このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

全日本ママチャリ12時間耐久レース奮戦記4

 

大会当日 1999年8月21日(土)

 翌日早朝6時30分に快速ミッドナイトは、定刻どおり札幌駅のホームに滑り込んだ。札幌の駅構内で朝食をとり、今度はレース参加者のための会員バスを探す。バスはがらがらに空いていた。すごいと思ったのは、札幌からの参加者は、レースに使用するままちゃりを積み込むことが可能なのは驚いた。ただ、観光バスの荷物室に入れるだけなのだが、ママチャリくらいならバラさずに収納できてしまうのだ。私たちのような本州からの参加者は、前もって申し込むことでママチャリをレンタルすることが可能であった。自分のママチャリを遠路はるばる持ってくるのは、苦痛以外のなにものでもない。ままちゃり輪行の経験はあるが、はっきりいって楽ではない!断言しよう!

 バスは一路、北海道の大地を帯広平野に向けてひた走る。会場が近づくにつれ、面白い光景が目に入った。自転車を屋根に付けた乗用車が何台もバスを抜いていくのだが、そのほとんどがカゴがついたママチャリをのっけている。一目でレース参加者だと解かる。ママチャリを3台くらい積んだ軽トラもあった。

 会場に着くと、早速自転車レンタルの手続きと参加受付を行う。自分たちのピットの場所が示され、そこに向かう。車検を済ませ、週回数を計測する機械をままちゃりに取り付けた。我がチーム名は「すみだぱぺぽ倶楽部」である。審判兼選手がたったの2名。12時間のレースのうち休めるのは、相方がままちゃりをこいでいる間だけ。当然、選手は酒類はご法度だ。なお、応援は酒もOKのようで、模擬店も終夜営業している。食べ物、飲み物などの心配はまったくない。グループ、家族などでわいわいやるのもOKだ。

 オープニングセレモニーも始まり、妙に盛り上がっている。はっきりいって、お祭りだ。キャンプ道具ですでに酒盛りしている連中もたくさんいる。

 夕方5時、いよいよスタート。相方がスタート位置についた。スタート!12時間にわたる過酷な(うちらは特に)レースは始まった。

  
試走中のままちゃりと、わが愛車

 コースは1周3,400m、ここを12時間で何周できるかで順位が決まる。私たちは、当初3周交代と決めていた。3周したら、反射ベスト、現場ヘルメットを引継いで、走り出す。はっきりいって、時間ロスはあるが、完走目的だから構わない。レースにはコスプレ部門もあり、中には怪しい格好の人たちも何人もいる。医師グループらしい連中は、手術着にマスク、手術帽、ゴム手袋でレースに出ていたのもいる。仮面ライダーに不二家のペコちゃん、バカ殿様に、わけのわからん格好の連中も・・・

  
仮面ライダー発見!!            競技開始!


 我がちゃりは、前面のカゴに「パペポ」と発光ダイオードでイルミネーションを付けたので、遠くからでも我がチームのちゃりんこを確認できたが、もしイルミネーションがなかったら、ピットでの交代もうまくいかなかっただろう。無線で連絡とりあっていたが、イルミネーションは絶大な効力を発揮した。


現在「ぺ」の文字が点灯中


 レースが続く中、イベント会場では、なぜかカラオケ大会が始まっていた。ピットクルーはいいなぁ。酒飲んで、イベントに参加して・・・オイラは相方が走っているときは、ひたすら休憩あるのみ。

 レースは深夜になっても続いていた・・・

 

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