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2001年11月

2001年11月27日(火)

今日は応援団監督さんから刈谷球場と国鉄八事球場の画像をいただいたので、
「刈谷球場」と「山本球場(国鉄八事球場)」にその画像へのリンクを設けました。
応援団監督さん、ありがとうございました。
ついでに、1940年の山本球場とその周辺の地図を載せました。
これは前からの懸念事項だったのですが、ようやくできました。
今日はマスターズリーグを観に大阪ドームに行きます。
故・杉浦忠氏の追悼試合でもある。合掌。

2001年11月25日(日)

野球場誌に「下諏訪町営野球場」を載せました。
野球場および総合運動場を建設した当地の人々の熱意が感じられました。
これって文武両道ってことで教育県・長野に関係あるのかなあ?
長野県では昔から多くの野球場が造られているので、関係ありそうなんだけどなあ。
どうなんでしょうねえKさん。
「やってられねえっつうんだよ。だいたいさあ、h(以下略)」

2001年11月24日(土)

今日は「野球場誌」に 「各務原球場」 を載せました。
私の地元・岐阜県の野球場です。
これからも少しずつだが載せていきたいなあ。
できれば今月中までにこの前訪ねた全野球場を。

2001年11月23日(金・祝)

2001年大阪近鉄バファローズのV感謝デーに大阪ドームまで行く。
入場無料。12:00開場なので11:30にSクンとJR大正駅で待ち合わせる。
しかしSクンが来たのは11:45。マジっすか!でも私も着いたのは11:35くらいだったけどね。
岩松橋経由で大阪ドーム正面に向かうが、大正橋交差点の手前で異変に気付く。
よく外野席に行くために通る岩崎橋の方から尻無川沿いに、それこそ岩松橋手前まで行列が伸びているのだ。
何の行列かと思って行ってみたら、なんとそれが一般入場者用の待ち行列なのだ。
え、マジっすか!
今まで1998年GWのライオンズ松坂大輔投手の大阪ドーム初お目見えや、
例の優勝決定試合の9月26日、そして日本シリーズ第2戦の10月21日の行列をみてきましたが、
ここまで長い行列を見たのは初めてだ。しまった、甘くみすぎていた。
我々の後ろにもどんどん人が増えていく。人の列は川沿いに三重にもなっていた。
なんせこの行列が入場待ち行列だと思わない人は、一回ドームに行き、さらにここまで戻ってこなければならない。
我々は何の列かとりあえず見てみようということで行ってみたのだが、これが結果的によかった。
開場は12:00の予定だったが、さすがに主催者側も配慮してかそれ以前に開けてくれたようだ。
列もちょっとずつながら進む。開演は13:00からだが、その10分前にようやくドームの階段まで来れた。
少し前をみていると、おっちゃんが警備員の人にかなりの剣幕で怒っている。
何を怒っているかといえば、我々の正規の列があるのに、別に他の列が作られて、
こちらよりも並ぶことなくそこからこちらの正規の列に合流させているから、みたい。
「こんなわけもわからん列をつくらせて…」とか言っていたが、自分は入らなくてもいいのか?
このわけわからん列も人が多く並んでいたが、途中で切れた。え、たったこんなけ?
そりゃおっちゃんも怒るよ。川沿いにずっと並んでいた人よりもたった数分並んだ人の方が先に入れるなんてねえ。
あの警備員の人が悪いかどうかわからないが、待ち列に問題があったのは事実です。
ようやく入ることができた。当初は内野下段席だけだったみたいだが、内野上段席も開放された。
グラウンド上のステージにはかなり遠いが、スクリーンは見やすいので上段席に。
上段席はまだあまり人が入っておらず、ホームベース後方のかなりいい席で観れた。
あれだけ多かった人も、このドームにはすっぽり入るようだ。
これだと1999年9月30日のナゴヤドームの優勝決定試合の無料開放の方が人が入っているな。
なんせあの日は一般席だけでなくVIPルームも開放していたし、さらにはそこへも入れない人がロビーにあふれていたから。
13:00開演予定だったが、まだ人が入りきれていないのに始まることはさすがになく、約20分遅れでスタートした。
選手サイン会や選手撮影会などもありましたが、この人の多さ。あきらめました。
バックスクリーンで「栄光への軌跡」を上映。
9月中旬下旬の試合はほとんど行ったので、映像をみながらあの日も行った、この日も行った状態でした。
チャリティーオークションがつまらなさそうだったので一旦外へ出て、ファンクラブの継続の手続きをする。
さすがにこちらも人の列。継続と新規があったが、新規の方が多い。優勝効果だなあ。
この日に入会すると、先着5000名にパ・リーグ優勝ポスターがもらえる。
この人の多さなのであきらめていたが、なんともらうことができた。
このポスターには私がうつっています。前川投手の上の、上段席にいる、タオルマフラーを下に掲げたのが私。
そしてその右にいる赤い服を着たのがSクン。わかるかな?
「西松建設」の「松」の上にいるのだが、ポスターでは広告が消されています。そんなことしなくてもいいのにね。
あと4月3日までに入会すると、リストウォッチとローズ選手のバブルヘッド人形がもらえます。
バブルヘッド人形は紀ちゃんについで2体目。のべでは3体目。
オークションが終わり、次は大抽選会。
下2ケタも当たらなかったのでこれはもう無理、と思っていたら、なんと山村選手の品をもう少しで当てるところだった。
あと3人あの入口に遅くはいっていれば当選するところだったのに!おしかった。
特賞はカワサキのオートバイ、ローズバージョン。もちろん当たることはなかった。
エンディングが近づいたので、サインボールをゲットするために下段席に移る。グローブはもちろん持っている。
下段に行った時に、私設応援団の人がパララ〜とトランペットをならす。そう、あの応援だ!
バッグからタオルマフラーを取り出し踊った。やはり他の人も踊っていた。
サインボールだが結局取ることはできなかった。だってこっちまで来ないんだもん。
ただ紀ちゃんのボールがこっちに向かって飛んできた。もう少し強かったら取れていたかも。
V感謝デーは終ったが、歓送としては人が多かったに尽きます。たぶん5年間で一番の入り。
私もファンクラブニ入って5年だが、ファン感謝デーに行ったのが今年ではじめてだったので文句はいえない。
去年とか一昨年とかどうだったんだろうなあ。
やはり優勝というのは大きいですね。こちらこそありがとう。

今日は「野球場誌」に 「長野市営城山野球場」 を載せました。
でも書かねばならない野球場がまだまだたくさんある。厳しい!

2001年11月21日(水)

「到津球場」に野球司書さんの解説を載せておきました。ありがとうございます。

2001年11月19日(月)

ドラフトの日。久々にドキドキした。
というのはもちろん日南学園・寺原投手の抽選で。
ドラゴンズに来てもらいたかったが、ホークスがひきあてた。残念。
でもなんか寺原投手は不服そう。そんなにジャイアンツがいいのか。
引き当てなくてよかったかもしれない。

2001年11月18日(日)

最終日。この日は慶應義塾大学と東京大学をみる予定。
別にミーハーで行くのではなく、野球場(またはその跡地)があるから行くのです。
三田で降りて慶應義塾大学へ。古めかしい立派な建物だ。
キャンパス内に入ると、老人が絵をかいている。ええなあ、のんきで。
慶應義塾大学の旧図書館がもともとグラウンドがあったところだ。
次は慶應義塾の中等部。ここにはかつて徳川邸グラウンドがあった。
そしてさらに三田綱グラウンドへ。大学の三田綱球場があったところだ。いまでもグラウンドに。
次は東京大学だが、途中で東京国際女子マラソンが行われることを知る。
む、これは行かねば、となり急遽国立競技場へ。
そこについたのは12時20分で、12時10分にすでに出発していた。ガックシ。
でも国立競技場のスタンドにタダで入れたのでいいや。
そして東京大学へ。農学部の裏に東大球場がある。
何やら入れそうなので入ってみたら、草野球をやっていた。どこの人たちだろう?
片方のチームは読売ジャイアンツとほとんど(あるいは全く)同じユニフォームを着ていた。
なので最初はビックリした。え、本物?んなこたあないよ。
東大球場はかなり古く、それがかえって新鮮だった。スコアボードとかひどかった。
野球が終った頃にTOKYOと書かれたユニフォームを着た人を見たが、彼が東大野球部?
写真をとりたかったが、あいにく三田綱球場できらしたので、わざわざ買いに行く。でもそれほどの価値あり。
途中に行列のできるタイヤキ屋さんがあったので、W君に買っておいてもらう。
すごい行列で、カメラを買って、東大球場をうつした後にちょうどようやく買えたみたい。
根津というところは下町っぽかったが、タイヤキで有名なのかな?
そこから浅草に行くことに。東京へは割と行っているが、浅草寺には行ったことがなかった。
バスで行ったのだが、浅草寺に近づいたところで道にやたら人があふれていた。なんじゃこりゃ?
浅草寺に行ったが、人は多いがさっき見たほどではない。
実はこの日、酉の市が開かれており、そのために多かったのだろう。
手に熊手を持っている人をよくみかけた。東京の風俗に触れて嬉しかった。
浅草では寺自体ではなく、ラーメン屋さんともんじゃが主目的であった。
ラーメン屋さんはもちろんW君のため。今度は醤油味のさっぱり風味でした。もんじゃは私が一度食べてみたかった。
お土産も買い、帰路につく。東京駅でW君と別れる。ありがとうございました。

これで長野・山梨・群馬・東京と続いた旅は終了。
これを書くのにかなり時間を費やした。行く先々で書ければなあ。
まだ「野球場誌」を書かねばならないし。いつ書けるんだろう?

2001年11月17日(土)後半

昨日の続き。

読売ジャイアンツ球場でこの日の日程は終了でしたが、途中でJリーグがあることを知る。
今年の春にオープンした東京スタジアムでFC東京とヴィッセル神戸の試合が行なわれる。
東京スタジアムは京王沿線なのでちょうどいい。別に行くところもないし。あ、ラーメン屋があるか。
東京スタジアムは昭和40年代にオリオンズが使っていた本拠地球場の名前と同じである。
それ以前にはグリーン・パークも東京スタジアムとか言っていたみたいなので、3代目ということか。
さらにいえば、戦前の東京セネタースの本拠地・上井草球場も東京球場と呼ばれていたので、4代目かな。
席はゴール裏の1,500円と、バックサイドの2,500円とがあったが、奮発してバックサイドにした。
Jリーグはほとんどみないので、知っている選手も数少ない。ヴィッセルのカズくらいか。
でもヴィッセルにあの野人・岡野選手がいたのはビックリした。いつのまにって感じ。
これは他の人も同じみたいで、「あれ岡野や」とか「岡野ってあの岡野?」とか言っていた。
試合は1-1で延長にもつれ、Vゴールもなく引き分けで終った。
試合をみて思ったのは、やはり生観戦でないとわからないことがたくさんあること。
TV中継だとボールを中心に映すので、選手の位置とかまわりの状況がよくわからない。
しかしスタンドからだとよくわかる。
TV中継だとダレて90分もよう観れないが、生観戦だと逆に時間が過ぎていくのがものすごく早い。
たぶん野球よりもサッカーの方がスタジアムで観る方がいいですね。
あと、外国人選手のゲームに占める割合がプロ野球よりも大きい気がした。
たまたまこういうチームなのかもしれないが、攻撃の起点が外国人選手にあった。
おかげで名前も覚えた。ヴィッセル神戸のシジクレイ。
しかし寒かった。試合内容ではなく、体が寒かった。
帰りはJR南武線を使ったが、各駅停車だったのでかなり時間がかかった。
W宅についたのは23時半くらい。とっとと寝た。

2001年11月17日(土)前半

W君も会社が休みなので連れまわすことに。この日は多摩川ツアーだ。
まずは田園調布から。いやあ聞いてはいたが、駅前はすごいね。まるい。
田園コロシアムの跡をみてきました。何もなかった。
そこから歩いて巨人軍グラウンドへ。その前に小池商店。
たぶん私みたいな人がいるだろうと思っていたが、やっぱりいました。
店は近年改築したのだろうが、思っていた以上に新しかった。ボロを期待していたので残念。
小池商店ではおでんをいただく。他の人は草野球をした後っぽかった。
道路をわたり多摩川の河川敷に。一番大きかったたぶんあれが元巨人軍グランドだろう。
草野球か社会人野球か知らないが、普通に野球をやっていました。その隣では高校野球の練習。
多摩川グラウンドの次は多摩川グラウンド。ただし日本ハムの。
多摩川をへだてた向こうにあるのだが、左岸と右岸、橋を渡るのでかなり道のりはある。
渡るのは丸子橋なのだが、実はその橋の川崎側の下流部にオリンピア球場があったのです。
戦後の地図に「オリンピア球場」と載っていました。現在は普通のグラウンドです。
日本ハムグラウンドには感激。東急電車からみたヤギの放牧場のイメージよりも立派なグラウンドでした。
ここでは何も行われておらず無人だった。「駒学」と書かれたジョウロ?があった。
バックネット裏にシーサーがおいてあったのは、名護キャンプの土産かな?
裏にはブルペンもありました。ここで西崎投手やガンちゃんが投げていたのかな?
そこを後にして今度は等々力へ。川崎フロンターレのホームグラウンドだ。
硬式野球場もあったがそこは見ず。昔、大洋球団の合宿所があるってきいたけど、どこなんだろう?
そのあとはW君の最近はまっている趣味でラーメンを食べに。
テレビチャンピオンのラーメン王選手権で第3代、第4代の王者に輝いた人を信奉しているようだ。
多摩センターまで行ったが、さすがにそこまで行く価値があった。おいしかった。
でもW君はなんか不服そう。うんちくをたれていた。うまけりゃうまいでいいじゃん。
その次は読売ジャイアンツ球場。ジャイアンツ関係が多いが、別に前田投手ではありません。
京王電鉄の京王よみうりランドで降りたが、そこからは階段を歩かねばならない。
ゴンドラもあったが、ここは歩く。なぜなら「巨人への道」だから。
階段の手すりはジャイアンツカラー。落書きもしてあった。「上野さん」を覚えてしまった。
険しく苦しい「巨人への道」を乗り越えて頂上に到着。
読売ジャイアンツ球場では何も行われていなかったので、タダで入れました。
何もないけど何か嬉しかった。ついでに合宿所も見る。案内板にも落書きが。
この日の予定は終了。階段をおりていく。上を通るゴンドラには番号がふってある。
たぶんその番号をみながら、あれは仁志だ、あれは桑田だ、とか言うんだろうな。私も言っていた。

2001年11月16日(金)後半

さて、今日はどこまで書けるか。

茂林寺から東武に乗って牛田まで。京成関谷で京成電鉄に乗り換える。
この両駅めちゃくちゃ近いのに全然違う名前ですね。
京成に乗って谷津にむかう。谷津といえば読売ジャイアンツの発祥の地だ。
谷津駅から商店街をぬけて谷津公園へ。商店街はなんかにぎわっていた。
谷津公園のバラ園入口の西隣に読売巨人軍発祥の地があります。いろんな選手のサインもあり。
やっぱりこうやって何らかの形で野球場があったことを記しているところはいいですね。嬉しい。
谷津干潟もみる。広場では子供だちが野球をやっている。いい光景だ。
日も暮れたのでこの日の宿泊先であるW君に電話をしようとする。
携帯電話だが、日曜日に出てから一度も充電することがなかった。
あまり使わないので大丈夫だろうとふんでいたら、電話番号をみる前に充電がきれてしまった!
やばい、彼の家の電話番号はこの携帯電話にしか書かれていない!
1回きって電源を入れ直してもまったくダメ。
他の人に電話番号をきいてまわろうとしても、他の人の電話番号すらわからない。わかるのは実家だけだ。
彼の家を知っているので実力で行けなくもないのだが。
このままではどうしようもないので、とりあえずTu-kaの店を探すことに。
谷津より一つ千葉よりの津田沼なら大きそうなのでありそうだ。
しかし京成津田沼に降りてもなさそうだ。というかめちゃくちゃショボイ。どうやら新津田沼の方がでかそうだ。
新京成電鉄を一駅だけ行って新津田沼に到着。JRの駅があるからかやたらと大きい。
Tu-kaの店を見つけ出したが、今度は充電の換えを売っていない!注文して一週間くらいかかるということだ。
しかし店員の人はやさしくて、充電してくれた。というか普通の行為かな。でもありがとう。
さてW君の家に行くのだが、彼は東京都大田区に住んでいるので都心を越さねばならない。
都心を越すということは、そこから大勢乗ってくることを意味するので、なんとしても直通で座っていきたい。
東武野田線で大宮まで行って、そこから京浜東北線に乗ることも考えたが、やめて京成−地下鉄−京急の直通にする。
しかし津田沼は夕方は特急が止まらないので、急行で行くはめになる。しかも40分くらい待たされる。
乗ったら乗ったでガラガラ。地下鉄からは乗ってくるだろうと思いきや、これもぜんぜん。
ようやく品川から込み出したが、川崎以遠に行く人が多いらしく、羽田空港行きはそれほど込まなかった。
なんか非常にがっかり。せっかく頑張ったのに。
W君とはジョナサンで夕飯を食べて、ドン・キホーテにも寄る。

2001年11月16日(金)前半

健康ランドに泊まったと書きましたが、群馬健康ランド千湯のことです。
テレビは各個人で衛星放送を見放題というところでした。
JR井野駅からは地図でみたよりも距離があり、10分近くかかりました。
JR前橋駅で降りて、上毛電鉄の中央前橋駅に向かう。
途中で朝食をとろうとファーストフード店を探すが、ぜんぜん見当たらない。
おまけに電車の待ち時間が長い。まいりました。
前橋から桐生に向かうのですが、上毛電鉄に乗ったのは完全な趣味。
JRだと伊勢崎を経由するので距離は長いが桐生までは駅がたったの5つ。
上毛電鉄はJRよりも距離は短いが、途中にいくつも駅がある。
おまけに1993年の都市地図には載っていない駅も新たにできていたので、50分くらいかかっちゃいました。
桐生ではもちろん新川球場だが、その前にJR桐生駅北口にある保健福祉センターによる。
なぜかといえば、『球都桐生の歴史』上下巻を購入するためだ。
旅の前に桐生について調べたら、上記の本をそこで売っていることを知った。
これは桐生市老人クラブ連合会のみなさまが書いたものです。
社会福祉の一環だと思うのだが、まさかこのようなものを発行するとは!!よく頑張った。感動した。
A4であわせて700ページにも及ぶ大作だが、値段はわずかに2000円。
残部わずかと聞いていたのであるかどうかわからなかったが、あってよかった。
こういうものをいろんなところで発行してもらいたいなあと思っています。
後から調べるだけではわからない、実際に見た人でないとわからないものがあります。
その後、新川球場へ。今は新川公園となっています。
しかしモニュメントがいくつかありました。さすが球都・桐生。
桐生といえば2年くらい前に桐生第一高校が高校野球選手権大会で優勝しましたよね。
さぞかし桐生市はわいたことでしょう。いいなあ、こういうところ。
桐生市では他に陸上競技場をみてきたが、またも列車発車時間ギリギリになってしまった。
今度は茂林寺。東武伊勢崎線でも行けるが駅まで遠いので、JR佐野駅から東武に乗り換えて行くことにする。
東武なので乗換えはいくらでもあるかと思ったら、日中は1時間に1本しかなかった。なんじゃそりゃ。
仕方ないので佐野駅前を散策。駅においてあったパンフレットに「佐野ラーメン」と書いてあった。
佐野ってラーメンが有名なんですね。知らなかった。
しかし遠くまで行く時間的余裕はないので、駅前のラーメン屋さんへ。この日初の食事。
ラーメン屋さんでスポーツ新聞をみたら、横浜身売りとあった。「えーっ」と2回も声をあげてしまった。
しかしよく読むと実質的には身売りかもしれないが、持ち株比率がかわっただけ。
球団名や本拠地はそのままにするって。まあ当然かな。
ラーメンをいただく。ラーメンというよりは中華ソバですね。私は中華ソバの方が好きです。
ラーメンを食べてから電車で茂林寺へ。ここも地図で見る以上に距離があった。
茂林寺は伝説の東京巨人軍の練習場所。これは「野球場誌」をご覧ください。
境内をみてもそれらしきものはない。外へ出て湿地帯を散策。もちろんここがグラウンドであったわけではない。
結局、どこがグラウンドかまったくわからなかった。
東武茂林寺前駅の北西にグラウンドがみられる地図もあるかと思いますが、ここは関東学園競技場。
ただしここが伝説のグラウンドという可能性もあり。
でも何らかの案内は欲しいよね。野球史でも結構有名なところなんだし。
しかしその前に洲崎球場跡の説明がある方が先か。

2001年11月15日(木)

秋巡検3日目だが、この日はどこかに行くわけでもなく、9時に解散。
みんなとわかれて、小淵沢から小海線に乗り、岩村田というところへ。
岩村田は佐久市の町で、岩村田駅より1つ小諸側の駅が長野新幹線の駅でもある佐久平。
なぜここで降りたかというと、もちろん野球場があるからです。正確にはあったからです。
岩村田球場がそれで、プロ野球公式戦も行われたことがあります。
今は岩村田小学校になっているのだが、これもまた行きにくい。遠いとかではなく、行きにくいのです。
面影はさほどありませんでしたが、ちょっとわかったことがあります。これは後日のお楽しみに。
岩村田からは小諸を経て、しなの鉄道で軽井沢へ。そこからはバスで横川駅へ。
新幹線を使ってもいいのだが、バスを乗りたかった。本当は鉄道を乗りたかったんですが。
まだ明るいうちだったので景色もよかった。特にバイパスは上から下るので、山峰がとてもきれいでした。
横川駅では駅弁「峠の釜飯」をいただく。釜は持ち帰り。
高崎に行くが、暗いので城南野球場へは行かず。高崎でも健康ランドで宿泊。

2001年11月14日(水)

秋巡検2日目。バスを使っての巡検はこっちにきてはじめて。
バスに乗る前に石和温泉街を観に行ったのだが、昨日行ったところより1本入ったところが繁華街のようだ。
どうやら一般の温泉街のイメージっぽく、男性陣大喜び。
バスに乗ってシャトレーゼの工場、清里、鰍沢、富士の樹海をまわる。
青木ヶ原樹海を見たかったのだが、行った時はすっかり日も暮れていて全然見れませんでした。残念。
風穴も時間が遅すぎて入れず。河口湖をまわって帰る。
河口湖は大学2年生のときに、オリエンテーリングのインカレが富士南麓であったときに泊まったところです。
それが1995年の3月のこと。その8日後におこったのが例の地下鉄サリン事件です。
河口湖から会場に向かうのに国道139号線を用い、上九一色村も通りました。
もしインカレと地下鉄サリン事件が逆だったら、インカレが中止していたかもしれません。
夕飯は旅館でいただいたのですが、そこに出てきたのが馬刺しとほうとう。
馬刺しは昨晩食べて、ほうとうはその日の昼に清里で食べたものです。なんか非常に損した気分。
ちなみにこの日の馬刺しは脂がのってなく、クセもなかったのでおいしくいただけました。

2001年11月13日(火)

教室の秋巡検の初日。13時にJR甲府駅前の信玄像の前に集合なので、午前中は自由に行動できる。
健康ランドを朝早く出て、まずは下諏訪駅で下車。終戦直後にプロ野球公式戦も行われた下諏訪町営球場に行く。
ここも近年改修されてスタンドが新しかったが、それはバックネット近くの話であって、
ライトポールやレフトポールに近い内野スタンドは古いままであった。
野球場の南にある陸上競技場など総合運動場をぐるっとまわってみると、弓道場の近くに碑らしきものがあるのを発見。
さっそく行ってみると、総合運動場に関する記述があった。
それを書き移したのだが、この運動場が建設された背景がわかった。嬉しかった。感動した。
書き移していたら予定の時間を過ぎようとしていた。500mくらいある距離を走った。
飯を食べおらず、もともとスタミナとかもないので、かなりきつかった。
ギリギリ乗れることは乗れたが、足がガクガク。息もキレギレ。こんな状態で次の駅の上諏訪駅で下車。
駅から市営球場まで歩くのだが、これが思った以上に距離がある。
やっとのことでたどり着くと、今度はたいした情報が得られない。ガックシ。
諏訪湖スタジアムへは遠くて行けません。でも列車から見ることは見えました。
上諏訪駅でソバを食べる。この日はじめての食事。
前日のソバでは物足りなかったので食べたが、これが非常においしかった。
関東の濃いツユもあってますね。ああ、これで信州に思い残すことはない。
上諏訪からは直で甲府市入りだったが、韮崎駅前にサッカーのモニュメントがあることに気付く。
そういえば韮崎はサッカーで有名だったような。確かパルマの中田選手もこの辺の出身だったような。
甲府には11時頃に到着。あと2時間あるので県営飯田野球場まで行く。
飯田野球場のまわりは高校や女子短大があるので写真を撮りにくい。けど撮った。
疲れたのでバスに乗りたかったが、結局駅まで歩くことになる。
昼食をとって時間をつぶし、待ち合わせ時間の13時に。
ここからは秋巡検。舞鶴城公園に登り、竜王町に行って信玄堤をみて来ました。
宿泊は春日居町の白鳥旅館。石和温泉街に近い。
夕飯をとりに石和温泉街を歩いたがあまり発展していなかったようにみえた。
夕食では馬刺しとうどんを食べる。馬刺しが有名らしく、おばちゃんがこれを食べに東京からも来るんよとさかんに言っていた。
馬刺しは霜降りで、この脂身が旨みでもありまたクセでもある。うどんはスッポンスープ。
馬刺しはどこの馬ですか、ときいたら九州の馬だって。

2001年11月12日(月)

朝早くに実家を出る。最近実家でゆっくりしていない。年末は少しゆっくりしようかな。
多治見から特急しなのに乗って一路長野へ。
長野市にはオリンピック球場をはじめいろんな野球場があるのだが、今回訪れたのは市営城山球場だけ。
この野球場は大正年間に完成したという古い野球場だったのだが、1999年か2000年に取り壊されました。
跡地はどのようになるかわかりませんが、一応形は残っていました。
あるホームページに「最寄駅からちょっとしたハイキングになる」とか書かれていましたが、確かにそのとおり。
駅→善光寺→城山球場→駅の順に行ったのだが、野球場からおもいっきり坂を下りました。
その後は長野電鉄に乗って松代へ。
須坂駅で乗り換えなのだが、ここから松代方面へはほとんど列車が出ていない。
日中には1時間に1本もありません。須坂で思いっきり待たされるハメに。おまけに寒いし。
松代ではいろいろ観てまわるつもりでしたが、時間的に無理になりました。
駅裏に海津城趾があり、その近くに「松代野球場」というのがあるみたいなので行ってみると、
海津城は改修工事のために入れず、松代野球場にいたってはどこだかわからなかった。
いったい何をしに松代に行ったのだろう!
松代からはバスで長野駅に戻る。時間的には乗り換えギリギリで、駅で走ったらなんとか間に合った。
これを逃していたら日程的に特急券を買わなければならないところだった。
ちなみに上田にも行こうと思っていましたが、日程的に無理でした。
長野から松本へ。松本ではもちろん松本市野球場。浅間温泉行きのバスに乗る。
松本市野球場は近年改修されて立派な野球場になったが、それでも長野県では2番目だという。
おそるべき長野県!ちなみに「本年の営業はすべて終了致しました」なる貼紙が野球場正面にあった。
今年はまだあと一ヶ月半もあるのに何もしないのでしょうか。
野球場から歩いてかつて運動場があった県文化会館および市総合体育館へ。
その途中に「スポーツ橋」があるのだが、これも改修されてキレイになっていた。
さらにそこから信州大学へ。信大球場もついでだからみる。
暗くなってたのでやることもなく、信大図書館へ行く。
欲しい論文があったのだが、経済学部にあり大学の人にも貸し出せないので学外の人には絶対無理とのこと。
これが私立大学ならわかるが、国立大学のものは国民のものではないのか。ちょっと疑問。
その後新そばを食べたが、味が薄くて不満。繊細な味がわからなくなってしまったのかな。
松本(正確には塩尻)ではJR村井駅付近にある信州健康ランドに泊まる。

2001年11月11日(日)

11月11日から8日間、いろんなところをみてきたのでそれを書いていきます。
今回訪問した野球場については「野球場誌」に書くつもりですが、全部書くにはたぶん時間がかかります。

まずは11日から。この日は岐阜県各務原市の各務原運動場と各務原球場の跡地を探索。
各務原市は実家からも近いのだが、ほとんど通り過ぎるだけで、降りていろいろみることはあまりありませんでした。
実際、JR那加駅とJR各務ヶ原駅を使ったのは今回が初めてで、名鉄各務原線に乗ったのもこれで3回目くらい。
鵜沼にはよく行くのですけどね。ちょっとネタがローカルすぎるかな。
この日は実家で一泊。

2001年11月10日(土)

管理人・カイリューズは11日から19日までの9日間、東の方に行ってまいります。
その間は休業です。あしからず。
いろんな野球場および野球場跡地を観てまわります。
訪ねた野球場は「野球場誌」に載せていきます。
随時ではないので、一気に増えるかもしれません。
最近ぜんぜん増えていなかったのでこれを機会にドッといきますか。

2001年11月8日(木)

プロ野球の公式戦も日本シリーズも、そしてメジャーリーグの方も終ってなかなか書くことがありません。
マスターズリーグがありますが、あまり大阪でやってくれないのであまり書けなさそう。
オフシーズンのネタは野球場探索が中心になるかと思います。
今度、教室の巡検で山梨県に行ってきます。
このついでに中部・関東地方の野球場および野球場跡地を観てこようと思います。
訪探しようと思っている野球場を列挙すると、
各務原球場跡、各務原運動場跡、長野市営城山野球場、上田市営野球場、松本市野球場、
山梨県営飯田野球場、緑ヶ丘野球場、茂林寺、谷津球場跡、
読売ジャイアンツ球場、多摩川グラウンド、日本ハム球団グラウンド(多摩川)、オリンピア球場。
実家の近くの各務原市に戦前期に野球場と運動場があったみたいなので、跡地を訪れようと思う。
長野県にはたくさん野球場があるが、一日だけなので代表的なこの3つに絞る。
本当は長野オリンピックに使われた野球場も行きたいんだけど。電車から見えるかな?
山梨県の野球場といえばヴァンフォーレ甲府のグラウンドもある小瀬なのだが、遠くて行けない。
茂林寺、谷津球場跡はジャイアンツの創生期に利用されたところなのでぜひ行ってみたい。
読売ジャイアンツ球場、多摩川グラウンドとジャイアンツ関係の野球場が続く。ここでのポイントはおでんやさんかな。
日本ハム球団グラウンドは多摩川の河川敷にあり、東急東横線からも見えるが、なんかヤギの放牧場みたいだった。
オリンピア球場は東急電鉄の前身である鉄道会社が戦前に造った野球場。
多摩川の河川敷とあるので、多摩川グラウンドのことかな?よくわかりません。
せっかくだから田園調布の長嶋さんの家もみてくるかな。セコムしているかな?
一気に「野球場誌」の内容が増えそうです。

今日は「豊橋市営球場」の表を直しました。あの表の完成は懸念事項だったので嬉しい。

2001年11月4日(日)

マスターズリーグを観に甲子園球場まで行きました。
大阪ロマンズ×東京ドリームス。マスターズリーグの関西での初試合。
今回の参加者はシャウさん、こうやさん、ハチクロくんと私・カイリューズの4名。
まあ誰もそんな名前で呼び合ってませんでしたが。
13時に甲子園駅西入口に集合なのだが、一足早く到着。
チケットを買いに窓口まで行ったが、なんと人の列ができている。
内野自由席だけで約100人あまりの人が並んでいる。
最後尾に並んだが、その後もドンドン人が増えていく。
内野自由席は大人1,500円。思っていたよりも安い。
他の3人と合流して甲子園球場に入る。
内野自由席はなんとアルプス席!もっと近くで観れると思ったのだが。
でも一塁側アルプス席はあまり来る機会がないので、これでもよかったかも。
しかし指定席はガラガラだった。
指定席と自由席の差は700円あまりだと思うが、あれだけ近くで選手を観られるのだったら、あっちの方がよかったかも。
試合開始前にはサインボールが投げ入れられたしね。
三塁側の東京ドリームスのサインボールの投げ入れの時に、「金田留広」と書かれた横断幕があった。
これには私たち4人大爆笑!
先発はロマンズが元タイガース中西投手、ドリームスが元ホエールズ斎藤投手。
先発メンバーはほとんど知っていたが、ドリームス蓬莱選手(元西武ライオンズ)は知らなかった。
うちら4人のなかでの一番はロマンズの小川選手(元近鉄バファローズ)。通称モーやん。
趣味が園芸で、朝5時に起きるとかいって盛り上がっていた。
甲子園球場だけに元阪神タイガースの選手が多かった。バース選手とか亀山選手とかね。
ロマンズの選手が打席に入る時には、昔の応援歌をトランペットで吹いていた。
スタンドが一番盛り上がったのは二死満塁で代打川藤選手が出てきたとき。
レフトフライでしたが、レフトの城選手(元ヤクルトスワローズ)がぽろんちょして2点が入った。
我々4人が一番盛り上がったのは、9回表一死で元阪急ブレーブスで岐阜県出身の梶本隆夫投手が出てきた時。
これには周りの人もビックリしたでしょうね。なぜにこうも盛り上がる?
1点は取られたものの、みごと最後をしめくくる。でもライトゴロでアウトが取れたと思ったのだけども。
試合の最後の方は17時をまわって暗くなっていた。
それでも照明をつけなかったのは経費削減か。

昔の名選手をみて思ったことは、守備のときにワンテンポ遅れること。
打球への反応は年老いても早い。送球もしっかりしている。
しかし、捕球の際、そして捕球から送球の際に少し時間がかかる。
印象的だったのは、2回表にライト前にとびそうな打球に対してセカンド中村選手(元阪神監督)が飛び込んだこと。
打球への反応は早いが、残念ながら体がついてこない。
飛び込んだのはいいが負傷して、一打席もまわってこないまま退場してしまった。
梶本さんや御老体(失礼!)の投手の投球が遅いことはしかたがないが、
バッティングはすごい人は本当にすごい。先の小川選手なんか素晴らしかった。
しかし足が遅い。いいあたりをしても一塁に走れないのでアウトになってしまう。
投球が遅く打撃がすごいのに、試合内容が投高打低になったのはランニングに問題がありか。
元東映フライヤーズで「怪童」と呼ばれた尾崎行雄投手が出てきたのは嬉しかったが、腹が出ていたのが残念でした。
試合が終った後は梅田に行って食事。ごちそうさまでした。

2001年11月3日(土)

「トピック」に 「『野球大観』」 を書きました。
まあトピックというほどでもないのですが、とりあえず書きたかったことがあります。
それは執筆陣の顔ぶれ。ページを見てもらえればわかると思いますが、これがスゴイ。
いまはマスターズリーグというものが行われていますが、そのマスターズリーグにさえ出られないマスター中のマスターばかり。
彼らの選手時代も観てみたかったなあ。
特に平山菊二選手はうちのH教授のお気に入りで、平山選手が大洋ホエールズに入団したから大洋ファンというエピソードがあります。
とにかく外野守備は格別だったらしい。
上に出てきたマスターズリーグですが、明日甲子園球場に行く気なのですが、雨が心配。
今日も試合が流れただろうから、大阪での試合がどんどん減っていく!再試合はあるのか?

2001年11月1日(木)

11月です。今年もあと2ヶ月。
今日からプロ野球OB選手が集う「マスターズリーグ」が開催する。
この日程を「トピック」の 「マスターズリーグ」 に書いておきました。
名選手といえどいまさら何を、と思う人もいるかもしれませんが、
懐かしい選手もいれば、この目で現役時代の雄姿を観られなかった選手もいるので、私は楽しみにしています。
なかでも、名古屋80デイザーズの高木守道選手と、大阪ロマンズの梶本隆夫投手を観てみたい。
前者は元・中日ドラゴンズの名セカンドであり、後者は同郷・岐阜県出身の偉大な選手。
梶本さんは大阪なので観られるかもしれないが、名古屋は関西に来ないので、それこそ名古屋に行かなければダメかも。
名古屋は中日ドラゴンズ出身の選手が大勢いるので、行ってみたいのだが。
とりあえず、甲子園球場と大阪ドームへは1試合ずつ行く気でおります。

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