このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

サイドワークⅡ(スカ色旧国)
20m 2扉車
西湘車輌は、本来東海型マスクのメーカーですが、実は、オーナーが秘匿している、ある製作部門では、気分転換に違う
マスクの電車も作っています。このHPで紹介している伊豆急もそうですし、 ”競作企画” のページでも記載しているように
旧型国電も製作しています。
旧型国電は、その改造に伴うバリエーションの多様さや、シルヘッダーに象徴される車体の無骨さ、電車らしさ?から、
たとえ東海型、新型車輌を指向する当社オーナーでも、完全無視できない存在です。
その心理を知った上でか否か、阪鉄車輌殿から、クモハユニ44の競作のお誘いを受け、二つ返事で応じた次第です。
で、作るのであれば、クモハユニ44 1輌だけでなく、何か想定された線区での編成にまとめようと、またまた、以下のお話
を展開したのでした。
今回当社は、これら電車史上多彩なグループの1つである20m2扉車のうち、特に、特徴的なクモハユニ44のレストアを受注
した。そこで、それにあわせ、地元の伊東線で活躍した車輌とあわせ、往年の横須賀線・伊東線のイメージを再現すべく、
クモハユニ44+サロハ49+クモハ42+クハ47(100)の各車を復活させることとした。
クモハユニ44は、身延線、大糸線時代があまりに有名であるが、当社は、戦災で大きく損傷した44005が復活し、他の
制御車とともに、伊東線に転属し、後身延線に転属する前後の時期をプロトタイプとしている。従って、屋根はオリジナルの
深さのままで、グローブベンチレータ化されている、なじみのない形態となっている。
現在旧型国電と称する車輌のうち、20m 2扉車は、
1930年(昭和5年)から製造された、電化された横須賀線
向け32系(電動車のみ17m、制御者は20m)、
1934年(昭和9年)から製造された京阪神間向け42系、
1936年(昭和11年)から製造された、いわゆる”流電”と
称されたモハ52系、
1937年(昭和12年)から製造された”半流”モハ43系、
そして、1935年(昭和10年)から横須賀線用として製造
されたクモハユニ44、を含め分類されている。
これらの車輌は、これまで、近距離用のイメージだった
電車を、横須賀線などの中距離に運用を拡大するべく、
製造された車輌といえる。
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クモハユニの相方を探していたとき、資料から見つけました。
記憶では、この車輌を模型化している例はないのでは?と思い
ますが、いかがでしょうか。オリジナルのクロは、あるかもしれ
ませんが。
一方で小高模型の製品リストにクロ49を見つけ即購入、製作
を開始しました。
キットの運転台を撤去、また中央よりの扉と窓との間の寸法も
資料図面に基づき、若干修正しています。客扉は、ペーパー
から切り出し。プレスドアではありませんが、ここはコスト削減
の結果です。
その他ベンチレータの位置等は、資料に基づき決めており、
まあ、当社としてはセミスケールモデルといえるでしょうか・・・・
キットは、上の画像のとおり、トイレが設置された後の姿を表現すべく、その窓割りを変更しています。また客用扉は、ペーパー
から切り出しています(これも本来はプレスドアですが)。
その他、台車、床下機器は日光製といったところです。

今回の製作車輌に、クモハ42を加え、4輌の20m2扉車による編成ができました。しかし、うち2両は、扉位置がイレギュラーで、
編成としては面白いものとなりました。
なお、クモハ42は、オークション経由の転入車輌であることから、今回紹介を省いていますが、みるからに、基はいさみやのキット、
飯田線時代を作ったもののようです。転入後、パンタをPS11に換装しました。なんとなく、このまま身延線を走ってもおかしくない
ように、とのこだわりです。
と、まあ何とか競作の課題も完成し、また、当社の地元の線区をイメージした編成がまたできました。
以上の能書きは、すでに、 競作に関するページ でも紹介
していますが、例によっての、当社の”パラレルワールド
遊び”と、お許し下さい。
上記ページでの紹介のとおり、競作のお題が、クモハユニ
44で、製作にOKしたものの、相方がないと運用できない、
2輌だとさびしいかなあ、などと考えているうちに、お仲間が
増えました。
ともかくも、クモハユニはいさみやのキットをストレートに
組みました。特段工夫したところもありませんが、客用扉の
窓は、天地幅が小さかったので、約1mm下に切り広げてい
ます。全面窓枠はご覧のとおり、1段固定化を表現しています。
動力は、パワートラック31mmを荷物室側の台車に装着しています。パワートラックは市場に少なく、この31mmも、
輪径11.5mmしかなく、結果的に連結面台車も11.5mmスポーク車輪にあわせて、足回りはクラシカルになっています。
台車、床下機器は日光製。パンタは、フクシマのPS11(一応折りたたみ高さが低く身延線で一時使用された)ですが、
ご覧のように、姿が定まりません。
以上のとおり、
特徴はないのですが、旧型国電は、なんとなく「らしく」できてしまうところが面白いものです。
戦後復活したクモハユニ44005が転属した先である
伊東線では、多くの元、横須賀線車輌が活躍していた。
伊東線は、温泉場へ向かう観光路線であり、1961年の伊豆
急行の開通により、その傾向はさらに強くなる。
そこで、伊東線では、2等車が編成に含まれており、その中で
横須賀線で使用された元貴賓車クロ49も活躍していた。
クロ49は、伊東線に転属後、2・3等合造車として使用されて
いたが、その後運転台を撤去しサロハ49となった。
のちに、伊東線にサロ15が転入し、サロハはサハ代用で運用
後、転出し、本格的にサハ48として改造後、その生涯を閉じる。
クハ47には、元モハ32の制御車である、オリジナルの47と、
クモハ43グループの制御車であるクハ58改造の47100、その
他サハ改造などのバリエーションが存在する。
クハ58は、関西地区用に投入されたが、その後横須賀線に転属。
さらに、横須賀線に70系が投入されるにいたり、1950〜51年
(昭和25〜26年)に身延、飯田線に転属していったが、2輌は
伊東線に残った(遅れて、この2輌も身延線に転属する)。
そこで当社は、クモハユニの相方として、このクハ47100代も加
えることとし、復活させた。
上記のとおり、伊東線にクハ47100がいたこと。そして、サロハ
と同様、小高模型のリストにそれがあったことから、製作を決定
しました。
飯田線のクハ47100はゴツイホロ枠が有名ですが、身延線は
それがなく、当社はそれをプロトタイプに選んでいます。ちなみに、
伊東線時代のクハ47100がどのような姿であったかは、実は確認
できていません(昭和25年ごろだと、まだベンチレータもガーランド
かもしれません)。

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