日本食レストランのバイト先に、シドニーを出てラウンドの旅をするから辞めるという事を 伝えた。面接の時から、2ヶ月ぐらいすればシドニーを出ると言っていたので 話はこじれることはなかった。そういうわけで、16日で日本食レストランを辞めることになった。 1ヶ月半ぐらいの間しか働いていないが、毎日のように働いた店。辞める間際になっても 私は馴染めていないということを実感するだけで、相変わらず職場での人間関係はうまくできない。家族経営の小人数の店のため、たまに仕事が終わった後に店の人みんなで飲みに連れて行って もらっていたが、次の週に私が辞めるという時にも近くの居酒屋みたいな日本食レストランに 飲みに連れて行ってもらった。生中2杯でホロ酔いしながらも、馴染んでいない人達なので おとなしく飲む。奥さんに、「ギスギスしたうちの店が、たかちゃんが来て アットホームになったのにねぇ。」なんて言われて、ギスギスしてたのかよ!と思いながらちょっと嬉しかったり、 店長に「イライラしてても、ネギ一丁!ってその声で言われるとフニャフニャーとなった」 と言われ、褒められてるのか馬鹿にされているのか分からない気分になったり、 少し認められたような気がして、馴染めていないけど働いていた意味があったような 気がして、仕事でむかつくこともすべて許せて、おいしいお酒が飲めた。
この日本食レストランで働けてよかった、この店の人達に会えてよかったと改めてというか 初めて思った。はじめに働いた日本食レストランはすぐに逃げるように辞めてしまった ため、「私は日本食レストランさえ勤まらないのか」と思い沈み込んだけど、 ここで働いて「私もやれるやん!」と少し自信を持ち、今なら何でもできると将来へ自信が 持てた。(簡単に自信持ちすぎ?)
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ボロ屋敷の最寄駅Roseville Stationの夕暮れ |
もうすぐオーストラリアへ来て半年になる。オーストラリアに来る前に資金作りだけのために 日本で働いていた半年あまりの日々は長かったし、苦しいと思って過ごしたけど、 こっちへ来てからの半年は本当に早い。シドニーに慣れ、友達ができ、日本食レストランでの賄いの食生活に満足したせいか、 日本への恋しさも全くなくなり、ホームシックも無く、日本に帰りたくない傾向にある。
シドニーの日本社会で私は一体何をしているのか?と思い、英語もしゃべれないし一体どうしよう かと思い、1年間別に無理して居ることもないから「もういいや帰ろう」と思ったことも あった。でもせっかく1年間働いても遊んでもいい期間(ビザ)があるのだから 思う存分1年間を過ごしたいと思う。一体外国に来てまで何をしているのかと思いブルーになった 日々も、「半年かけてオーストラリアを1周してやる!」という目的ができたことで 少し前向きな気持ちへ切り替えてみた。
来たい!住みたい!と思った外国での暮らしは 憧れとは少し違うもので、憧れのままにしとけばよかったと思う事もあるし、 これからもそう思うことはあるだろうけど、あのまま滋賀県の実家にいて「なんだ私の人生」 なんて思って過ごしていた時には気付かなかった事がいっぱいある。
その中でも実家にいたら気付かなかった親の有り難みが結構大きい。 生きて行くために働かなればいけない!なんて事は実家にいる時は考えもしなかったことだった。 会社で働きながら、家にお金を一銭も入れていなかった。料理ひとつできないことが こんなに不自由だとは思わなかった。作ってもまずいし、どうしようもない。
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駅からボロ屋敷までの暗い道のり |
「日本社会」から逃げたくてオーストラリアに来た。それが本音。 会社で働く日々が苦痛だった。そこから逃げたかった。繰り返される日々から逃げたかった。 でも、結局現実逃避をしてみても、どこにでも現実はついてくる。
結局、どこへ行っても私は日本人で、母国語は日本語で、英語が下手とか、人間関係とか 、ビザがワーキングホリデーとか、日本に帰ってから何をするのか、 そういう事に挫けたり悩んだり卑屈に考えたりしたし、これからも多分同じ事を考えるだろう。でも ビザが何だから良い、悪いなんて事は無いし、英語が下手やから良い、悪いなんて事は無いし、 シドニーで日本社会にどっぷり漬かっているからって悪いって事は無い。 ただ、外国に憧れて来たけど英語に自信がなくて、オーストラリアのオーナーの所で 働く、飛び込んで行く勇気がなくて、日本人オーナーの所で働いて、そこでまた日本に いる時と同じように人間関係で人見知りとかしてつまづいている自分が嫌で、 そこでまた逃げようとしている自分が一番情けなく思った。多分、仕事の人間関係は どこへ行ってもついてくる私にとって克服すべき問題で、それは「日本社会だから。 日本人オーナーの職場だから。」という事とは関係しておらず、オーストラリアのオーナーの 所で働いても同じなのだと気付いた。だから、「日本社会だから・・・」と 批判するのもおかしいと思った。
日本に居たらできない事ができる環境の中で、まだ夢を捨てずにあと半年を過ごしたい。 考えてみたら、まだ日本に居たらできない事ってしていない気もする。
時間だけが過ぎていくけど、 オーストラリアを1周して、またシドニーへ戻って来れるようにやっていこう。 マミコを見習って、各地でピッキングしながら資金を稼ぎ、旅を続けていこう。 オーストラリアを旅している人の中には沢木耕太郎氏の著書「深夜特急」に影響されて 旅している人が多いと聞いた。そういう人達に出会えると嬉しい。 今後のことなんて分からないけど、旅立ってみたら心晴れるかもしれない。