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まごころツアー5

 
平成9年8月11日(月)〜 8月13日(水)

 

まごころ旅行記5

案内人 : 顧問 大塚雅之

大塚先生・作

内容※この旅行記は2ページ+αで構成されています
其の壱 旅行記
1日目 博多→岩国→阿賀→堀江→松山→道後温泉→宇和島(泊)
2日目 宇和島→荷稲→高知→阿波池田→高松(泊)
3日目 高松→岡山→東福山→下関→門司→博多
其の弐 感想文
+α 行程表(興味のある方、どうぞ)
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旅行記


 平成9年8月11日(月)〜13日(水)私たち10名は四国地方の鉄道事情の視察に行った。四国を選んだ理由は、『鉄道ファン』の私鉄電車探訪特集の記事に全国の大手私鉄から集まった旧型車両が揃う高松琴平電鉄や伊予鉄道が紹介されていたのを読み、大塚北方古賀のマニア心をくすぐったからである。そのほか土佐電鉄、土佐くろしお鉄道、JR四国各線などの鉄道車両に乗ったり、四国の自然や風土にふれられるようにと行程を考えた。
 だが参加したメンバーの内、生徒(1年生)は全員がプラモデル部門だったので興味があるのかなと思っていたらさすが同じマニア、あとで聞いてみると車両の細かい所まで観察していたり、もうちょっと鉄道について事前に研究しておけばよかったと言ったりしていたので、よかったと思う。もちろん旅の大きな目的のひとつである集団行動の中における自己の役割や責任、自覚を持つこと、さらに友好を深めたり、信頼関係を結ぶことも十分できたようだ。
 行きがけは呉線安芸阿賀駅近くの阿賀港から航路で四国に渡ることにした。限られた時間を有効に使うためだ。ただフェリーの中で北方に聞かされたテープには参った。(とても活字にはできない。)ワラ1を改造した駅舎の堀江駅からJR四国の車両に初乗車し松山に入る。伊予鉄道で道後温泉へ、気持ちのいい温泉だった。
 
道後温泉駅にて
伊予鉄道、道後温泉駅にて
メンバーは大塚、北方、柳川、古賀、野口、杉原、上田、金子、井上、芳野
 さらに伊予鉄で松山市の中心を通過後、JR伊予市駅接続する郡中港駅まで郡中線の元京王5000系(伊予鉄700系)に乗車した。ここで1時間程待ち合わせをし、おなかが減ってたまらなかったがいやしい大塚北方柳川古賀宇和島名物“さつま汁”(情報提供:古賀)を食べるためにぐっと我慢した。その甲斐あって“さつま汁”はとてもおいしい物だった。(宮崎の“冷や汁”に似ている。)伊予市駅から内子線まわりの列車に乗って宇和島へ、ここで1泊し翌朝予土線に乗車。予土線からの四万十川の景色は最高で、蛇行した四万十川を一直線に横切ると、川の流れがトンネルを境に左から右へ、右から左へと変わる。川の水はどこまでも清らかで、深くやさしい緑色だ。勉強に追われた生徒たちの日頃のストレスまでもその清流が洗い流してくれたのではなかろうか。
 感動の余韻に浸っていると列車は若井駅に到着、ここで土佐くろしお鉄道に乗り換え荷稲駅まで往復する。ここの目的は数少ないループ線だ。ぐるっと回ってきたループ線をビデオに撮ろうと構えていると、親切にも車掌さんがループ線の見える位置を教えてくれた。再びJRで高知に入る。途中から土佐電鉄に乗り換え、はりまや橋電停で偶然あの「桃太郎電鉄色」を目撃!運がいいマニアたちであった。
 カツオのたたき御膳の昼食後高知から土讃線で高松へ。途中テレビでも取り上げられた新改駅で約10分の待ち合わせ。ここの駅前は道すらもなく、いきなり山の斜面が迫っているが、どこからやってくるのか週に一度おじいさんとおばあさんが通院のために乗ってくるらしい。利用客が週に2人だけの駅だ。さらに大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)に停車。大塚北方古賀は「ぼけ」をかましていた。JR四国の列車にはトイレがないものも多く、こういう駅での待ち合わせ時間に勝手に駅で下車して駅のトイレを利用したり、駅前の自動販売機でジュースを買ってもO.K.なのである。都会ならキセル乗車をされそうだが、かと言ってキセル乗車する人もいないとかで、なんとものどかでうらやましいことだった。
 大歩危・小歩危や吉野川沿いを走る土讃線からの景色もすばらしく、鈍行でしか味わえないゆったりとした車窓であった。琴平から高松琴平電鉄の元京浜急行1000形に乗り換えると、途中で元阪神5001形を連結、琴電ならではの光景だった。高松に着くと讃岐うどんのおいしい店を地元の人に教えてもらい全員で食べに言った。会員たちは今回の旅行の食事の中で一番おいしかったと口をそろえた。ホテルまでの帰り道は自由行動にしたら、1年生が道に迷ったらしく人に聞きながら帰ってきた。
 翌朝琴電高松駅で年代物(大正15年)の自社製車両3000形にご対面し、貴重な体験をしたと喜んでいたら、志度線を往復乗車してびっくり。やはり大正15年製の自社製1000形130や日本で唯一の東芝製電車70形、西武から山形交通を経てやってきた860形とすれ違ったり、前述の3000形315に乗車、さらに琴電志度駅では今どき珍しい切符を売っていたり、琴電そのものが貴重な鉄道会社だったことを再認識させられた。
高松琴平電鉄30形高松琴平電鉄30形貫通扉付き
←(写真左)高松琴平電鉄30形は元京浜急行のデハ230形。←
→(写真右)同じく30形だが増結時の乗務員の移動を考え貫通ドアを付ける改造を施したタイプ。→
↓(写真下)2線区にまたがって乗車できる工夫がなされている今どき珍しい切符↓
高松琴平電鉄の車内乗車券
 琴電高松駅に戻りJR高松駅からはこの旅行で唯一のぜいたくをした。瀬戸大橋からの車窓を楽しめるマリンライナーだ。最後尾の展望車を予約しておいた。瀬戸内海にまたがる瀬戸大橋のスケールには度肝を抜かれたが、それと同時にこの3日間で見てきた四国のすばらしい自然と、この大橋の人工的な物との対照的な景色が一本のレールで結ばれていることが不思議で、列車の旅のよさを感じた。岡山あたりで気分が悪くなった北方は、東福山駅に着くとちゃっかり元気を取り戻し『元気朗堂(現株式会社朗堂)』の店内で目を輝かせていた。
元気朗堂
元気朗堂にも寄ったのだ。東福山駅まで送迎して頂きありがとうございました。


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