このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
「さようなら新潟交通、蒲原鉄道、ニッポニア・ニッポン隊」
今回の旅行の目的地の一つ新潟県は日本でも有数の豪雪地帯だ。出発するとき福岡では桜がほぼ満開だったのに、新潟に入る前の群馬県の高崎駅を過ぎたあたりから雪が舞いだし、水上駅付近では雪は本格的に降りだした。さらに、トンネル内にループ線や駅がある土合駅、土樽駅を過ぎて越後湯沢駅に着いたころには、線路は雪に埋もれ視界が2,3m程の大雪だった。ホームの端に下がるつららやポイント付近の凍結防止のために水をちょろちょろと出しているところなど、雪国ならではの風景に生徒たちも感動し、そのことを後日集めた感想文にも書いていた。どうなることかと思った雪も平野部ではぐんと減り、日陰の所に雪が残っていたり、たまに雪が降ってきたりするくらいで(それでもすごいか)何とか視察はできそうだった。
まず私たちは「新潟交通」を訪れた。廃止直前ということで遠慮してアポイントを取っておらず、珍しい車両や設備を見たり、いろいろと話を聞いたりできなかったのが残念だが、アポイントをしても断られたに違いない。なぜなら始発の東関屋駅は人でごった返し、たった一両の車内はマニアやTV局の人で超満員だった。しかしこれが廃止直前でなく、平日の昼間の列車だったら何人が乗っていたのだろう。沿線は民家も人もまばらで、(列車の最後の姿を納めようとカメラを構えたマニアはいたが)接続にしても両端の駅は中途半端なところにある。昔は町の中心部に延伸の計画があったらしく、それが実現していたら廃止を免れていたかもしれないが、モータリゼーションに追い込まれるローカル線の生き残りの難しさを見たような気がした。東関屋駅構内にはラッセル車のキ100や、それを牽引するモワ51、小田急色そのままの2220形など、私はそれほど詳しくないが「鉄検」3、4級くらいのマニアなら失神するに違いない。
それから私たちは「蒲原鉄道」を訪れた。古い西武車両が当時のままの塗色で残る同鉄道は、やはりモータリゼーションの波に押され、ひっそりと存在していた。小野田線のクモハ42にも似た乗り心地のモハ41に乗って本社がある(つまり起点駅となる)村松駅へ向かった。
ここではアポイントを取っていたため同鉄道部の小沢俊雄さんが村松車庫の内部を案内してくださった。なんでも「蒲原鉄道」は同社の3月末廃止の要望が地元に受け入れられず、秋頃に廃止が延期されたそうだ。おかげで私たちは車庫を見学できたのだと思う。村松駅の駅舎は同鉄道創立当初からのものだそうで、木造で屋根裏には大きな梁が見え誇らしげだ。また同車庫内には純国産の凸型電気機関車のED1などが留置してあり、それらを間近に見学できた。さらに廃車になったモハ12、キハ04を改造したクハ10の車内を見学させていただいた。小沢さんがマスコンや落とし込み式のブラインドや連結器の仕組みなどの説明をしてくださった。それから廃車になった電車の車体を利用した物置などもあっておもしろかった。見学できて本当によかった。この場を借りて小沢俊雄さんにお礼申し上げます。藤井はよっぽど気に入ったらしく、しきりに「夏にもう一回、蒲鉄に来ましょう。」と言っていた。
JRに接続している五泉駅に行くと、信号のトラブルで列車が遅れていたが、それほど大きな遅れもなく新潟駅に戻ることができた。それどころか、キハ47系の旧新潟色にゆっくり乗れてよかった。なんせ私は「まごころツアー4」で新潟地区を通過したときに見たこの独特の塗色に惚れ込んで、Nゲージ(模型化されてるのはキハ58だが)まで買ってしまったのだから。新潟駅では583系の「きたぐに」を見た。もともと583系が好きな私と宇野、寝台系が好きな江美、なんでも派の藤井らは興奮状態に陥りカメラのシャッターを切りまくった。新潟からは「ムーンライトえちご」(165系)に乗車、以前乗ったときのことは忘れてしまったのでわからないが、今回気づいたことは新しい車両の「ムーンライトながら」(373系)よりもリクライニングシートが倒れるということだ。「ながら」でも十分に眠れる私は「えちご」で熟睡した。ただ、暖房が利きすぎで足に温風があたって暑かった。
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