このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

蒲鉄を駆け抜けた名優たち

ここでは、蒲原鉄道を走った10形式の電車と1形式の電気機関車、
そして裏方役の貨車・作業車を紹介します。

モハ31形 モハ61型 クハ10形 貨車&作業車
モハ41型 モハ71形 ED1形 廃車記録

モハ31形

モハ31形  1923年、蒲田車両で作られた、蒲鉄生え抜きの車両。15m級の車体は、全線廃止まで残っていた車両としては最小。正面2枚窓、2扉の車体でとても愛嬌があった。ワンマン改造を受けており、最後まで比較的程度が良好であったが、廃止間際には、その収容量の少なさから予備車に回ることが多く、時として増結車に回る姿が見られた。

全長15,150mm 定員104名 廃車後は蒲原鉄道村松駅に保管。

写真撮影地 五泉〜今泉間 公園前
写真撮影日 1999年5月14日

モハ41形

モハ41形  1930年、日本車両製の電車。モハ31形の増備車として導入された、こちらも蒲鉄生粋の車両。当初は2扉クロスシート車で外見上はモハ31形と瓜二つであったが、後に車体延長の上、3扉ロングシート車に改造されてしまった。改造を受け持ったのは西武所沢工場である。その後ワンマン改造を受け、最終的な姿となる。蒲鉄生え抜きの車両としては最長の車体だったため、比較的稼動率が高かった。しかし晩年は老朽化がはなはだしく、一時は廃止前の廃車が検討されたほどであった。だが、現場職員の思いは強く、補修に補修を重ねて、最終日まで運用に入ることができた。

全長16,700mm 定員108名 廃車後は五泉市により保存。

写真撮影地 五泉〜今泉間 寺沢カーブ
写真撮影日 1999年9月26日

モハ61形

モハ61形  1940年、日本鉄道自動車工業製の車両。元は武蔵野鉄道(現・西武池袋線)クハ5856型。その後西武クハ1232型となり、1954年クハ1233型と改番。蒲鉄にやってきたのは1958年のことである。元々制御車であったものを、西武所沢工場で電装のうえ譲受した。車体長は蒲鉄最大で、特にラッシュ時には重宝された。前面3枚窓・非貫通のスタイルは西武電車のイメージを色濃く残していて、非常に人気の高かった車両であった。廃止前には台車トラブルなどで運用を外れたこともあったが、廃止間際に検査出場。結果的に最も程度の良い車両となった。廃止と決まっていながらも、修理・検査を行った蒲鉄社員の皆様には頭の下がる思いである。

全長17,000mm 定員110名 廃車後は加茂市により、冬鳥越駅跡地に保存。
写真撮影地 五泉〜今泉間 寺沢カーブ
写真撮影日 1999年9月16日

モハ71形

モハ71形  1927年、日本車両製。この車両も元は武蔵野鉄道からやって来た。元形式はデハ1322型。その後、西武鉄道時代に電装解除され、クハ1211型となっていた車両を再び電装改造を行ったいきさつがある。蒲鉄に入線したのは1965年。正面3枚窓はモハ61型と同じであるが、こちらは貫通型。五泉方にクハ10形(後述)を連結する姿がよく見られた。村松方の貫通扉は狭幅であったため、取って付けたようなイメージがぬぐえなかった。1999年2月に全検が行われ、非常に程度が良かった。廃止前にはクハ10形とコンビを組み、2連3連で団体輸送にあたった。この車両も本来は1999年1月に廃車となる予定だったものを、廃止が延期となったため、検査に踏み切ったと言う逸話が残っている。

全長16,930mm 定員112名 廃車後は村松町の個人により保存。
写真撮影地 五泉〜今泉間 寺沢カーブ
写真撮影日 1999年3月12日

クハ10形

クハ10形  1935年、川崎車両製。蒲鉄唯一の制御車である同車は、元は国鉄キハ41120形と言うディーゼルカーであった。キハ41000形と言えば、後のキハ04形として、様々な地方私鉄に売却されたが、その中でも珍しく、電車に改造された経歴を持つ。正面3枚窓改造と、見るからに電車には化けているが、側面のずらりと並んだ狭窓がその履歴を物語っている。蒲鉄唯一のクロスシート車でもあった。最後まで残った車両としては唯一ワンマン改造は受けていなかったため、運転時には車掌(晩年は鉄道課部長が兼務)が乗り込んでいた。普段は朝のラッシュ時、それも学校のある日の1往復しか運転されなかったが、廃止前には団体列車が多数運転されたことから稼働率は高かった。

全長16,350mm 定員109名 廃車後は村松町の個人により保存。
写真撮影地 五泉〜今泉間 公園前
写真撮影日 1999年9月18日

ED1形

ED1形  1930年、日本車両製の電気機関車。最終的には冬季の除雪用として残されていたが、元々は貨物輸送を行っていた名残である。蒲鉄のマスコット的存在であるが、加茂線が有りし頃、非力なモハ10型重連の補機として活躍、大蒲原や冬鳥越と言った峠を軽々と走っていた。降雪量がそれ程多くなくなってきたことも有り、車庫で眠っている事が多かったが、廃止前には回送列車の牽引や、イベントなどで本線を走る姿が見られた。一見、ウェスチングハウス製と見まごう車体は、実は国産で、長野県の松本電気鉄道のED30型(こちらはウェスチングハウス製)と非常に似ており、兄弟車とも言われている。

全長 9,180mm 自重25t 廃車後は蒲原鉄道村松駅に保管。

写真撮影地 五泉駅
写真撮影日 1999年9月14日

貨車と作業用モーターカー

資材運搬用モーターカー  蒲原鉄道には4両の貨車と資材運搬用モーターカー、除雪用モーターカーが存在していた。しかし、 貨車 は貨物営業廃止後、五泉駅と村松駅にそれぞれ放置されていた。このうち、トム1型は1917年、汽車製造製の木造貨車で、蒲鉄開業以前の車両として、非常に貴重な車両であった(上写真参照)。唯一の有蓋車ワ11形は新潟鐵工所製。1980年ごろに休車となり、そのまま五泉駅側線に放置されていた。路線廃止直前に復旧工事が行われ、現在は有田鉄道の手により、日本最古の現存貨車として保管されている。
 モーターカー(写真は資材運搬用)は2両所有。共に稼動状態であったが、走行シーンを見た者は非常に少ないと思われる。こちらの2両は、老朽化が激しかった事もあり、解体された。

写真撮影地 五泉駅
写真撮影日 1999年9月14日

廃車記録

モハ11形  蒲原鉄道加茂〜村松間があった時、上記の他に5形式の車両が存在していた。先ず、1923年の開業時に導入されたモハ1形。この車両はポールを取り付けたダブルルーフの車両であった。この車体は村松駅併設の村松車庫の物置として最後まで現存していた(写真左)。廃止後、個人に引き取られていった部品を再度集め、車体を復元し、現在は加茂市の手により、冬鳥越駅跡に、モハ61形とともに保存されている。
  モハ11形 1930年の加茂開通時に増備されたのがモハ11形。日本車両で3両が製造された。廃車後、モハ11形は旧西村松駅跡付近の公園に保存(写真右)、モハ12形は廃線の日まで村松車庫に放置されていた(写真下右)。この車両も、路線廃止後、山梨県の個人の手により保存されている。モハ13形は後にモハ1形の台車と交換の上、モハ51形と改番している。この車両は県内の安田民族資料館に、加茂〜西村松間全駅の駅名板と共に保存されている(写真下左)。

モハ51形  譲り受けた車両として、モハ81形モハ91形が在籍していた。まず、モハ81形は元越後交通長岡線(現・廃止)のモハ3000形。2扉16m級非貫通の車体で、単行で使われることは少なかった。モハ91形は元山形交通(現・廃止)のモハ106型。13m級車体でバス窓、前面張り上げ屋根で、蒲鉄では独特の風貌であった。小型車ながら出力は蒲鉄史上最大を誇り、クハ10型やモハ11形とペアを組むことが多かった。特に降雪時のラッシュ時には、モハ81+クハ10+モハ91という編成で輸送力&出力の増強を図った。しかし、モハ81形は老朽化が激しく、モハ91形はその収容力の小ささと出力の大きさが災いして、共に廃車の運命を辿った。
モハ11形  鉄道線廃線後に廃車となった車両は全て保存されているが、区間短縮時に廃車となった車両は、その半数は解体されてしまっており、その姿を偲ぶ事は出来ない。
また、車両の塗装は、一般的に、旧西武(武蔵野)塗装と言われているが、モハ1形は茶色1色塗装、モハ11形、モハ12形、モハ91形は、クリームとぶどう色のツートンであった。

 

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