このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
第二十八共勝丸乗船記
小笠原までは「おがさわら丸」が定期的に竹芝と父島の二見港を結んでいるが、もうひとつの航路があった。東京江東区の月島埠頭から父島二見港、そして母島までの不定期貨物船、「第二十八共勝丸」だ!
2001年12月にこの船に乗ったので、そのときのレポートです(今回の全食事写真つき)
1日目
朝、自宅をぶらぶら出発。都営バスで月島警察署前バス停まで。到着は午前10時前。桟橋にはすでに水色の船体をした共勝丸が横たえていた。船のクレーンで荷物であるトラックを積み込んでいるところであった。
勝手の知らない私は、作業している人に乗船手続きはどこで行えばいいのかを尋ねた。のちほど知ったことだが、ここで作業していた人たちは、共勝丸の乗組員であった。
事務所で手続きを行い、近所のスーパーマーケットに買出しにでかけ、なが〜い航海中の友となる液体(かんたんにいえば、お酒です)と、つまみ、野菜サラダを購入。初日のお昼は賄いはないので、そのお弁当も購入。ちなみに、客室には冷蔵庫とテレビがあります。
出航はお昼の12時15分とのこと。なので、12時までには船に戻ってくれば、自由とのこと。しかし、近くには特に面白いところもないので、2日以上寝泊りする船室で荷物の整理をするのであった。
これらが客室内部 おが丸と違ってベッドがある
出航時刻が近づいたとき、船会社の東京事務所長も乗船するとのこと。こころ強い仲間が増えたような気がした。東京事務所長は、なかなか気持ちのよい方である。電話で運航日などを問い合わせたときも、たいへん気持ちよく応対してくれたお方のようだ。また、乗船手続きをしてくれた女性の事務の方も気持ちよく対応してくれた。感激!!
基本的には、船内には立ち入り禁止の場所はない。操舵室でさえ自由に出入りできてしまう。(もちろん、常識的な挨拶は必要ですよ)お風呂も基本的にいつでもOKとのこと。しかし、水は貴重なので、大切に使う必要はあるのだが・・・
お風呂です(家庭用のステンレス製です)
出航後すぐにレインボーブリッジをくぐる。おがさわら丸もここをくぐり、父島にむかうのだ。共勝丸は途中10号埋立地でさらに荷物の積み込みを行う。その荷物とは、はっきいって危険物。ガソリン、軽油などが入っているドラム缶だ。万一のために、危険物は月島での積み込みはできないので、ここ10号埋立地で行うのだそうだ。ちなみに、この埋立地に一時上陸は可能だが、コンビニはおろか自動販売機もない。夜食や酒は、月島にいるうちに購入しなくてはならないのだ。
気持ちよくなるほどの青い空。そのなかを、いよいよ父島にむけて進みだした。
東京湾、特に浦賀水道航路付近はすごい数の船、船、船・・・ブリッジにある船舶無線機にもバンバン通信がはいってくる。無線で怒鳴っている船もある。相変わらずの混雑ぶりである。レーダーをのぞかしてもらっても、まぁ、点がたぁ〜くさんあること・・・この点のひとつひとつがみんな他の船だとのこと。共勝丸は12ノットで浦賀水道を進むが、その後も12ノットのままで進行するようだ。晴天のもと、波も穏やかで、遠く大島などの島影をみながら順調に航路を南に向けるのであった。船内では気象ファックスなどの最新設備があるのだが、そのファックスが怪しい図を伝送してきた・・・低気圧である。いまはまったくの順調な航海だが、のちに時化てくるのが、この時点で予想されていたのだった。
乗客はこの時期にしては多い5人。みんな♂である。この船には女性は一人もいないのが残念だが、女性一人旅も結構いるとか・・・こういうマニアックな渡航は、意外と女性に受けるのかな?だから、風呂なんかも扉をあけたままである。(さすがに、便所の扉は閉めましたが)
船内での過し方といえば、昼寝、ブリッジ(操舵室)でくつろぐ、船室で読書(コレって、ツワモノでないと酔っ払います。確実に・・・)ってとこでしょうか。まぁ、ゆ〜っくりと時が進みます。仕事を忘れ、ぼ〜っと海を眺めたりしました。
東京湾の出口付近で見た夕日
夕食を食堂でいただくのだが、大きなテレビもあって、なかなか楽しい。初日の晩は、伊豆諸島からの地上波放送が映るのだ。しかし、地上波の届かないところにいったら、このテレビも見ることができない。(衛星放送受信設備が壊れている)すでに船室にいるときから酒をかっくらっているのだが、寝酒を一発かまして、ベッドにもぐりこむ。おが丸の2等は乗客つめこみ状態の雑魚寝だが、共勝丸は2段ベッドだ。快適なひとときを過ごしながら、最初の夜はふけていった・・・
初日の夕食です
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |