このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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年末バッパー生活-8-


優しいナタリア

 キッチンでいろいろ考えているうちに8時ごろになった。寝ずにシェアハウスに引越ししようと思ったが、体力が持たず一旦寝て、引越しをすることにした。 名残惜しくて、レセプションに荷物を預かってもらって皆に出会い帳(名前や連絡先、思い出を書き綴ってもらうノート)を書いてもらった。泣きそうになったけど、 結局「今夜また飲みに来るわー」と言い、バッパーを去った。

再びあの重いスーツケースを引きずり、バックパックを背負って電車に乗ってシェアハウスへ移動だ。駅に着き、 オーナーに電話すると迎えに来てくれ、シェアハウスへ行く。



自分の部屋だー。昨夜よく寝なかった私は、部屋に到着するなり爆睡した。そして約束の6時になる前にシェアハウスを出て、 バッパーへ向かった。VBを買い、ヤスコさんが「あんたいっつもラーメンしか食べてへんやん。栄養取らなあかんでー」と言って、つまみを作ってくれて飲みはじめた。 数日前に同じ部屋に入って来たアルゼンチン人のナタリアも一緒に飲んだ。私の程度の低い英語も笑顔で聞いてくれ、スペイン語を教えてもらったりした。そんな風に楽しく飲んで、 それぞれのベットに入る。でも私はもうここの宿泊客じゃない。ひとり、シェアハウスへ帰った。「明日も来るわー」と言い残して。21世紀の初めの日が終わった。

 2日。今日から学校が再び始まる。お正月なんて関係ないのだ、オーストラリアだから。 しかし起きたら10時を過ぎていた。学校を諦めて昼過ぎまで寝る。このシェアハウスには12人ぐらいの 人が住んでいるらしいのだが、レイカさんというワーホリで半年ぐらいシドニーに住んでいる女の子に スーパーのある場所などを聞いて、買い出しへ行った。しかし大きすぎて、よく分からないまま帰ってきた。 今日も6時にバッパーへ行く約束をしている。韓国人の友達がフルコギ(韓国風焼肉)を作ってくれると言っていた。 しかし時間にルーズな私がバッパーへ到着したのは7時過ぎだった。 もうフルコギは無いだろうと思ったら、あった。うまかった。イスラエルの人とかもいて、一緒に食べたり飲んだりした。 しばらくするとナタリアがアルゼンチン人の友達を連れて部屋に帰ってきた。 日本語のちょっとしゃべれる人だった。彼の酔い方はおもしろかった。「酔っぱらいです」と日本語で言っていた。 スペイン語で「酔っ払い」という単語を教えてもらったが、舌使いが難しくてマスターできなかった。

バッパーで酔って騒ぐ私と、それを見守る人達

 さらに飲みまくった私は記憶が飛んだ。キッチン近くで日本人にからんだ記憶がある。 滋賀県出身の人で騒いだ記憶がある。何を言ったか忘れた。腹が減り、ラーメンを買いに行って食べた記憶がある。 そして明日はナタリア、ナタちゃんの誕生日だと言うのでタカコさん達がケーキを買ってきたが、さすが外国のケーキ。 見た目のドギツイ色、甘すぎて、ひどいものだった。でも食べた記憶がある。 私は酔うと語りまくる。この日もタカコさんをつかまえて夜中の3時まで語りまくった。 そして宿泊客でもないくせにバッパーに泊まっていった。次の日の朝、起きれず、また学校をさぼった。

 私は学校へ行く生活を取り戻さなければいけない。そしてバイトもみつけなければいけない。予想以上に楽しかった年末のバッパー生活ともさよならしなくてはいけない。そしてヤスコさん達は今日の夕方のバスでメルボルンへ向かう。このバッパ—へ来るのも私にとってこれが最後だろう。 皆、それぞれこれからの出会いと別れが待っているだろう。それが無ければただの日常。私もいつか、オーストラリアを旅するために今は勉強とバイトをしよう。バッパー生活の経験を生かして。 そう心に誓って、思い出深いバッパーと、皆にさよならを告げた。もしかしたら永遠に会うこともないかもしれない人達。

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