしぶそこに車をとめる。
レンタカーの入れ替えがなければすんなりととめることができたはずだ
が・・・。部屋に荷物を置き、近くの新地中華街へ行き皿うどんを食べる。
8時30分。ちょうどラストオーダーの時間だった。夜、天気予報を見る。
「曇りマークと雨マーク」。今までの予報と違うではないか・・・。(汗)

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