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このギャラリーでは 蒲原鉄道の最後の冬 の写真を展示しております。
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五泉駅を発車したモハ41形は有名な撮影地だった寺沢カーブを曲がり、村松駅に向かう。朝のラッシュも終わり、のんびりとした時間を過ごす。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 寺沢カーブ
撮影日 1999年2月12日金曜日
蒲原鉄道では、朝のラッシュが終わると、基本的に同じ車両が終日往復する。そのため、午前中だけ撮影し、後は別のところに移動して・・・と言う*鉄(鉄道マニアのこと)*が多かった。この日も朝の2連が戻った後は、相当人数の*鉄*が沿線を後にした。ただ、この頃には同じ新潟県の新潟交通が廃止を発表したため、こちらに*鉄*が集中していた事も起因するだろう。この日は朝の2連が行った後は、モハ41形が運用についていた。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 五泉駅付近
撮影日 1999年2月12日金曜日
定期列車が行った後、少し移動しようかと思い、駅に戻ろうとした時に、保線の方がおられるのに気付き、声をかけた。「ご苦労様です」。基本的に、沿線で見かけた方には声を掛けるのであるが、この時も普段どおりの事をしたまでである。保線の方も顔を上げて、手を上げてくれた。そのまま駅に戻ろうとすると、その保線の方が、「もうすぐ検査明けの試運転の電車が来るよ」と教えてくれた。待つこと10分ほど、モハ71形がコトコトとやって来た。1日に4形式(朝のモハ61形+クハ10形)の電車が見られるとは我ながら運の良いヤツだと思ってしまった。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 寺沢カーブ
撮影日 1999年2月12日金曜日
狭い貫通扉が特徴的だったモハ71形。その独特な顔を真正面からシュート。冬の越後路の乾いた北風を切って、村松を目指して走る試運転電車。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 五泉駅付近
撮影日 1999年2月12日金曜日
日中、平日、一番利用客の少なくなる時間。モハ71形は、僅かな乗客を乗せて、五泉駅に滑り込んできた。線路脇に残る雪が、北国の寒さを感じさせる。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 五泉駅跨線橋
撮影日 1999年2月12日金曜日
試運転を終えたモハ71形は、モハ41型と入れ替わってその後の運用に入った。武蔵野電鉄時代から数えて76年、その齢を感じさせない快調ぶりに、蒲原鉄道社員の思いやりが感じられた。越後平野の米どころ、雪に覆われた水田の脇を、吊り掛けモーターの音も高らかに駆け抜けて行った。それにしても、この貫通扉の幅、取って付けたと言うイメージが拭えない...。と、言うより、この幅の扉を通れる人って果たしているのだろうか???
撮影地 今泉駅〜村松駅間 蒲鉄バス営業所付近
撮影日 1999年2月12日金曜日
夜の村松駅。しんしんとした寒さの中、モハ71形は静かに発車の時間を待つ。暗闇がゆっくりと空を支配する時間、モハ71形はただ、いつものように出発の合図を待っている。大部分が通学生で占められた車内。今時のファッションを見て、この老兵は一体何を思っていたのだろう。
撮影地 村松駅 駅構内
撮影日 1999年2月12日金曜日
完全に空が漆黒の闇に包まれた時間、雪はますます激しくなり、カメラにも降り積もってきた。雪に滲む駅の明かり、しんしんと冷え込む空気に逃れるように、電車に乗り込んだ。
撮影地 村松駅 駅構内
撮影日 1999年2月12日金曜日
うって変わってこちらは雨の村松駅。初春の頃と言われる3月。さすがに春雨の風情が...と言いたいところであるが、この日の雨はどちらかと言うと、霙交じりの冷たい雨であった。気温も低く、身体が完全に冷え切ってしまった。日中、時折雨が降る悪いコンディションであったが、これほどひどくは降らなかった。気温はますます下がり、そして...。
撮影地 村松駅 駅構内
撮影日 1999年3月11日木曜日
3月11日夜、霙混じりの雨は深夜になって雪に変わり、翌朝には冬と見まごうばかりの雪景色となった。屋根に雪を載せて走るモハ71形。いつかの雪晴れの写真を思い出す風景に、思わず苦笑してしまった。ただ、この日は春らしく、みるみる気温が上がっていった。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 寺沢カーブ
撮影日 1999年3月12日金曜日
この日は平日にもかかわらず、朝の2連は運転されなかった。後で分かったことだが、学校(県立高校)が春休みに入ると、2連の運用は単行に改められる。聞いた話では3月10日が終業式だったとの事。もう少し早く来ていればと思う反面、雪景色が見られたことに対する感謝の気持ちと半々であった。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 寺沢カーブ
撮影日 1999年3月12日金曜日
寺沢カーブを抜けて、民家の脇をすり抜けるモハ41形。屋根上の雪もかなり溶け出してきた。春の日差しが、暖かく雪景色を包み込んでいた。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 五泉中学校裏付近
撮影日 1999年3月12日金曜日
か細く伸びる線路を叩く、モハ41形。いつまでも、この光景が見られる事を祈りながら、シャッターを切る。張るうららかな日差しに残る雪も、段々と土に還っていった。
撮影地 五泉駅〜今泉駅間 公園前付近
撮影日 1999年3月12日金曜日
村松駅を出たモハ41形。傾きかけた日差しを背に受けて、五泉駅へと急ぐ。
撮影地 今泉駅〜村松駅間 村松車庫付近
撮影日 1999年3月12日金曜日
この日は、途中からモハ41が運用に入り、終日運転された。気温が高くなり、昼過ぎにはあらかた雪が溶けてしまった。それでも背後に迫る越後山脈の雪は猶も冬の寒さを誇示していた。夕刻、残照を浴びて五泉駅に進入してくるモハ41型、どれだけの乗客を乗せてきたのだろうか...。
撮影地 五泉駅 駅構内
撮影日 1999年3月12日金曜日
蒲鉄で一番多い利用客はやはり学生、それも女子高生ではなかろうか。それだけに休みの期間に入るとごっそりと乗客が減ってしまう。この日も朝ラッシュ時にあたる時間帯の利用客は相当に少なかった。しかし、夕刻、そこそこの乗客が五泉駅のホームでモハ41形の到着を待つ学生が見られた。新津市や新潟市内に遊びに行った帰りだろうか、そう言えば私服を着ている。やっぱり、蒲鉄のお得意様である。木造電車に響く黄色い声。一見、似合わなさそうであるが、これも慣れの問題、ここでは当たり前の光景であった。
撮影地 五泉駅 跨線橋上
撮影日 1999年3月12日金曜日
ほぼ、光のなくなった空の下、前照灯を煌々と輝かせながら、木造の車庫の脇から、モハ41形が姿を見せた。古い車庫と、真新しい村松町の看板のアンバランスな組み合わせが長く見られた。
撮影地 今泉駅〜村松駅間 村松車庫裏手
撮影日 1999年3月12日金曜日
朝、一時的にその姿が見られたモハ71形は、その後、車庫でその出番をじっと待っていた。後にクハ10形とコンビを組んだままになった事から、こちら側の顔を見られる事は殆どなくなってしまった。
撮影地 今泉駅〜村松駅間 村松車庫
撮影日 1999年3月12日金曜日
前日の霙混じりの雨が嘘のように、鮮やかな赤紫の夕暮れとなった。これから段々と空は暗さを増してくる。徐々に気温も下がってきた・・・。
撮影地 村松駅 駅構内
撮影日 1999年3月12日金曜日
とっぷりと日は暮れて、闇に溶け込むようにモハ41形が、ゆっくりと発車の時間を待つように、時折、コンプレッサーの音を響かせていた。
撮影地 村松駅 駅構内
撮影日 1999年3月12日金曜日
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