このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
まごころツアー9
左から江美、藤井、大塚、宇野、大渕、同鉄道部小沢俊雄さん
旅行行程(概略)※この旅行記は4ページで構成されています | |
序章・1日目 | 企画立案から1日目:博多→広島→呉→岡山→大垣→ |
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2日目 | →東京→高崎→新潟→関屋(新潟交通・蒲原鉄道見学)→新潟→村松→新潟→ |
3日目 | →東京(東京鉄道めぐり・電車とバスの博物館、ホビーセンターカトーなどなど)→ |
4日目 | →名古屋→美濃(名鉄見学)→徹明町→本揖斐→谷汲→大垣→大阪 |
5日目 | 山陽を一直線に博多着。19時25分、無事に到着 |
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「さようなら新潟交通、蒲原鉄道、ニッポニア・ニッポン隊」
序 章:そもそもの企画の始まり
1日目:出発! 本同好会が行っている「まごころツアー」には大きく分けて2種類ある。ひとつは「青春18きっぷ」を使って鈍行で全国各地の鉄道事情等を視察に行くもの、もうひとつは、私が車を出したりして近場の車両基地などに見学に行くものである。このうち「青春18きっぷ」を使って行く方は、以下の理由で「夏休み限定」ということにしようと思っていた。
①大変、チョー疲れる。
②東日本の春はまだ寒いし、荷物も多くなる。
③年に何回も行くのでは金がもたない。 しかし、そう思っていた矢先に「新潟交通」、「蒲原鉄道」、「名鉄美濃町線の美濃—新関間」の3路線が平成11年3月いっぱいで廃止になると聞いて、またぞろマニア心が動き出した。と、いかにも今回はやむなく春休みに旅行をしてしまったかのような言い方をしているが、実は前回の「まごころツアー8」の旅行中に「新潟交通」廃止の話を聞いた私は、そのときすでに今回の旅行の計画をしていたようで、北方との会話がしっかりとビデオに録音されていたのだ。(
「まごころ旅行記8」
参照)
しかし、考えてみると、3月末は年度の変わり目でもあり、3月いっぱいで廃止になるというのは十分ありえることなので、今後も当然春休みに「まごころツアー」をする可能性はあるだろう。というわけで、私たちは計画を立てたのだが、今回のツアーは前回の「まごころツアー8」と比べて大きく違うことがある。それは人数だ。「まごころ旅行記8」にも書いていたが、大人数(20人)と言うことは、小回りが利かないということで、私も引率する責任感を大いに感じざるを得なかった。その上、鉄道部門は20人中、私とOBの北方の2人、あとは全員プラモデル部門だったので、それはもう大変だった。なにせ時刻表の見方さえ知らない者もいたのだ。
それに比べて今回はたったの6人。しかも朝日を除いて全員鉄道部門ということで、大いに旅行を楽しめそうだと思った。それともうひとつ私個人としても、このツアーを企画する立場としても大きな違いがあった。それは今までの「青春18きっぷ」シリーズのツアー全てに参加していた北方が参加しないことだ。北方は時刻表を見ながらの細かい計画はあまりしないが、おおまかな目的地を決めたり、その際どこの鉄道や車両を視察したらいいかや、模型店に行ったらすぐに珍しい車両を見つけたりしてくれる。そして何と言ってもひまな道中、鉄道に関する解説をみんなにしてくれたりする。今までのツアーの中心的存在だった。その北方がいないのだから不安はあった。
ところが、歴史は繰り返される。ちゃんと後継者がいたのだ。そう!我が模型同好会には藤井という恐ろしい存在がいたのだ。藤井は今回、北方の代役になってくれただけでなく、ツアーの目的地への乗り継ぎから経由地まで、私だったら思いつかないような細かい計画を立ててくれたのだ。北方に衞藤を足したようなやつだ。あー、恐ろしい。 というわけで行程表は完成した。
ところで、少人数がゆえにできたことだが、行程表ができた時点ですでに初日(28日)については変更を考えていた。それは私たちは鉄道マニアなんだから(もう完全に自覚している )、ただ単純に目的地に到達するのではなく、どうせならあれこれと路線を回ったり、いろんな車両に乗ったり見たりしたいのだ。それを実行しようということになった。しかし出発まで時間もなかったのでとりあえず一番早い電車に乗って行くということだけ決め、旅行前の最後のミーティングだけ終わらせといて、その後私と藤井とで改訂案を作ったのだ。
写真左: 「元禄繚乱」のヘッドマークを付けた「赤穂ホリデー号」。
ただし、このヘッドマークはJR西日本のほとんどの車両につけられていた。写真右: 関西地区を快適に通過。私(大塚)と朝日。
山陽地区を東へ向かうのに呉線や赤穂線回りにしたり、臨時の「赤穂ホリデー号」の指定席に乗って、(指定席券は当日広島駅にて購入) 混雑する関西地区を悠々と駅弁を食べながら通過できたりしてとてもよかった。この辺の計画案は全て藤井が考えたもので、さすが模型同好会に入りたくて大濠高校に入学してきただけのことはあるなと感心させられた。また、その日になって変更したものもある。例えば、水島臨海鉄道を見ようと倉敷駅で下車したが、列車が出発したすぐだったので、早めに岡山駅に行って買い物の時間をとったり、「東京鉄道めぐり」では「地下鉄博物館」を見るか「電車とバスの博物館」を見るか最後まで悩んで、みんなの意見を聞いて当日になって「電車〜」にしたり、予定にない模型屋に行ってみたり、時間に余裕ができたので急遽自由行動にしたりした。これらの変更は藤井がいたからできたことだし、6人という小人数だからできたことでもある。
ただ、小人数ということでの反省点もある。それは、3日続けて車中泊にしたことである。今までしたことがなかったこの企画はダイヤの組み合わせや廃止日の関係などでこうなってしまったのだが、小人数だから強行できると考えたのだ。しかし、みんなバテてしまうし、結局風呂には初日の大垣でしか入れないし、なんたって私が一番ダウンしてしまい、4日目に胃炎をおこしてしまったのである。旅費を安くあげるためにいつかは全て車中泊というのをやってみようと思ったりもしたが、やはり次回からは十分に休息を取りながら無理のない計画を立てることにしよう。参加者の中でも一番きゃしゃな大渕が一番タフだったような気がする。
それにしても藤井はよくしゃべる。どんなときでも状況をあまり考えないでしゃべることもあるもんだから、旅行中何度か私に怒られた。だがそれでも彼はしゃべり続ける。状況さえ考えられるようになったら、非常にいいと思う。こちらが忘れていたことを思いださせてくれたりして、助けられることもある。ホームルームでも伝達事項を忘れていたときに教えてくれたりして助かっていると担任の平先生もおっしゃっていた。
そんな感じで旅行中、彼がしゃべり続けてくれたおかげで鉄道に関してまた少し詳しくなったような気がする。例えば中国地方の中心都市である広島駅が未だに地上駅なのは不思議だと尋ねたら、広島駅には支線が入り込んでいるから高架駅にすると大規模な工事になり莫大な費用がかかるということと、広島市は三角州にできた町なので地盤がゆるくそれだけ大規模なものを高架にはしにくいのではないかとか、こちらが納得できる理由を挙げてくれた。( 実際のところはわかりませんので、ご存じの方は教えてください)
また、以前から姫路駅を通過するたびに気になっていたことだが、姫路駅周辺にはコンクリート製のモノレールの軌道跡らしきものとそれを支える柱が所々に残っている。そのことを藤井に聞いてみるとやはり昭和40年代まで走っていた市営モノレールの跡らしく、安全上の理由で廃止になってしまったらしい。その他、どの土地に行っても路線のこと、廃線跡のこと、駅のことなどいろいろと知っていて、おまけに「JR全線全駅」(弘済出版社)という電話帳のような分厚い本を持ってきているから、駅がどういう理由でいつ頃できたとか、駅名の由来までわかるのだ。今度の「鉄検」では進級できるかもしれない。
それから藤井は旅客機にも詳しいみたいで、前回の「まごころツアー8」で旅客機マニアから鉄道マニアに進化した宇野と会話がはずんでいた。4日目の大阪の自由行動では2人で伊丹空港まで飛行機を見に行った。
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つづく(2日目)
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