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「心」と「ココロ」  著:裏次郎

緒言
「ロボットに心は必要あるのか、ないのか」
「………」
「あなたは、どう思います?」
「………」
「あったほうがいいに決まってるじゃねーか」
それは輝かしい科学の勝利なのか、それとも神の領域に踏み込む蛮行なのか…。

第1章 邂逅の時

第2章 反発の時

第3章 接近の時

間奏

第4章 変転の時

第5章 筑紫の時

第6章 霧島の時

終章へのプロローグ

終章 別離の時


第1章 邂逅の時
「心」とは何か。機械と人間との間に、友情・愛情関係は成立しうるのか。
これは、そんな3週間の、浮世の夢、のようなお話である。

それは今日の朝の話。
「おっす!」
「うう…眠みぃ…」
「ったく…お前、相変わらず朝は弱ぇえよな」
相変わらずの筑紫明大の朝の様子に、霧島義隆は苦笑いした。
「うるへぇ…俺は何に弱いって朝にだけは弱ぇんだよ…ふわぁ〜〜〜…。そう言えば今日だな。例のメイドロボが来るのは」
眠そうな声を出しながら、筑紫は始業式から噂になっていたことを切り出した。
「ああ…来栖川の最新型メイドロボな……しかし、またなんで学校何ぞで運用テストなんだ??給食でも作らせんのか?それとも用務員代わりか??」
不信げな様子の霧島に、筑紫も
「う〜ん…そうだとしたら、生徒として扱う必要もないと思うのだが…」
「そりゃごもっとも」
「……」
「……」
「ま、いいか。来てみりゃ分かるか」
ひとしきり唸って、霧島が言った時、ちょうどチャイムが鳴り、担任が入ってきた。傍らに緑の髪で小柄な「女の子」を連れて。
「起立」「礼」「着席」
「あ〜、みんなも既に知ってたかもしれんが〜、今日から運用テストでお前たちと一緒に8日間ほど生活することになった…えっと…えっちえむ……?」
「HMX-12型、マルチです」
「そ、そういうことだ。みんな、仲良くしてやれよ」
「えっと、人型メイドロボ、HMX-12型です。マルチ、とお呼びください。今日からしばらくの間、皆さんと生活させていただきます。よろしくお願いします」
これが、心と「ココロ」の出会いだった。

「おい、義隆、帰ろうぜ」
「おう、しばし待たれよ!」
「あ、さようなら、筑紫さん、霧島さん」
「おう、また明日な、マルチ!」
「…」
いつもの学校の下校風景。どこの学校でもこの風景に大きな差はないだろう。マルチがロボットである、ということを除けば。

教室を出たところで筑紫は苦笑いしながら霧島に言った。
「おいおい、いっくらなんでもちょっと無愛想すぎないか??さようなら、って言ってるんだから、さよなら、って返してやりゃいいじゃん」
霧島もやる気なさげな表情に自嘲ともとれるような苦笑いを浮かべて
「だってよぉ…相手はロボットだぜ?なんか気持ち悪くってよぉ…」
「変なところにこだわるなぁ…いいじゃん、人間みたいなロボットなんだからほかの人間と同じように接すれば」
「そうは言うけど…なんか嫌なんだよ」
「『神の領域』ってか」
「そこまでは言わんけどよぉ…」
「あはは、いいって。お前ってそういうやつだもんな」
「なんだよそりゃ、けなしてんのか??」
「はは、どうだろうな」
「ったく…」
「いいじゃん、どう?これからゲーセンあたり」
「おっし、いくか!いっちょやってやる!」
こんな二人だが、基本的に仲はいい。一見相反するようなタイプの二人が付き合ってるようにも見えるが、実は「似たもの同士」だったりする。どちらかというと理屈っぽい霧島と、お軽く見られがちな筑紫だが、二人とも(特に筑紫は意外に思われがちだが)頭はいい。別に成績がいいという意味ではないが(二人とも勉強は嫌いなので成績は中の上程度)いわゆる「キレる」タイプである。彼らは同じ中学の出身で、知り合ったのも中学2年のときであり、それ以来の「腐れ縁」だったりする。

と、そのゲーセン帰り…
「くぅ…お前いつのまにあんなに腕あげたんだ…」
「へへ、どんなもんだい」
「ったく…この暇人が」
「やかましい…って、あれ?マルチじゃねぇか」
筑紫はバス停にいたマルチを見つけ、声をかけた。
「あ、筑紫さんに霧島さん、こんにちわ〜今おかえりですか?」
「ああ、今までゲーセンにいってたんだ、こいつと。な」
「ん、ああ・・」
「?どうしたんですか、霧島さん、元気がないみたいですけど?」
「ん?いや、なんでも…」
「ああ、気にしないでマルチ、こいつはいつもこんな感じだから…ところで、そっちの人は?やっぱりメイドロボ??」
と、筑紫はマルチの横に立っていたロボットを見てマルチにたずねた。
「HMX-13型、セリオと申します、よろしくお願いします」
「どうもごていねいに。俺は、筑紫明大。で、こっちが…」
「霧島義隆…」
筑紫はまったく普通の人と接しているのと同じ態度だが、霧島はやはりどこか壁を作っている。
「その制服は寺女だよね。セリオは寺女で試験かい??」
筑紫はセリオに興味を持ったらしく、楽しそうに会話を続ける。その風景は、普通の人間同士が会話しているのと何ら変わらないように見える。
「はい。私はマルチさんよりも長い3週間の予定で、テスト運用を行っています」
「そうか。マルチは8日間ほどだっけ?」
「はい。学校に行く日数はその予定です」
そうこう会話が続いてる間、霧島は実に居心地が悪そうにしている。
(なんなんだ…一体…あいつらは人間なのか?機械だろ…)

「じゃ、セリオ、マルチ、またな」
「はい!またです!」
「さようなら、筑紫さん、霧島さん」
やがて、バスがきて彼らは別れた。
「いや〜、しっかしありゃまったく人間と区別がつかんなぁ…セリオはマルチと違ってなんか『ロボット』然としてたが…科学の進歩もここまできたか…」
「確かに、マルチなんかほとんど人間だもんなぁ…大体、何でロボットがあんなに間抜けなんだ?」
「はは、まったくだ。でもいいじゃん。俺は、別にマルチをロボットとして、とか、そんなご大層なことは考えずに接してるし。人間みたいだかなんだか、心があろうがなかろうが、そんなこっちゃどうでもいいじゃん。マルチはマルチだべ?」
霧島は難しい顔をしたまま考えこんでる。
「ま、それはあくまで俺の考えであって、お前さんがどう考えようが、それはそれでいいけど…ただ、このままいくとマルチみたいなメイドロボットが普及する時代もそう遠くは…」
と、筑紫が笑いながらしゃべっていると、突然霧島がまじめな顔で口を開いた。
「じゃあさ、お前はメイドロボットを愛せるか?メイドロボットと結婚できるか?」
聞かれた筑紫は、一瞬虚をつかれたような顔になったが、すぐにやはりまじめな顔になり、「う〜ん」と唸ったまま、黙り込んでしまった。そのまましばらく二人とも無口のまま帰り道を歩いていたが、やがて筑紫が口を開いた。
「はは、さすがにそりゃわかんないわ」
霧島は、笑って
「ま、そりゃそうだろう」
と返し、真顔に戻ってさらに続けた。
「でもさ、何でマルチを作った人は、マルチを作ったんだろうか?」
「?どういうことだ?」
「だってよ、どう見たってマルチはメイドロボとしての性能は悪そうだぜ。本当に優秀なメイドロボを作ろうと思ったら、あれだけ人間に似せる技術があるんだ、それくらいはお茶の子さいさいだろう。何で人間に似せる必要があるんだ?」
「まぁ、確かに話を聞いた限りではセリオはずいぶんと優秀なメイドロボらしいからな。サテライト何たら、とか言う技術がどったらこったら言ってたし」
「やっぱさぁ、なんていうの、所詮『心』があるとしてもさ、それはプログラミングされたものだろ?なんでわざわざ『人間』を作る必要があるんだ?そりゃ、確かに介護ロボットとかとしての需要はあるかもしれなけど…」
「なあ、お前さぁ、何でそんなにこだわるわけ?」
なおも言い募ろうとする霧島を見て、ちょっとむっとしたような声で筑紫がさえぎった。
「いいじゃん、別に。機械が心を持ってもさ」
あっさりと言い放つ筑紫に対して、霧島は
「いやさ、これはさぁ、心とは、とか言う話にもなってくるんだけどさ、なんていうの?ほら、さっきの話にもなるんだけどさ、結局、『恋愛』『結婚』の話なわけよ」
「はぁ?」
「人と人との関係ってさ、難しいじゃん。相手の心ってわかんないからさ。でもさ、ロボットの心ってのはさ、結局プログラムなわけでしょ?だったらさ、なんて言うの、うまく言えないけど、人間と付き合うよりもさ、ロボットと付き合ったほうがいい、ってことにならないか?楽だしさ」
「…」
「そんな世の中に、俺は住みたくないな…やっぱり、人間と人間がぶつかり合っての世の中だと俺は思うんだけど…考え過ぎかな…」
自嘲気味に言う霧島に対して、筑紫は黙りこんだままだった。

…「いいじゃん、別に。機械が心を持ってもさ」
そう割りれればいいんだけどさ…家に帰って自分の部屋で着替えながら霧島は今日の筑紫との会話を反芻していた。彼がこのことにここまで固執するのに、特別な理由があるわけではない。強いてあげるとすれば、彼自身が人間との付き合いがあまりうまくない分、かえって人と人との関係、というものに敏感になっていた、ということかもしれない。
(別に「神の領域」とか言うつもりはないけどさ…やっぱり所詮は作られた感情だろ?ロボットとの会話なんてゲームをやってるようなものなんじゃないのか?結局は…。それとも、所詮人の心とてプログラムに過ぎないのか…)

…「じゃあさ、お前はメイドロボットを愛せるか?メイドロボットと結婚できるか?」
一方、筑紫もベッドに入って今日の会話を思い返していた。彼自身は機械に心がいるか、なんてことは考えたこともなかったので今日の霧島の話は少々唐突でもあり、若干ショックもあった。
(う〜ん…そんなこと考えたこともなかったな…。でも…いくら機械だからといってもありゃ人間じゃねぇか…。彼女らを機械としては…やっぱり扱いにくいなぁ…)
考えてみたら、変な話である。本来「メイドロボ」とは人間に給仕する目的で作られるはずである。その「メイドロボ」をして「使いにくい」とはこれいかに。いったい技術者たちは何を考えて「彼女」たちを作ったのか…。


第2章 反発の時
「…そうだよな、あいつといたら、きっといろいろ楽しいよな」
「機械」にも絆を求める時代が、着実に近づいてきている。それは、いいことなのか、それとも悪いことなのか…。


翌朝、いつもの教室の風景。普段から朝には弱い筑紫だが、今日は一段と眠そうだった。
「おっす!」
「う〜〜…ねみぃよぉ…」
「んだよ、朝っぱらから不景気な声出しゃぁって」
「うるへ〜〜、昨日お前が言ってたことを寝る前に考えてたらきっちり寝不足になっちまったんだよ…」
「昨日?」
「ああ、『メイドロボと結婚できるか』ってやつよ」
「ああ、あれね…」
霧島は昨日の会話を思い出して苦笑いした。
「あれは別に俺の考えなんだから…そんな真剣に考えなくても…」
「いや、そんなこと考えたこともなかったからさ、いい機会だと思うよ」
「さよか…」
なおも呆れ顔の霧島に、筑紫は真剣な顔で聞いた。
「おい、今日の放課後、暇か」
「むぅ、今日か?今日は本屋で立ち読みをするという使命が…」
「よし、じゃぁ付き合え」
「いや、だから本屋で……いえ、お付き合いさせていただきます」
いつになく真面目な雰囲気を筑紫から感じ取り、霧島は答えた。
「で、どこに付き合うんだ?」
至極当然の問いに筑紫は
「ん?デート、かな」
とだけ答え、ぽかんとした顔の霧島を残し、自分の席に戻っていった。

1時間目と2時間目の間の昼休み、筑紫はマルチを呼んで、廊下に行った。
「どうしたんですか?筑紫さん」
「いや、あのさ、今日の放課後、ちょっと付き合ってくれないか?」
それこそ「デート」にでも誘うような感じで筑紫は切り出した。
「はい?なんですか?」
「ちょっとさ、マルチとセリオに聞きたいことがあってさ」
「はぁ…私たちにですか…構いませんけど…ただ、私、放課後はお掃除が…」
「ああ、俺も手伝うから」
「え??そんなこといけません!!」
「いいんだって、俺が無理言ってるんだから、それぐらいは」
「でも…」
「いいから!じゃ、そういうことで」
「あ、筑紫さん…」
戸惑うマルチを残し、筑紫は教室に戻っていった。

「で、ど〜して俺がこのモップを持ってるんだ?」
放課後、渋りきった顔の霧島が同じくモップを持った筑紫に向かっていった。
「いいじゃんか、お前もきれいな学校で勉強したいだろ?それに今日は放課後付き合う、って言ったじゃんか」
「確かに言った。だからって、掃除なんて聞いてないぞ」
「言ってないからな」
「お前なぁ…」
二人の傍らで、マルチは困惑することしきりである。
「あの…お掃除なら私一人で…」
「いいから、3人でやればそれだけ『デート』の時間も長くなるし、な」
と、筑紫はあっさりといなす。
「はぁ〜…どうしても俺に掃除をさせる気だな…わぁったよ、やりゃいいんだろ…」
ついに霧島はあきらめ、モップをバケツに突っ込んだ。
「申し訳ありません…」
すっかりマルチは恐縮しきっている。そんなマルチに霧島が
「別に、お前のために…」
と、口を開こうとすると、筑紫がさえぎるように
「ああ、気にしないで。どうせこいつも俺も暇人だし。好きでやってるんだから。ささ、とっとと済ませてデートデート」
と、マルチに言った。すっかり気勢をそがれてしまった霧島はもうどうでもいいや、といった半ば自棄な感じでモップで廊下を拭きはじめた。他の二人もそれに習って、廊下を拭きはじめた……。

「はぁ…何やってんだろうな、俺」
何回か目の霧島の自嘲気味なつぶやきがもれた頃、掃除もめでたく終わり、一同は帰路についた。マルチはうれしそうな、でも少し困ったような表情を浮かべている。
「どうもありがとうございました。おかげでいつもより早く終わりました。それに…いつもよりも楽しかったです」
「そうか、そいつはよかった。俺も久しぶりに真面目に掃除なんかしたよ」
筑紫は妙に上機嫌である。
「あの…霧島さん。申し訳ありませんでした…無理に手伝っていただいて…」
いまいち乗り切らない表情の霧島に、マルチは恐縮することしきりである。そんなマルチの言葉に霧島も
「ん、ああ、まぁ…」
と、いつもの反発もない。
「で、私たちに聞きたいことって、何ですか?」
マルチが思い出したように筑紫に聞いた。
「あ、でもセリオさんも一緒のほうがいいですか?」
確かに筑紫は二人に用事があるといっていた。このマルチの言葉を聞いて、霧島は筑紫のほうを見た。筑紫はその視線を受けて
「ん?ああ、そうそう。別にたいしたことじゃないんだ。もっとマルチやセリオのことが知りたいと思ってさ。な、霧島」
と、マルチに答えながら、視線で霧島に(そういうことだ)と言った。霧島も霧島で(そういうことか…)と納得している。
「はぁ、私たちのことですか。どういった事をですか?」
マルチはまさかそういう答えが返ってくるとは思っていなかったので、戸惑っている。
「う〜ん、そうだなぁ…マルチの生みの親って、どんな人たちだ?」
ひとしきり唸った後、筑紫は言った。マルチは、実にうれしそうな笑顔を浮かべて
「はい!皆さんとっても優しくっていい方たちばっかりです」
「そうだろうなぁ。マルチ見てると、そんな感じがするよ」
「え?そうですか?あ、ありがとうございますぅ…」
真っ赤になってマルチは恥ずかしそうに、でも、うれしそうにうつむいた。
「うん、そりゃ、マルチのそのほんわかしたところとか見てると、なぁ、義隆」
いきなりふられた霧島は、戸惑いながらも
「うん?ああ、どうかな…」
と、お茶を濁してしまった。そんな霧島を見て内心軽くため息をつきながらも筑紫は
「マルチってさ、普段はどんなこと考えてるの?やっぱり、『立派なメイドロボになるためには…』なんてこと考えてるのか?」
と、なおもマルチに質問を続ける。
「え?そうですねぇ…確かにそう言えばそうなのかもしれませんが…別に改めて『立派なメイドロボになるためには』とは考えてはいませんよ」
「え?そうなの?」
こういう答えを予測していなかったらしく、筑紫は少々驚いたようだ。霧島も、この答えには意外だったらしく、少し興味を示している。
「はい。私はごらんのとおり『メイドロボ』としてはそんなに性能はよくありません…ドジだし、お料理も得意ではありません。そういった『メイドロボ』としての性能は、セリオさんのほうがずっと優秀です。私は、何でも出来るだけ人間に近づける、がコンセプトだそうなので…」
「ふ〜ん…」
「ですから、普段は皆さんと同じようなことを考えているのではないでしょうか…今日も一日がんばろう、とか、今日は風が暖かいな、とか……あ!でも、やっぱり、人様のお役に立てるように、とは常日頃考えていますよ!」
と、最後に元気に笑顔で付け加えてマルチは言った。
「なるほどねぇ……本当に人間そっくりだな」
納得した様子の筑紫と、対照的にさらに何か煮え切らないような表情の霧島。
「マルチは、うれしいときとか、悲しいときとかはあるのか?」
「そうですねぇ…やっぱり人のお役に立てたときや、喜んで下さった方々の顔を見るのが一番うれしいですね。悲しいことは…今までにはありませんでしたね。皆さん、優しい方ばっかりですし、毎日楽しいですから」
筑紫の問いに、満面の笑みを浮かべながらマルチは答えた。
「悲しいことはない、か…」
霧島が誰ともなしにつぶやく。その目はマルチではなく、遠くを見ていた。

「どっか寄り道していかないか?」
バス停が近づいてくると、筑紫がマルチに聞いた。
「バスが来るまではもう少し時間あるんじゃないの?それまで、さ。セリオもまだ来てないだろ?」
「はぁ…まあ、少しくらいなら…」
「よし、決まり!じゃぁ、どこか行きたいところはあるか?」
「え??私が、ですか??」
「そう」
戸惑うマルチに、さも当然のごとくうなずく筑紫。
「えっと…えっと……」
「公園…桜が咲いてるし」
突然口を開いた霧島に、さしもの筑紫も驚いたようだ。
「あ、桜ですか、いいですねぇ」
「ふむ、花見ですか、なかなかジジくさいですなぁ、義隆」
「うるへぇ」
ちゃかす筑紫に、そっけない霧島、そしてうれしそうなマルチの3人の集団は、桜の咲く公園へと向かった。

桜といっても、4月の初旬ともなれば散り始めて、葉桜へと移行しつつある。
「う〜ん、さすがにだいぶ散っちまってるなぁ…」
残念そうに筑紫が言った。
「マルチは生まれて1週間くらいか?」
「そうですね。大体そんなところです」
「ということは、満開の桜というのは見たことないのか」
「そうですね…でも、私が初めて学校にきた日には、まだ校庭の桜にはいっぱい花が咲いていましたよ」
「いやいや、満開ってぇのはあんなものじゃないぞ。ぜひ一度見せてやりたいものだよ」
と、二人で盛り上がっていると、
「なぁ、マルチ、日本人がどうして桜が好きか、知ってるか?」
と、唐突に霧島が口を開いた。
「え?きれいだからじゃないんですか?」
「いや、無論それもあるが…それだったら別に桜である必要はないさ。日本人が桜を好きなのは、そこに『もののあはれ』をみているからだよ」
「『もののあはれ』ですか??」
いきなり出てきた言葉にマルチは戸惑いの色を隠せず、一方の筑紫はまたか、といった感じで呆れ顔である。
「そう、桜ってのは、ぱっと華やかに咲いてさっと散りゆく。そこに、人生のはかなさなんかを重ねあわせて『もののあはれ』を感じる。だから日本人は桜が好きなんだ」
風が一陣舞い、桜の花びらを散らしていく。
「はぁ…そうなんですか…」
「いまどきおめぇだけだよ。まったく、相変わらずジジくさいことをおっしゃる」
呆れ顔で筑紫がつっこんだ。
「ま、気にしないでくれ。言ってみただけだから」
自嘲気味の霧島に、マルチは何やら思案顔で桜を見上げていたが、
「そろそろ行かないか?セリオもそろそろ来るんじゃない?」
という筑紫の言葉に、
「はい、そうですね」
と元気に返事をし、再度3人でバス停へと向かった。

「オッス!セリオ!」
「こんにちわ、筑紫さん、霧島さん」
すでにバス停にいたセリオを見つけ、筑紫が声をかけた。
「お、うれしいねぇ、憶えててくれたんだ」
「今日は3人でおかえりですか」
「ああ、ちょっちマルチやセリオと話がしたかったからさ」
「私たちに話、ですか。何でしょうか」
表情を変えずにセリオが聞く。
「う〜ん、別に何か特に用事がある、ってわけじゃなくって、マルチにも言ったんだけど、もっとマルチやセリオのことが知りたいな、って思ってさ」
「どのようなことをでしょうか」
「う〜ん、まぁマルチにはいろいろ聞いたし、セリオにもいろいろ聞きたいんだけど、もうすぐバス来るんじゃない?」
と、道路のほうを見て筑紫が言うと、
「あと3分以内に来る確率が89.3%です」
「そんなことまでわかるのか…う〜ん…サテライトシステム、恐るべし…それはいいとして、明日さ、日曜日だしさ、4人でどこかに行けないかな?」
セリオの性能に驚きながら筑紫が勝手に話を進めていく。さすがに「4人」という言葉には霧島も反応せざるを得なかった。
「ちょいまて、『4人』ってのは何だ、『4人』てのは!」
霧島の反応には耳を貸さず、なおもセリオとマルチに聞く。
「え〜っと…どうでしょうか…セリオさん…」
「長瀬主任にお聞きしてみないと分かりません」
「そっか、じゃあさ、今日帰ったらさ、聞いてみてよ。で、俺んちに電話してくんない?電話番号は〇〇〇〇—〇〇〇〇だから。詳しいことはそのときに。いい?」
「だ・か・ら、4人ってのはなんだ、よ・に・んってのは!」
「分かりました。何時くらいにお電話すればよろしいでしょうか」
「う〜ん、7時半くらいにかけてくれれば」
「分かりました。そうします」
「じゃ、よろしく」
と、そのときちょうどバスが来て、マルチとセリオは乗り込んでいった。
「じゃな〜」
「さようなら〜」「さようなら」
バスを見送ったあと、ようやく筑紫はわめいている霧島を見て一言、
「と、いうことだ。8時くらいには電話するから」
「人の都合も聞かんと!」
「どうせ暇なんでしょ?明日も」
「それとこれとは別だ!」
「まま、いいじゃないの。義隆もさ、もっとセリオやマルチと話してさ、考えようぜ、いっしょにさ」
「何を…」
渋り顔の霧島に一言、
「『メイドロボと結婚できるか』…」
この一言に、霧島も結局うなずくことになる。なんだかんだ言って筑紫の押しは強く、筑紫の押しに霧島は弱かったりする。

「長瀬主任、許してくれるでしょうか?」
「70%の確率で、許可は下りると思われます」
バスに揺られながらの会話。それは、仲のいい女子高生が会話しているようにしか見えない。
「そう言えば今日、筑紫さんと霧島さんとで公園に寄り道したんですよ。桜がきれいだったんですけどね、満開だともっときれいだった、っておっしゃるんですよ、筑紫さんが」
「そうですね。このあたりの桜が満開だったのは、5日ほど前だったようです」
「筑紫さんもそのようなことをおっしゃってました。で、その時に霧島さんがおっしゃったんですけど、日本人が桜を好きなのは『もののあはれ』というものを感じるからだそうですね」
「そうですね。古来から日本人は桜のさっと咲いてぱっと散るところに人生のはかなさなどを重ねあわせていたようです」
「霧島さんも、同じことをおっしゃってました…私には、よく分かりませんでしたけど…それは、私がまだ生まれて間もないから、分からないんでしょうか、それとも、ロボットだから分からないんでしょうか…セリオさんは、どう思いますか?」
「難しい質問です…」
「そうですよね…」
バスは行く。二人の「ココロ」を乗せて…。

「なるほど、デートに誘われたわけか」
話を聞いた長瀬は少し考えていたが、
「二人分の予備バッテリーは、あるな?」
と、研究員の一人に確認すると
「よし、行っておいで」
と、セリオの予想通りに許可を出した。
「ありがとうございます!じゃぁ、早速筑紫さんにお電話してきますね!」
「ああ、しておいで」
と、マルチはうれしそうに電話をかけに行った。
「セリオも行くんだろ?明日は楽しんでくるといい」
電話をかけに行ったマルチを見やってから、長瀬はセリオに言った。
「はい。ありがとうございます」
「さ、じゃぁ先にセリオのメンテナンスをしてしまおう」

トゥルルルル〜トゥルルルル〜…がちゃ
「はい、筑紫です」
『あ、筑紫さんのお宅ですか?私HM…』
「あ、マルチか。俺だよ、明大だよ」
『あ、筑紫さん、こんばんわ』
「おう。で、どうだった?許可は出た?」
『はい!で、どうしましょう』
「うん。朝の9時に駅前、でどうだ?」
『9時に駅前、ですね。で、どこに行くんですか?』
「何も考えてない」
『え?』
「冗談だ。ちゃんと考えてある。でも、行くまでのお楽しみだ」
『わかりました。楽しみにしています』
「じゃ、セリオにもよろしく」
『はい、では失礼します』
がちゃん…さて、義隆に電話するか、と一人ごちると、霧島邸の電話番号を押した。

「いいんですか?主任」
二人のメンテナンスも終わった後、少し心配そうに研究員の一人が聞いた。
「いいじゃないか。これもいい経験になるだろう。しかし、マルチたちをデートに誘うとはなかなか面白い子供もいたもんだ」
「『人』と『機械』の境界がなくなってきている、ということなんでしょうか…」
「君はどう思うかね?」
少し意地悪そうな表情を浮かべて長瀬は聞いた。
「そりゃ、マルチもセリオも所詮は機械でしょう。機械は機械にしか過ぎません」
「機械に、心は必要と思うかい?」
「プログラムとしての心には興味はありますが…。別に、機械に心があってもなくても、どっちでもいいとは思いますけど」
「そうか…」
少しさみしそうに長瀬は笑った。
「主任は、どう思われるのですか?」
と、聞かれると長瀬は
「鳩と人間の違いは、何だと思うかね?」
という謎の問いを残して、戸惑う研究員を置いていってしまった。


第3章 接近の時
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
「彼女」たちは、どんな夢を見るのだろうか…


「おはよう…もう来てたのか。あれ?明大のやつはまだ?」
翌朝、10分前に駅前にきた霧島は既に来ていた二人に聞いた。
「あ、霧島さん、おはようございます。…筑紫さんはまだいらっしゃってません」
「珍しいな、あいつはたいてい10分前には来るんだが…ま、いいか…まだ時間じゃねぇしな」
と、独り言のようにつぶやくと、なんとなく所在なげに空を見上げた。初夏を思わせる日差しの中、雲がゆっくりと流れて行く。
「…あの、どこに行く予定か、ご存知ですか?」
マルチが、沈黙を破った。
「え?俺は聞いてないけど…聞いてないのか?」
少し意外そうに霧島が聞く。
「はい。行ってからの秘密だ、っておっしゃってました」
「そうか…やつらしいな」
少し苦笑いを浮かべて霧島は言った。
「……」
「…霧島さん、どこか具合でも悪いのですか」
霧島の様子が気になったのか、今度はセリオが霧島に尋ねた。
「え?俺、そんなしけた顔してるか?」
セリオにそんなことを指摘されるとは思っていなかった霧島は内心セリオに鋭さに舌を巻きながらも、
「いや、別に。きわめて快調だ」
と笑って答えた。
「そうですか…」
いまいち納得していないような様子ではあったが、とりあえずセリオはそれ以上追求はしなかった。無論、霧島は今日の「デート」には最初から乗り気ではない。彼の考え方から推察するにそれは当然のことであろう。
(思いのほか鋭いな…気づかれてるか…やっぱり人の顔色とかからある程度は心を読めるか。確かに人間そっくりだ…でも、どうなんだ?それも所詮は「プログラム」のなせる技じゃないのか…)
誰にも聞かれることのない霧島の気持ちをよそに、約束の時間から10分ほど遅れてようやく筑紫が到着した。
「いや〜、悪ぃ悪ぃ、ちょほいっと遅れちまった」
まったく悪びれた風もなく筑紫が言った。
「あ、おはようございます」「おはようございます」
マルチとセリオは筑紫が遅れた(といってもたかが10分だが)ことは全く気にしていない様子だ。
「ったく…遊びの約束のときだけは遅れたことねぇクセに…」
一方の霧島は遅れたことに対して怒るよりもむしろ戸惑いを覚えていた。
「いや〜、すまん!ついつい寝坊しちまって…」
という筑紫だが、実は霧島とセリオたちだけの時間を作るために、わざと少し遅れてきたのだった。霧島も筑紫の様子からそのことを感じ取ったらしく、苦笑いしながら
「ま、いいけどさ」
と言っただけだった。
「ところで、今日は2人は時間のほうはいいの?」
ひとしきり霧島とのやり取りが終わると、筑紫はマルチのほうをむいて聞いた。
「はい。とりあえず最終のバスにさえ間に合えば大丈夫です」
「で、その最終バスとやらの時間は、わかる?」
「えっと…」
「駅前を20時37分に出ます」
困っているマルチに、セリオが助け舟を出した。
「そっか。じゃぁ、とりあえず駅に8時過ぎに帰ってくればOKだな」
霧島がいまいち乗り気ではないのに対して、筑紫はかなりやる気まんまんだ。
「で、どこに連れて行ってくれるのかな?」
いまだに行き先を聞いていない霧島が筑紫に聞くと、
「うむ、とりあえず水族館だ」
という答えが返ってきた。想定外の答えに、霧島は完全に虚をつかれた。
「お魚さんですか。楽しみです〜」
「私も、実際に泳いでいる魚は見たことがないので、興味深いです」
他方、セリオとマルチはおおむね楽しみな様子だ。
「そっかそっか。じゃぁ、早速出発!」
2人の反応に、筑紫は満足げだ。こうして、4人の「デート」が始まった。

「おっきな建物ですねぇ…」
2ヶ月ほど前に出来たばかりの水族館を見て、マルチは驚いた様子だ。
「う〜ん…俺もここに来るのは初めてだけど…こんなにでかかったのか…」
「…同感。俺も話にしか聞いていなかったが…」
筑紫と霧島も一様に驚いている。
「ここの水族館は、規模としては東洋一だそうです」
セリオの言葉に、3人は
「なるほど…」
と納得した様子だ。
「よし、じゃぁ早速入ろう!」
「はい!」「はい」「うい〜」

オープンしてから2ヶ月たっているということもあり、休日とは言えさほど混雑はしていなかった。薄暗い、どこか神秘的な館内を4人は進んでいった。
「いろんなお魚がいますね〜。あ!面白い形をしたお魚さんですぅ〜」
「お、ありゃマンボウだな」
筑紫が答えると
「マンボウって、食えるのかな?」
と霧島がすっとぼけた感想を口にする。
「食べれないことはないそうですが、きわめて淡白な、大味だそうです」
セリオはその感想に律儀に超える。はじめはいまいち乗り気でなかった霧島も、ようやく少しはほぐれてきたようだ。いまいち表情が読めないセリオもそれなりに楽しんでいるようだ。
「あ〜。かわいらしい魚ですぅ〜」
「…なんで水族館に金魚がおるんじゃ…」
「同感…」
「何でも、ありとあらゆる種類の魚を、がここのモットーだそうですから」
「なるへそ…」
やがてこの一行は、比較的小規模な一つの水槽の前に立った。その水槽は、種々雑多な魚が泳いでおり、おおよそ脈略がない。
「うわ〜…いろんなお魚さんですぅ〜」
「ん??シーラカンスに、タツノオトシゴに、リュウグウノツカイに…なんじゃ?この水槽は…」
霧島は不思議がっているが、筑紫は
「これがうわさの…しっかし、本物そっくりだなぁ…」
と、一人で感心している。顔中に?マークを浮かべている霧島にセリオが
「この水槽の魚は、すべて本物ではなく、『ロボット』なのです」
と、解説した。
「そう言うこと。ここの水族館のウリの一つらしい。ってか、ここに書いてるぜ」
と筑紫が指差したところには、なるほど確かに解説があった。
「ほうほう…なるへそ…確かにこれなら飼うのが難しい魚なんかでも展示できるもんな…って、これも来栖川?」
その説明文に書いているのを読んで、感心したように霧島が言った。
「え?そうなんですか?」
それを聞いたマルチが驚いたようにその説明を読んでいる。
「そうです。私たちとは直接関係ないプロジェクトですが、やはりこれらの製造・開発は来栖川エレクトロニクスです」
と、またもやセリオ。
「ほぉ…まあ、確かにマルチやセリオが作れるんだから魚くらいはお茶の子さいさいか…」
霧島が感心したように言うと
「『泳ぐ』という動作が極めて複雑な動作なので、私たちのようなメイドロボが作れるからといって、魚ロボが作れるか、というとそういう問題ではありません」
「そうなんだ…魚なんか当たり前のように泳いでるからそんなこと考えたこともなかった…」
セリオの説明に筑紫も同様に感心気だ。
「と、すると…マルチやセリオの技術とこの魚ロボの技術を使うと…『しゃべる魚』も作れる、ってことか…」
感心ついでの筑紫のつぶやきに
「作ってどうすんじゃ…あほか…」
「技術的には、不可能ではないですね」
「しゃべるお魚さんですか…お魚さんは何を考えて泳いでいるんでしょうね」
3者3様の感慨だ。
「いやいや、シ〇マンが売れる時代だ。一般向けに売り出せば売れるかも知れんぞ?」
「なんだかなぁ…そんなもん買うくらいならまだメイドロボのほうが…」
と、霧島は言いかけて口をつぐんだ。筑紫は少々意地の悪い笑みを浮かべて先を促している。
「んんっ、いや、その、何だ、まだ役に立つじゃねぇか。掃除とか、飯とかも作ってくれるだろうし、メイドロボだと」
「まあね」
慌てて取り繕う霧島に、相変わらず笑みを浮かべたままの筑紫。そんな2人に
「ただ、現状では、私たちメイドロボも、この魚ロボも大変高価なものなので、その2つをあわせたものとなると、大変な金額になって、とても一般向け、というわけにはいかないでしょう」
という極めて冷静な指摘…さすがセリオである。
「でもさぁ、いずれ大量生産されるようになったらセリオたちももっと安くなってくるんだろうなぁ…俺も欲しいなぁ…メイドロボ…」
筑紫のつぶやきに
「まぁ、ねぇ…」
もの言いたげ霧島であった。

水族館から出た4人を待っていたのは初夏の日差しだった。
「いやはや、水族館なんていつぶりだろうか…」
霧島のつぶやきに
「俺は小学校の遠足以来かな…」
筑紫も懐かしそうな表情を浮かべ、答えた。
「俺もそんなところだ」
「楽しかったですぅ〜いろんなお魚さんが見られて」
「なかなか興味深い経験をしました」
セリオもマルチも満足した表情だ。
「海…見に行かないか?まぁ、まぁ、海といっても砂浜とかじゃないけどな」」
やおら霧島が口を開いた。
「海??どこよ?」
「それは行ってのお楽しみだ」
「う〜ん、俺は構わんが…マルチたちは、どうする?」
筑紫が2人にふると
「はい、いってみたいですぅ〜」「異存ありません」
ということで、一行は「海」を見に行くことになった。

「おいおい、本当にこれで海に着くのか?」
筑紫の疑問ももっともである。一行を乗せた電車は京浜工場地帯のド真中を走ってる。しかし、そんな筑紫の疑問にも霧島は飄々としている。
「ああ、大丈夫。もうすぐ着くから」
「それにしても、誰も乗ってませんねぇ…」
がらがらの車内を見まわしてマルチが言った。
「うん、まぁ、ここの線は基本的にこの辺の工場の労働者以外は利用しないからな。今日は日曜日だし」」
マルチの感想に、霧島が答えた。
『次は〜終点〜海芝浦〜、海芝浦〜』
「お、ようやく目的地だ」
「あ、海です」
窓の外を見たセリオが言った。その声にマルチと筑紫も
「わぁ〜海ですぅ」「おお…確かに海だ…」
窓の外を見ていった。セリオの言うとおり、駅に滑り込んだ電車の車窓に広がっているのはまぎれもなく「海」だった。ただ、いわゆるデートスポットなどの海とは違って砂浜などというものは広がっておらず、極めて「人工的」な光景が広がっている。場所柄を鑑みるに、それは至極当然のことであろう。なんせそこは京浜工業地帯のド真中なのだから。
「ま、海といっても正確にはここは『運河』なんだけどな」
駅に下りたって霧島が言った。
「あ!!お魚さんが泳いでますぅ〜」
海を除きこんでいたマルチが指を指して言った。確かにそこには魚が泳いでいる。そして、その向こうに見えるのはコンビナートとおぼしき工場群。そんな海をタンカーらしき大型船が行く。
「へぇ…こんな環境でも魚はいるんだ…っつうか、思ったより水がきれいだな…」
マルチと同じく海を覗きこんでいた筑紫が言った。
「最近は昔と違って環境問題に真剣に取り組んでいる企業は多いですから。このあたりの水質も昔と違いってずいぶんと改善されているようです」
そんな筑紫の感想にセリオが答える。
「そう…奴らは生きてるんだ…こんな環境でも。お前たちも生きているのか?」
そんなことをいきなり霧島が言い出した。そんな霧島の突然の問いかけに、マルチは戸惑っているようだ。
「え?…いきなりそんなことを言われても…」
「いわゆる古典的な生物の定義に当てはめるならば、私たちは『生きてる』とは言えないでしょう」
しかしセリオは極めて冷静に見える。
「そう…お前たちは『機械』だよな。あのタンカーとかと同じ…」
ゆっくりと遠ざかってゆくタンカーを指差して言う霧島に今まで沈黙を守っていた筑紫が口を開いた。
「それは違うっしょ。タンカーはしゃべんないし、タンカーとデートはできんぞ?」
そう言う筑紫に、霧島は泳いでいる魚を指差していった。
「そったらよぉ、そこで泳いでる魚と、マルチやセリオと、どっちが人間に近い?いや、どっちが生物だ?それ以前に、じゃぁペットに対する愛情ってのはなんだ?犬や魚がしゃべるか?デートできるか?
「そりゃ、確かに犬はしゃべらんが…」
普段あまり感情を表に出さない霧島の、一見すると感情的とも思える態度に、筑紫も少し戸惑っている。
「確かにマルチたちは『機械』だが…だからどうしたってんだよ。生きているとか、生きていないとか、そんなことはどうでもいいじゃん。だって、少なくとも俺らと意思の疎通ができるんだぜ?」
セリオとマルチのほうを向いて筑紫は言う。マルチは明らかに困惑した様子だが、セリオは相変わらず冷静そうだ。
「…確かに意思の疎通は出来てるのかもしれん。だけど…例えば、マルチたちがいかにも機械然とした…そう、昔のアニメなんかに出てきたような古臭いロボットの風体をしてたら、どうする?」
重苦しい沈黙が流れる。
「…あのさ、少し論点がずれちゃいないか?」
そのときかろうじて筑紫が口に出来た精一杯の言葉だった。霧島もその場の雰囲気と筑紫の言わんとしたことを悟ったらしく
「ま、俺もずいぶんと古い考え方の持ち主らしいからな。すまなかったな、変なこと言って」
と言ってまとめてしまった……

一行が駅に帰り着いたとき、既にあたりは暗くなっていた。
「7時か…もう少し時間があるな。とりあえず、俺らは晩飯を食うか」
「ふむ。と、マルチ達の動力源はどうなってるんだ?」
霧島の言葉に、思い出したように筑紫が尋ねた。
「はい、えっとですね、最新式のリチウム・・・何でしたっけ?」
「リチウムポリマーバッテリーを搭載しています。今日は、予備バッテリーを準備していただいたので、連続40時間までの通常動作が保証されています」
「予備バッテリー?」
「はい、普段は昼休みにバッテリーに充電しているんです」
マルチの説明に筑紫は納得顔だ。
「そっか、それでマルチ、いつも昼休みの後半には教室からいなくなってたのか。どこで充電してんだ?」
「図書館です」
「でも、そこまで人間そっくりなのに、どうして飯食って栄養補給できるようにしなかったんだろう」
それまで黙って話を聞いていた霧島が不意に口を開いた。
「人間を含む動物の、有機物を分解しそこからエネルギー源を得る、という工程はきわめて複雑かつ巧妙です。その仕組みを模倣するよりも、既存の無機物からのエネルギー獲得の手段を用いる方が簡単かつ確実だったからでしょう」
霧島の疑問によどみなく答えるセリオ。マルチはぽかんとしているし、筑紫は「またか」といった風情だ。
「じゃあさぁ、人の『心』よりも、消化器系の方が複雑だってのか?」
霧島が突拍子もないことを言い出す。
「だってよぉ、マルチやセリオに心があるってんなら、そういうことになるぜ?人工的に『心』を創り出したわけだしわけだしよぉ」
「それはどうでしょうか。『心』というものの定義がはっきりしていない以上、私たちが心を持っているか否か、ということは議論できないと考えます」
「いやいや、案外心の仕組みなんてぇのは至極簡単なものかもしれないぜ。なんせ、脳の中だって、突き詰めれば電子が動き回っているだけだろうし」
今まで話を聞いていただけの筑紫も口を出してきた。
「じゃぁ、『心』って、何なんでしょうか…」
マルチの、極めて根源的かつ哲学的な問いに
「……」
「笑って、怒って、泣いて、それが心さ」
「先も言ったとおり、言葉の意味が広すぎて答えられません」
「じゃぁ、マルチは『心』って何だと思う?」
筑紫の問いに
「さぁ…不思議なものです…」
4つの「心」、それは「心」と「ココロ」なのか…。

「なぁ」
二人と分かれたあと、先に口を開いたのは筑紫だった。
「ん?」「もしさ、今、今の俺と全く同じ原子配置、電子配置のモノを作れたとしたら、それは俺だと思うか?いや、『心』を持つと思うか?」
聞かれた霧島は、すぐには答えられず、唸って夜空を見上げている。筑紫も、黙ってそんな霧島の様子を見るとはなしに見ている。
「お前だろうな。少なくともその瞬間は。『心』もあるだろうな」
ひとしきり唸ったあと、ようやく霧島が答えた。そんな霧島の答えを予測していたように、間髪入れずに筑紫が続けた。
「『心』って、何だと思う?」
「……人の…人たる所以…かな」
さっきのマルチの問いには答えなかった霧島だが、今回は一応の答えを返した。
「じゃぁ、人の『心』と、機械の『ココロ』との、本質的な違いって、あるのかなぁ」
「……少なくとも、セリオの『ココロ』と俺らの『心』には、違いがあると思うな…」
「そうかな」それとなく先を促す筑紫。
「今日のマルチを見てると、確かに本当の人間みたいだった。楽しそうに笑ったり、驚いたり。でも、セリオは…」
とそこまで言って、霧島の頭にふと朝のセリオとの会話が去来した。
(「…霧島さん、どこか具合でも悪いのですか」……確かに言われたが…あれは俺を心配してか?いや、違う、きっとそういうプログラムなんだ…)
やおら黙りこんでしまった霧島にもさほど驚いた様子もなく、次の言葉を待っている筑紫。
「そう、セリオには感情の起伏らしきものが感じられなかった」
「そうか?俺には結構楽しんでいるようにも見えたがな…。ま、それはそれとして、人間でも感情の起伏が乏しいやつはいるぜ?そいつらには心はねぇのか?」
切りこんでくる筑紫に、霧島も苦笑いを浮かべて
「痛いところをつくねぇ…」
としか返せない。
「じゃぁ、作り物の『ココロ』は、俺ら人間の『心』の代替品たり得るのかな…」
「……」
「メイドロボを愛しても、いいんじゃないかな…」
2人の感慨に構わず、星はそこで輝いている。今も、昔も、これからも。

「ただいま帰りましたぁ〜」「ただいま戻りました」
「おかえり、二人とも。どうだった?」
研究所に戻った2人と、長瀬主任、そのやり取りは、まさに父と娘の会話にも見える。
「はい!とっても楽しかったですぅ〜」
「そうかい。で、どこに行ってきたんだい?」
うれしそうに答えるマルチに、やさしげな笑みで聞く長瀬。その光景は、見事なまでに「父」と「娘」である。
「水族館に行って、そのあと海を見に行ってきました。いろんなお魚さんが見られて楽しかったです」
「そうか。それは良かった。で、セリオは、どうだった?」
笑顔でマルチの話を聞きながら、帰ってきてからまだ挨拶しかしていないセリオのほうを向いて長瀬が尋ねる。急に話を振られて、さすがに少し驚いた様子のセリオだが、
「…はい。有意義な一日が過ごせました」
と、いつもと変わらないように見える。しかし、長瀬はそんなセリオを見て一言、
「なにか、あったかい?」
穏やかな笑顔を浮かべながらセリオに聞いた。
「…心、って、なんでしょうか」
さしもの長瀬も、このセリオの言葉には度肝を抜かれたらしい。全く想像だにしていなかった問いに、とっさに答えが出てこない。
「私に、心はあるのでしょうか」
虚を付かれてなにも言えない長瀬に、なおも問うセリオ。だが、長瀬もいつまでも黙っているような人間ではない。
「じゃぁ、セリオは心とは何だと思う?」
と、逆に問い返した。
「言葉の定義が広すぎて、答えることができません」
霧島とのやり取りと同じような答えのセリオ。そんなセリオに
「心とはそういうものさ。もちろん、辞書を引けば『心』の意味は載っている。だけど、今セリオが聞きたいのはそんな『心』の意味ではないのだろう?」
「はい」
「もちろん、セリオもマルチも人間じゃあない。確かに人間ではないが、だからといって心がないなんて、誰が言うことができる?」
「…」
「私は、確かに君たち二人の生みの親だ。君たちの基礎プログラミングをしたのは私だ。けれど、私がしたのはあくまで『基礎プログラム』に過ぎないのだよ」
長瀬の淡々とした口調に、セリオはおろか、マルチも、他の研究員もなにも言えずにいる。
「その基礎プログラムは…そうだね、少々おこがましい言い方をするならば、『心』の素、と言えるかもしれないね」
「『心』の……素…」
「人間でも、赤ん坊からだんだん成長していく過程でいろいろなことを学び、『心』を造りあげていくものじゃないのかな?今、セリオやマルチがしていることとは、まさにそのことではないのかな?」
「…」
「つまり、今の君たちの『心』は、まさに君たち自身によって育てられたものなのだよ。私が創ったのではない、君たち自身の『心』だよ」
「……私に、本当に心はあるのでしょうか」
先の言葉を繰り返すセリオ。長瀬は、そんなセリオに今度は優しい笑みを浮かべて諭すように言う。
「そういうことを考えている『心』が『心』じゃなくって、何が『心』なんだい?」
「長瀬主任…」
「さ、今日はもう遅い。明日は学校の日だろ?そろそろメンテナンスをして、今日はもう休みなさい」
それぞれの、考え方。人の数だけ、心が、真実が存在する。


間奏


けだるい月曜日の朝、日常の繰り返し。やる気なさげな霧島、眠そうな筑紫、元気なマルチ。人によって進む速さが違う不思議な時間を共有し、やがていつもと同じ放課後という解放を向える。
「ふぅ、終わった終わった。最近歳かねぇ…6時間の授業が苦痛じゃよ…」
「何を言っとる。まだ15のクセに。さ、帰るぞ」
ボケる霧島に、突っ込む筑紫。
「じゃな〜、キリ、アッキー」
「おう、お疲れぃ〜」「ん、また明日な」
そんな2人に声をかけて帰っていく級友たち。その中に、なぜかマルチの姿はない。
「あれ?マルチは?」
その不在に気がついた筑紫だが、霧島は
「知らん、帰るぞ」
とやはりというかつれない。そんな霧島にも慣れたのか、筑紫もこれといって何も言わない。特に部活などをしていない2人ゆえ、放課後学校に残っている理由もない。連れ立って教室を出た2人、そこでマルチの不在の答えを知る、モップとともに。
「あ、霧島さん、筑紫さん。今お帰りですか?」
「何だ…いないと思ったら…そういうことか。せっかくマルチと一緒に帰ろうと思ったのに…」
「はぁ…でも、私、お掃除大好きですから」
「そうか…しょうがないな…義…あれ?」
振り向いた先に、霧島はいない。そう、「危険」を察知して一瞬にして逃走していたのである。
「あらら…逃げ足の速いやつ。ま、いいか。よし、マルチ、モップはどこだ?」
「え…そんな!!だめです!!」「いいからいいから…」
こうして、新たな日常が形成されていく。

一方、西園寺女学院での日常…。
「さようなら、北斗さん、さようなら、西海さん」
「あ、セリオ、また明日ね〜」「ばいばい〜」
と、こちらもいつもの下校風景…だが
「ねぇ、セリオ、少し変わった気しない?」
「え?そうかなぁ…別に何も感じなかったけど…」
「なんか、土曜日に比べて少し表情が出てきたような気がするんだけど…」
「そう?私は特に気づかなかったけど……」
「う〜ん…気のせいか…」
「べっつにいいじゃん、そんなの。所詮ロボットなんだし」
「まぁね、それもそっか…」
何かが、動き始めたのかもしれない。

(何が悲しゅうて俺が廊下の掃除まで付き合わにゃならんのだ…何なんだ…明大ってあんな奴だったか?少々マルチにこだわり過ぎじゃねぇか…?)
なんとなく釈然としない表情で帰路につく霧島。
(ものめずらしさか?マルチが本物の女の子でもあんな反応をするのか?奴は。マジで惚れたか?まさかなぁ…)
誰に言うでもない、誰が聞くでもない霧島のつぶやき。確実に、変化は訪れつつある。


第4章 変転の時
「人間が人の生き死にを自由にしようだなんて、おこがましいとは思わんかね」
では、人が「機械に心を宿らせる」というのは、どうなのだろうか。


 新たな日常。いつも大抵はつるんで帰っていた霧島と筑紫、しかし、マルチが来てからは筑紫は掃除、付き合わされるのは迷惑とばっかりに霧島はとっとと逃げる、そんなパターンが一瞬にして出来あがっていた。

「ったく・・・何だってんだよ…」
別に、いつも一緒に帰る約束をしていたわけではない。それでも、いつも一緒に帰っていた。日常の変化、簡単に慣れるものではない。新たな「日常」が始まって3日が経った日。なんとなく一人でゲーセンで無駄に時間をつぶしてしまった霧島が見たのは、バス停でたたずんでいるセリオだった。その様子を見るとはなしに見ている霧島。なぜか一歩も動かない。やがて、マルチと連れ立って筑紫がやってきた。それを見てもまだ動かない霧島。非常に楽しげな様子の3人…。やがて、バスがくる前に霧島はその場を立ち去った・…。

その翌日、霧島の無意識は彼の足をバス停へと向かわせていた。時間もさるべき時間に合わせて。そこには、昨日と変わらず一人たたずむセリオの姿があった。
「…よぉ」
昨日と違って、声をかけた霧島。
「こんにちわ、霧島さん」
声をかけられるのがわかっていたかのようなセリオ。しかし、その表情を見たとき、霧島は驚愕を隠せなかった。
(笑って…る?いや…気のせい…じゃない、か…)
微笑とも言えないレベルの表情。しかし、それはセリオにとっては十分に「笑顔」といえるレベルの表情であることを霧島も知っていた。
「……」
思わず呆然とセリオの顔を見つめてしまう霧島。そんな霧島に、
「どうかなさいましたか?」
と、普段どおり冷静なセリオ。その一言に、ようやく気を取り直した霧島の口からは
「…変わった、か?」
といういまいち要領を得ない言葉しか出てこない。
「どうでしょうか。特にシステム等には変更はありませんが」
「いや、そういうことじゃなくて…」
あくまでシステマティックな答えをするセリオにため息交じりの霧島。そこにできた一瞬の間をうめたのはセリオの方だった。
「昨日、同じような時間にこちらのほうをご覧になっていましたね?」
「……気がついてたのか」
決まりの悪そうな霧島に気にする風もなく、続けるセリオ。
「はい。こちらにもいらっしゃらず、かといって立ち去られるわけでもなかったのでどうされたのか、と」
「なるほど、ね」
苦笑いの霧島。そんな様子を特に意に介する風もなく続けるセリオ。
「あの時、どうしてあそこで立っていらっしゃったのですか」
「ん…なんでだろうな…俺にもよく分からん」
とりあえず突っ込まれたくないところに突っ込まれてつらいところの霧島。その言葉にセリオも
「そうですか」
としか言えない。ただでさえ会話が成り立ちそうにない2人に、気まずい空気が流れて、会話が進もうはずはない。そんな重い空気を破ったのは霧島にとってはいま一番聞きたくなかった、されど聞くであろうことは無論予測していた、聞きなれた声だった。
「よぉ、何やってんだ??珍しい組み合わせだねぇ」「こんにちわ〜、霧島さん」
「まぁな。帰る途中にバス停見たらセリオがいたから。なんとなくな」
なんとなく筑紫の顔を見られない霧島。そんな霧島をあまり気にする風もない筑紫。
「そっか。ま、いいや。で、今日も元気か?セリオ」
「はい、特に異常はありません」
「そっか、でも珍しいな、義隆と一緒だなんて。デートにでも誘われたか?」
「なっ、なわけ…」「いえ、そのようなことはありません」
「はは、冗談冗談、義隆がんなことするわけないもんな」「…はぁ…」
そんなたわいもないやり取りも束の間、やがて向こうからやってくるバスの影。
「お、じゃぁな、マルチ、セリオ!!」
「また明日です〜」「……では、さようなら」
「………」
バスを見送る二人。2人とも、何か間合いをはかるようなそんな沈黙を保ち、バスの行った先を眺めるとはなく見ている。
「……久しぶりだな」「何が」
先に切り出したのは霧島だった。ただし、筑紫の顔は見ずに。
「放課後、校外で会うのが」「そうか?そうとは思わんが」「そっか…」
「帰るか」「ああ…」

「なぁ…」「ん?」「いや…」「そうか…」
かみ合わない会話。再び訪れる静寂。
「…おまえさ、マルチのこと、好きなのか?」
やがて沈黙を破った霧島の言葉はストレートなものだった。
「……」
沈黙と言う答え。再度訪れた静寂を破るのはまたしても霧島の方だった。
「『機械』に対する興味本位か?それとも、一人の女の子としてか?」
足元を見つめた後、空を見上げた筑紫。その口から出てきた答えは、答えではなかった。
「……お前は…どう思う?」
「…何が」
霧島にはわかっていた。筑紫の問いがどういう意なのかを。それでも、すぐには答えない霧島。それは筑紫の口からあえて質問の真意をただそうという様にも見え、己の答を出す時間かせぎにも見える。
「『メイドロボと結婚できるか』…おめぇが言った事だろ…」
「…できるわけ…ねぇじゃん…おめぇは…できるってのか……」
霧島の声が心なしか力ないものに聞こえたのは気のせいだろうか。霧島の反問への答は、ただ沈黙のみであった。


第5章 筑紫の時
「いつの時代も、科学だけが進化する。だが人類は己の煩悩を進化させられずにいる」 我々は、それ相応の進化を遂げているのだろうか。


「よぉ、最近、お前一人でいることが増えたな」
「そっか??そうかもな…」
「だって、お前いつも筑紫と一緒だったじゃん。そう言えば、やつ、最近マルチと一緒にいることが多いよな」
「まあ、な」
「何だ、筑紫のやつを取られたのか?やっぱ色気ってか?」
「…知らん」
新たな日常。筑紫は相変わらず、翻って霧島はあの日以来明らかに3人の事を避けている。何が霧島をそこまで「意固地」にさせているのか、それは恐らく本人にもわかっていない。
然るに、その日常はあらかじめ約束された1週間という期限をもって幕を閉じる事が運命付けられてもいる約束でもあった。

「今日でお別れか…」
モップを持った筑紫とマルチ。放課後のこの二人の光景は、もはや違和感を感じさせないものになっていた。でも、今日が最期の日、であるのもまた冷厳たる事実であった。
「そうですね。……今日までありがとうございました…」
「明日から…寂しくなるな………そうだ、今日は最後の日なんだ。少しくらい帰るのも遅くなってもかまわなだろ?」
「え?でも…」
「いいからいいから、最後に少し、二人で遊んでいこうぜ」
「は、はい」

一方、あの日以来学校が終わると件のバス停には近寄ろうとしなかった霧島だが、この日は寸分の迷いもなく足がバス停へと向かっていた。彼女よりも先にバス停についた霧島。しばらくして、気配を感じた霧島、発せられる言葉。
「よぉ」「…こんにちわ、霧島さん。珍しいですね、このようなところにいらっしゃるのは」
他の人間が言うと皮肉とも聞こえるセリフだが、セリオの口から出ると皮肉には聞こえようもない。苦笑いの霧島。
「そうだな」「今日は、どうなさったのですか?」
「うん、今日はおめぇに逢いに来たんだ」
「私に?」
戸惑っているのか戸惑っていないのかよくわからないセリオ。霧島もそんな事はお構いなしに続ける。
「今日、マルチの最終日だよな」
「そうですね」
「どうなんだ?」「……はい?」
霧島のいきなりのセリフに、セリオも珍しく豆鉄砲を食らったような表情を浮かべた。
「はは、セリオでもそんな顔をするんだ」「霧島さん…」
少し、というよりもかなり困った様子のセリオを見て、軽く笑った霧島。
「すまんすまん、困らせるつもりは、まぁ、少しはあったけど、いや、だから、寂しいとか、悲しいとか、そういったことは思うのか?」
「寂しい、ですか?」
軽く頷いて先をうながす霧島だが、セリオはさらに困惑の様子を強めている。
「マルチさんが、今日運用テストを終えられるのは、前から決められていたことですから」
「ふ〜ん…」
セリオの言葉を聞いても、霧島はあまり表情を変えない。
「マルチは、このあとどうなるんだ?」
「この運用期間中のデータは研究所のコンピューターに保存されます」
「まぁ、そうだろうな。再び、その『マルチ』が出てくる、ってことは…」
「ないでしょうね」
立場によってはずいぶんと残酷な会話にも見えなくはないが、お互い極めて淡々と言葉を交わしている。やがて向こうからくるバスの音、しかしマルチはまだ来ない。
「そろそろバスが来てしまうのですが」
「ああ、そうか。でも、マルチもまだ来てねぇし、もし良かったら俺の戯言にもう少し付き合っちゃくれねぇか?」
といってセリオの目を見た霧島の表情は、普段ではそうそうお目にかかれないような真剣かつ迫力のあるものだった。
「…そうですね。まだマルチさんも来ていませんし、いいでしょう」
「すまんな」
軽く頭を下げた霧島のかたわらにバスが滑り込み、やがて人を飲みこんで二人を残し、排ガスの残り香を置き土産に去っていった。なおも続く奇妙な会話。
「セリオ自身も、あと二週間だっけ?」
「そうですね」
霧島の一言で、セリオも察する事は出来たらしい。霧島も、容赦しない。
「と言う事は」
「と言う事ですね」
語られる言葉の少なさ、軽さと裏腹の重い内容。
「それでいいのか?」
今度はこのような問がくることもある程度予測していたのか、前のような困惑の様子は全くない。
「あらかじめ決められていたことですから」
「淡々としたものだな」
「そうですか?」
「それは、いわばおめぇらの『死』か?」
「『死』ではないでしょうね。データという形ではあるにせよ、コンピューターの中では存在しつづけるわけですし」
「ふむ…」
「それに、私たちのデータというのは、もちろん後々の量産型への貴重なデータとして役立てられます。そのための、私たちの運用試験であり、また、それが私たちの存在理由とも言えます」
「さめてるな」
「よく分かりません」
「………そうか…すまなかったな、長々と付き合わせて」
「いえ、それは構いませんが、筑紫さんをお待ちにはならないのですか?」
「…いや、いいわ」
「そうですか。では」
淡々と進んだ会話。心なのか、ココロなのか。
(……何をやってるんだ、俺は…)
自分の気持ちの整理も出来ない霧島。彼自身、なぜセリオとあんな会話をしたのか、しようとしたのか分からない……。

「帰ってきませんね」
「今日はいいじゃないか」
一方、二人が帰るべき「家」での会話、問うた研究員、安芸の方は少々落ちつかない様子だが、長瀬は平然としたものである。
「主任」「なんだね?」
「本当にマルチとセリオのシステムは同じものなんですか?」
「違うものに見えるかい?」
「あれだけ性格が違いますし…」
前から気になっていた疑問を口にした安芸。そう、長瀬は2人のシステムは同じだ、と説明していたのである。
「ふむ…」
しばらく安芸を値踏みするように眺めていた長瀬だが、やがて一人で軽くうなずき
「まぁ、立ち話もなんだ。向こうでコーヒーでも飲みながら話そうじゃないか」
と、場所を休憩所の方に移した。

「さて、君はマルチとセリオ、どちらの方がより人間に近いと思う?」
開口一番、逆に安芸に質問をした長瀬。いきなり問われた安芸は戸惑いながらもとりあえず答えた。
「え?それはどう見てもマルチだと思いますが…」
予想通りの答え、という感じで軽くうなずき、先を続ける長瀬。
「それはそうだろうね。まさに、そういう風に創ったのだから」
「え?」
予想外の長瀬の言葉に面食らう安芸。そんな安芸の反応を見ながら、コーヒーをすすり、長瀬は先を続けた。
「マルチは、そう、いわば『こうされたらこう反応する』というプログラムをあらかじめかなりの数設定してある。無論、学習機能があるからそれがすべてではないけどね。だから、マルチがあれだけ表情豊かなのは、まぁ、当然といえば当然なんだ」
「はぁ…」
「ここまでいえば、マルチとセリオの、もっとも大きな違いというのは、君にも分かるんじゃないかい?」
「セリオは…いわば赤ん坊、ということですか?」
「ふむ、赤ん坊…そういう言い方もあるかな。でも、私はむしろマルチは完成形、セリオは可能性、といいたいね」
「可能性、ですか…」
「そう。ある意味、本当に機械に心が宿るのか、その可能性そのもの、と言えるんじゃないかな…セリオは」
そう言った長瀬の目は、科学者・技術者というよりも父親のような目だった。
「……機械に、心は宿るんでしょうか」
「我々が宿らせるんじゃないさ。確かに、基本プログラムは私が設計した。だが、私がやったのは、そこまでだ。生は与えたかもしれない。だが、そこから先は、彼女たち自身が、自ら培うものだ。特にセリオは、そうだね」
「なるほど…」
「どうだい?答えは、見つかったかい?」
カップに残ったコーヒーを飲み干し、立ち上がりながら長瀬が聞くと
「最後にひとつだけ…主任にとってマルチはセリオは…その…、何ですか?」
と安芸が聞いた。長瀬は、何の戸惑いもなく、一言、
「娘、だね」
と、答えた。


第6章 霧島の時
「人間の能力は知れている。それなら、より賢い人工知能に未来を任せたほうが賢明だよ」
この言葉を、真っ向から否定できるだろうか。


 出会いがあれば別れがある。ささやかな邂逅の後の月曜日の放課後、筑紫は掃除用具入れの前にたたずんでいた。
「今日は掃除はしねえのか?」
マルチと筑紫が一緒に帰るようになってからはほとんど自分から話しかけることはなかった霧島だが、さすがにそのときの筑紫の様子は霧島に声をかけさせるに十分なものだった。
「昨日、マルチがうちに来たよ」
「『今生のわかれ』ってか?」
「あいつ、掃除以外はからっきしだめでさ…ミートスパゲティーがミートせんべいになっちまってたよ…」
霧島がいるのに気づいていないような、ほとんど独り言のように話す筑紫を見て、さしもの霧島も少しまじめな表情になった。
「明大…おめぇ、マジでマルチことを…」
「何のために生まれてきたんだろうな」
初めて霧島のほうを向いて、いきなり筑紫が聞いた。
「え?」
「正直なところあれじゃぁ『メイドロボ』としては使い物にはならんよ…。んなことは創った連中だって百も承知だろう…だったら、なぜ…たった10日間の命なんて、不憫なだけじゃねぇか…」
「…」
「結婚はできるかどうかわからない。でも、これだけは言える…。友達にはなれるよ」 「それじゃねぇか?」
しばらく話を聞いていた霧島が、やおら口を開いた。その表情は、いつになくまじめだ。
「え?」
霧島が言った事が理解できなかった筑紫は虚をつかれたような表情だ。
「マルチのレゾンデートルさ。おめぇがマルチのレゾンデートル…それじゃぁダメか?」
霧島の実に気障ったらしい言いまわしを聞いて、筑紫の顔に浮かんだのは苦笑いだった。
「…義隆、お前、かっこつけすぎ」
「ふむ。俺も言っててこっ恥ずかしいわ」
「だったら言うなよ」
「誰が言わせたんだよ」
「別に俺は言えといった覚えはねぇぞ?」
「そりゃそうだ」
「は、はは…」「ふっ」
ようやく少しなごんだ筑紫の表情、それを見た霧島も、表情を和らげた。
「で、どうすんだ?今日も掃除して帰んのか?」
「して帰ると思うか?」
「もちろん、勤勉なる筑紫青年は校内美化に励んだ後に帰宅すると小生は考えますが?」
「あほたれ」
おちゃらけた霧島の言葉に筑紫もようやく普段の調子が戻ってきた。
「じゃ、帰るとしますか」
「ったく、色気がねぇなぁ」
「麗しき友情、といってくれ」
「へぇへぇ」

「あ、俺、ちょい用事があるからここまで」
帰り道、大通りとの交差点で、不意に立ち止まって霧島が言った。
「お?ん、そっか、わかった。今日はありがとな」
「ま、一応友達だしな」
「んだよ、その一応ってのは」
「はは、気にするな。じゃな」
「おう、また明日な」
筑紫と別れた霧島が向かったのは、ある意味皮肉にも、そう、バス停だった。無論、霧島がバスに乗るわけではない。
(レゾンデートル、か…阿呆か、俺は)
バス停で人待ち顔でたたずむ霧島。
(で、同情か?友情?それとも恋愛か?いや、それとも好奇心か?)
その前を人が、車が通りすぎて行く。やがて、向こうからきた一人の人影、その人影に霧島は自虐的な笑みを顔に張りつけながら声をかけた。
「よぉ、セリオ」
「こんにちわ、霧島さん」
そういうセリオの表情は、普段どおりにも見えるし、うれしそうにも見える。
「今日は、どうしたのですか?」
「ああ、マルチが運用テストを終えて、どうしてるかな、と思ってさ」
「どう、とおっしゃいますと?」
「いや、寂しいとか、ないのか?」
「寂しい……」
霧島の言葉を聞いて、少しセリオの表情が変わった。その表情は、悲しげ、というよりはむしろ戸惑い、といったほうがいいような表情だった。
「よくわかりません…」
「そうか…セリオは学校では友達とか、いるのか?」
「友達、ですか?」
またも戸惑い気味のセリオ。そんなセリオの様子を見て、霧島はふっと寂しげな笑いを浮かべた。
「いや、いい。…すまなかったな、変なことを聞いて」
「いえ、かまいません」
「いつもこの時間だな。学校終わってからすぐにこっちに来てるのか?」
「いえ、放課後も色々と。掃除などをしてから研究所に帰ります」
「だよな…でなきゃこの時間にはならんわな…」
なんとなく会話がないまま、短いランデブーの時間も終わる。
「じゃぁな、セリオ」
「はい」
バスに乗り込むセリオだが、不意に霧島の方を振りかえった。
「霧島さん」「ん?」
声をかけられるとは思っていなかった霧島は、驚いた表情を隠せなかった。しかしセリオは結局、
「いえ、何でもないです」
といってバスの中に吸い込まれていった。

「友達、とはなんでしょう」
メンテナンス中に、セリオの口から出てきた言葉に驚きを隠せない様子の一同だったが、そんな中、長瀬は少し考えて
「セリオは、どう思う?」
と、いつもの調子だ。
「親しい人…でしょうか」
「『友達』という言葉の『意味』を知っても、何も意味がないんだよ。もちろん、そこにある辞書を引けば『友達』という言葉の意味は出てくるだろう。けど、セリオが知りたいのは、そんなことではないだろう?」
「…よく、わかりません」
長瀬の、淡々とした口調にやはりセリオは複雑な表情をしたままだ。
「そうか。でも、セリオにはいるのかな、この人と話していると、楽しいとか、うれしいと思える人が」
「……」
「そういう感情を持つことが、まず第一歩だよ」

(「友達にはなれる」、か…)
ベッドに寝転がり、自分の部屋の天井を見つめながら霧島は筑紫の言葉を反芻していた。霧島自身、自分の気持ちが分からなくなっている。そも彼自身は機械に心はいらないと考えていたのであり、その考えからするに今の、自分自身の考えというのはその考えとはまったく相反するものへと変わりつつあるようにも思えたからだ。特に、霧島の心に引っかかっているのはセリオの、別れ際の行動であった。
(何を言おうとしてたんだろうか…)
セリオの、そのしぐさに霧島は「心」の断片とでもいえるものを感じ取っていた。そして、その霧島の感じ取っていたもの、というのがまさに彼自身の葛藤の原因だったのである。
(あと2週間、か…)
壁にかけてあるカレンダーを一睨みした後、立ち上がった霧島はペンを取り、来るべき「その日」に丸をつけ、そこに「最後の審判」と書き込んでいた。


終章へのプロローグ

 それからの霧島は、表面上は以前の筑紫だった。相手がセリオに変わり、場所がバス停に変わっていたが。しかし、その時の筑紫とは違い、嬉しそうな様子はなかった。
「じゃぁ、俺はここで」
「ん、おめぇなぁ、デートに行くんならもうちぃっとは嬉しそうな顔すれや」
「うるせぇ、余計なお世話だ」
無論、筑紫は霧島がセリオに逢いに行っていることくらい勘付いている。それでも、霧島がなぜセリオに逢いに行ってるのかがわかっているので決してついて行ったりはしない。せいぜい、軽口をたたく程度だ。そんな筑紫の心遣いに友情をかみ締めつつ、セリオとの邂逅を重ねる霧島であった。
「こんにちわ」「ああ」
他方のセリオは、以前よりも明らかに表情が柔らかくなっていた。この変化をもたらしたのは言うまでもなく霧島の存在であり、皮肉にも霧島の「信念」が、セリオに「心」を宿らせたようにみえ、霧島自身の心も変えつつあった。二人が毎日逢って話すことといえば本当にたわいもない日常の些事等だが、その二人の姿は、端から見ていると「恋人同士」のそれであった。
「最近、セリオの表情が明るくなった気がするんですが…」
「そうだね。私もそう思うよ」
「心が宿った、ということでしょうか」
「……」
当然研究所内でもセリオの変化というのは話題に上っていた。そんな中「セリオの父」である長瀬の表情は、何か割り切れないものを感じているようなものであった。
 色々な想いが錯綜する中、約束のときが刻一刻と近づいてくる…。


終章 別離の時
「機械に人間の代わりなんて、できやしない」
我々が機械に求めているのは、一体何なのか…。


「では長瀬主任、行ってきます」
「ああ、いっておいで」
「…今日、遅くなってもいいですか?」
「…ああ、構わないよ」
その日は朝から雨だった。最期の登校日、セリオの最初で最後の「わがまま」に少し驚いた様子の長瀬であったが、かすかに微笑んで「娘」を送り出した。
「…主任」「ああ、安芸君」
その様子を後ろから見ていた安芸だが、セリオが出て行ったのを見で長瀬に声をかけた
。 「変わりましたね。成長したんでしょうか」
「…そうだな」
「あまりうれしそうにみえないのは気のせいですか?」
「ちょっと、付き合ってくれないか」
安芸の問いかけに、珍しく長瀬は歯切れが悪く、即答はせずに何かを考えている様子だった。最期の日が、動き出す。

「今日か」「ああ」
その日は朝から雨だった。朝、ぼんやりと教室から外を眺めていた霧島に筑紫が声をかけた。
「放課後の予定は?」
「ついてくるか?」
「人の、それも最期のデートに首突っ込むほど野暮じゃねぇよ」
「デート、か…」
空を見上げながら、霧島は言葉を続けた。
「わからん」
「何が」
「色々」
「そんなもんだ」
「そんなもんか…」
雨の音に、チャイムが混じる。その音を聞いて、筑紫は霧島の肩を一つたたいて自分の席に戻った。
「そんなもの、か……」
雨に煙る校庭を見るとはなしに見つつ同じ言葉を繰り返した霧島も、一つ空を見上げて自分の席についた。最期の日が、動き出す。

研究所の中庭を望む喫煙所で落ちてゆく雨を眺めながら長瀬はつぶやいた。
「雨、か」
「涙雨、ですか?」
あくまで冷静な安芸に、苦笑いの長瀬。
「安芸君、君は少々意地の悪い男だね」
「す、すいません」
「いや、すまんすまん、こっちも困らせるつもりはなかったんだ」
そのまま、なんとなく黙り込んでしまった二人の間の空気を先に破ったのは安芸の方だった。
「心は…宿ったと思いますか?」
「予想以上、というのが正直な感想かな。セリオは、良き『友達』を持ったようだ」
「『神の領域』に踏み込んだ、と思いませんか?」
「それは、思い上がりだよ」
「私は…セリオたちの存在自体が『思い上がり』だと思います」
安芸の遠慮のない言葉に長瀬も少し驚いた様子だ。なおも続ける安芸。
「私は、この研究を通じて、『機械に心は宿らない』という結果を見届けるつもりでやってきました。無論、だからといって研究の手に加減を加えるようなことはしていません」
「ふむ」
「でも…」
雨に煙る中庭に視線を送りつつ、安芸は続けた。
「私の…負けですね」
「……」
「主任は何を思って、セリオやマルチに『ココロ』を与えたのですか」
安芸の問いかけにしばらく口を開かなかった長瀬だが、やがて出てきた言葉にははっきりとした意思が込められていた。
「夢、を見たかったのかな」
「夢、ですか…」
長瀬の言葉に、少し顔を曇らせた安芸。
「そう、別に私だけが見たかったわけじゃない。無論、私とて夢を見たかった。でも、何よりも、みんなで夢を見たかったんだ」
「みんな、ですか……」
「そう、私も、他の人々も、そして、マルチやセリオ達自身にも」
静寂の中、雨の音だけが単調なリズムを刻む。それをBGMに重い雰囲気が漂い始めた頃、何かを決意したように安芸が口を開いた。
「…私には、その夢は人類にとっては悪夢に思えます…。ただでさえ人間同士の係わり合いが希薄になってしまった世の中に自分に忠実なメイドロボットなんかが普及したら…この世の中は、人間はどうなってしまうんでしょう…」
再び訪れたBGMのみの静寂。だが、雰囲気は明らかにさっきよりも重くなっていた。そんな中、一言一言かみ締めるように、長瀬は言葉をつむいだ。
「確かに、そうかもしれない。いつの世でも、科学に罪はないが使う人間には罪がある、ということは多いからね。ただ、それでも私は、マルチやセリオを創りたかった。そう、夢を見たかった、と言うよりも、彼女達に夢を見せたかったのかもしれない」
そう言った長瀬の目は、どこまでも優しく、やはり科学者と言うよりも父性を感じさせるまなざしだった。
「そう、ですか…」
そんな雰囲気の中、安芸の口からも、決意の言葉が出てきた。
「完全に、負けです。私がここにいる意味もなくなりました。本日を持って、私当研究所を辞職させていただきます」
一瞬驚きの表情を禁じえなかった長瀬だが、安芸の決意を悟ってかあえて引き止めようとはしなかった。
「そうか…残念だよ…これからどうするつもりだい」
「そうですね…どこか静かなところで、これからの社会を見守っていきたいです…。この、メイドロボ達を、この社会がどう受けとめていくのか、それを……」
「きっと、君が心配しているような事態には、ならないよ」
「そう、願いたいですね…」
雨、いまだ降り止まず。

普段なら怠惰なる空間からの解放を意味するチャイムを、霧島はしかし今日ばかりは複雑な思いで聞いていた。
「行ってこいや」
なかなか席を立とうとせず、憂鬱な表情で雨を眺めている霧島の背中を一つ叩いて筑紫が言った。
「おめぇもこねぇか?」
珍しく少し弱気な顔を見せた霧島に、筑紫は今度は頭を軽くはたいて
「そりゃ、おめぇのしなきゃならんことだ。おめぇも判ってっだろうが。とっとと行け」
と、笑いながら言うだけだ。それでも霧島は立とうとしない。
「俺は…何をやってんだ…」
そんな、友の煮え切らない様子を見て、筑紫は少し真面目な表情になって言葉をつないだ。
「優柔不断でうだってる」
「どーしたんだよ、いつものおめぇらしくもねぇ。ちゃかちゃか行ってこいっての」
「俺は…セリオに気の毒な事をしたんじゃねぇだろうか…」
霧島のそんな台詞に、ちょっと眉を吊り上げた筑紫。
「ぁん?」
「俺のせいで、この世に未練が残っちまったりしたら…」
「アホたれ、なにを自惚れとるんじゃ、おまえは。第一、そんな事思うくらいならハナっからセリオにちょっかいかけるなよ」
「それは…」
「それに俺は、今ここでお前が行かない方がよほどかセリオにとって『気の毒』だと思うぞ。最期の日なんだから」
「ああ…」
「結局、お前自身が傷つきたくないだけだろ。それくらい、おめぇにも判ってんじゃねぇのか?」
筑紫の、聞きようによってはかなり強烈な一言だが、それでようやく霧島も踏ん切りがついたようだ。
「そうだな…」
「すっきりしたか」
「ああ、すまんな」
「気にすんな。美しき友情だ」
筑紫の軽口に、ようやく霧島は腰を上げ、軽く笑いながら筑紫の頭を小突いた。
「吠えてろ。じゃ、俺は行くわ」
「おう、じゃぁな」
その霧島の背中を見やりながら筑紫はぽつりと一人ごちた。
「レンゾンデートル、か…」
雨、いまだ降り止まず。

 はじめてセリオと会った場所、そのときは反発しか感じてなかった。筑紫に振りまわされるような格好で「彼女」達との時間を重ねていった。やがてその時間が霧島の何かを変えてゆき、そうして今、その邂逅の場にセリオを待つ霧島の姿があった。
「よぉ」
「こんにちわ、霧島さん」
どっちが消える立場なのかわからないような複雑な顔の霧島に対して、セリオの方はそのような悲壮さは感じられない。
「いよいよ、今日が最期だな…」
「はい。…今日は、最後の日と言う事で、多少遅くなってもいい、との許しを得ているので…もしよろしかったら、この後少し付き合っていただけませんか」
セリオの方から言い出してきて、一瞬虚をつかれた霧島だが、もとよりそのつもりだった霧島に異存があろうはずもない。
「あ、ああ、俺もそのつもりだったから」
「ありがとうございます」
すっかりセリオのペースに飲まれてる霧島だが、とりあえずはリードしようと懸命だ。
「で、どこに行く?」
「あの、マルチさんとお二人が桜を見に行った公園に…。それと、一つお願いしてもいいですか?」
「ん、ああ、俺に出来る事なら」
いつになく積極的なセリオの口から出てきた言葉は、さらに霧島を驚愕せしめるに足る言葉だった。
「その…相合傘、してくださいませんか…」
「……は?」
突拍子もない「お願い」に一瞬詰まった霧島。その戸惑いを否定と取ったかセリオは
「やはり駄目でしょうか…」
と、少し淋しげにうつむいた。そんな、極めて「人間らしい」反応に戸惑いながらも、霧島は慌てて
「い、いや、俺はかまわんが…濡れても知らないぞ」
と、取り繕う。その反応を見て、セリオは少し嬉しそうにしながら
「私は、かまいません…ご迷惑でなければ…」
と、やはり遠慮がちだ。そんなセリオの様子に、内心柄にもなくどきどきしながらも、なんとか平静を保とうとしながら霧島は体の中心を傘からずらしながら返事をする。
「ああ、それなら…入りな」
その脇に、己の傘をたたみながらセリオは自分の体を滑り込ませた。肩が触れ合った瞬間、一瞬震えたのは霧島の肩だった。緊張してか、どこか硬い表情の霧島と、対照的に穏やかな「笑顔」を浮かべているセリオ。
「ありがとうございます」
その表情そのままの、穏やかな口調で礼を言うセリオに、霧島もようやく少し表情を緩め、
「ああ、じゃぁ、行こうか」
と、歩き出した。こうして、「最後のデート」の第一歩が踏み出された、同じ傘の下で。

 4人がそろって同じ公園に来たときはまだ桜も残っていて天気もよかったが、今日、最期の日は、陳腐な言い方ではあるが「天も涙したかのような」雨であった。もちろん、桜の木はすでに葉桜である。
「あいにくの天気だなぁ…」
「仕方ないです。今日の降水確率は70%を越えていましたから」
「いや、まぁ…」
セリオの「セリオらしい」言葉に苦笑いしながら霧島は言葉を続けた。
「明大とマルチと一緒にここに来た時はまだ桜が残ってたんだが…さすがにこの時期じゃ残ってるわけねぇもんな…」
「…桜は、散るからこそ美しい、のでしょうか…」
セリオの唐突な言葉に思わず言葉に詰まりセリオの方を凝視する霧島。その視線の先には少し寂しげな笑みを浮かべたセリオがいた。
「…見たかったです、桜…」
「…ああ……その、もう、見る機会は…本当に……」
「はい、おそらくないでしょう。私のメモリーは、今日を持ってこの『肉体』をはなれ、来栖川エレクトロニクスのホストコンピューターに移されますから」
「そうか…」
「はじめから決まっていた事ですから。私は、そして、マルチさんも、はじめからそのために生まれてきたのですから」
言葉尻だけを捕らえたら悲壮とも取れる発言だが、発言した本人の表情はいたって穏やかだ。むしろ、それを聞いている霧島の表情の方が冴えない。
「でも、それじゃあまりにも残酷じゃ…はじめっから1週間とか、3週間とかの命なんて…」
「そうでしょうか。桜と同じく、形あるもの、いつかは滅びるものです。それは、霧島さんご自身もそうでしょう。それが、私の場合ははじめから3週間と運命付けられていた、ただそれだけのことです」
「セリオ…」
「それに、短い間でしたが、開発スタッフの皆さん、マルチさん、学校の方々、そして、筑紫さん…霧島さんにお会いできましたし。私は、それだけで満足です」
心底からそう思ってるとわかるセリオの、そんな言葉を聞きながら、ようやく霧島も表情を和らげた。
「そうか。そこまで言うんだったら、俺からはなにも言う事はねぇな。俺も…その…」
少し照れながら、それでもセリオの方を見てはっきりと、
「俺も、セリオと逢えてうれしかったよ」
と、セリオに告げた。
「…ありがとう、ございます」
「…そうだ、俺の出来ることでかなえてやれる事があったらいってくれ。その、最後だし、な」
そうすると、セリオは少し照れたような表情を浮かべ俯き気味になりながら、それでもはっきりとこう言った。
「じゃあ…抱きしめて、下さい。最後に」
霧島の頭は、これ以上ないと言うくらいに空転していたが、それでもなんとか
「あ、ああ」
とうなずきつつ、おずおずと手をセリオの背中に回していった。大事なものを扱うようにそっと、だが少しずつその腕に力をこめていく霧島。その手から傘が離れ、地面に落ちる。セリオも霧島の背中に腕を回し、顔を「彼」の胸にうずめている。雨に打たれながらもそうしてお互いを感じていた二人の、顔がお互いの見つめ合うのに、さほど時間を要しなかった。二人の、最初で最後のキスは…冷たかった………


「セリオ、3週間、本当にご苦労様」
「ありがとうございます、長瀬主任…」
やがて薄れゆく意識とともに、セリオの目から零れ落ちた雫はセリオの「こころ」、そのものだったのか。



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