このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
路線概要
大正12(1923)年10月、五泉〜村松間の開業が始め。村松の町に鉄道が通らなかったことから、北越鉄道(現、JR信越本線)と岩越鉄道(現、JR磐越西線)と村松の町を結ぶ目的で、地元により建設された。開業当初から蒲原鉄道と名乗り、更に開業時から電気鉄道として、電車を走らせていた。これは新潟県下の鉄道としては最初であった。
その後、白滝鉱山への延長が軍からの要請であったが、資金難から、当初の計画どおり、加茂方面に延長。昭和5(1930)年7月、先ず村松〜東加茂間が、同年10月東加茂〜加茂間が開業、全線が開通した。
昭和38(1963)年の通称サンパチ豪雪では、路線の大部分が積雪により、運行不能となり、村松〜東加茂間を中心に長期にわたる運休を余儀なくされた。特に積雪の多かった冬鳥越〜七谷間では蒲原鉄道社員だけでは復旧不能と言うことも有り、地元住民のみならず、自衛隊にも救援を求め、大蒲原駅に除雪対策本部を設けたと言う逸話も残っている。
昭和60(1985)年3月、豪雪地帯で有名だった村松〜加茂間(通称加茂線)が、利用客の減少と毎年の除雪費用の高騰により廃止。五泉〜村松間4.2kmと、日本で2番目に短い鉄道、日本一駅数の少ない鉄道となった。同時に在籍する10両の電車のうち半数の5両が廃車となった。
その後も乗客の減少は留まらなかったが、併設する観光バス部門による赤字の補填や、徹底的な合理化を図った。しかし長期にわたる不況と、車両・施設面の老朽化が深刻になり、車両及び施設の更新か路線廃止の二者選択を迫られるところまでになる。平成11(1999)年9月に行われた会社創立77周年記念イベントを終えた後、同年10月、あえなく全線が廃止となった。
同年4月に廃止となった新潟交通に次いでの廃止により、新潟県下の民営鉄道は全て廃止となった。
このページでは蒲原鉄道五泉〜村松間(通称村松線)廃止前約1年間の記録が収められています。
車両概要
在籍車両及び過去の廃車車両について。
駅について
五泉〜村松間に駅は3駅。
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