北見市街から国道39号線を美幌方面へ約20分、 北見市端野町緋牛内から道道網走端野線に入って少し行ったところに、 「鎖塚」と呼ばれる土まんじゅうと石碑があります。
明治から昭和初期にかけて、北海道開拓のための労働力として、多くの重罪(特に政治犯)の囚人たちが、強制労働のために本州から北海道に送り込まれました。 かの有名な「網走刑務所」は、実は、道東開拓の前進基地だったのです。
道央から網走に至る「北見道路」(現在の国道333号線〜39号線〜道道網走端野線)の建設にも、やはり囚人たちが強制労働として従事しました。 工事はみるみるうちに進捗し、後の道東開拓に大きく貢献しましたが、その一方で、厳しく危険な労働ゆえ、力つきて命を落とす人や、逃走を試みて処刑される人も多くいました。
鎖塚は、この地の道路建設で命を失った人々の墳墓。 土まんじゅうの下には、彼らの遺骨が、赤さびた鉄球や鎖(逃走防止のための足かせ)とともに埋まっているといわれています。
網走の天都山の麓にある「博物館網走監獄」では、囚人労働力による道東の道路建設の歴史、そして「鎖塚」のいわれについて、さまざまな展示から学ぶことができます。
端野の国道39号線をドライブする機会があれば、ちょっと寄り道して、道東開拓の時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。