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九州2002

2日目

1日目はちょっと欲張りすぎたのか、かなり疲れたらしく夜は爆睡してしまったようだ。(^_^;) 朝食を済ませ、昨日の営業所にまたレンタカーをかりに行く。昨日は新型の「マーチ」だったが、今日は軽自動車にしておいた。もしかすると廃線跡を追ったときにかなり細い道に入らなければならないかもしれない。そうなると軽自動車の方が有利だろうという読みからである。

鹿児島市内を走る路面電車。今日も九州自動車道を使う。まずは栗野を目指した。九州自動車道はさほど交通量も多くなく、快適に走ることができた。1時間ほどで栗野に到着。今日の目的は名水めぐりから始まる。栗野の駅から程近いところにある、「丸山湧水」。

池の中から水が湧く。さらに奥にも湧水はあるようできれいな水が池にそそいでいた。

そして、栗野駅の構内に入ってみた。今は肥薩線の駅だが、かつてはここは山野線の起点であった。その名残を見ることができた。

一番右の錆びた線路がかつて山野線が入線していたものである。撤去されずにそのまま残っているのは何か意図があるのだろうか。

この線路は構内で途切れているがこのあとは、山野線の廃線跡を追った。山野線の跡地は途中、サイクリング道路になったり、車道になったりしながら、熊本県との境の山間部に入っていく。

山間部に入ると廃線跡はすぐには見つからなかった。道路もだんだんと細い山道にかわり、いつのまにか「布計(ふけ)」の廃校になった小学校の跡地に来ていた。

ここにもかつて子供たちが通っていたわけである。校庭で遊ぶ小学生を想像してみた。今は廃校となったこの校舎の中にもかつては元気な子供たちの声が響いていたのだろう。

この小さな山間の集落の中に「薩摩布計駅」の跡地があるはず。しかし、なかなか見つからない。ちょうど、そこへ郵便配達の人が通りかかった。ご親切にもバイクでその地へ誘導してくれた。

記念碑と踏切の警報機。そして、駅名標、動輪などがあった。しかし、私が印象に残ったのはこのホームの跡であった。ここでも想像してしまった。ここに住んでいる人たちが、日に何本かの列車に乗るためにこのホームで待っていたのだろうと。そして、栗野や水俣方面から帰ってきたときにこのホームに降り立ったのだろうと。そして、私はそんなことを考えながらこのホームの上で、朝、コンビニで買ってきたおにぎりを食べたのだった。

腹ごしらえも済み、次に目指すのは有名な大川ループ。山の勾配を緩和するために設けられたループ線である。今日は果たしてここがわかるかどうかが一番の課題だった。

県道を水俣方面に向かう。この道が昨日の綾へ行く道に勝るとも劣らないすごい県道であった。かつての山野線はこのような勾配やカーブを通っていたはずはない。トンネルで越えていたようだ。そして、ループ線を探すために途中いくつかのわき道へ入ってみたが、そのようなものは見つけられなかった。

そのうち、開けた集落に出た。ここはもう熊本県だ。左側を見ると築堤に錆びたガーダ—橋が見えた。ということはもう大川ループは過ぎてしまったということか。喉も渇いたので、すぐ近くの店に立ち寄った。

ここで飲み物を買い、山野線のことを店のおばさんに聞いてみた。最近はあまり人が来なくなったそうだが、かつては私のように廃線跡を見に来る人が結構いたらしい。大川ループの場所を尋ねると、「そこの踏切から登っていけばいけるでしょう。でも、トンネルはもうふさがれてしまっているけど。」ということだった。「踏切?」と思ったが、確かに築堤から続く廃線跡が道路を横切っている。かつてはここに踏切があったのだ。

この店の前に車を留めさせてもらい、歩いて大川ループを目指した。まさに炎天下の暑さだったが、一目そのループ線を見たい一心で歩いた。

踏切跡より

水俣方面

布計方面

これより布計方面にこの廃線跡を登り、まだレールが残っているかつての「シメジ栽培場」とその奥に残るトンネルの入り口を見つけた。そして、その右側に大川ループがあることを確信した私はいったんここまで戻り、川をはさんで反対側の小道を歩いていった。そして、とうとう大川ループの築堤を発見した。

横の小道から大川ループの上に立つ。そこからの景色をしばらくぼーと眺めていた。大川ループの上に立つことができ、ある種の満足感を得ながら山を下る。

大川ループから下の集落を見る。この集落に住む人たちは「カタンコトン」という車輪がレールのつなぎ目を拾う音と、SLの時代にはその汽笛、ディーゼルカーの時代にはそのうなるモーター音を日に何度か聞きながら生活していたのだろう。

先ほどの店に戻り、店のおばさんと少し話をした。今、ここに住む人たちの交通手段は当然のことながら車であること。車を運転できない高校生は、親が高校まで車で連れていくこと。中にはバイクの免許を取ってバイクで通学している高校生もいるとのこと。バスは来るけれども、バスに乗る人はあまりいないとも言っていた。このバスも廃止になってしまうのではないか。そうなるとお年寄りの交通手段は・・・。ちょっと心配になった。

山野線の廃線跡ももっとたどって行きたかったが、今回はこれまでとした。現役のループ線もぜひとも見たかったからである。店のおばさんにお礼を言い、布計方面に戻った。大口まで戻り、そこから国道447号で肥薩線の真幸(まさき)駅を目指す。地図上でもこの国道は途中から細くなっていたが、そのとおりの山道になった。どうしても車の速度が落ちる。途中大きな欅の木があった。

ところどころ道を広げるための工事をしているが、まだまだ細い区間の方が多い。そして、その国道から車一台がやっと通れる坂を登って行くと、真幸駅がある。

真幸駅は吉松駅を出発した肥薩線が最初にかかる山間の駅で、スイッチバックの駅である。駅舎自体もとても古く、趣のある無人駅であった。真幸駅へは予定時間をだいぶオーバーした。3:20ごろに到着した。

最初の予定ではループ線のある大畑駅で1242D「しんぺい号」を撮ろうかと思っていたが、これから矢岳駅を経由して大畑駅に行ったのでは、4:35分には間に合いそうにない。地図を見ると鉄道はトンネルで山間を抜けていたが、道路は山道を一度下まで降りて、また登らないと矢岳駅には行けなかったからである。少し考えて、「しんぺい号」をここ真幸駅で待つことにした。時刻表によると真幸駅は3:41となっている。列車が来る時間が近づいてもその列車に乗るための人は誰も来ない。定刻よりも少し遅れて列車はやってきた。

降りる人も誰もなく、列車は出発した。その列車を見送るとすぐに、次の目的地矢岳駅を目指す。地図どおり、山を下って行く。そして、京町というところからまた山を登って行く。地図によるとこのあたりは温泉があるようだが、温泉を楽しんでいる余裕はない。その途中、国道のループを見かけた。

またまた険しい山道を登り、矢岳に着いたのは4:30になっていた。当然列車ははるか前にこの駅を過ぎ、もう大畑にいる頃だろう。

矢岳駅も本当の山間の無人駅だった。駅の構内にSL「D51」が保存されており、見学することができる。

矢岳駅を出ると道路と鉄道はしばらく並行して進む。さらに際しい山道を下る。途中肥薩線の踏切を越えた。

この先がループ線になっているのだ。道路は山を下ると国道に出て、人吉方面、そしてえびの方面へひた走る。「大畑駅」の表示を見つけるが、これまでの真幸も矢岳もそうだったが、「いったいどこに駅があるの?」というところにある。当然のごとくここでも迷い、ちょうど店を見つけそこで聞こうかと思ったが、その店の自動販売機でジュースを

買っている部活帰りと思われる中学生を見つけ、その子に聞く。さらに、途中の民家の庭先で。最後にウォーキングをしている人に聞いて、やっと「大畑駅」に着くことができた。それほど再び山の中に入って行く。大畑の市街とはかなり離れたところにある。

大畑駅に着いたのは5:30に近かった。

駅構内の写真を撮ると、線路をスイッチバックの引込み線の方へ向かって歩き出した。「もう列車はしばらく来ないし・・・」とりあえず、引込み線の写真やループ線の写真を撮っていると、列車の走行音が・・・。「あれ?!」先ほどのしんぺい号が1241Dとなって人吉から戻って来たのだった。全然そんな時間だとは気づかなかった。「ラッキー!!」私は期せずしてベストポジションで写真を撮ることになった。

大畑駅を出発した列車は一度引込み線に入るとフルスロットルでループ線を登って行く。一度遠ざかった走行音もループのためまた近づいてくる。満ち足りた気分でホームに戻ると、先ほどのウォーキングの人が構内を掃除している。乗降客が少ないわりにはゴミが落ちている。(無人駅だから夜になると若い人がたまるのだそうだ)

世の中、こういうボランティアの人がいるから成り立っているのだなぁとつくづく思う。頭の下がる思いだった。

ボランティアの人

大畑駅脇の道より

大畑駅を後にし、山道を下って行くと坂の途中に先ほどの中学生が登ってくる途中だった。え?車で飛ばしても10分はかかるのぼり坂を・・・。「さっきはありがとう。」「いいえ。」気持ちのよい中学生だった。それにしても部活動が終わったあと、そして普段なら学校で一日生活した後のあの通学路は・・・。東京の中学生にも見せてあげたい。

時計を見るとすでに6時を過ぎている。急いで帰らないとレンタカーの
営業所が終わってしまう。国道に出てからはえびのまで一本道。交通量
も少なく快適に走った。えびの市街に出るにはループ橋を通って行く。
鉄道がループなら道路もループである。「世界一」だけあって大きな
ループ橋だった。大きいだけにRが大きく、速度があがっても横にGが
かかることは少ない。

この橋のループを登り、下りは先ほど写真におさめたトンネルをまじえたループである。えびのからは高速をひた走り、鹿児島に到着。この日は満たされた気分で夜の行動には出なかった。

「2号車」の「廃線跡のページ」に「山野線編」があります。

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