このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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19ドル-3-


 どれだけお金が無くても、週払いのレント(家賃)は払わなければいけないし、バイトをするためにCITYへ行くから 電車のチケット代もかかる。食事代もかかる。そういうわけで、銀行からお金を今週、必要なだけ下ろしてみると、 残高には、こう記されていた。
$19.74
1974ドルではない。 19ドル74セントだ。日本円に換算すると、約1300円。次の給料日まであと1ヶ月近くある。
ああ、シドニーに来た時には7000ドル近く残高があったのに・・・。ああ、あの頃から節約しとけば・・・。 ああ、どうしてこんなことに・・・。ああ、もう日本へ帰ろうか。ああ。片道航空券しか持ってなかった・・・帰りのチケット買えねーよ! クレジットカードに頼ってしまう?あかんあかん、親のお金に頼って暮らすほど今の生活は意味のある生活じゃない。 ああ、でも19ドルって・・・。

上の空でボロ屋敷に帰って、残高が19ドルになったという衝撃的な話をレイカちゃんにすると、 豪華な夕食を私に分け与えてくれた。ステーキにサラダに米。最近パスタしか食べていない私は、久しぶりに口にした豪華な食べ物に 感激。レイカちゃんに感謝。ちゃんと働こうと思った。日本食レストランが嫌だとか言ってられない。 出世払いで、ちゃんと返しますと心に誓い、 次の日からバイトを探しはじめた。そして、再び日本食レストランで働くことになった。 ホームページのバイトは、昼の12時から4時までに変更してもらい、夕方5時半から9時半まで 日本食レストランで働くことにした。日本食レストランでは5時から賄いを食べさせてもらえたため、 手元にお金が無い私は非常に助かった。その日本食レストランは家族経営で、バイトは私しか おらず、少しガッカリしたが文句は言っていられない。やっていかなれば生きて行けないので、 早く仕事を覚えてテキパキ働けるように今度こそ頑張るしかない。

19ドルになったものの、「あと19ドルあったら、10ドルは引き出せるだろうから、大丈夫。」と思っていた私は甘かった。 10ドルだけ引き出そうと銀行のATMへ行ったら、「20ドル以上でないと引き出せません」という表示が・・・。 残高が19ドルになっても、親のお金には頼るものかー!と意地を張っていたけど、 石鹸すら買えなくなり、親が誕生日に送ってくれた3万円の中から2万円をドルに換えることにした。 そして、無事石鹸も買えた。親に感謝。なんて貧乏なんだろう。万が一のために、100ドルはヘソクリとして 置いておくことにした。

日本食レストランの給料は、1週間ごとにもらえるため、なんとか暮らして行けるようになった。 4月に入り、「日本では桜の季節、新しい1年の始まりかー」と思いながら、寒くなっていく シドニーで毎日のように休みなく働く日々が続く。前の日本食レストランとは違い、 今の日本食レストランはチケット制で、先にレジの所で注文をしてお金を払ってから席に ついてもらうため、使う英語も簡単なもので済む。はじめは、オーダーを取ることに恐怖を感じて いたが、慣れたらこっちのものだ。ある時、「君はもっと英語の勉強をしなくちゃねー」とお客さんに 言われたが、そんな事にも落ち込んでいられない。こっちは生きるために必死なんだよ!と逆切れだ。

家族経営の日本食レストラン。夫婦と息子。そして料理人の女の人が一人。そしてバイトの私が一人。 何度も怒られ、私は毎日ボロ屋敷に帰ってはレイカちゃんに「くそー!馬鹿にされてるー!むかつくー!」と 文句ばかりを言っている。特に私は19歳の息子が偉そうに思えて腹を立てた。英語の発音がよくて ペラペラだという事にも腹が立った。多分、私は大変心が狭い。

月曜から金曜までは、ホームページのバイトが12時からあるため、ぎりぎりの時間に起きて、ぎりぎりセーフで出勤。 もちろん昼ご飯を食べる時間もない。そして4時まで働き、5時からは日本食レストランで賄いを食べる。 起きてから何も食べていない私は、お腹が空いてたまらず、早食い、大食いになった。その様に、店長は目を丸くしてあきれ返っていた。 バイトが終わるのは9時すぎ。家に帰ってストレスで食べる。 一日一食に夜食。そんな日々が続く。そして、私はブクブクと太っていくのであった。

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