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かつて「海峡の女王」と呼ばれ旅情豊かな船旅を提供してくれた 青函連絡船。1988年3月に青函連絡船の定期運行が廃止され、 その後第二の人生を歩むもの、あるいはスクラップに なったもの、 外国で活躍するものと、さまざまですが、ここでは、現役時代の 写真を織り交ぜながら「海峡の女王」だった彼女達の今の姿を 辿っていきたいと思います。 また、津軽丸型は船齢が既に40年 近くになる船の為、海外に渡った船も今後 そう遠くないうちに廃船 になるものと思われます。
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津軽丸型【客載車両渡船】
津軽丸
八甲田丸
松前丸
大雪丸
摩周丸
羊蹄丸
十和田丸
渡島丸型【車両運搬渡船】
檜山丸
石狩丸
空知丸
渡島丸
日高丸
十勝丸
−−−戦後の女王達【暫定版】−−−
H型/W型
第11青函丸 第12青函丸 石狩丸(初代) 十勝丸(初代) 渡島丸(初代) 北見丸 日高丸(初代)
S型(洞爺丸型)
洞爺丸 羊蹄丸(初代) 摩周丸(初代) 大雪丸(初代)
旧十和田丸・檜山丸・石狩丸型
十和田丸(初代)−石狩丸(2代) 檜山丸(初代) 空知丸(初代)
***** 津軽丸 型*****
シンボルマーク | 津軽のりんご |
就航 | 1964年 5月10日 |
終航 | 1982年 3月4日(耐用年数切れ) |
旅客定員 | (グリーン)296名(普通)824名(寝台)20名 |
船体色 | ダークグレー |
総トン数 | 5318.59トン |
後部マスト色 | 黒・シルバー |
建造所 | 浦賀造船所 |
レーダーマスト船名識別表示 | T |
終航後、現在までの状況 | 1982年に青函航路を引退し、その後、5回目 の入札で東京の「大久保商店」が8358万5千円で落札し 翌年3月に北朝鮮に売却される。その際、防衛庁が 、北朝鮮による津軽丸の軍事転用を危惧したのだが 杞憂に終わったようで、その後「ハクキョン ナムロ」→「ヘ・ヨン HAE YON」と名前を変える。 主に元山港を母港に貨物船として運行されていたようだが、1987年にサウジアラビア の実業家が経営する船舶会社に引き取られ「アル・ジャワヘル AL JAWAHER(宝石)」と船名を変える。 1988年にスエズ運河で、その翌年には、サウジアラビアのジッダ港にてその姿を発見され日本でも報道される 。 エジプト(スエズ)ーサウジアラビア(ジェッダ)ースーダン(ポートスーダン)の定期カーフェリー航路として活躍し、 イスラム教徒の巡礼期にはスエズ運河を通り抜けて地中海へ出て北アフリカ・リビアのトリポリ(Toripoli)−サウジアラビア のジッダ(Jiddah)間の回教徒巡礼船と して運航されていたが、1996年春に運航主の税金滞納によりエジプト政府により 差し押さえられ運航休止の憂き目に遭う。 1998年5月21日には係留中の船上で火災が発生。操舵室と船員室が被災。 同年12月14日、スエズにて解体。 こうして津軽海峡の女王として生まれた彼女は中東の片隅で34年間の歴史を閉じた。 彼女の形見である函館桟橋跡地の「津軽丸」の錨は本物であり売却の際に津軽丸は別の錨をつけて北朝鮮に渡っている。 |
シンボルマーク | 八甲田山系と水蓮沼 |
就航 | 1964年 8月12日 |
終航 | 1988年 3月13日 |
旅客定員 | (グリーン)296名(普通)824名(寝台)20名 |
船体色 | イエロー |
総トン数 | 5382.65トン |
後部マスト色 | ホワイト |
建造所 | 三菱神戸造船所 |
レーダーマスト船名識別表示 | H |
終航後、現在までの状況 | 終航後、青函博青森会場で展示館として活躍した後、 「青森ウォーターフロント開発」に8000万円で 買い取られ、内部改装を施された後1990年7月に 「メモリアルシップ八甲田丸」として、旧青森桟橋 跡地に係留され資料館としてオープンした。 |
シンボルマーク | 桜の松前城 |
就航 | 1964年 12月1日 |
終航 | 1982年 11月12日 (耐用年数切れ) |
旅客定員 | (グリーン)296名(普通)824名(寝台)20名 |
船体色 | ライトグリーン |
総トン数 | 5376.32トン |
後部マスト色 | 黒・シルバー |
建造所 | 函館どつく |
レーダーマスト船名識別表示 | M |
終航後、現在までの状況 | 多くの青函連絡船にいえることだが、 この船も売却まで何回も入札を繰り返したもののなかなか 買い手が付かず、ようやく83年11月の6回目入札で不動産業「青梅」に8310万円 で落札され、 レジャー船として活躍するはずだったのだが、翌年4月24日に北朝鮮へ転売され、その翌日 北朝鮮・元山へ向け函館を去った。 その後、数年ほど元山港に係留されてるのが確認されていたが、後にスクラップになった模様。 |
シンボルマーク | 大雪山のヒグマ |
就航 | 1965年5月16日 |
終航 | 1988年1月 6日(検査期限により一足先に廃船) |
旅客定員 | (グリーン)296名(普通)824名(寝台)20名 |
船体色 | ダークグリーン |
総トン数 | 5375.99トン |
後部マスト色 | 黒・ホワイト |
建造所 | 三菱横浜造船所 |
レーダーマスト船名識別表示 | TA |
終航後、現在までの状況 | この船は、札幌オリンピックの時の聖火輸送船 (1972/2/20)であり、シージャックにも遭っている。 一足先に引退した大雪丸は、「(株)東京ホテルシップ」に1億2000万円で買い取られ、浦安沖で 海上ホテルとして活躍するはずであった。しかし計画は頓挫し、長い間横浜のNKK埠頭に係留 され続けた。その後ハヤシ・マリン・カンパニー(以下HMC)に転売され大改造の上、長崎港内で ホテルシップ「VICTORIA」として1996年オープンしたが、HMCは2003年7月31日に倒産。 外資系ホテルグループに売却されてVICTORIAの営業は継続されたが2005年12月に廃業。 2008年5月2日に中国の業者に売約されて中国・福建省へと旅立っていった。 |
シンボルマーク | 摩周湖 |
就航 | 1965年 6月30日 |
終航 | 1988年 3月13日 |
旅客定員 | (グリーン)296名(普通)824名(寝台)20名 |
船体色 | ネイビーブルー(濃い青) |
総トン数 | 5374.85トン |
後部マスト色 | ホワイト(ベージュに近い色) |
建造所 | 三菱神戸造船所 |
レーダーマスト船名識別表示 | Ms |
終航後、現在までの状況 | 終航後、青函博の函館会場で展示館として活躍した後、JR北海道と函館市の第3セクター である 「函館シーポートプラザ」が買い取り、旧函館若松桟橋で 「メモリアルシップ・摩周丸」 として公開係留された。【 函館ドックから曳航される摩周丸 】 2002年に函館市に売却され、2003年4月から展示船として再オープン。 |
シンボルマーク | 後志羊蹄山 |
就航 | 1965年8月 5日 |
終航 | 1988年9月18日(青函博暫定運行) |
旅客定員 | (グリーン)296名(普通)824名(寝台)20名 |
船体色 | えんじ |
総トン数 | 5375.93トン |
後部マスト色 | 黒・シルバー |
建造所 | 日立桜島工場 |
レーダーマスト船名識別表示 | なし |
終航後、現在までの状況 | 東京の「船の科学館」に売却される。その後大改造を施され1992年夏にイタリア・ジェノヴァでの 「国際船と海の博覧会」にフローティング・パビリオン(日本館)として出展し活躍した。帰国後は 東京・お台場の「船の科学館」 で南極観測船「宗谷」と共に係留され、展示船として第二の人生 を歩んでいる。 2003年暮れには船体色を現役当時の塗色に復活。 |
シンボルマーク | 十和田湖 |
就航 | 1966年11月 1日 |
終航 | 1988年 9月18日 (青函博暫定運行による終航延長) |
旅客定員 | (グリーン)296名(普通)824名(寝台)20名 |
船体色 | オレンジ |
総トン数 | 5382.65トン |
後部マスト色 | 黒・シルバー |
建造所 | 浦賀造船所 |
レーダーマスト船名識別表示 | To |
終航後、現在までの状況 | 津軽丸型で唯一スタビライザーを装備した船だったことも幸いし、現役時代から航路外運航に 使われ東京、仙台、秋田、稚内、北方領土などのイベント運航に活躍した。終航後は国内クル ーズ船 「ジャパニーズドリーム」 として20億円をかけ改装され、第二の人生を切った。その後 全国各地の港に寄港し、1991年6月には、函館、青森に寄港し、大いなる歓迎を受けたが、 1992年1月の運航を最後に佐世保沖に係留。 1995年に米国資本のホテル会社に売却され、フィリピン・マクタン島で、シップホテル 「 フィリピンドリーム 」として活躍していたが、後に営業休止。 2007年頃にはマクタン島沖合に放置されており、2008年夏にバングラデシュの解体場へ移送。 既に解体されたものと思われる。 |
シンボルマーク | 江差のかもめ |
就航 | 1976年 8月 |
改造 | 1982年 10月(客室新設) |
終航 | 1988年 3月 |
旅客定員 | (改造後)/(グリーン)***名(普通)650名(寝台)***名 |
船体色 | 赤 |
総トン数 | 新造時・4107.96トン/改造後・4959トン |
後部マスト色 | ホワイト |
建造所 | 三菱下関造船所 |
レーダーマスト船名識別表示 | HY |
終航後、現在までの状況 | 1988年8月に(財)少年の船協会に買い取られ、由良にて改造の後、青少年のための研修船 「21世紀号」として1989年3月より活躍。その後、1992年より由良港に係留、後に三井造船 玉野に21世紀号のまま売却待ちのまま係留されていたが、1999年5月に韓国の海運 会社に売却が決まり、釜山を母港とするカーフェリーになる予定であったがシンガポールの会社に 売却。「RISING STAR Ⅲ」と改名。 後にインドネシアでカーフェリー「Mandiri Nusantara」として活躍。 2003年9月26日に台湾の貨物船と衝突し大破するも航路復帰。 |
シンボルマーク | 石狩の鮭 |
就航 | 1977年 5月 6日 |
改造 | 1982年 4月 1日(客室新設) |
終航 | 1988年 3月13日 |
旅客定員 | (改造後)/(普通)650名 |
船体色 | 赤 |
総トン数 | 新造時・4105.62トン/改造後・4966トン |
後部マスト色 | ホワイト |
建造所 | 日立向島工場 |
レーダーマスト 船名識別表示 | I |
終航後、 現在までの状況 | 終航後、1988年7月1日から8月17日までまで北海道の広尾での十勝博にて簡易宿泊施設、海上レストランとして係留される。 その後大阪の「酒本商事」に4億円で買い取られ、 関空工事の作業員宿泊施設として使われる予定であったが計画は頓挫。 後に香港のバイヤーに買い取られ、「レディー・テリー(LADY TERRY)」と船名を変え、キプロスの船会社に転売。 1989年11月29日、香港からキプロスのリマソールまで回航される。 地中海クル ーズ船として活躍する予定であったが、1990年にギリシャの船会社「 POSEIDON LINES 」に転売され、 「ラシティ(LASITHI)」と改名。 同年8月、カーフェリーにするためギリシャのペラマ(Perama)に回航され改造工事を施される。 1992年、「シーハーモニー II (SEA HARMONY Ⅱ)」と船名変更。 ピレウス(ギリシャ)−ロードス(ギリシャ)−リマソール(キプロス)間の地中海航路でカーフェリーとして活躍。 1998年にはイスラエルのハイファまで航路延長。 2001年5月に「OLYMNPIA I」と船名変更。 2002年12月、ポセイドンラインの航路休止に伴いリマソールに係留。 その後、アルジェリアのCNANにチャーターされ「アリエル(ARIELLE)」に船名変更。 2003年6月より、アルへシラス(スペイン)-チュニス(チュニジア)間に就航。 2003年10月14日より、バルセロナ(スペイン)−パルマ(スペイン領マリョルカ島)−アルジェ(アルジェリア)航路に就航。 2004年1月〜3月ギリシャのKeratsini港にて係留。 2004年4月2日からMED LINE(ルーマニア)のコンスタンツァ(ルーマニア)−イスタンブール(トルコ)−ボロス(ギリシャ)航路に就航。 2004年5月21日からFAST FERRY(ルーマニア)にチャーター。コンスタンツァ−イスタンブール航路に就航。 2004年7月にHellenic Mediterranean Lines(HML)にチャーター。(7/14-9/6) 2005年サウジアラビアのジェッダにあるALFASSEL SHIPPINGに紅海航路フェリーとしてチャーターされる。 2006年3月,解体のためインドへ向かう。 2006年6月インド・グジャラータ州アランの船舶解体場にてスクラップになり29年の歴史に幕を閉じた。 |
シンボルマーク | すずらん |
就航 | 1976年 4月 5日 |
終航 | 1988年 3月12日(貨物取扱切替により終航) |
船体色 | 赤(マゼンタに近い明るい色・国鉄資料ではライトピンク。) |
総トン数 | 4123.60トン |
後部マスト色 | 黒・ホワイト |
建造所 | 函館ドッグ |
レーダーマスト船名識別表示 | S |
終航後、現在までの状況 | 当初、尾道の業者が中国航路用に購入を予定したものの、資金繰りがつかず断念。その後の公開落札で 相模原市の業者がコンテナ船として使うために結局落札したものの、1991年に石狩丸と同じ「 POSEIDON LINES 」に 香港の船舶ブローカーを経由して転売される。 「SEA SERENADE」と改名され、客室新設改造を施されギリシャ・ロシア間の黒海航路に就航。(旅客定員1200名) 1998年6月27日から バーリ(イタリア)−チェシュメ(トルコ)−マルマリス(トルコ)−ハイファ(イスラエル) 航路に就航。 1999年3月から バーリ(イタリア)−コルフ(ギリシャ)−イグメニッツァ(ギリシャ)航路に就航。 2002年にトリエステ(イタリア)−ドゥラス(アルバニア)間航路に就航。 2002年秋、ポセイドンラインの航路休止に伴い、イタリア・トリエステ港に係留。 2004年韓国のバイヤーに売却。Chang Po Goと改名。韓国船籍となる。 2005年〜2006年 スロベニア イゾラで係留される。 2006年夏に転売されMARINOS Dと改名。ギリシャ船籍に変更。 |
シンボルマーク | トラピスト修道院 |
就航 | 1969年 10月 1日 |
終航 | 1984年 1月31日(休航・係留/1978年 9月30日) |
船体色 | オレンジ |
総トン数 | 4075.15トン |
後部マスト色 | 黒・シルバー |
建造所 | 函館ドッグ |
レーダーマスト船名識別表示 | O |
終航後、現在までの状況 | 近代化貨物船第一弾としてデビューした渡島丸であったが、ダイヤ改正による減船・貨物 航送削減のあおりを受け、わずか9年で休航。84年の終航までの間、函館どつく埠頭に 係留され赤錆た船体を晒していたが、その後84年8月22日の公開入札で住友商事が 8000万円で落札し、その後生まれ故郷・函館ドックでスクラップとなり、その生涯を終えた。 |
シンボルマーク | 日高の駿馬(サラブレッド) |
就航 | 1970年 4月 5日 |
終航 | 1984年 1月31日(1980年10月1日休航/82年3月4日運行再開) |
船体色 | オレンジ |
総トン数 | 4089.04トン |
後部マスト色 | ホワイト・シルバー |
建造所 | 三菱神戸造船所 |
レーダーマスト船名識別表示 | H |
終航後、現在までの状況 | この船は、売却までに難航し、8回目の入札になった1987年2月4日、「セブン商事」に 5400万円で売却される。 当初、海外向けの宿泊施設として売却されたものの後に韓国でスクラップになった。 |
シンボルマーク | 十勝のぶどう |
就航 | 1970年 6月30日 |
終航 | 1984年 1月31日 |
船体色 | オレンジ |
総トン数 | 4091.73トン |
後部マスト色 | オレンジ・シルバー |
建造所 | 日立向島工場 |
レーダーマスト船名識別表示 | T |
終航後、現在までの状況 | 日高丸と同じく、買い手はなかなかつかず、 3年もの間有川桟橋に係留され続けたが、 1987年2月4日の第8回目の入札で日商岩井に5317万円で落札され、3月8日には、 台湾でスクラップにするため、ひっそりと函館を去った。 |
「ひうら丸」は石狩湾新港でポートサービスのタグボートとして活躍していた。
「かつとし丸」は四日市港で活躍していたが、現在名古屋港で売却待ち係留中。
このページを作成する上で青函連絡船に関する情報を提供して頂きました方々には大変感謝しております。
ここに御礼申し上げます。
主要参考資料
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