このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

まごころツアー13  

1日目:まごころトラブル再発か!?(三段峡と広島フリータイム)


 そして、いつもの旅が始まった。「青春18きっぷ」を使って「ムーンライト」に乗り、一気に目的地に着く。いつもとなんら変わりのない旅のはずである。しかし、違う点がある。それは参加メンバーの顔ぶれである。本校模型同好会から顧問の大塚、岸原、近藤、九大鉄研から大屋さん、藤田さん、福大鉄研から本会OBでもある大渕、やはりOBでフリー(?)の北方、それにフリーの三苫さんの超豪華メンバーである。これに加え、送迎組が木村(きむかつ)さん、後田、吉牟田とこれだけのスターが揃って何か起きないわけはない。いつもと違う胸騒ぎを覚えながら出発の日を迎えた。
 朝、博多駅に集合する。そこにいきなり藤田さんから電話が入る。「笹原駅附近で道に迷って乗り損ないました。特急で追いかけて、折尾で追いつきます。」いきなりのハプニングに一同大爆笑! 思い出してみると、出発1週間前になって北方がいきなり参加することになるなど、ハプニングの予感はあった。
 博多駅には後田が見送りに来てくれた。後田は自宅にようやくインターネットが繋がったので、今回私が旅先から送った画像データを元に旅行の模様を本ホームページにアップする予定である。後田は「まごころツアー13」に「電子参加する」ということだ。
103系瀬戸内色1枚目=103系瀬戸内色。すでに北方さんと大塚先生の手によって、「模型化」は完了しています。
 いつもと同じ行程ではつまらないので、小野田線と岩徳線経由にした。(このプランは本同好会の藤井が立てたものだが、彼も企画段階ではこのツアーに「頭脳参加」したと言っていい。)小野田線の105系は冷房の効きが悪く、一人が「これやったら弱冷房車やね。」と言うと、他の一人がすかさず「いや、弱冷風車ぐらいやね」と返す。笑いもおこる、なごやかな雰囲気の中で「レールスター」たちの戦いのゴングは鳴らされたのだった。私もまだ会話についていけている。小野田市はもちろんセメントで栄えた町なので、工場からモクモクと煙が立ち上り、消防署には化学消防車が何台も置かれているところなどが印象的だ。せっかくの小野田線、岩徳線経由なのに、北方は眠ってばっかりだ。昨日私の家に泊まったのだが、久しぶりの「青春18きっぷ版まごころツアー」に参加するとあって、興奮して眠れなかったようだ。遠足前日の小学生並みだ。(本人は「普段から夜更かしばっかりしているからですよ。」と言っていた。)
2枚目=決して、福岡に1人残ってHP作成に精を出しているU田のことではありません(笑)
迫力の有る、三段峡行き臨時併結。「わんぱく某」とかいうキャンプ(?)の復路の列車のための回送併結列車でした。
三段峡行き臨時増結列車
 その後も濃いネタの連発でいつもの4時間行(今回は5時間弱)をいとも簡単にクリアーし広島に入った「レールスター」一行は可部線に乗り換え、加計駅に着いた。ここから先は極端に利用客が減少する。それなのにキハ58系がなんと4連もの編成で入線してきた。「わんぱく列車」のヘッドマークとサボ(行先表示板)を気にしながら乗り込む。終点の三段峡駅に到着してそのわけを知る。「わんぱく某」とかいう小学生のキャンプの一行がいて、その帰りのための団臨併結運転だったのだ。
 「わんぱく」がいなくなると駅前はようやく元の静けさを取り戻したようで、その頃になって駅前にC11が静態保存されていることに気づいた。小雨をものともせずカメラを片手にC11へと近付く面々。私もはやる気持ちを抑えてビデオカメラをまわしながら近付く。そこですかさず北方と藤田さんの戦いが始まり、モニターに映し出されている主人公はいつしか二人に変わっている。「いや、昭和7年頃からですよ。」、「確か、384両ですよ。」、私は会話についていこうと必死だった。その後、三段峡を散策した。魚が群をなす緩やかな川の流れは散策路を登るにつれ、飲み込まれそうなほどの激流へと姿を変える。紅葉の季節はさぞかし美しいのだろうと思いつつ、また絵を描きたくなっていた。
まごころレールスター(命名者:U田)3枚目=いえ、決して、マニ塚先生のことではないですよ(苦笑)。
ハイ、“まごころレールスター”(鉄っちゃんのオールスター、ですから…)です。なかなかマニアックです。
 藤田さんとの戦いを機に北方はようやく「冬眠」から覚めて、広島への折り返しの車内では戦いが本格化してきた。藤田さん、大屋さん、三苫さんらはバスにも造詣が深いらしく、これだけバスマニアがそろった「まごころ」も初めてだ。車内からバスの廃車体を見つけては「おおぉ〜っ!」、「やっぱり『カマボコ』はいいですねえ。」と盛り上がっていた(大屋さんは可部線沿線の安芸長束の出身で高校までの18年間を過ごされているから、廃車体の位置もご存じだったようだ)。広島駅に着き駅前広場に出て、多数の市電やバスの行き交う風景が眼前に広がると戦いはクライマックスを迎えた。

「おおぉ〜っ、いいね、いいね。」
「あっ! あれは◎▲※☆×○¥ですかね?」
「えー、おそらく☆〒▽Φ□◆◎!〆型ですね。」
「すると、$♂●α◇∀@Ω$■∞〒ですね。」
「▽×★÷○@⊥※℃だなあ。」
「・・・・・・・・・」
私が白旗を掲げたのは言うまでもない。
 広島で「ムーンライト山陽」に乗るまでの間、自由時間となる。我々は岸原の提案でまずは模型店を訪ねたのだが、タッチの差で閉店となった。さらにお好み焼きの有名店「みっちゃん」を訪れたものの、「本日定休日」の札が私たちの前に立ちはだかった。「まごころ7」以来となる広島でのリベンジを岸原たちと誓いながら、店舗がすべてお好み焼き屋さんというビルで食事を済ませた。その後、広島駅前でバスウォッチングをしながら時間をつぶす。広島の市電や、緑のストライプが特徴的な広電バスを眺めながら私は回想にふけっていた。
 私は小学1、2年生の2年間を広島市内(現東区牛田本町)で過ごした。わずか2年間だが、今でも忘れないほろ苦い想い出があるのだ。私は小学1年生のお正月に、もらったお年玉を握りしめ「タイガーマスク人形」を買うべく、広島の繁華街、紙屋町の商店街にあるおもちゃ屋へと向かった。目的の「タイガー」を手に入れた私は家へ帰ろうと市電の切符を探して顔が青ざめた。ないのだ、切符が・・・。「タイガー」の代金ちょっきりと往復の切符しか持ってきていなかった私はあきらめて歩いて帰ることにした。広島の方はお分かりかも知れないが、紙屋町と牛田本町は小学校1年生でなくても歩くのには遠い。(福岡で例えるならば、天神から茶山あたりぐらいまでだろうか?)しかも市電の路線に沿って歩かないと道はわからないので遠回りだ。「切符さえあれば、もうとっくに家に帰り着いている頃なのに・・・」と思いながらも、時間ばかりが過ぎていき、小学生の私は次第に不安になっていった。私は正義の味方「タイガー」が悪者をやっつけるシーンを思い浮かべては勇気を振り絞って歩いた。夕陽に染まっていく広島城も寂しげだった。
 ようやく家に帰り着いた。私は用を足すべく、トイレに直行した。ズボンをおろしたその瞬間、
「ガサガサッ」
「んっ?!」
ポケットの中から「小人○○円」という切符が顔を出した。
 あまりのショックに私にはその後の記憶が全くない。果たして私の「タイガー」は悪者をやっつけたのだろうか?
4枚目=すてきなツーショット!いかにも可部線、という感じです。素敵なツーショット!
 いろんなことを想い出しているうちに時間はあっという間に経ち、「ムーンライト山陽」に乗車する。「ムーンライト高知」と「ムーンライト松山」が岡山で「ムーンライト山陽」に併結されて走ることを考えると、これで「ムーンライト」兄弟すべてに乗ったことになる。ただ、マニアとしてのこだわりから言うと、いつか「高知」と「松山」にも乗車したいと思っている。


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