このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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8.Backpacker's day
Childers JUNE

パンプキンディナーを終えた私たちは、後片付けに取り掛かった。イギリスやオーストラリアの人たちは、お皿を洗う時、洗剤で洗った後に 水で流さずに、洗剤の泡のついた皿を乾いた布巾で拭いて済ませる。今までちょっと抵抗があるなーと思いながら横目で見ていた。 さすが英語もうまく、順応性のあるチズは、ジェイドたちと同じように洗剤の泡のついたお皿を布巾で拭いて済ませていた。 皆で片付けをしたので、当然私のお皿もそのように処理された。一般的に神経質だというイメージのA型である私は「げっ」と思って、後で水で洗い流す・・・ なんていう事は、していません。「おいおい、泡を洗い流せよ!!」と思いながらも、郷に入れば郷に従えと言う言葉を思い出して、堪えた私は 一つオージーに近づけた気もする。

後片付けを終えると、 「この前テレビ局が取材にきたやつが放映されるよ!」という 誰かの情報を聞きつけ、ジェイドの部屋に集まり、テレビを見た。

数日前、仕事後にLynさんのファームにカメラを持ったテレビ局の人たちがやってきた。 何か説明してたけど、理解することもできず、言われるがままに「各国の若者たちがピッキングをしている風景」を 、あらゆる角度から撮影された。「何やねん!仕事で疲れてしんどいし、スーパーに買い物にも行かなあかんのになんでピッキングしてる姿を 撮られなあかんねん!わけわからんわ!」と思いながらも、ニヤニヤしながらテレビカメラの前でピッキングしているフリをした。 その模様が今夜放映されるというのだ。みんな、「私映ってるかなー、嫌だわー」という感じで、しかし少し期待しながら番組がはじまるのを待った。

撮影されている時には、何のために?と疑問に思っていたが、番組が始まり、その謎が解けた。

1年前の、2000年6月23日、チルダーズにあるバックパッカーズホステルで火事があり、15人のバックパッカーズの若者たちが亡くなった。 そのバッパーは、私たちのようにファームで働く労働者たちの泊まる宿だった。 それを特集した番組だった。だから、ファームで働いている姿を撮影されたのだ。 私は、このニュースを1年前に日本で見ていた。オーストラリアへ行くことをめざして工場で働いていた時、 工場の昼休みにテレビのニュースで。「ブリスベンの近くの町か。私が行くのはシドニーやけど、怖いな・・。」 と思いながら。その町の名前が「チルダーズ」であるとは今まで気づかなかった。まさかあの時、自分がこの町に来るとは 思ってもいなかった。 私たちが泊まっているキャラバンパークの宿が新しくて綺麗なのは、その火事があったからなのだと知り、 色々な謎が解けて線が繋がったような気がした。

スノーピーズをとる姿
テレビにはLynさんのファームの皆がしんどそうに働く姿が映り、 「わー!映ってるー!」と悲鳴を上げながら見た。みんな汚い格好をして帽子を被っているので知らない人が見ても誰だか分からないけど、 「いやー!」である。

テレビを見ている途中に、同じファームのイギリス人の彼女だという噂のオランダ人がいきなり部屋に入ってきて、何かの署名みたいなものを集めていた。 何を言っているか分からなかったけど、みんながサインするので、私もした。理解してないくせに、するなよ!という気もするけど。 後で知ったが、この署名も、1年前の火事に関するものであったようだ。

その2日後、6月23日。1年前に火事のあったこの日、亡くなったバックパッカーズの若者たち15人を偲び、「Backpacker's day」と 名付けられた日、メモリアルが行われるため 仕事は2時半で切り上げられた。

ほとんどの人たちはメモリアルに行ったが、私は行かなかった。しかし後で「亡くなった15人の中に、日本人の方がいた」 と知り、行けばよかったと後悔した。Backpacker's dayの前後数日間は、スーパーの近くにある火事のあったバッパーの 跡地に、花や、メッセージを書いたカードが手向けられていた。

こうして今の私と同じように旅をする途中で、働くためにこの喉かな町に滞在していた中で起こった惨事。 心よりご冥福をお祈り致します。

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