このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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年末バッパー生活-1-


クリスマスホリデーに入り、私がホームステイを出なければいけない日が近づいてきた。探してはきたけど、未だに次に住むシェアハウスを決めていなかった。 ホストマザーが、「なんならホームステイの斡旋会社の人に聞いて、探してあげようか?」と言ってくれたが、どうしてそんな所でこう思うのか、「人に頼るもんか!」と捻くれた考えを持ち、 「大丈夫、自分で探すから」と言ってしまった。言ってしまったものの、決まりそうにもない。

12月の始めに見に行ったシェアハウスがすごく綺麗な家で、オーナーは日本に住んだことがあるため日本語がペラペラのオージー女性、子持ち(小さい女の子)。 1人部屋で週$115。すごい気に入ったけど、私より前に見に来ていた人がいるらしく、その人がもし今の家をスムーズに出れたら、その人が住むことになるし、もしその人が無理だったら 私が住めるという話になった。その返事を待ち続けて、もうホームステイを出る間際まできてしまった。

どうなったのか、電話をしてみる。すると、「Oh!Takako!○×△□#!$▲◎〜!!」とペラペラペラペラしゃべられ、 「え?」と私が反応すると日本語でしゃべってくれた。情けない。「昨日までは、分からなかったんだけど、今日になってその子が前の家を出れることになって、今日引っ越してきたのよ。まだ次の家決まってないの? 私の友達の家を紹介しましょうか?マンリーに友達がいます。」と言われた。ガーン。親切に友達の家を紹介してくれようとしたけど、マンリーはCITYからフェリーで行かねばならない、遠すぎるから断った。 「頑張ってください。バイバーイ。」と言われ、電話を切った。なんかむかついて、オーストラリアに来てからは買ってなかった煙草を買いに行ったら店員に「何歳?」と聞かれて苦笑。怒ったように「トゥエンティーワン!!」と答える。セントラルステーションで煙草を吸いながら これからのことを考えた。ホームステイを出なければいけない日まであと2日だ。

 同じクラスの美容師の友達は、友達と2人でルームシェアしている。クリスマスパーティーの時に泊めてもらった友達だ。高級マンションで、とても綺麗。オーストラリアに来てすぐに、バッパーに泊まりながらシェアハウスを探していたそうだ。 (バッパー→バックパッカーズホステルの略。安宿だ。ほとんどがドミトリーという4〜8人の相部屋で、キッチン、トイレ、シャワーなどは共同。)バッパーには欧米人も沢山いるらしくて、とても楽しかったという話を聞いた。 でもなんかちょっと怖そうだ。でも楽しそうだ。学校では日本人、韓国人、中国人しかおらず、欧米人との関わりが全くない生活を送っている。これは欧米人慣れするためにも、英語慣れするためにもバッパー生活を送ろう!そうしよう!

どうやって泊まるんだろう、どこにあるんだろう?友達に聞くと、キングスクロスというCITYから歩いて20分、電車で5分ほどの場所に沢山あるという。キングスクロス・・それは南半球最大の繁華街と言われる危険な町。 駅を下りると、臭いといわれる町。そのへんに注射器が落ちているという町。そんな噂だけは聞いていたが、行ったことはなかった。さっそくバッパー探しにキングスクロスに行ってみることにした。バッパーはいっぱいあった。 週いくらか、予約は取れるか、何件かで聞いたけど予約はできないと言われたり、何を言っているのか分からなかったりして、予約も取らずに帰宅。どうなることか、不安だ。シェアを探した方が賢いとは思うけど、欧米系慣れのため、英語を使う環境を作るため、 いろんな国の人としゃべるため、ホリデーを楽しむため、バッパーへ行こう!

 次の日、再びキングスクロスへ。いくつかのバッパーを当たると、クリスマス・年末の時期は値上がりするらしく、高かった。とりあえず、一泊$23の所を予約した。明日の朝、移動して、落ち着いたらもっと安い所を探そうと思い、予約は1泊だけしておいた。

そして、バッパーへ移動する日。ホームステイ先を出る日。ホストマザーが駅まで車で送ってくれ、「オーストラリアの滞在を楽しんでね。」と言われ、あっさりサヨナラ。そんなもんだ。人生って儚い。出会いは一期一会。

重いスーツケースを引きずり、バックパックを背負って電車でキングスクロスへ向かった。 スーツケースを電車から下ろすのに、てこずっていると、さりげなく手伝ってくれる人がいて、嬉しかった。ジェントルマンだ!汗だくになって荷物を運びながら昨日予約したバッパーへ到着。チェックイン。私の部屋は4階らしい。部屋の鍵を渡された。 そりゃそうだ、ホテルじゃないから荷物は自分で運ばなければいけない。スーツケースがあまりにも重くて、狭い階段やし、4階まで上がるのは不可能だ。レセプションで預かってもらうことにした。疲れ切って部屋に行くと4人部屋。2人いたけど、話もせずに出かけた。 もっと安く、スーツケースの持ち上げられるバッパーを探すために。私には「地球の歩き方」があった。存在を忘れていた。それを頼りに、韓国人経営のバッパーへ行き、部屋を見せてもらうと今の所より広く、スーツケースも持ち上げられそうだし、置けそうだ。 しかも今の所より安い。さっそく明日からの予約を入れる。

 バッパーでの生活、やっていけるのだろうか。重い気持ちで今日泊まるバッパーへ帰り、キッチンでカップヌードルを食べる。白人だらけだ。怖い。慣れない。湯を沸かそうと鍋に水を入れて火にかけてると白人女性が 「こっちの熱い湯を入れて沸かした方が早くできるわよ」と給湯器の存在を教えてくれた。サンキュー。その後、特に誰とも話すことなく部屋へ・・・。白人こわい。

 部屋に戻ると同室のほかの3人がいた。私の下のベットの人はノルウェーの人で笑顔が素敵でした。あとの2人はイングランド。英語に訛りがあるから理解してくれない人もいると言っていたからだろう、私のあほみたいな英語も 笑顔で聞いてくれた。やさしい。でもしばらくしたら友達であろう2人の男が部屋に入ってきてベランダで4人で盛りあがり、輪に入れるはずもなく、ベットでシェア探しの新聞を見ながら寝た。布団がないため、Tシャツを布団がわりにして寝た。 よく考えたら寝袋を使えばよかったのだけど。そして慣れないバッパー生活1日目は幕を閉じた。

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