DAYOFFの次の日からの1週間ほどは、仕事が1時半〜2時の間に終わるという日々が続いた。 スノーピーズ畑は何個かあるのだが、どの畑もまだ収穫できるほどにスノーピーズの実が大きく育っていない事が 原因である。この調子でいけば、スノーピーズ畑の、稼ぎ高ナンバーワンの座も危うくなりそうで心配だ。仕事が1時半で終わった金曜日、月曜日に入った2週間分のチェックを銀行に持って行き、口座に振り込んでもらうと、 残高が2800ドルにも跳ね上がった。この2週間分のチェックに書かれた額は1116ドル30セントであり、踊り狂いたい気分で それを眺めていたが、実際に口座に入れてもらい、「残高」を確認した時の喜びは、踊り狂うぐらいでは表現できないだろう。 そして、私はとても卑しい目つきをしていた事が想像される。
その中からいくらかのお金を引き出した私は、普段は通りすぎるだけの肉屋でチキンを買い、スーパーで専用ソースみたいなものを買い、いつものように皆が質素な食事を食べる横で、 カスクワインから捻り出した白ワインと共に豪華なチキンディナーを一人で食べ、自分がどれほどに収入があったかを自慢気に話した。 働く時間が少なく、休みも多いズッキーニ3人衆を横目に。 みんなからヒンシュクをかったか、というと、 かったに違いないが、そんな事には目もくれない大富豪の私なのであった。
しかし、お金を貯める事に余念の無い私は、もちろん次の日からまた質素な食生活になった。 そして一人で豪華ディナーを食べ、自慢気な態度を取った罰が当ったのか、ただ冷えたのか知らないが、その2日後に激しくお腹を壊した事が、 果たして何のためであるかは不明だが、スケジュール帳に記されている。
7月も後半に差し掛かったある日、仕事から帰って来ると部屋の前のテーブルに座る見かけぬ日本人女性がいた。 私は、怪しい帽子をかぶり、全身赤土まみれの汚い格好で「こんにちわ」と声を掛けた。 そんな不気味な私に対して、その女性は愛想よく「こんにちわ」と返してくれた。 汚い格好のまましゃべってみると、その女性はブリスベンから来たユキコさんという人だった。 「私は貧乏の底から、ここでスノーピーズの収穫をはじめ、金持ちになりつつあります。」という 事を誇らしげに話したり、「ズッキーニの仕事は大変みたいやけど、スノーピーズならいいのになー」 などと、しばらく話した。
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各部屋に備え付けられた棚。
左側一列が、散乱した私の棚 |
ユキコさんは私の隣の部屋だ。ユキコさんは酔っ払って2段ベットの上で 寝ていた時、転落した事があるという逸話の持ち主で、それ以来、恐怖心から2段ベットの上では寝る事ができないという事であった。 その部屋は2段ベットの上しか空いていなかったが、同室の人に頼んで下と変わってもらっていた。私は、隣の部屋はどうなっているのかと疑問に思い、「どうなってんのー?」と覗いて見た。 ユキコさんの荷物置きの棚と思われる場所に「日本製のカレーのルー」を発見した私は 思わず「あ!カレーや!」と声に出してしまった。すかさず「また一緒に食べようよ」と、天使のような発言をしてくれたユキコさんは、 日本では白衣の天使をしていた人であった。
その日からユキコさんも夕食を食べる輪に加わり、また笑い声が一つ増え、 楽しさも賑やかさも増すのであった。