このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



終わりなき旅



第2部



往人がいつもの駅に戻ったのは1時になろうかという時間だった。
炎天下を歩き続けて来た往人にとって、駅舎の日陰はたまらなく涼しく感じた。
そうしてホームから改札を潜り抜けて待合室をのぞくと、見慣れたバッグを発見した。
その後、駅の正面玄関を抜けた時、往人にとっていつもの顔を発見した。
「よう、遠野。来ていたのか」
往人の呼びかけに美凪が振り向いた。
駅前のベンチに腰掛け、傍らに重箱の包みを置き、静かに本を読んでいたようだ。
その本に判子が捺されているところから、学校もしくは地域の図書館の本だとは判った。
しかし、背表紙のタイトルは所々剥げており、作品名までは判らなかった。
視線を美凪に戻すと、静かなそして深い色を湛えた瞳が真っ直ぐに往人を貫いている。
改札口から出てきた往人に、少し驚いた様子で訊ねかけてきた。
「・・・どちらか、遠くへ出でかけていたのですか」
旅回りの往人が、根城としている駅に戻ったのが正午を回っていたことが原因だ。
「あ? ・・・ああ、ちょっと線路の跡を辿ってきたのさ」
「そうでしたか。・・・何か面白い物はありましたか?」
美凪は本を閉じて、視線を顔を脇に置いておいた重箱に移した。
「その前に。時間も時間ですので、まずはお昼にしませんか」
そう言ってベンチに大き目のテーブルクロスを敷き、重箱の蓋を開いていく。
「ありがたい。それも待っていてくれたのか」
「お気になさらずに。できれば、お話を聞かせて下さい」
重箱から漂う匂いに誘われて、往人はベンチに座った。
そして2人は手を合わせた。
「「いただきます」」
こうして、少し遅い昼食が始まった。

「そう言えば気になったんだが、ここの鉄道が廃止されて何年位経つんだ?
廃線跡を歩いて2つ駅を見てきたが、この駅と比べたらどっちも酷いもんだった」
往人は美凪自慢のハンバーグを食べながら、朝から歩いて見てきたことについて話し始めた。
「行く途中の線路跡は線路用に盛ってある土を取り除けば、車道にもできそうだったな。
まぁ、途中にレールやら信号やらが転がっている所もあったが。
線路が取り外されているということは、復活の意思は無く、年数も経ったってことなんだろうな。
でも、橋はまだしっかりとしていたな。車は1台しか通れないだろうけど」
往人は自分の足で歩いてきた線路跡について、昼食の話のネタとして話した。
流石に全国を無理な旅をして来ただけあって、線路周りの分析が詳しい。
美凪は箸は進めながら、静かにそんな往人の話を聞いていた。
「トンネルは流石にちょっと怖かったな。
先が明るく見えているとは言え、ライトも無いとどこか本能的に怖いものを感じる」
「国崎さんでもでも、怖いものがおありですか」
美凪は麦茶を手に取りながら、質問した。
「そりゃまぁな。お化け自体は信じていないが、トンネルの工事は大変だと聞いているからな。
まして昔のトンネル工事には、怪我人や犠牲者は付き物だったと旅先で聞いたことがある。
かなり前に北へ行った時、トンネルの内壁から人骨が発見されたって話を聞いたし・・・。
いや、済まない。食事中に」と、往人は素直に頭を下げて誤った。
「いえ、お気になさらずに」特に表情を変えることなく、美凪は麦茶を飲みながら言った。
「でも、南側に行かれなくて正解だったかも知れません」
「んっ。何かあるのか?」
美凪の言葉に往人はすぐに食い付いた。
「山間にコンクリート製のアーチ橋とトンネルがあるのです」
「山か・・・、そいつは行かなくて良かったかも知れない」
「山といっても、それ程の高さではないですが。確かどちらも崩落の危険があると聞いています。
確か・・・戦中に突貫で造られたものだそうです」
美凪の説明からはあまり危機感は感じられなかったが、逆に往人は興味を持ったようだった。
「ふむ・・・。今度時間があったらそれを下から見てみるかな? 崩れる前に」
そう言って今度は往人が麦茶を飲んだ。そうして、一息ついてから話を続けた。

「そうそう、でも駅は酷かったな。
この1つ先は駅舎の土台らしきものしか残っていなかっただろ。
その次はコンテナが駅舎代わりで、かなり朽ち果てていたからな」
美凪の表情が曇るのに気付いた往人はここで話を一旦止めた。
食べ終わったハンバーグの次を探して、重箱の上で往の箸が止まっていた。
往人にはどこか気まずい空気が流れたように思えたからだった。
「・・・この駅は幸運です。最後まで駅員さんが残っていましたから」
美凪は小さな口を開いて、次の言葉を探していた。
「ってことは、聞くまでも無くあの2つの駅は無人駅だったんだな」
「・・・はい。隣の駅は廃止よりも随分前に無人駅になりました。
廃止になる少し前から駅舎は荒れてきたと聞いています。
廃止後2年位だったでしょうか。不審火が原因で駅は焼失してしまったのです。
それからだんだんと、鉄道用の施設が撤去されるようになりました」
美凪は言い終わってから、ゆっくりと茄子の漬物に手を伸ばした。
「それで土台だけ残ってたのか。なるほど」
往人は美凪の用意したポットから自分のコップに麦茶を注ぎ、それから美凪のコップにも注いだ。
「ありがとうございます」
往人は手で気にするな、と合図をした。
「それで、実際何年位になるんだ。廃止されてから」
「もう、7年は経ちます。父が駅長を辞めて、その2・3年後でしたから」
美凪は駅を振り返り、懐かしむように眺めた。
「子供の頃からこの駅にはずっと通っていましたから」
「するともう10年以上か」
「そうですね。・・・私の、もう一つに家といえるかもしれません」
そう言って美凪は駅の外壁を懐かしむように見た。
壁の傷の一つ一つがこの駅の歴史であり、美凪のもう一つの家の歴史だった。


食後をのんびりと過ごして、何をする訳でもなく、時間は3時を回った。
待合室の椅子から立ち上がった往人は、改札口の柱の上に掲げられたままになっている時刻表に目をやった。
ホーロー製の時刻表には、1日9往復とあった。朝夕以外は2時間に1本という列車の運行だった。
その後、駅舎内の切符販売窓口を覗き込んでいる時、改札口にいた美凪はゆっくりと話し始めた。
「恐らく国崎さんがこの町に来る為にバスに乗った駅と、この駅。そして港の終点。
この路線で最後まで駅員さんがいた駅は、3つしかありません」
「そうなのか?」と、言いながら美凪に振り返った。
しかし往人の顔には、別段驚きの様子はなかった。
「こう見えても、この町はそこそこ大きい扱いなのですよ」
そう言って美凪は少しだけ笑った。
「今日往人さんは、線路跡で誰とも会わなかったと仰いましたね」
「ああ」
「実はこの廃線跡、今ではボーイスカウト団の格好の行軍コースなのですよ。
ですから、全く誰も通わない訳ではないのです」
「ほぅ・・・。そう言われてみたら、割と平坦だし距離を歩くには向いているかも知れないな」
「はい。丁度本線の駅の近くからこの辺りまでが、ボーイスカウト団のコースだそうです」
「もしかすると、この駅が今なお綺麗に残っている理由の一つか?」
「それもあるかもしれませんね。
でも、人が列車に乗らなくなった頃に、結構な数の駅が無人駅になったそうです。
そして父がこの駅の駅長を辞める前に、最後に2・3の駅が無人になったと聞いています。
それでも採算が取れなくて赤字が続き、遂に廃止になってしまいました」と、寂しそうに語る美凪。
改札の手すりに両手を置きしばらくの間、真っ直ぐに往人を見つめていた。
「この駅も、昔は列車の交換をしていたそうです。
でも、父が駅長になる前に利用が停止されたので、駅舎側のホームと比べると、向こうのホームは少し荒れているのですよ」
そう言って美凪は振り返ってホームを見た。
駅舎から反対側のホームへ渡るべき施設は無く、一度線路に降りてから渡るのだろう。
なんとものどかな情景が往人にも思い描かれた。




Photo by T.Osanai



第1部 ⇔第2部⇔ 第3部

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください