富士宮口コースは岩場だらけだ。元祖7合目から8合目への道の岩場も相変わらず凄い。 ゆっくりペースで登る。ゆっくりゆっくりと呼吸に気をつけながら進むと息も切れない。 私はまだ体力の半分も出し切っていないのではないかと思うほど、体は平気だ。 ただ、ダルイ。前に進むのが辛い。しんどい。めんどくさい。上に見える山小屋を目指して、ただ目指して、 それを目標に、ゆっくりでも、少しずつでも、たった一歩でも、とにかく前に進まなくては 到着しない。それに加え、下山者と登山者が同じコースを取るため、狭い登山道では どちらかが待たねばならない。周りを見ずに突進して来る人、砂をたてて下りてくる人、 狭い道で追い抜かしをかけようとする子供。 「キーッ!ムカツク!!もう嫌!」と思ってしまう事は簡単だ。 でも1度そう思ってしまえば、イライラ周りに八つ当たりするかのような楽しくない登山になる だけだ。「しんどい時こそ、少しでも一歩でも前に進もう。」
「受けた恩は石に刻み、掛けた情は水に流す」
私がオーストラリアの旅をしている時に出会った言葉を何年ぶりかに思い出しながら、 そういう心を持って、その言葉を励みに登ることにした。
体力ではなく、忍耐、精神力が試されるかのような一歩一歩のように思えた。 自分が一歩ずつでも動いて前に進まなければ、何も変わらない。誰も山小屋に連れて行ってくれない。 山小屋が近づいて来てくれるはずもない。自分の足で行くしかない。 周りの人は何もできない。ただ、声が励みとなるだけだ。
私は今の生活、職場というヌルイ環境に甘んじずに、山小屋という目標を目指すように、 目標を定めて歩いて行かなければ。前に進まなければ。と自分の毎日を振り返った。 ヌルイ場所に立ち止まって見える景色は、とてもキレイで壮大なものではなく、 ただ心地よい風の吹く少し雲の多いボンヤリしたものだ。例え進もうとした先が霧に包まれて よく見えないものだとしても、前に進めば霧は晴れ渡るかもしれない。違った景色も見えるだろう。 強い風が吹いても、雨が降っても、雷が鳴っても、ここに根を下ろそうと思うよりは、 まだ前へ、ただ前へ、進んで歩いて行きたい。ああ、富士登山ってまるで人生のようだ。 こんな事をしたからって何になるというのだという目標を定めて、人はその道を行く。 例え達成したとしても、誰かからの賞賛がある場合ばかりではないだろう。 何も変わらない事がほとんどだ。なぜ、それでも人はやろうとするのか。ただそれは自分が納得したいからだ。 自分で自分を納得させるため。それだけなのかもしれない。そしてそれが大事なのかもしれない。
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日が暮れていく |
こんなクサくて、どうしようもなくアホな考えに一人納得してしまうほど、何時の間にか私は疲れ切っていたようだ。 しかしクタクタになっていたのは私の精神力よりも、カヨさんの体力の方だった。 休憩するたびに、強風で立ち止まるたびに、前かがみになり気持ち悪そうにするカヨさん。 ゼエゼエと息苦しそうだ。いつもの炸裂弾丸トークも、もちろん無い。 高山病か?!高山病になってしまっては下山しなければ治らないけど、呼吸法で少しは良くなると書いてあった。 「いっぱい吐いて、鼻からいっぱい吸って、2秒間息を止めると酸素が体中に行き渡るで! 呼吸法が大事!」と言うぐらいしか私にはできない。ただただそのセリフを繰り返した。8合目まで、あと少しという所でサングラスを失った事に気付いたカヨさんは、 「さっき休憩したときに落としたのかも。見てくるよ」と、今登ったばかりの急な岩場を下りて サングラスを探しに引き返した。(カヨさん持ち物紛失騒動第2幕)その時にかなりの体力を消耗したのだろう。 結局サングラスは見つからなかった。強風による砂埃で目が痛いと嘆くカヨさん。 頭痛と息苦しさと砂埃による目の痛みで辛そうだ。
そして飛ばされそうな強風の中、新7合目から約1時間半で到着した8合目。既に18時。 座り込むカヨさん。辺りは日が暮れて薄暗くなっている。今日泊まる予定の9合目まで「あと30分」 と書いてあるが私達のペースだと2倍はかかるだろう。無理せず、8合目で泊まろうか? 山小屋の人に聞くと、キャンセルの分があるから泊まれるとの事。しかしカヨさんは少し考えて、 「頑張って9合目まで行く。」と言う。しばらく休憩して体力も回復してきた模様。 本当に大丈夫なのか?すっかり薄暗くなった登山道、9合目へ向かう登山者は見当たらない。