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蒲原鉄道の駅の紹介 

蒲原鉄道は、廃止直前には五泉駅〜村松駅間4.2kmを結び、その区間にあった駅は僅か3駅。

鉄道線廃止直前の路線図 

五泉駅 今泉駅 村松駅 蒲原鉄道の路線図
五泉駅 今泉駅 村松駅 廃止区間について

 

 


五泉駅   五泉駅 新潟県五泉市駅前 開業1923(大正12)年10月20日 五泉起点0.0km

 磐越西線との連絡駅。ホームは専用で最も南側の4番線ホームから出発する。JR下り線ホームと構内通路で結ばれているが、駅舎には跨線橋を渡らないといけない。駅舎はJRのものとは別であるが、この駅舎は1949(昭和24)年、国鉄(当時)から分離独立したときに建てられたもの。


今泉駅   今泉駅 新潟県五泉市今泉 開業1923(大正12)年10月20日 五泉起点1.0km

 最終廃止区間唯一の中間駅。県道五泉村松線の脇にプラットホームと待合室があるだけの無人停留所。プラットホーム上に蒲鉄バスのバス停が鎮座している。ホームは開業時のものに1両分延長工事を行い、3両分が停車できるようになっていた。南側を道路に、北側には水田が広がっている。乗降客数は少ないが、五泉市内の小学校に通う小学生で毎朝賑わっていた。


村松駅構内   村松駅 新潟県中蒲原郡村松町甲 開業1923(大正12)年10月20日 五泉起点3.2km

 蒲原鉄道の開業時の終点駅であり、鉄道線全廃時の終点でもあった。駅の五泉方に車庫があり、また、1980(昭和55)年に改築された鉄筋コンクリートの駅舎は、1階に待合室と改札、旅行センターを備え、2階に蒲鉄バス観光バス部門の控え室と冬鳥越リフトの本社が、3階に蒲原鉄道本社が入っており、蒲鉄グループの中枢を担っている。駅の裏手には蒲鉄バスの車庫と整備場が隣接しており、駅舎の五泉方にはバスターミナルが設けられている。

村松駅構内  村松〜加茂間が廃線された後も、県道を横切る踏切があった手前まで線路は残されていて、引上げ線の役割も果たしていた。駅構内は非常に広く取られており、島式ホームには2編成が留置できるようになっていたが、五泉〜村松間が1閉塞であったため、実際に2編成が留置されていた事は殆ど無かった。駅舎とホームは構内通路で結ばれていた。発車15分前頃に改札が開くため、駅構内に人影を見ることは少なかった。
 村松駅は村松町の中心部からやや外れており、町外れの感が否めない。

旧村松駅駅舎  開業時の駅舎は木造2階建ての建物で、新駅舎と比較すると些か狭小ではあったが、開業当初では非常に大きく、堂々とした建物で、長らく村松町のシンボルであった。しかし、老朽化が激しく、また拡張も困難だったため、前述のとおり、現在の駅舎に改築。その際に解体の予定であったが、元村松小学校の教諭が私財を投げ打って購入、同県安田町に移設、同時に安田民族資料館の本館として蘇る事となった。現在、西村松〜加茂の各駅の駅名板とモハ51形と共に保存されているが、駅名板の方は痛みが激しく、早急な措置を期待したい。

切符棚(村松駅)  蒲原鉄道は全区間で硬券が使用されており、特に無人駅の今泉駅から乗車した際も、運転士から硬券の乗車券を購入するようになっている。社線内の他、常備券として、村松から新津や新潟・白山までのJR連絡券も存在した。例外として、朝の一往復に充当される2連の編成に限り、車内補充券が、新津、新潟、白山以外のJR線の連絡切符に特別補充券が使用された。
 定期券は、常備券の存在する区間のみ、常備券が使用され、それ以外は補充定期券が使用された。これらの 切符類 は全てこの棚に収納されていた。
 左半分の空いている棚は、村松〜加茂間があった頃の名残であり、その当時は、準常備券も備えられていた。
   (許可を得て撮影)


廃止区間を含む路線図  先行廃止区間(通称・加茂線)について。

 1985(昭和60)年4月1日に廃止された村松〜加茂間であるが、その距離は17.7kmにも及ぶ。これは総延長21.9kmの約8割にもあたる。この際に廃止された駅は12駅で、駅の数にしても8割が廃止された計算である。
 そもそも蒲原鉄道は村松の町と国鉄線とを結び、確実に新津市・新潟市に向かうことが出来る手段として開業したのが始まりであった。そのため、一時、試験的ながら、ディーゼルカーを購入し、五泉から新津まで磐越西線の車両に併結して乗り入れると言う計画が持ち上がり、社線内を電車と、国鉄線内をディーゼルカーと併結して走行する車両の設計まで考えられていた。この話を裏付ける証拠として、当時の運転士を国鉄に派遣し、実地訓練まで行ったと言うから驚きである。しかし、結局この話は磐越西線の一部電化計画により暗礁に乗り上げ、そのまま立ち消えになったとの事である。
 話が横道にそれてしまったが、このような経緯により、村松〜加茂間は新潟市内ルートから外れてしまっていた。そのような中、この区間の収益をはじき出していたのが冬季におけるスキー臨時電車の運転である。
毎冬、大蒲原・冬鳥越のスキー場は加茂や村松から比較的近距離だったこともあり、また、蒲原鉄道の駅から便利であった為、この時期だけは非常に賑わっていた。
 しかし、それは逆にいえば、沿線の自然環境の厳しさを物語っており、結果として、過疎と冬季の豪雪の前に敗れ去ったと言うほかは無い。
 同区間の駅であるが、大蒲原、七谷、東加茂の3駅で交換が可能であり、西村松、大蒲原の両駅では1980(昭和55)年まで貨物を取り扱っていた。西村松は委託駅であり、大蒲原、冬鳥越の両駅では冬季のみ駅員が配置されていた。七谷には駅舎があり、陣ヶ峰駅は唯一の高架駅であった。また全区間通票閉塞( 通票の写真 )を行っていて、交換駅ではタブレットの受け渡しが見られた。
 廃止後、暫らくは廃線跡を色濃く残していたが、その後農地改良に伴い、痕跡が次々と消えている。高松・土倉ではホームが残り、冬鳥越峠にはトンネルが残っている。七谷駅は線路と架線が無い以外はほぼ原型のまま残されている。陣ヶ峰駅のホームと信越本線をオーバークロスする鉄橋も現存している。加茂駅には雑草に埋もれたホームが今も撤去されずに残されている。


蒲原鉄道の切符の話。

 先に述べたとおり、乗車券は基本的に硬券が使用されていた。最終的には種類も非常に減っていたが、加茂線があった頃は、それこそ硬券の宝庫であった。また、廃止前には廃止日まで有効の回数券や、社員撮影の写真を使った『鉄道線廃止記念乗車券』も発売された。更に、加茂線廃止後には、加茂線で使用されていた切符のセットなどを販売し、増収に努めた。このセットであるが、当時残っていたものの寄せ集めだった事も有り、発売時期によって内容が変わっていくと言う、ある意味、お買い得感もあった。
 定期券は昔は1枚ものの単純売りであったが、後に有効期限箇所切断式に改められた。
 ここでは、蒲原鉄道(株)様のご協力の下、本来なら目にする事の出来なくなった切符の画像を公開しています。

1; 五泉〜村松間の廃止直前まで使用された硬券。
2; 鉄道線廃止直前に発売されていた、【加茂線廃止記念硬券セット】の内容。
3; 車内補充券、特別補充券、廃止記念回数券。
4; 加茂線廃止直前に売り出された【加茂線廃止記念硬券セット】の内容。
5; 加茂線で使用された、【加茂線廃止記念硬券セット】に含まれなかった硬券。
6; 『鉄道線廃止記念乗車券』、ケースと中の切符。
7; 蒲原鉄道で使われた定期券(一部は【加茂線廃止記念硬券セット】に入っていた)。


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