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南房総2003年「春爛漫」



だいぶ陽が伸び、春らしくなってきたが、東京はまだ
風も冷たく、暖かい日と寒い日と繰り返しやってくる
感じだ。梅の花もあちこちで咲き始めたが、まだ本格的
な「春」という感じではない。こうなってくると一足早く、
「春」を見つけたいと思うのはだれしも同じであろう。
というわけで、今回は「菜の花」を求めての南房総紀行。
久しぶりの鉄道の旅である。今回は「南房総フリー切符」
を使用してみた。フリー区間内までは特急の指定席券を
利用でき、フリー区間内は特急の自由席にも乗り放題。
移動が長くなる旅にはお得な乗車券だ。新宿駅で当日
これを購入。その際に「指定席をおとりしますか?」と
聞かれその場で指定席も確保。この時期の房総方面へ
の旅は初めてなので、果たして混んでいるのか、空いて
いるのかわからなかったのだが、あっさり指定席を確保
できるということはそんなに混んでいないのだろうと予想
がついた。新宿駅から中央線で東京駅へ向かう。いつも
思うことなのだが、中央線から京葉線のホームまでは
同じ東京駅とは思えない距離がある。「動く歩道」や
エスカレーターがあるにしてもこの距離はどう見ても
別の駅としか思えない・・・。



乗車する予定の「ビューさざなみ3号」はすでに入線
していた。房総方面へは子供のころは家族でよく海水浴
に行ったが実は大人になってからはそんなに行ったこと
がない。この「ビューさざなみ」も発乗車である。「さざなみ」
や「わかしお」には乗ったことがあるが、房総方面への
特急もずいぶん様変わりしたものだ。
房総方面へは本当の幼子の頃より連れて行ってもらって
いた。記憶にある中では、両国駅よりディーゼル機関車に
牽引された旧型客車で館山へ向かったもの。その頃は
まだ各駅停車はSLが牽引していたから相当昔の事である。
いわゆる「国電」と呼ばれた総武線はチョコレート色の電車
であった。その後、急行はディーゼルカーとなり、確か「内房」
とか「外房」とかいうプレートが前面に付いていたような気が
する。電化されたのは小学生の頃。いよいよ特急が走る
ようになった。その年の海水浴は特急で行くことになった。
うれしくてわくわくしていたのを覚えている。そして、その年は
何を考えたのか父がグリーン車を取ってきた。初めて乗る
特急のグリーン車。今思えばとてもよい思い出だ。特急は
両国ではなく東京駅の地下ホーム発車ということで、どこから
地上に出るのか興味津々であった。一時たりとも車窓から
目が離せなかった・・・
思い出話が長くなってしまったが、房総方面は鉄道の面から
見てもとても懐かしく思えるところなのである。
定刻に「ビューさざなみ3号」は発車した。混んでいるどころか
ガラガラの状態であった。夏の海水浴シーズンには連日
満員なのであろうが、この時期の平日ではまだ房総方面へ
行く人は少ないのであろう。数少ないほかの客はスーツを
着込んだ人々であった。房総方面へ出張なのか。客室内は
最近のJRの特急らしい雰囲気。列車は京葉線経由なので、
子供の頃に見慣れた車窓とはまったく違う高架を走る。
まもなく、ディズニーリゾートのある舞浜を通過。しばらく首都
高速湾岸線と並行して走るが、千葉方面へはスムーズに
流れている。逆方向は大渋滞。いつもの朝の光景だ。


最初の停車駅である蘇我に到着。乗客が増える様子も無く
蘇我を発車。停車駅で下車する人はあっても乗車する人は
ほとんどいない。のんびりした気分で車窓の景色を楽しむ。
さすがに昔の景色ははっきり覚えていないが、こんなに建物
はなかったような気がする。しかし、内房の海が見える頃に
なると建物の数も減り、昔ながらの景色が広がる。海の向こう
に富士山も見える。絶好の天気だ。そのうち、菜の花の畑
があちこちに見え始め、菜の花畑への期待が高まる。途中、
列車の行き違えのために停車しながら、定刻よりも少し
遅れて、最初の目的地の「保田」に到着。ここから徒歩で
丘の上の菜の花畑を目指す。坂道を登って行くと、菜の花
畑に到着。持ち主の方がちょうどいらした。撮影の許可を
得ようと話しかけたが、とても気さくな方でどこでも自由に
撮ってかまわないとのこと。ありがたかった。
そして、海の方を指差して言われるのだった。
「ほれ、あっちを見てみなさいよ。」そちらを見ると、なんと
海の向こうにくっきりと富士山が・・・。じゅうたんを敷き詰め
たような菜の花と青い海。そして、その向こうには行き交う船
と富士山。最高のロケーションとコンディションだった。早速
撮影の準備に取り掛かる。


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