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鉄ッチャンオールスター 北陸決戦 2000夏 |
3日目:北陸決戦は「UNO」で決着!?加越能鉄道・神岡鉄道乗車
新宿から「ムーンライトえちご」に乗車し、新潟に向かう。少しでも宿泊代を浮かせるためにわざわざ新潟周りになったのだ。東京−金沢間に「ムーンライト北陸」でも走っていたら便利なのだが、まあ物は考えようで、全国の路線を乗りつぶそうと考えている私たち(少なくとも私は考えている)にとって、金沢−新潟間もいずれは乗らなくてはいけない路線なので、今回その区間を乗りつぶしたと思えばいいのだ。実際にこの区間を乗車していいことがあった。直江津駅から583系改造の419系に乗車することができたり、その車内で北海道から来たという人と知り合いになり、直江津駅で買った「鱈めし」という駅弁は、駅弁のコンテストで「グランプリ」をとったことがあることを教えて頂いたりした。(確かに今回の旅行中の食べ物で一番おいしかった。)隣の席では東京から来たらしい高校生の集団がダイエーと西武の戦力比較の話で盛り上がっていた。結局今年もダイエーが優勝するだろうという結論になったらしく、西武ファンらしい一行はため息をついていた。ダイエーの選手名が次々と飛び出す高校生にダイエーも知名度があがったなあと私は一人ニヤけていた。
それにしても北方はよく眠る。昼食を取ったかと思ったら、もう「冬眠」モードに入っていた。それでも信越線は長い。さすがの北方も「冬眠」から覚めた、と思ったら今度はバッグからゴソゴソと「UNO」を取り出した。みんなから「北方さんは眠っているか、『UNO』をやっているかですね。」と冷やかされていたが、実はそのために「まごころツアー」に参加したと言ってもいいぐらい、みんなと「UNO」をするのを楽しみにしていたのだ。
このアメリカからやってきた「UNO」というゲームは単純でおもしろい。その上プレイする人の性格や癖などがでるので、そこがまた楽しい。自分が一番にならなかったら怒り出すわがままな大塚、自分が上がるよりも私や藤田さんに「DRAWFOUR」を出してその反応を喜ぶ悪趣味な北方、横目で人の持ち札をのぞき込んでせこく勝ち上がる近藤、勝っても負けてもニコニコして育ちの良さがでている岸原、なかなか表情を顔に出さないが「DRAWFOUR」を出されると「オホッ」と言う大渕と「ちしぃーっ」と言う藤田さん、お人好しの性格がそのまま出ている三苫さん、みんなから攻撃を受けてもしぶとく勝ち上がる大屋さんという具合である。
「UNO」決戦も一段落し、みな思い思いに時間を過ごす。私はいろんなことを考えながらボーッとしていた。途中「親不知(おやしらず)」という駅に停車。駅名がどういう由来かは知らないが、私が鉄道にのめり込んで6年が経ち、私は「嫁・子供不知」になっているなとちょっぴり反省した。「親不知」で思い出したが、福岡市内に「親不孝通り」と呼ばれている繁華街がある。親不孝通りの先にある地元の予備校に浪人生が通うことからその名前がついたらしい。もちろん正式名称ではないし、大手の予備校の進出で地元組は相次いで撤退し、とうとう予備校が親不孝通りの先にはなくなってしまった。今では親不孝通りは完全な繁華街となり、夜になると若者が集まり青少年の非行を助長しイメージが悪いということで、警察や市が主体になって旧地名からとって「天神万町(よろずちょう)通り」と一旦は決めたものの、市民レベルではあまりにも「親不孝通り」のイメージが強く残っているとかで地元住民が「親富孝(おやふこう)通り」にしたいと申し出るなど物議を醸しているようだ。しかし、我々の間では未だに「親不孝通り」でとおっている。
1枚目=あこがれの加越能鉄道、廃止反対運動が盛んな割には利用客が少なく、ちょっと残念 。 |
早朝、新潟を出て高岡に着いたときにはもう昼になっていた。ここで城端(じょうはな)線と氷見線に乗車する。両線沿線を始めここ富山県は意外に工場が多い。富山と言えば昔から薬で有名であるが、薬品関係だけでなく様々な化学工場もあるようで、非冷房のディーゼルカーの車内では理科実験室のような化学薬品の臭いが鼻を突く。私は富山に対して、北は日本海、南は日本アルプスをバックにした自然の宝庫の街というイメージを持っていたのだが、現実は違っていた。今や富山市・高岡市は新産業都市の指定を受けており、北陸地方の第二次産業を一手に引き受けている。そういう教養を私が持ち合わせていなかっただけだ。しかし、第一次産業や観光・サービスなどの第三次産業だけではやっていけないという地方都市の生き残り政策を垣間見た気もした。城端線は「常花」とひっかけて沿線の所々に花を咲かせている。中でも終点城端駅のホームのミズバショウはきれいだった。
両線完全乗車を果たした我々は加越能鉄道に乗車する。この鉄道は何年も前から廃止の話が持ち上がっているが、高岡市青少年団らによる廃止反対運動が盛んでホームページを開設するなど熱心だ。その甲斐あって廃止が延び延びになってきたものの、とうとう先日廃止が確定したそうだ。我々が訪れた平日の昼間も我々以外にほとんど乗客もなく、これなら間違いなく赤字が出る。広島、福岡と少年時代を市電のある街で過ごしてきた私にとって、現実を見て涙が出てきそうだった。今年は北九州市でも西鉄北九州線が廃止になる。ヨーロッパではNOXやCOなどを排出する乗用車に比べ、電気エネルギーで地球環境にもいいということで市電が見直されて、LRTが発達してきている。それに比べて日本は遅れているどころか逆行しているようにも見える。10年も経たずに「やっぱり廃止しなければよかった」とか言い出して、復活させて無駄なお金を使うことにならなければいいのだがと心配している。
高岡に戻って駅内のコンビニに寄る。最近の駅にはキオスクだけではなく、各JR直営のコンビニが増えてきている。コンビニの方が取扱商品も多種多様で、鉄道を乗り継ぎしている我々にはとても便利だ。ここ高岡駅のコンビニには「富山のますのすし」で有名な会社が「ますのすし」のおにぎりを販売しており、ちゃんと一つずつ柿の葉に包まれているという手の込みようだ。味も「ますのすし」そのままでおいしい。これなら全国で販売しても売れるのではないだろうか。(最近、福岡でもコンビニに「ます寿司」なるおにぎりが発売されているようだが、富山のものではない)
2枚目=すばらしい! の一言に尽きる神岡鉄道沿線の車窓でした。車内は囲炉裏が切ってありました。 |
その後富山から高山本線に入るのだが、富山駅での乗り換え時間を1分に設定していた。そのため当然走らなければいけないわけだが、この高山本線ホームは北陸本線ホームの奥に設けられているため、「レールスター」たちは走りまくった。(京都駅をご存じの方は同駅の山陰本線31番ホームを思いだして頂ければわかると思う。)一生懸命に走った結果、一番若い近藤が1着、一番年長の私が2着と「富山駅乗り換えバトル」では「大濠組」が勝利を収めた。それにしても後で気が付いたのだが、高山本線ホームの車両停車位置にはモニターがあって、ちゃんと乗客を待っていてくれるのだ。駅員さんは我々が繰り広げた「ダービー」にほくそ笑んでいたのかもしれない。
高山本線に無事乗り換えることができ、途中千里(ちさと)駅に停車。森高千里と彼女の大ファンである重松先生の明るい笑顔を想い出した。うねりが大きくなるにつれ、ディーゼルは大きな「悲鳴」をあげながら山を登っていく。
猪谷から神岡鉄道に乗る。同鉄道は神岡鉱山のために開業した鉄道といってもいいのだが、「おくひだ2号」の車内は囲炉裏が切ってあり、写真などが展示してあって、なかなか趣向が凝らしてある。沿線は山あいをひたすら登っていくため、トンネルがやたらと多い。トンネルを抜けるといきなり鉱山の町が現れて私たちを驚かせた。天気のせいか辺りは薄暗く、山頂に向かって延びる太いパイプが動脈を連想させ、山全体が何か生き物のようで不気味な感じだ。終着奥飛騨温泉口駅に着く。
この「○○口」という駅名やバス停名は全国にもたくさんあると思うが、どこまで「口」が許されるのだろうか。目の前で「口」だったり、とてつもなく遠い「口」だったりする。例えば福岡市営地下鉄の千代県庁口駅の場合、実際に県庁へ行くには次の馬出九大病院前駅の方が近い。車内でも「県庁へは次の馬出九大病院前でお降り下さい。」とアナウンスが流れるぐらいだ。それならばいっそのこと「馬出九大病院前県庁口駅」にすればいいのかもしれないが、ただでさえ開業当時は駅名の長さ日本一だったのにそれではあまりにも長すぎる。しかし県庁の名前と九大の名前は入れないわけにはいかないなどといろいろな思惑が飛び交って、利用者にはなんともわかりづらい駅名になったのだという。奥飛騨温泉口の場合、この駅から温泉までバスで40分もかかるらしいが、それ以外に交通機関はないことを考えると福岡市営地下鉄よりは親切だ。
奥飛騨温泉口駅で一番最初に目に付くのがバスの廃車を利用した待合室だ。愛知の美大生がTVの企画でアートペイントをしたらしい。さらに、駅舎の屋根の上には廃材を利用した彼らのアート作品が飾ってある。こういう、学生ならではの自由な発想と行動力で地域社会に貢献する姿は好感が持てる。本同好会5期生の藤井も地元の駅の清掃を自発的にやってて表彰されたことがあるらしい。模型同好会の活動においても彼らが自主的に地域社会に貢献できるようになればすばらしいと思う。(学校で奉仕活動を強制的にさせるなどという教育改革国民会議の答申はどう考えても間違っている。)
この日は頑張って金沢入りした。やや強行ぎみだったが、車中で2連泊したあとのホテル泊はぐっすり眠れるので大丈夫だ。「金沢マンテンホテル」はとてもきれいで立派なホテルだった。歴代の「まごころツアー」で宿泊したホテルの中でも1番いいだろう。「マンテン」の名の由来は知らないが、まさしく「満点ホテル」だった。(笑う所です。)
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