このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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10. 7月の終わり
Childers JULY

大雨の日から2日間、風が吹き続け、めちゃくちゃ寒い。

寒すぎるのに、防寒着をピッキング用に潰してしまい、トレーナーとセーターしか持っていない私は、ユキコさんにジャンパーを貸してもらった。 「これは暖かいー。いいなー。便利やなー。」と言うと、「私、他にもあるから、それあげるよ」と、お恵み下さった。 天使のようなお方である。私は、物乞いのようであるとの見方もできる。このジャンパーは、今後大活躍する。

この所、ズッキーニ畑で働くアキの体調が悪く、食欲もないようだ。最近ズッキーニ畑は、 収穫の最盛期のようで、ズッキーニ畑が何個あるか分からないぐらい、チルダーズの土地の9割がズッキーニ畑かと思うぐらい、いつも違う現場に連れて行かれるらしい。 そして、そこには先の見えない広大なズッキーニ畑が延々と広がっているらしい。朝は私たちより1時間も早いのに、夜は6時や7時まで働くという過酷な労働の日々だった事で、 この1ヶ月間の仕事で溜まった疲れも一気に出たのだと思われる。 10時間や11時間も、腰をかがめた姿勢で、ズッキーニを取りつづけるなんて、考えただけでヘルニアになりそうなのに、 毎日のようにやっているアキ達は、ただ者では無い。

アキの体調も、いくらか良くなり、みんなで「コロッケ」を作る日になった。 ズッキーニ畑で働くみんなは今日も帰りが遅く、アヤカちゃんとユキコさんと一緒に先に作り始めた。 パンを刻み、パン粉を作り、カボチャを切り、茹でている間に7時になり、ズッキーニ達が帰って来た。 明日はチルダーズの街のフェスティバルがあり、今夜はダンスパーティーがあるらしく、 日本人以外は、ほとんど出かけて行った。日本人たちは、貧しいので行かない。 みんなで手分けをして、コロッケが出来あがったのは、キッチンが締まる時間ギリギリの9時前。 コロッケは最高に、旨かった。期待以上!!でも、外が寒すぎて、食べたらすぐに、それぞれの 部屋へ帰った。やはり私は油ものに弱いらしく、お腹を壊した。

次の日、フェスティバルのため全員休みだ。天気もいいので、朝から全ての服を洗濯する。 靴も洗ったが、赤土色はとれない。アキとコウイチも洗濯をしていて、「何日ぶりに服を洗うわー、汚い汚い」という話題になり、 「そう言えば、私は以前20日連勤した時に、靴下を20日連続で同じものを履いてたわー」と 自慢気に言うと、「それは女を捨ててませんか?というより、人間を捨ててませんか?」という結論に陥った。 普通に考えると、20日なんて信じられないが、ピッキングは赤土まみれで毎日汚いし、 靴下は一応汚れてもいい用に2足用意してたけど、仕事から帰ったらすぐに脱ぐし、変えても変えなくても別に一緒や!という気分になるのである。 と、今更こんな所で言い訳。

芝生でくつろいだり、ご飯を食べているうちに2時前になった。3時半でフェスティバルが終わると聞き、 みんなで歩いて行くことにした。予想以上の賑わいの祭りで、綿菓子やヨーヨーを持っている人もいて、 日本の祭りを思い出した。でも、ここはオーストラリア。各国の音楽を操るバンドが、そこら中で演奏していて、 見るものをワクワクさせた。様々な食べ物を売る出店のようなものもあった。しかし、金を節約する身の私達は、「チップス2ドルかー、高いなー。」 と指をくわえて見るしかなかった。フラフラ見ていると、料理を作る演習みたいな事をやっている人がいて、 焼き蕎麦、スノーピーズ、肉、海老などが入った中華風の食べ物を、フリーで配っていたので、 「ハイエナ達が来ないうちに、2人で食べよう」と言って、アキと2人で平らげた。旨かった。

キャラバンパークへ帰り、おじいちゃんの出会い帳を書いた。おじいちゃんは、2日後にチルダーズを去るのだ。 次の日、いつものように仕事を終えて帰って来ると、最後のズッキーニの仕事を終えたおじいちゃんが居た。 フェデラルに泊まっているサツキちゃんも、おじいちゃんの最後の晩餐のために駆けつけていた。 おじいちゃんは、最後の晩餐だからと言って、冷凍のハンバーグを調理しており、 サツキちゃんにだけ、それを分け与えていたので、他の皆から大きな非難を浴びる事となった。 最後の晩餐の主役だと言うのに、最後まで非難を浴び続けるとは・・・。

おじいちゃんは、これからフレーザー島へ南下し、またケアンズへ北上する際に、ここへ立ち寄るつもりだと言った。 しかし、その約束は果たされず、チルダーズに立ち寄ったにも関わらず、サツキちゃんの居るフェデラルホテルにだけ 顔を出し、キャラバンパークには顔も出さなかった事が後に発覚し、さらに非難を浴びることとなった。 その場に居ても、居なくても、非難の対象として話題を呼び起こす、おじいちゃんの存在。そして、 オチもないのに話を引っ張ったり、隠さなくてもいい事を隠そうとする、独特の話術は、 永遠に私達の中で語り継がれることだろう。語られると言うことは、非難されはするものの、どこか 憎めない部分は多少なりともあると言うことかもしれない。と、今更フォロー。

そして、7月の終わりと共に、おじいちゃんはチルダーズを去った。

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