このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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学校 -2-


 21日、今日も学校だ。同じクラスの人は、休み時間も授業後もすぐにどっか行ってしまう。こうなったら他のクラスの人でもいいから無理矢理友達を作るしかない。休み時間、コーヒーを飲むスペースにいた2人の日本人らしき女の人に、 「日本人ですか?」としゃべりかける。「シドニーに来たばかりで何もわからないので、いろいろ教えて下さいー」と言い、今日の昼を一緒に食べる約束を無理矢理取り付けた。そんな風にして、日本人へ、日本人へと友達を無理矢理作っていった。 人見知りの私は、そんな無理矢理な友達の作り方をした。いろんな国の人としゃべりたいと目標を持ってきたけど、 今私に必要なのは、情報、情報、そして心の安息。

12時に学校が終わって、後はやることがない。日本人向けの情報センターがシドニーには山ほどあって、そこへ行っては、ホームステイ後の家を探すために掲示板を見たり、そこでまた無理矢理友達を増やしたり する生活を送っていた。 ホームステイ先 は、すごい豪邸で、城のようで、私の部屋には専用のシャワー・トイレがあって、アタリだった。金儲けでやっている家は、一つの家に何人もの留学生達がホームステイしていたり、 シャワーの時間を10分と決められたり、嫌な扱いを受けると聞いたが、私のホームステイ先は、ほんまの金持ちだった。でも英語のしゃべれない私は、部屋に閉じこもりぎみで、自分で自分の首を締めるかのごとく 居辛い家にしてしまっていた。1ヶ月はちょっと辛かった。長すぎた。あまり家に帰りたくなかった私は、毎日、毎日、日本人向けの情報センターへ行っていた。自分の英語力のなさに情けなくなり、辞書を持って、たまに 州立図書館へ行って英語の勉強をしに行ったりもした。広くて綺麗で、個人の机もあって勉強するには最適だ。
「ベジタブルヌードルスープ」が通じなかった以来、幾度も通じないことがあった。自信がないから 声も小さくなって、ぜんぜんだめだ。発音が悪いのだ。日本語英語しか話せない。くやしい。発音記号の勉強を徹底的にしてやる!!と、意気込んでいた。しかし、勉強は眠い。すぐに眠くなり、ほとんど勉強にならなかった。

そんな日々を送っているうちに、12月になっていた。学校では、2週間に1回、クラス替えがあるのだが、私は相変わらずクラスは上がらなかった。 学校では、金曜になると先生達の企画で授業を早く切り上げて、どこかへ出かけることがあった。ある日、コアラやカンガルーを見に行こう!という企画があり、同じクラスの人は誰も行かなかったけど、 そのおかげで他のクラスに混じって新たな友達もできた。そのクラスが、とても仲良いクラスで、日本人、韓国人混じって皆で仲良く、また飲みに行こうという話になった。パブへ行こうと。

 パブと言ったら、隣に若いおねえちゃんが座って・・・と想像してしまうかもしれないが、違うのです。オーストラリアのパブとは、日本の居酒屋・・とはちょっと違うけど、普通に酒を飲むところです。レストランのようなテーブルがあったり、カウンターもあって、 カウンターで、ビールや酒を注文します。ビールにはいくつか種類がある。「VB(ビクトリアビター)」というビールがなかなかいいという話を聞いて、私はそれを飲みたいと思っていた。パブという所へ行ってみたい!

 同じクラスで、初日に隣の席に座った女の子は、シドニーにある美容室で働いているという。毎日バイトがあるから、学校が終わったら即行帰っていたのだ。その子も誘って、仲良し隣のクラスの輪に入ってパブへ行くことになった。 オーストラリア初の酒だ!韓国人の友達もいたので、常に英語で会話。私は中学生レベルの英語でしゃべることとなった。それでも何とか通じた。外国に来てるなーと実感しながら酒を飲むことになった。噂のVBを飲んだ。あー、ビールはうまい。飲んで飲んで飲んで飲みまくった。

 やってしまった。オーストラリア初酔い。初暴れ。絡みまくった。大声でしゃべって、人を叩きまくった。人のタバコを吸いまくった。トイレに行くと列ができている。待ちながら、入ってくるオージー達に「ハーイ!」とか言って怪しい日本人の私。 隣のクラスの友達もけっこう酔ってしまって、トイレから出て来なくて私は酔いながらもかなり心配した。帰り道、大通りのジョージストリートで大声を出して「日本に帰りたいー!」などと叫ぶ、日本の恥。叫びまくった。相当、生活にストレスを感じていたのだと気付いた。 皆、笑ってたけど、多分ひいてるだろう。酔った私は、そんなことお構いなし。次の日は、喉が痛かった。自己嫌悪に陥った。いつものことだ。日本にいた時と何も変わっていない。

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